自信をなくした人間は、他人の自信を奪う人間になる。
10月25日(土)に東京の高円寺と高尾でトークイベントに出演し、27日(月)は国分寺で「坂爪を囲む会」が昼と夜の二回開催された。人前で話す機会が三日間で4回あり、漸く自分の気持ちを言葉にして伝えるスキルが徐々に磨かれつつあるのを感じている。今は徳島県美波町からこの記事を書いている。
私は家のない暮らしをしていて、基本的には新潟でテントを張って暮らしている。県外で過ごす時は知人の家や初対面の方々の家にお世話になりながら夜を超えている。このような私のライフスタイルを面白がってくれる方が「実際にあって話してくれ」と声をかけてくださり、数日前までは東京に、今は徳島県に、明日からは岡山県に行くことになっている。その次は神戸で、京都に寄ってから東京に再び行くことになっている。こうした生活を続けていると、ほんとうに様々な人に出会う。私に対して好意的な人もいれば懐疑的な人もいるし、露骨な悪意を向けて来る人もいるけれど私は全然気にしない。
「全然気にしない」というのはもちろん嘘で、やはり何かを言われると何かを思う。精神的なダメージを負うことは少なくなったが、やはり「これだけ他人のことをああだこうだ言う人がいる」という事実には不思議さを覚える。乱暴にまとめると、今の日本は愛情不足なのだと思う。愛情をたっぷり受けている人間は、見たことも会ったこともない他人に「死ね」とか「消えろ」とか言わない。美味しい料理を食べている時や、美しい自然を眺めている時に他人をディスるような人間はいない。誰かを悪く言いたい人がいるということは、幸せではない時間を過ごしている人がとてもたくさんいるということだ。
繰り返すが、私は家のない生活をしている。全国から様々な人に招待されて、自分の実体験から学んだ知恵なり経験なりを話している。色々な人が私をほんとうに良くもてなしてくれる。「なんでそこまでしてくれるのですか?」と思わず涙が流れそうになるほどに、心のこもった環境や豪華な食事や優しい気遣いを見せてくれる。これはもちろん金額の問題ではない。たとえいただいた食事がおにぎり一つだったとしても、おにぎりひとつを私のような「見も知らぬ謎のライフスタイルを送っている新潟のバケモノ」に与えてくれるということは、心の底から感動する。人も、花も、必要とされている場所に咲くものだ。今でも、時間が許す限り必要とされる場所には実際に訪れるようにしている。
イベントを開催すれば様々な人が訪れる。実際、本人にそのつもりはないとしても、私を脅してくる人は無数にいる。「そんなんじゃ生きていけないよ」「今は若いからいいけどこれからどうするの」「それじゃ結婚できないよ」「みんなが君みたいな生き方をしたら社会が終わるよ」などなど、(私を不安にさせたいのかどうなのかはわからないけれど)不安を煽るような言葉で私に釘を刺そうとする人は後を絶たない。誤解を恐れずに言えば、不安を指摘してくる人の表情は全体的に暗い。私の話をしているようで、実はその人自身の話をしているようにしか見えないことが往々にしてある。
私自身の実体験を話す。私は、家のない生活を始めてから幾つもの価値観が崩壊したのだが、とりわけ印象的な変化が「敵が味方になる」というものだった。簡単に説明すると、今まで、私にとって他人とは「敵」だった。それは張り合うべき対象であり、自分の存在を脅かしてくるライバルであり、自分の価値を証明するためには他人に負けてはいけないという「張り合うべき対象」として私は他者をみなしていた。これが変わった。私は家を失った。家を失っても私は死ぬ訳にはいかないので、他人が敵だとかそんなことを言っている場合ではなくなった。私は見栄もプライドも捨てて「誰か私を泊めてください」「誰か私を助けてください」と臆面もなく周囲の人々に助けを求めまくった。すると、私を助けてくれる人が大量に現れた。この辺の記述は今まで散々してきたので省略する。詳細はこちらをご覧ください。
私の価値観は崩壊して、今までにないまったく新しいレイヤーが追加された。それは「他人とは、(すべての人がそうである訳ではないが)自分を助けてくれるかもしれない存在である」というレイヤーだ。決して張り合うだけの対象ではなく、すべての人がそうだとは言い切れないが、必ず私によくしてくれる人はいるという「味方を探す視点」というものが追加されて、この視点が追加された途端に、私にとってこの世界は非常に愛情に溢れて人に優しい人がたくさんいる、非常に生きやすくて八百万の神様が大量にいる世界のように思えてきた。
