いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

何度でも言う。俺たちは選べるんだよ。

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明治神宮前ドトールにいる。ドトールの語源は「怒涛に生きる」であることは周知の事実だが、先日、地球上で一番ビッグな女性とお会いした。会えただけでも奇跡なのに、焼肉をご馳走になった。本当に凄い人と出会うと魂の存在を感じないではいられない。体と魂の割合があるとしたら、通常、ほとんどの人は体に支配をされている。だが、精神性の高い人に触れると、心の塵が払われ、こちらの魂も引き出される歓びに包まれる。高度に純化された魂には、限りない瑞々しさを感じる。

 

おおまかなスケジュール

12月31日(金)東京

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

迷走より瞑想。

尋常ではない量の贈り物をいただき、自分にできる恩返しはコンクリートの床を舐めることしかないと思って跪きかけたところで「坂爪さんは瞑想をしますか?」と問われた。私は、いえ、全然したことがありませんと言った。すると「瞑想は凄いですよ。私は朝晩30分ずつやっているのですが、瞑想をしてから人生がガラリと変わりました」と話してくれた。私は、全神経を集中させて耳を傾けた。地球上で一番ビッグな女性が、今、私に人生の秘訣を話してくれている。コンクリートの床を舐めることより、彼女の言葉を一言一句漏らさず細胞に刻み付け、しっかり継承していくことが最大の恩返しになると察知した私は、めちゃめちゃ集中して聞いた。

 

瞑想をはじめてから、まず、段違いに集中力があがりました。そして、こんなことを言うと怪しく響くかもしれませんが、交通系の速度が飛躍的に向上しました。駅に着いたらすぐに電車が来るとか、たまたま立ち寄った場所でずっと見たかったものを見ることができたり、こういう人に会いたいなあと思っていた人とある日突然出会えてしまったり、自分の夢や希望が実現するスピードが物凄いことになったんです。朝は目覚めてすぐ、顔を洗ってお手洗いを済ませたら瞑想をします。夜は、晩ご飯を食べる前のおなかがからっぽな状態でやっています。瞑想をして20分を過ぎた頃から、起きているのか眠っているのかわからない状態になります。坂爪さんが瞑想をしたら、きっとすごいことになると思いますよ。まずは一週間試しにやってみて、感じたこととか何かしらの変化があったら、是非また聞かせてください。

 

地球上で一番ビッグな女性が、とんでもないサプライズギフトを授けようとしてくれている。これ以上幸せなことはあるだろうかと思って「やります。絶対にやります」と告げた。これまでも、様々な方々に瞑想の素晴らしさを語ってきたとその方は話した。しかし、多くの人々はなかなか瞑想のための時間を捻出することができず、途中で脱落してしまうのだと話した。俺はやるぜ。そう思った。素晴らしい人と実際にお会いして確信した。素晴らしい人とは、素晴らしさを感じる時間を大切に守っている人のことだ。瞑想をする余裕がないのではなく、瞑想をしないから余裕がないのだ。花と同じだ。花を買う余裕がないのではなく、花を買わないから余裕がないのだ。本当に豊かな人は、一緒にいる人間も豊かな気持ちにさせる光がある。私は、なう、地球上で一番ビッグな方のオーラを、徐々に身につけつつある。

 

何度でも言う。俺たちは選べるんだよ。

連日瞑想をしている。タイマーを設定して瞳を閉じるのだが、今朝、なかなかタイマーが鳴らず「まだかな」と思いながら瞑想を続けた。意識が混濁してきた頃、一通の連絡が届いた。それによって瞑想は中断されたのだが、タイマーの設定をミスっていたことが判明した。結局一時間以上瞑想をしていたことにビビりながら、届いた連絡を見て度肝を抜かれた。瞑想の効果は半端ない。そう感じさせる内容だった。眉唾に響くとは思うが、あなたも一緒に瞑想をやろう。金も道具も必要ない。ただ、瞳を閉じるだけだ。騙されたと思って一緒にやろう。そして、もしも奇跡的な出来事が起きた場合、是非、私に「こんなことがあったよ」と教えてください。私と、地球上で一番ビッグな女性が、あなたの仲間だ。あなたには、仲間がいる。

