いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

この世で一番良くないのは『自分なんかダメだ』と塞ぎ込んでしまうこと。これは最大の資源の無駄遣いで、自分を否定しても誰も幸せにならない。『自分は宇宙全体における偉大なる黄金色のお米粒なのだ』と開き直れば、世界も開く。

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今まで何度も所持金0円の完全失業状態になってきたけれど、危機に瀕する度に仕事や食料や住居や新キャラが登場して私を救ってくれた。地球全体は常にバランスを保つように出来ていて、自分をオープンなものにしている限り絶対に死なないのだという妙な自信を獲得した。


この世で一番の環境破壊は『自分なんかダメだ』と塞ぎ込んでしまうこと。これは最大の資源の無駄遣いで、自分を否定しても誰も幸せにならない。塞ぎ込めば世界は閉じるし、開き直れば世界はひらく。『自分は宇宙全体における偉大なる黄金色のお米粒なのだ』と開き直れば、塞ぎ込む必要も消える。


ー 100匹のアリの法則がある。


100匹のアリを観察すると、実際に良く働くアリは20匹程度で、残りの60匹はその20匹について働き、ラストの20匹は完全に何もしない。この状態から働かない20匹のアリを取り出してみると、今度は残された80匹の内の20%が完全に働かなくなる。100匹のアリの法則は『働かないやつを辞めさせても、また新たに働かないやつが出てくるだけだ』ということを教えてくれる


私はこうした生物の『いい加減さ』が大好きだ。


今の社会に息苦しさがあるとしたら、その原因は『100匹のアリ全員(人間全体)が働きアリにならなければいけない』という幻想プレッシャーに押し潰されているからに過ぎない。しかし、世界は全員が死に物狂いで働けるようには出来ていない。100匹いれば20匹は必ずサボるように出来ていて、且つ、超絶怠惰な20匹でさえも環境が変われば途端に働きアリへと変貌を遂げられるようにつくられている


今、バリバリ働いている人も『たまたま良く働いているだけ』であり、今、何もしないでダラダラ過ごしている人も『たまたま良く働いていないだけ』であり、人間的な価値の格差がある訳ではない。ただ、環境がその人にそうするように仕向けているだけで、世の中は『いい加減』に出来ていて(いい加減とは『いい湯加減』ということでもあり)地球全体は常にバランスを保つように出来ているのだ。


大事なことなので繰り返す。自分に言い聞かせるためにも繰り返す。この世で一番良くないの『自分なんかダメだ』と塞ぎ込んでしまうこと。これは最大の資源の無駄遣いで、自分を否定しても誰も幸せにならない。塞ぎ込めば世界は閉じるし、開き直れば世界はひらく。『自分は宇宙全体における偉大なる黄金色のお米粒なのだ』と開き直れば、塞ぎ込む必要も消える。


今なら確信を持って言える。人生はどうにかなる。生きていれば何度でもやり直せる。人生は何が起こるかわからない。地球全体は常にバランスを保つように出来ていて、自分をオープンなものにしている限り絶対に死なない。私自身も何度も何度も『もうダメだ…もう終わりだ…』と過剰に塞ぎ込んだりしてきたが、今もこうして平気な顔をして生きている。様々な問題をクリアしてこその今があるのだ。


自分がダメなのだと塞ぎ込むのではなく、自分は自分で最高なのだと開き直ろう。私たちは宇宙全体における偉大なる黄金色のお米粒なのだ。完璧な人間になる意味も必要も価値もない。人間的な欠落を抱えたまま、ありのままの最高な存在として黄金色に輝けばいいのだRice is  Beautiful…人生は続く。


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《余談》日本海が笑える程に猛り狂っていた。「ここで泳いだらどうなるのだろう…死ぬのか…死ぬのだろうか…(よし、死のう)」と思って泳いで見たら、見事に溺れて死にかけた。元来の怠け者である私でさえも、極限の状態に置かれれば死に物狂いで自分の手足をバタバタさせて『死にたくない!死にたくない!』と近くの岩場まで命からがら乗り上げることに成功した。生きていて本当に良かった。

一度死にかけると生きているだけで嬉しくなる。同じように、身近な人が病気で手術をする時などに思うのは、『ただただ生きていてくれさえすれば良い』という感情だ。本来は誰もが『生きているだけで嬉しい』ものであり、そこに愛されるための条件や前提は無い。身近な死を通じて私たちは確認する。生きているということはこんなにも嬉しいことなのだということを確認している。人生は続く。

坂爪圭吾 KeigoSakatsume/ibaya 
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