「別に死ぬ訳じゃない」と思えば何だって出来る。ー 極論、生きてさえいればいいのだ。生きていれば何度でもやり直せる。
断捨離のコツは「あるものを減らす」よりも「すべてを失ったあとに、再びそれを取り戻したいと思うかどうか」だと思う。地震や火事や思わぬアクシデントですべてを失ってしまった時に、再びそれを取り戻したいと思わないなら捨ててしまっても問題ない。
私は過去に家を四回だけ失っている。その度に自分の所有物がすべて捨てられたり処分せざるを得なくなる等の憂き目にあってきたのだけれど、振り返ってみれば何も問題はなかった。必要なものはすべて自分の手元に戻って来て、不必要なものは二度と手元に戻ることはなかった。『何かを失うと何かを得る』というのは人生の美しい真理で、家を失うごとに私は新しいステージへと向かうことが出来た。生活の贅肉が削ぎ落とされて、ゼロベースから改めて自分のライフスタイルを構築し直すことが出来た。
「これがなければ生きていけない」と思うものの大半は幻想であり、家がなければ生きていけないと思っていた私の思い込みも幻想であることを知った。生きていればどうにかなる。困窮した私を泊めてくれる人が矢継ぎ早に現れたり、(知人の家の屋上にテントを張って眠るという体験を通じて)テントがあれば別に死なないのだと悟ったり、最悪の場合は(地方都市ならいくらでもある)家賃一万円のアパートを借りて済めば事足りてしまう。生きていれば何度でもやり直せるのだということを痛感した。金がなければ生きていけないとか、家がなければ生きていけないとか、仕事がなければ生きていけないとか、そんなものはすべて嘘だ。生きていればどうにかなる。そんなもののために死ぬことはない。
生物学的に『生きる』ということは単純な言葉で表現できる。それは『古いものを捨てて、新しいものを入れる』ことだと言う。人間の細胞が三ヶ月でまったく新しいものに入れ替わるように、私たちの人間関係や置かれている環境も刻一刻と変化をしている。私たちは新陳代謝を繰り返していて、逆に言えば『古いものも捨てれず、新しいものを入れることも出来ない』状態が長いこと続いてしまうと人間は不調を訴えるように出来ているのだと思う。それは終わることのない便秘が続いているようなものだ。
ー 『出す』ということ。
誰もが抑圧された何かを抱えていて、それを出すか出さないかを迷いながら生きている。捨てて後悔することはないけれど、捨てきれないで後悔することは結構ある。そして、何よりも重要なのは『出すという行為は半端なく気持ちが良い』ということだ。何もかも失ったとしても、たとえ自分のすべてを出し切ってしまったとしても、最後には人間の生命が残る。人間の生命が残れば何度でもやり直せる。
生きていれば様々な恐れに呑まれて行動が鈍ることがある。失敗を恐れる気持ちや、誰かに笑われることを恐れる気持ち、自分の気持ちが伝わらない時の空虚感など、人間の行動を鈍らせる恐怖や不安は限りなくある。しかし、冷静に考えてみれば『(失敗しても)別に死ぬ訳じゃない』のであり、別に死ぬ訳じゃないのであれば恐れることなど本当はひとつもない。
「別に死ぬ訳じゃない」と思えば何だって出来る。日常的な恐怖や不安を吹き飛ばすのは、いつだって思い切ったアクションだったはずだ。自分を出す。勇気を出す。抑圧されている何かを無条件に前面に押し出していく。極論、生きてさえいればいいのだ。生きていれば何度でもやり直せる。言いたいことを言う、やりたいことをやる、それだけで人間は清々しく生きることが出来る。何もかも失ったとしても、最後には必ず人間の生命が残る。自分を出し尽くして行こう。人生は続く。
【最近思うことあれこれ】
1・断捨離のコツは「あるものを減らす」よりも「すべてを失ったあとに、再びそれを取り戻したいと思うかどうか」だと思う。地震や火事や思わぬアクシデントですべてを失ってしまった時に、再びそれを取り戻したいと思わないなら捨ててしまっても問題ない。
2・捨てて後悔することはないけれど、捨てきれないで後悔することは結構ある。しかし、よくよく考えてみると「なくなって困るもの」は大してない。仕事も人間関係も金も同じで、要するに『執着』が人間の自由を奪うのだと思う。
3・マイナスばかりに目を向けて、批判や暴露や不満の露呈にエネルギーを注ぐ人といても、何も良いことはない。自分で見たこともやったこともない事をああだこうだと言うような下らない偏見も、程度の低さを露呈するだけだと思う。
4・『みんなで』とか『ぼくらの』とか『一緒に』いう言葉に違和感がある。ひとりでもやる人間が一番強くて、そういう個人が集まった集団が最強になるのだと思う。「あの人がやるなら自分もやる」みたいなモチベーションで動くと、「あの人がやらないなら自分もやらない」という謎の責任転嫁や「自分はこんなに頑張っているのにどうしてわかってくれないの」みたいな自己憐憫が生まれやすくなる。
5・おかしいと思うことをおかしいと言えないままに過ごしていると、いつしか自分自身がおかしくなってしまう。「おかしいのは世の中なのか、おかしいのは自分なのか」と思った時に「おかしいのは自分なんだ」と思うと鬱病になる。自分の心がおかしいと感じているのならば、それ以上の正解はない。自分の心は常に大正解を叩き出していると思う。
6・「会社に行かなければいかない時間なのにどうしても身体が言うことをきかないで困る」みたいな時は、生き方を変える絶好のチャンスだと思う。身体は頭よりもよっぽど正直で、本当に無理な生活をしていると頭よりも先に身体が反応する。無理をしていると必ず最後にはぶっ倒れてしまう。
7・本当に自分の心が強く反応するものに出会うと、頭よりも先に身体が動く。日本海に沈むオレンジ色の夕日を見つけた途端、私はすべてを放り投げて「うおおおおおおおお!!」と絶叫しながら夕陽に向かって駆け出してしまう。本当にテンションをあげてくれるものに出会うと、頭で考えるよりもまず先に身体が反応する。それが答えだと思う。
8・都市の中で暮らしていると忘れがちになるけれど、食べて、寝て、交尾をして、死ぬ、本当は人間もただの一匹の動物に過ぎない。自然の中で暮らしていると、そういうことを強く思い出せる。自分も動物であることを思い出せる場所や瞬間が日常の中から消えてしまうとおかしくなってしまう。
9・『頭で考える』よりも『心で感じる』『身体が動く』ことの方がよっぽど大事なことだと思う。リズミカルな音楽が流れると、頭で考えるよりも先に勝手に身体が動く。綺麗な人を見て綺麗だと感じたり、触れてみたいとか逃げ出したいとか、身体が発しているサインは大正解を叩き出している。
10・『表現して死ぬか』『表現しないで死ぬか』という二者択一なのだと思う。そういうことを身近な人達と話しまくっている。誰もが本来であればアーティストで、ピカソが言うみたいに『子供は誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ』なのだろうなと思いました。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume/ibaya
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