いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

【よろしくやってんじゃねえよ理論】批判の9割は嫉妬。ー 本当の意味で自由に生きている人は、それを見ている人の心まで自由にする。

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私は家のない生活をしている。そのため、稀に一人暮らしの女性の家にお邪魔させていただく機会がある。先日、東京で「私より年下の一人暮らしの初対面の女性の方」の御宅にお邪魔させていただいた。その女性の方からはLINEを通じて連絡をもらった。「もし良ければ我が家にどうぞ」と声をかけていただき、私はお言葉に甘えることにした。すると、結果的に非常にユニークな現象が起こった。

私は自身のツイッターから「今日は私より年下の一人暮らしの初対面の女性の方の家にお世話になっています」と投稿した。すると、即座に批判の声が届いた。ある男性の方が私に言った。「よろしくやってんじゃねえよ」と言ったのだ。そりゃそう思うだろうな、と私は思った。ひとり暮らしの女性の家にお邪魔するということは、そこから連想される何かこう謎めいたロマンスの香りが漂い始める感じはわかる。だがしかし、この男性が想像している世界と、私が実際に生きている世界はまるで違った。

結論から言えば、私はまったくよろしくなんてやっていなかった。その時、ちょうど私は女性の方から比較的ショッキングな話を聞いていた。それは、このような感じの内容だった。

「今年の夏頃、ゴミ捨て場の近くに死んだセミが落ちていて、それを拾って家に持って帰ってみたんです。で、これって食べられるのかなって思って、素揚げにしてみたら結構いい感じになって、食べてみたら食べることができたんです。ああ、セミって食べられるんだなあって思って、周りのみんなにもセミは食べられるんだよって話をしたらみんなも結構面白がってくれて、この前は風俗関係で働いている人にもこの話をしたらすごい面白がってもらえて、セミよりもよっぽど凄いものを食べている人たちも面白がってくれるのがなんだかすごい面白かったです」

私は「お、おう」と思っていた。この世の中には半端ないことをする女性がいるなあと思っていた。そんな最中に何処からともなく「よろしくやってんじゃねえよ」というディスりの声が私に届いた。私は「すみませんが、まったくよろしくやっておりません」と思った。「セミを食った話を聞いております」と思った。「私は、年下の一人暮らしの女性の方の家にお世話になって、そしてセミを食った話を聞いております」と思った。「あなたが想像している甘いロマンスの世界と、私が実際に生きているこの現実世界には、雲泥の差がございます(遠い目)」と思った。

事実、その日の私は女性の圧倒的人生体験の数々を聞いたのちに、自分で持参した寝袋に包まれて何事もなく眠りについた。(性的な意味で)よろしくやることなど皆無だった。そして、私はひとつの真実を知ることになった。世の中には「勝手に想像して、勝手に嫉妬して、勝手に批判してくる人」が必ず一定数の割合でいるということだ。彼らにとって、事実がどのようであるかは重要ではない。自分の頭の中で甘いロマンスの世界を妄想して、勝手に嫉妬し、批判の声を浴びせてくる場合が大半であることを私は知った。「よろしくやってんじゃねえよ」という罵声の声は、裏を返せば「私はよろしくやりたくてたまらないのです」という(その人自身の)願望や欲望の現れなのだと思うようになった。

批判の9割は嫉妬である。

それからというもの、私はこうした現象(?)を「よろしくやってんじゃねえよ理論」と名付けた。誰かに何かを言われた時、実は、その人自身も「そうしたくてたまらない」場合が多いのだと思う。「よろしくやってんじゃねえよ」という人は、その人自身が「よろしくやりたくてたまらない」のだ。事実はまるで異なるのに、勝手に想像して、勝手に嫉妬して、勝手に批判する人たちはどうしたって出現する。他人の目線が気になって行動を起こせなくなる局面は頻繁にあるが、誰かに批判されたとしても「批判する人も、実はそうしたくてたまらないから批判するのだ」ということに思いを馳せれば、恐れることは皆無だ。

最近の私のテーマは「圧倒的肯定力」であり、他人をディスる暇があったら、自分が選んだ道で自分が幸福になることに全力でエネルギーを注いだ方が明らかに有意義であると思っている。誰かに何かを理解してもらうことにエネルギーを注ぐより、自分がやりたいことに全力でエネルギーを注いだ方が、結果として周囲の理解も後から勝手についてくるものだと思っている。


そして、人生とは自分を楽しませることであるという思いに揺らぎはない。他人の幸福を妬んだ所で、他人の生き方を否定してみたところで、自分が幸せになれる訳ではない。「他人を否定することで自分を肯定したくなる」気持ちもわからなくはないが、それでは卑屈で低俗な人間に成り下がってしまう。


極論、周囲から批判される人は「良い感じ」なのだ。事実はどうであれ、周囲の人はあなたに嫉妬しているからこそ、あなたを批判するのだ。誰もが自分が心からそうしたいと思うような人生を生きたいと思っていて、しかし、何らかの理由や制約があってそれを実行することができない。だからこそ、自由に生きている(風に見える)人を見ては(自由に生きれない自分を肯定するために)「あなたは間違っている」みたいなことを言いたくなってしまうのだろう。

しかし、批判された時に取るべき態度は「萎縮すること」よりも「突破する」ことであり、ほんとうの意味で自由に生きている人は、それを見る人の心まで自由にする力がある。目指すべき境地はそのレベルであり、周囲の人間に有無を言わせぬ肯定感を与える力を自分の中にも養うためにも(ほんとうの意味で自由になるためにも)、この世に蔓延る「よろしくやってんじゃねえよ理論」を理解した上で軽やかに突破し、これからも自分の人生をよろしくやっていきたいと思いました。

人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume《ibaya》
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