いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

「他人に迷惑をかけてはいけない」というのは大嘘で、どれだけ楽しく迷惑をかけられるかの勝負だ。

f:id:ibaya:20150104074039j:plain

「母が末期癌で医者からも余命三ヶ月と告げられて、死ぬ前に何がしたいか尋ねたら『歌手になりたい』って言うから老人ホームのツアーを組んで好きなだけ歌わせたら、結果的に癌も完治して今でもピンピンしています」という奇跡的な会話が交わされていて、秋田県は半端ないなと思いました。

という訳で、秋田県に来ている。私は自分のスケジュールと連絡先をWEB上に公開している。それを見てくれた神様のような人たちが「良かったら交通費と謝礼をお支払いするので、私の住む町まで来てください(場合によっては「お話会」的なものをやりましょう)」という声を掛けてくれる。今月は佐渡&秋田&仙台&盛岡&新潟&名古屋&東京&札幌&関西&沖縄&台北&熊本&福岡に行く予定です。

坂爪圭吾 《坂爪圭吾のスケジュール》

隙間時間や超絶FREEの時間帯は基本的に何でもやります。坂爪圭吾という人間に興味を持ってくださった方は、誰でも気軽にご連絡ください。昨日は秋田県秋田市でサロンをやっている方のお宅にお邪魔した。常連のお客さん達も大勢集まり、皆で食事を囲みながら小規模なお話会(?)が行われた。

私は自分自身の話をした。

「他人に迷惑をかけてはいけない」という嘘。

「2014年の2月に東京でのホームをレスし、私は各種SNSを通じて『誰か私を泊めてください』と全力で人々に助けを求めた。すると、驚いたことにまだ会ったこともない人から大量の連絡が届き、いつしか『坂爪圭吾を泊めるための予約待ち状態』という謎の現象が生じた。私は訳がわからなくなった。家がなければ生きていけないと私は思っていたが、家を失うことで、私は(いつでも泊まれる)家が増えた。もちろん、知らない人の家に泊まることへの抵抗感や罪悪感はあった。『他人に迷惑をかけてはいけない』という意識が強烈に自分自身の中にインストールされていることを感じた。しかし、冷静になって眺めてみると、私を泊めてくれる人は微塵も迷惑だとは思っていないみたいで、むしろ、坂爪圭吾という珍獣を自宅に泊めることを『面白がっている』ように見受けられた。ここでひとつのパラダイムシフトが発生した。それは、他人に迷惑をかけてはいけないというのは偽りであり、どれだけ楽しく迷惑をかけられるかの勝負になるのではないのかという変化だった」

良い人ばかりではないけれど、悪い人ばかりでもない。

「もちろん最初は恐怖もあった。知らない人の家に泊まったら、もしかしたら殺されてしまうかもしれないと不安に怯えた。しかし、これまた冷静に考えてみると、坂爪圭吾を殺すことのメリットは何もないことに気がついた。『金はない』と公言している私を殺しても、殺した側のメリットは皆無であると気がついたので、あとは野となれ山となれのマインドでとにかく呼ばれる限り突撃してみた。結論から言うと、私を泊めてくれる人たちは皆おしなべて優しい人ばかりだった。危険な目に遭うことは皆無で、こうした連続の日々を過ごしていると、私の中の『他人に対する視線』が急速に変化した。今まで、私にとって他人とは『敵』であった。用心しなければいけない対象であり、迂闊なことをやっていると何か危険な目に巻き込んでくるような、そんなイメージを他人に対して抱いていた。この価値観が崩壊した。私にとって他人は「敵」から「味方」となり、すべての人が自分に優しくしてくれるとは限らないが、すべての人が自分に冷たい訳でもないということを実感した」

極論、他人とのつながりがあれば人間は死なない。

「日本には『自分のことは自分でやって一人前(誰かに頼るのは半人前)』という価値観が強烈に根ざしていて、もちろん自分のことは何でも自分で出来る人間は果てしなく立派だけれど、自分にもしものことがあった際に『他人に助けを求める力』がなければ、すべてを自分ひとりで抱え込んでしまい、最悪の場合は鬱病になったり自殺をしてしまったりする。『自分のことは自分でやる力』と同じレベルで『他人に助けを求める力』も重要であり、極論、他人との繋がりがあれば人間は死なない。『自分のことは自分でやって一人前』という価値観のままでは、絶対に発生しないアクションがひとつだけあり、それは『お互いに助け合う』ということだ。そして、お互いに助け合うことの中には、助けられる側だけでなく、助ける側にとっても『楽しさ』や『よろこび』がある。これは非常に料理と似ていて、自分のために料理を作ってもやる気が起こらないが、誰か食べてくれる人がいたり、その人が『美味い!』と言ってくれることが、料理を作った人にとっての『楽しさ』や『よろこび』に繋がっていく」

食事を囲みながらこのような話をした。

「誰かに助けを求める力」について、私たちは驚くほどに訓練を積んでいない。何もかも自分たちの手で揃えるための訓練や学習は積んできたが、これらは基本的に『自分のことは自分でやって一人前』という価値観に支えられている。誰かに頼るのは甘えであり、それは逃げだとみなされる。しかし、誰かに助けを求めることはいけないことなのだろうか。全部を自分の力だけでやる必要はあるのだろうか。

