いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

人間的な誇りは「断る」ことから生まれる。ー 「みんなと仲良くしなければいけない」というのは大嘘で、どれだけ自分を楽しませられるかの勝負だ。

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福岡県の津屋崎の海が綺麗だった。現在の私は「家のない生活」を送りながら、全国各地で開催されるトークイベントに出演する日々を送っている。必然的に様々な人と出会い、人間である限り誰もが似たようなことに悩み、似たようなことに思いを馳せているのだということを実感するようになった。世界は広く、自分とはまるで違う世界を生きている人たちの存在は、自分の人生の幅を広げてくれる。


私は家がない為に、頻繁に「初対面の人たちの家」に泊めてもらうことがある。自分が出演するトークイベントなどでは、質疑応答の際に「他人の家に泊まるのがストレスになることはありませんか?」と尋ねられる。私の答えは「もちろん!(YES!)」であり、自分と気の合う人もいれば、まったく気の合わない人もいて、誰とでも仲良く愛想良くやれる要素が私には無いので、自分とは相性の悪い人たちと長い時間を一緒に過ごす羽目になった時は、まるで「地獄のような時間」になる。

「そんな時はどうするのですか?」と尋ねられるが、私の答えは「帰る」であり、自分自身がその場を離れるようにしている。もちろん、最初から「嫌だと思うことには嫌だと言う」ことが出来た訳ではない。「私を泊めてくれる」という相手の好意に対して「ここに泊まるのは不快だから帰ります」と告げるのは、非常に失礼な行為にあたるのではないかと思っていた。だからこそ、本音の所では帰りたくても「帰りたい」と言葉にすることが出来なかった。

しかし、去年の12月頃に「どうしても帰りたい」と思った瞬間があり、家主の方に「すみませんが帰りたいので帰ります」とはじめて告げたら、あっけなくその場を離れることが出来た。私は「そんなことを言ったら相手が怒るかもしれない」などと妄想していたが、相手は拍子が抜けたような表情を浮かべただけで、「あら、そうなの?」みたいな感じで私の要望を受け入れてくれた。そして、私はその場を離れることに成功し、その日はひとりで近くの漫画喫茶で自腹を切って宿泊した。

この時の爽快感は新鮮だった。「帰りたいなら『帰りたい』と言っていいのだ」という当たり前の発見は、私にふたつの感覚を与えてくれた。それが「自由」と「誇り」であり、私は「自分が泊めてもらう(助けてもらう)側の人間であろうとも、自分がそれを必要としていないのであれば、自分自身にも拒否権はあるのだ」ということを知った。これが自由だ。そして、今までの私は「せっかく泊めてもらうのに、帰りたいなんていうのは失礼なことだ」と考えていた自分の思考を改めることに決めた。

「みんなと仲良くしなければいけない」というのは大嘘で、苦手な相手に媚びる日々を送っていると、徐々に自尊心が消え失せてしまう。「自分は他人の助けがなければ生きていけない(自分が苦手な相手にも、ちゃんと好かれるように生きなければいけない)」という認識のもとでは、いつの間にか自分自身を低い存在に成り下げてしまう。私は、私の意思を主張した時に、はじめて「(自分は「泊めてもらう」という弱い立場の人間ではなく)相手と対等な状態にあるのだ」と実感することが出来た。これが「誇り」だ。自分は「誰かの助けがなければ生きていけない弱い立場の人間」ではなく、「やりたくないと思ったものに対して、はっきりと拒否権を行使することが出来る存在なのだ」と実感した。

自分が嫌だと思うことには、はっきりと嫌だと言う。同じように、自分が好きだと思うことに対しては、周囲の人間が何と言おうが「自分はこれが好きだ」と宣言する。たったそれだけのことで、人間は清々しく生きることができる。問題なのは「みんなと仲良くしなければいけない」という空気感に縛られて、本当はやりたくないことをやり続ける日々を送ったり、嫌いな相手に媚びる日々を続けてしまった結果、自分の中から「誇り」と呼べる部分がいつの間にか消えてなくなってしまうことである。

私は、人間の本質は「不真面目」で「自己中心的」で「誰かに命令されるのは大嫌い(嫌なことをやらされるのは大嫌い)」なものだと思っている。自分が嫌だと思うことを、自分の感情を押し殺してまで続けた先に、人類全体の(何よりも自分自身の)幸福が待っているとも思えない。


人間の誇りは「断る」ことから生まれる。周囲の空気を読むことよりも、誰かに好かれようとすることよりも、ずっと優先するべき大切な事柄がある。それが「自分の人生を生きる」ことであり、「自分自身を幸福にすること」ではないだろうかと思っている。自分自身を楽しませ続けた結果、自分と同じ価値観を共にする人間と出会い、一緒に遊び、同じ時間を共有する。嫌いな人間にエネルギーを注ぐことよりも、自分の人生を充実させることにエネルギーを注いだ方が圧倒的に有意義だ。

誰もが自分の人生を生きることが出来れば、他人の生き方にああだこうだという人も減るだろう。出る杭が打たれるのは「それだけ自分を抑圧して生きている人たちが大量にいる」ことの裏返しであり、多くの人たちが「(他人の人生をああだこうだと言うのではなく)自分の人生を生きる」ことに集中すれば、無駄な気遣いにエネルギーを削がれることも減少する。自分の人生に余計なものは断ろう。

人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
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