いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

【貧乏性最強説】私が貧乏性によって躁鬱病と統合失調症を克服し、三ヶ月で15キロ痩せた話。

私は五年ほど前に椎間板ヘルニア躁鬱病統合失調症のトリプルパンチで半年間の寝たきり生活を送っていた。病床に伏した理由は明確で、「仕事を失う」「恋人を失う」「家を失う」「金を失う」「身近な人間と死別する」というイレギュラーな出来事が、三日間の間に立て続けに連発したからだ。私はこれを「3days 5accidents」と名付けている。

強烈な躁状態から強烈な鬱状態

「生きていても何も良いことはない」と思った私は、そのまま鬱状態に陥れば良かったものの「やけくそになってしまえ」という方向に自分の意識がドライブされてしまい、躁状態に陥った。躁状態に陥った人間の所業は凄まじく、ここには綴り切れない幾つものミステイクを犯した。そして、およそ二ヶ月間続いた躁状態の反動として、強烈な鬱期が訪れた。当時の私には統合失調症も併発しており、椎間板ヘルニアも発症した私は見事にぶっ倒れた。そこから私の「闘病生活」がスタートする。

当時、鬱病を治すために処方されたのが「パキシル」という名前の薬だった。私は精神科に通う度にパキシルを処方され、処方される量は日を追って増していった。最初は一錠、翌月は二錠、翌々月は三錠、最終的には一日四錠を飲む生活が続いた。パキシルの副作用は激しく、私はとどまることを知らない頭痛と希死念慮に襲われる日々を過ごした。椎間板ヘルニアも併発していたために、横になっていても腰が痛い。常に頭痛と腰痛に悩まされる日々は耐え難く、私は「食」に逃げ場を求めて過食をはじめた。

過食により一ヶ月で20キロ太る

「何かを食べている間だけは、頭痛や腰痛などの自分が置かれている苦境を忘れていられる」ー そう思った私は、一日三食とは別に、来る日も来る日も食パンに苺ジャムを塗りたくって食べた。私はジャムパンが好きだ。当時の睡眠時間は一日20時間程度で、起きている時間はひたすら食事をしていた。食べては眠るだけの日々を重ねた結果、私の体重は一ヶ月で20キロ増量した。日に日に醜くなる自分の体を(まるで他人事のように)眺めながら、私は「もっと醜くなれ、もっと醜くなれ、醜い自分自身にふさわしい、もっと醜い体になってしまえ」と思っていた。自分自身にまるで復讐をするかのように、私は過食を繰り返す日々を送った。

鬱状態に置かれている人間にとって、生きていることは「罰ゲーム」のように感じられる。自分の存在が周囲の人間に迷惑をかけてしまっているという強烈な思いに囚われてしまうために、自分さえいなければという自責の念に押し潰されてしまう。私は「過食」というアクションを通じて、半端ない自責の念からの逃亡を図っていた。このような生活が半年間程度続いた後に、ひとつの変化が生じた。

《第一の奇跡》精神科の通院を辞める

半年間の寝たきり生活を送り続けた結果、椎間板ヘルニアの症状が治まった。精神的な問題は俄然持続していたが、強度の腰痛からは自由になることが出来た。精神科医からは「あなたの症状は重症だから、完治までに3年間はかかります。ゆっくり治していきましょう」と言われていた。当時の私には医師の言葉に抗う気力も体力も何もなかったので、ただ、盲目的に従っていた。

しかし、精神科医に通い続けるのは非常に金がかかる。精神科は金がかかるのだ。しかし、半年間欠かすことなく通院したが、症状は良くなるばかりか副作用で苦しめられる日々が続いていた。私は「通院しても苦しいし、通院しなくても苦しいのならば、通院しないで苦しい道を選ぶよ」と思うようになり、そして、医者に通うのを勝手に辞めた。どう転んでも苦しいのならば、金がかかって苦しい道ではなく、金がかからずに苦しい道を選ぼうという「貧乏性」が発揮されたのだ。

これが奇跡的に功を奏することになる。もちろん、通院を辞めてすぐに体調が良くなった訳ではない。相変わらずうだつの上がらない日々は続き、自殺願望も消えず、自室の窓から道行く老人を眺めては「その年まで、よく自殺しないで生き延びることができたな(自分には老人になるまで生き続けられる自信がない)」などと思っていた。そんな中、人生を変える第二の奇跡は親父の誕生日に訪れた。