まずは自分から困っている人に手を差し伸べる。

ムーミンの作者であるトーベ・ヤンソンは、自宅のアトリエには一切の鍵をかけずに常に解放していて、場合によっては来訪客を無料で宿泊させていたという逸話を耳にした。私はこのエピソードが非常に好きで、日本にもこうした「無料で宿泊できて、無料で食事がとれて、誰もが気軽に立ち寄れる場所」が増えて行ったら、今よりもずっと生きやすい国になるのではないだろうかと思っている。生きていれば色々なことがある。突然仕事を失ったり、家族を失ったり、自宅を失ってしまう場合がある。

そんなときに「困ったらここに来い」という場所が増えたら、今よりもずっと人生に対する「大丈夫だ感」は増していくだろう。こうした空間を通じて「お互いに助け合う練習」を積みながら、まずは自分から困っている人に手を差し伸べて、自分が困ったときには「助けてください」とお願いする。

自分をオープンな存在にしている限り、人間は絶対に死なない。

超ひも理論2.0についての記事でも書いたが、私は「家のない生活」を通じて、自分だけのセフティネットを無意識の内に開拓し続けてきたのだと思う。今までは「家がなければ生きていけない」と思っていたが、多くの人の支えにより「家がなくてもどうにかなる」ということを身体を通じて学んだ。他人は「敵」ではなく「味方」であり、他人に迷惑をかけてはいけないというのは必ずしも真実ではなく、どれだけお互いに楽しく迷惑をかけあっていけるのかが重要なのであり、最終的には、その人自身の「人柄」や「人格」が最大の担保であり、最大の財産になるのだということを痛感した。


自分をオープンなものにしている限り、絶対に人間は死なない。優しい人は必ずいるし、誰かの優しさに触れると、自分も「いつか必ず恩返しが出来るような人間になろう」と心の底から思える(これが生きていく上の最大の動力源になる)し、同じように困っている人を見かけた時に、無条件で他人に対して優しさを差し出すことが出来る。すべてがうまくいく訳ではないけれど、すべてがうまくいかない訳でもない。「誰かに助けを求める力」を養いながら、自分に余裕がある時は、困っている人を見かけたら助けを差し伸べる余裕があれば、世の中は今よりもずっと暮らしやすいものになると思っている。

三つの要点をまとめる。

1・「他人に迷惑をかけてはいけない」というのは大嘘で、どれだけお互いに楽しく迷惑をかけられるかの勝負であるということ。

2・他人は「敵」ではない。他人は「味方(になり得る存在)」であり、優しい人は必ずいる。すべてが上手くいくとは限らないけれど、すべてが上手くいかない訳ではないということ。

3・「自分のことは自分でやって一人前(誰かに頼るのは半人前)」という価値観のままでは、お互いに助け合うことが出来なくなる。お互いに助け合うことの中には「楽しさ」や「うれしさ」があり、それは助けられる側の人間よりも、助ける側の人間の方がより強く感じるよろこびが内包されている。

「誰かの役に立つことができた」時に、確かな手応えやよろこびを感じることができる。

別に綺麗事が言いたい訳ではない。単純に、人間は「自分のために生きている」よりも「誰かの役に立つことが出来た」と感じる時に、確かな手応えやよろこびを感じることが出来るようにつくられている。日本には毎年三万人の自殺者がいて、精神的な問題を抱えている人たちも大量にいる。必要なのは「自分のことは自分でやって一人前」よりも「困った時はお互い様」という価値観であり、お互いに助け合うことが出来れば避けられた不幸というものが、たくさんあるように感じている。


「誰かに助けを求める」ことは、決して恥ずかしいことではない。自分が誰かに優しくしてもらったように、困っている人を見かけたら、今度は自分が出来る範囲の優しさを差し出せば良いだけの話だ。完璧な人間はいないし、そもそもで完璧になる必要もない。足りない所はお互いに補完し合えば良いのであり、自分が出来る範囲の優しさを持ち寄れば「優しい社会」になると思う。

優しさとは「余裕」である。

これから秋田県羽後本荘に向かい、明日からは仙台に入る。これからどのような出会いが待っているのか、私は其処で何を感じて、どのようなことを思うのだろうか。出演予定のイベントリンクを貼っておきますので、お近くの方は誰でも気軽に遊びに来てください。2015年という一年も、予測不可能性のグラデーションに溢れた素晴らしい一年にしていこう。

《終了》1月3日(土)@秋田県秋田市
《終了》1月4日(日)@秋田県由利本荘市
《終了》1月5日(月)@宮城県仙台市
《終了》1月6日(火)@宮城県仙台市
《終了》1月7日(水)@岩手県盛岡市
《終了》1月8日(木)@新潟県新潟市
《終了》1月9日(金)@愛知県名古屋市
《終了》1月11日(日)@愛知県名古屋市
《終了》1月13日(火)@東京都新宿区
《終了》1月15日(木)@東京都国立市
《終了》1月16日(金)@東京都世田谷区
《終了》1月17日(土)@北海道札幌市
《終了》1月18日(日)@北海道札幌市
《終了》1月19日(月)@北海道札幌市
《終了》1月21日(水)@兵庫県神戸市
《終了》1月21日(水)@大阪府東淀川区
《終了》1月22日(木)@京都府向日市
《終了》1月22日(木)@沖縄県宜野湾市
《終了》1月23日(金)@沖縄県那覇市
《終了》1月24〜27日@台北(板橋)
《終了》1月28日(水)@熊本県熊本市
《終了》1月29日(木)@福岡県福岡市
《終了》1月30日(金)@福岡県福岡市
《終了》2月1日(日)@大分県由布院
《終了》2月2日(月)@大分県臼杵市
《終了》2月3日(火)@宮崎県宮崎市

※ イベント出演依頼等は下記連絡先よりご連絡ください。

人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
LINE:ibaya  keigosakatsume@gmail.com