大げさな例えをすれば、私のトークセッションに30名の方が参加してくれた時など、私は心の中でこっそりと「おお、ここには家が30個もある!」という感動に浸っていたりする。もしかしたら誰かが私を泊めてくれるかもしれないなどとニヤニヤしたりする。これは圧倒的に「他人を(もしかしたら自分を助けてくれるかもしれない)味方」という視点として見ている好例で、今までの私にとっては「敵」であったはずの他者が、いつの間にか「味方」にメタモルフォーゼしていることに気がついた。
これは大変化だ。敵が味方になる。日本中が自分の味方に溢れているように見えて来るのだ。これは愚かな勘違いかもしれない。事実、私に冷たくする人は余裕でいる。しかし、私だって「お前になんてお世話になんかなりたくねーよ」と思う場合も結構ある。お互い様である。確実に言えることは、今の私は「私によくしてくれる心の優しい人々のおかげ」でこうして元気で生き抜くことができているばかりか、日本全国を転々とすることにも成功し、自分なりの哲学を磨き上げ続けることができている。
自信をなくした人間は、やがては他人の自信を奪う人間になってしまう。そうした人の表情はとにもかくにも暗く、他人の生き方をディスる人にはそういう人が多いように思う。きっと、誰の周りにも「前向きなことを言う人」もいれば「後ろ向きなことばかりを言う人」がいると思う。絶対的な自信をつけるには行動を起こすしかない。自分が何かに挑戦することを通じて、「できないことができるようになる」「できないと思っていたことができた」という体感を通じて、人は自分の中に絶対的な自信を養っていくようになる。言葉や口先や他人の経験で自信を獲得することは難しく、結局、揺るぎない自信を獲得するには「自分で新しい何かに挑戦すること」以外には道はないと思っている。
私が感じていることは以下の3つ。
1・自信をなくした人間は、他人の自信を奪う人間になってしまう。絶対的な自信を獲得するには、自分で新しい何かに挑戦するしか道はない。挑戦することを諦めた人間が、周囲の人間の足を引っ張ったり、不安を煽って行動を起こそうとする人間の邪魔をしたがるようになる。
2・今の日本は愛情不足であり、幸せな人間は他人の生き方をああだこうだとは言わない。多くの人が「愛されたい」と願っていたとしても、自分から他者を愛して行こうとする人は少ない。しかし、憎しみで憎しみを消すことはできない。それが出来るのは「愛情」だけだと思っている。
3・「敵」が「味方」になれば人生は最高になる。道端ですれ違う人に優しい笑顔で挨拶をされたら、誰だって何となくうれしい気持ちになる。この瞬間、他人は「敵」から「味方」になる。自分が敵だと思っていた対象でさえ、ちょっとした出来事で瞬時にして味方になることがある。
自信をなくした人間は、他人の自信を奪う人間になってしまう。これは本当に恐ろしくて、これは本当に悲しいことだ。自信がなければ生きていくことがつらくなってしまう。つらくなるばかりではなく、いつの日か他人の足を引っ張ってしまうような存在に成り下がってしまう。絶対的な自信を獲得するためには行動を起こすしかない。何かに挑戦することを通じて、自分自身のレベルをあげていかなければ(どれだけ大量の自己啓発書を読もうが、どれだけ自分に優しくしてくれる人のコミュニティに属していようが)根本的な不安が消えることはない。逆に言えば、何かをやれば何かが起きる。これは人生の美しい保証のひとつで、新しい何かに挑戦することで新しい何かを獲得する。家がない暮らしを試すことで、敵が味方になったりする。
乱暴なまとめの記事を書いてしまった。これからしばらくイベントが続く。もしもこのブログを読んでいる方で、近くで何かが開催されている場合は気軽に遊びに来てください。また、イベント以外の時間帯は基本的に暇をしています。何かあれば誰でも気軽に呼び出してください。続きはリアルで。人生は続く。
10月31日(金)@岡山 昼と夜の二部開催
11月1日(土)@神戸《満席御礼》
11月2日(日)@京都《満席御礼》
11月3日〜5日(水)@京都から徐々に東京方面へ。
※ 特段イベントもないので、関西周辺の方は気軽にお声かけください。
11月5日(水)@東京
11月6日〜7日(金)@東京
※ 特段イベントもないので、東京周辺の方はお声かけください。
11月8日(土)@西武ドーム《満席御礼》
11月9日(日)@横浜中華街 feat.ibaya
坂爪圭吾 07055527106 or 08037252314
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