《第二の奇跡》親父とビリーズブートキャンプ

実の父親が誕生日を迎えた。私は、息子としても何かプレゼントを買いたいと思った。しかし、療養中の自分には金銭的な余裕がない。こんな自分にも何か買えるものはないだろうかと思い、私はふらふらと近所のリサイクルショップに足を運んだ。そこで私は「ビリーズブートキャンプ」を目撃する。何か聞いたことがあるぞ、と。確かエクササイズ的なやつだよなこれは、と。そして、そういえば親父も「最近は運動不足だ」とか言っていたなと思い出した。値段を見ると(とっくにブームは過ぎ去っていたので)全部セットで500円だった。これなら自分にも買えると思った。

購買して帰宅した私は、親父と一緒にビリーズブートキャンプのDVDを鑑賞した。そして、愕然とした。とてもじゃないけれど、親父の年代の人間には成し遂げることができる運動量ではなかった。「これは無理だな」と親父は笑った。「確かに無理だね」と私も笑った。しかし、せっかく購買したのだから、もとを取らない訳にはいかない。そして、このタイミングで再び私の「貧乏性」が発揮されることになった。「親父がダメなら俺がやろう」ー 私の貧乏性は躁鬱病の症状を遥かに凌駕し、私は死んだ魚の目をしながらもビリーズブートキャンプを敢行することに決めた。強度の鬱状態に置かれた人間がビリーズブートキャンプを敢行している姿は、おぞましく異様なものだったと思う。自分自身の貧乏性にドライブされた私は、以降、ビリーズブートキャンプを続ける日々を送るようになった。

久しぶりに身体を動かすという体験をした私は、ひとつの懐かしい快感を思い出した。最初は、この感覚が何なのかを思い出すことができなかった。しかし、しばらく考えたあとに、これは「気持ちよさ」だということがわかった。身体を動かすことの中には原始的なよろこびがあり、私はそのよろこびを「死んだ魚の目をしながらビリーズブートキャンプを敢行する」ことによって、知らず知らずの内に取り戻していたのだ。そして第三の奇跡が起こる。

《第三の奇跡》ものをつくるよろこびを知る

ビリーズブートキャンプを敢行する日々を通じて、明確な変化が私に起こった。それは「腐ったトドみたいな自分のボディが、如実に引き締まってきている」という現象だ。意図せず始めたビリーズブートキャンプのおかげで、私の身体は勝手に引き締まり、体重も確実に減少していた。これに気を良くした私は、ちょうど良い機会だからダイエットもはじめてみようかという気持ちになって料理をはじめた。

痩せるためには摂取カロリーを減らせばいい。私はクックパッドのレシピを参考にしながら、痩せそうなメニューを実験的に作ってみるようになった。鬱状態に置かれている人間にとって、何もしていない自分に感じる罪悪感は尋常ではない。そんな中、少なくとも「今日はビリーズブートキャンプをした」「今日は新しい料理に挑戦した」「今日は家族のために僅かでも力になることができた」と感じることができる瞬間は、大袈裟に響くかもしれないが、それがそのまま生きる確かな手応えになる。当時の私には、自分にも何かをやることができるという小さくても確実に存在していた感覚が、何よりもうれしかった。

そして、料理をしていると「無心」になることが出来る。嫌なことを考えずに済むし、簡単なものであれば初心者でも容易につくることができる。「自分にも出来た!」と感じる瞬間のよろこびは非常に大きく、自責の念に包まれているだけの日々を過ごしているだけの自分にとっては、ある種の救いにもなった。私は頻繁に料理をするようになり、徐々に「ものをつくるよろこび」を取り戻すようになっていた。

《第四の奇跡》自然に触れる

食事と運動を通じて、私の体重は目に見えて落ちて行った。結果が数字になって分かることが非常に嬉しく、他に何もすることがない私は「いかにして摂取カロリーを減らし、いかにして消費カロリーを増やすか」ということだけに集中する日々を過ごしていた。人生に手応えを感じるのは、寝たきりの生活に突入してからははじめての体験だった。新鮮さが嬉しかった。ビリーズブートキャンプ以外にも日常的に運動を取り入れるようになり、散歩がてら屋外にも飛び出すようになっていった。

私は新潟市内にある実家で療養生活を送っていたのだが、徒歩五分程度の場所に「小針浜」という名前のビーチがある。特にこれといった見所はない、何処にでもあるような普通のビーチだ。私は軽い運動がてら、時折、小針浜まで訪れては夕陽を眺めたり海に吹く風を浴びたりしていた。いつものように自然の中を歩いていた時、ふと、不思議な感覚に襲われた気がした。まるで自然が自分に何かを語りかけているような、そのような感覚を覚えたのだ。このような感覚を覚えるのははじめてのことだったので、私は驚きながらも耳をすませた。

もっと好きに生きなよ。感じる心がもったいないじゃないか。

自然が語りかけていた内容を私なりに翻訳すると、このような内容になる。自然から何かしらメッセージのようなものを受け取る体験ははじめてのことであり、私は動揺しながらも、心の底から静かに湧き出る「存在のうれしさ」を覚えた。自然の偉大さに触れた気がして、私はある種の敬虔さを覚えた。

《第五の奇跡》病気が完治する

このような日々を送り続ける中で、いつの間にか私の病気は完全に霧消していた。一切の薬を飲むこともなく、三ヶ月で15キロの減量に成功し、五年が過ぎた今でも元気に暮らすことが出来ている。精神科医からは「完治までに3年はかかる」と言われていた症状でさえ、およそ半年間の間で、すべては闇に溶けて消え去った。もしもあの時、精神科医の言葉を信じて通院する日々を過ごしていたら、今の私は決して存在してはいないのだということを思うと、人生の摩訶不思議さを感じる。

誤解されると困るが、私は現代医療のスタイルを否定したい訳ではない。この記事を通じて伝えたいことは「人生は(自分のコントロール範囲内を超えて)どうにかなる」ということであり、「すべてがうまくいくとは限らないけれど、すべてがうまくいかないとも限らない」ということである。そして、私の場合は「自分自身の貧乏性によって」助けられることが幾つもあったという比較的愚かな実体験が、何かしら誰かの役に立てば嬉しいと思っている。

1・お金がもったいないから、医療費がかかる通院を辞めた。
2・お金がもったいないからビリーズブートキャンプをした。
3・お金がもったいないからジムに行く代わりに海を眺めた。

私が遭遇した奇跡は、すべてが「貧乏性」に起因している。そして、私は自分自身の貧乏性が謎に功を奏し続ける結果となり、無事に闘病生活を乗り越えることが出来た。人生は何が起こるかわからない。死んだ魚の目をしながらもビリーズブートキャンプに明け暮れる日々を通じて、今、家のない生活をしながら得た体験を人前で話すために滞在している福岡県のジョイフル(私が世界で一番愛しているファミリーレストラン)で、このようなブログ記事を更新している自分がいる。

現在の日本社会では年間の自殺者が三万人いて、鬱病患者は100万人を超えているらしい。本当のところは知らないが、私の小さな実体験が、何かしら私と似たような症状に悩む人にとってのヒントになれば、これほど嬉しいこともない。そして、私はこれらの体験を通じて「普遍的なよろこびを覚える」ためには三つの方法があるということを学んだ。それは、以下のような簡単な言葉で表現することが出来る。

1・身体を動かす。
2・ものをつくる。
3・自然に触れる。

人生に行き詰まりを感じた時に、現状を打開するのは「頭で考える」ことではなかった。私がビリーズブートキャンプで身体を動かすよろこびを取り戻すことが出来たように、私が料理を通じてものをつくるよろこびを取り戻すことが出来たように、私が散歩を通じて自然に触れるよろこびを取り戻すことが出来たように、自分の人生に何かしら行き詰まりを感じている状態において、再び歩き出すためのエネルギーを獲得するためには、普遍的なよろこびに触れる必要があった。

もっと好きに生きなよ。感じる心がもったいないじゃないか。

「悲しみも苦しみも、いつか必ず舞台で活かせる時が来る」ー 生きていれば様々な目に遭遇する。良いこともあれば悪いこともあるが、過ぎてみればすべてが笑い話になる。そして、今までの人生がどうにかなってきたように、これからの人生も絶対にどうにかなる。この世で一番もったいないのは「自分の心を殺してしまうこと」であり、元来の貧乏性である私は「自分の人生を骨の髄まで味わい尽くしてから散りたい」と思っている。一度死んだ命だ。余命がどれだけなのかはわからないが、灰になるまで、人間であるということを楽しんでいたい。

人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
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