 

どうやら私は運がいい。お金以外は全部ある。明治神宮を参拝しながら「お年玉ください」と思った。無論、私にも社会性はある。いい歳こいた大人がお年玉を欲するのもどうかと思う第三者目線はあるが、否、いい歳こいてという言葉がどれだけ少年隊を苦しめているかと思えば年齢なんて関係ない。あげたい人がいて、もらいたい人がいて、両者が見事にマッチングした場合、そこにあるのは喜びだけだ。与えることが喜びならば、受け取ることも喜びだ。与える喜びを与えているし、与える喜びを与える喜びを受け取っている。色々ごちゃごちゃしてくると自分も他人も本当はない的な心境になる。極めて禅だ。色々能書きを垂れてしまったが、お年玉が欲しいだけなので「それならあげるよ」という方がいたらお気軽にご連絡ください。小生、毎日ボディはFREE!です。呼ばれた場所に、何処までも行きます。

 

よく晴れた明治通りを歩きながら漫画喫茶が目に入った。同じ星で暮らしていながら、暖かい部屋で眠る人も、漫画喫茶で眠る人も、橋の下で眠る人も、孤独に震えながら眠る人も、孤独を喜びながら眠る人もいる。放浪の日々を過ごしているが、今更ながら「俺たちは選べるんだよな」と思った。多分、全部、選べる。選んできた結果が今で、今、自分がこうあるのは自分が選んできたからだ。これまでを選ぶことができたように、これからを選ぶことができる。絶望することは案外簡単なことだ。希望を抱き続けることは難しい。それでもなお、自分を信じることの大切さを思う。自分の人生を信じることの大切さを思う。大切なことは、人生で何を成し遂げたかではない。どれだけ愛したかだ。どれだけ、黄金のままでいられるかだ。

 

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「黄金のままでいられるか」 

 

空に浮かぶ月が海に 白にも似た道を作り

揺れた波が描く色が 俺の両目を照らした

 

奴等の言うことは全部 正解でも本当じゃない

なんでもありの体現者 誤解される君は 綺麗

 

綺麗な物たちは全部 哀しみを隠し持っていて

優しい者たちは全部 ナイフを隠し持っていて

 

歯車を弾き出された 錬金術師たちが昨日

見上げた星が瞬いた 夜の歌を 響かせて

 

黄金のままでいられるか なんでもないような顔で

黄金のままでいられるか いまにも泣きそうな顔で

 

曇り空の更に上に 青い空が広がってる

金色(ゴールド)の光が差して 彼女の罪も許される

 

冷えたアスファルトの下に 燃えるマグマを感じてる

金色(ゴールド)に憧れたまま 憧れたまま死ぬのさ

 

黄金のままでいられるか 誰にも 見つけられない

黄金のままでいられるか 君を見つけられないから

 

誰も聞いたことない 声を 声を 声を 聴かせて 

誰も聞いたことない 声を 声を 声を 聴かせて

 

俺のような君に会って 君のような俺に会って

一つだけやっと分かった 不幸な人間はいない

 

傷口から零れ出した 賛美歌と血が流れる

唯一無二の体現者 誤解される君は 綺麗

 

世界の何処かにはきっと 自分みたいなやつがいて

いまにも泣きそうな顔で 出会えること待っている

 

世界の何処かにはきっと お前みたいなやつがいて

いまにも泣きそうな顔で 出会えること待っている

 

黄金のままでいられるか なんでもないような顔で

黄金のままでいられるか いまにも泣きそうな顔で

 

黄金のままでいられるか 誰にも 見つけられない

黄金のままでいられるか 君を 見つけに行くから

 

誰も聞いたことない 声を 声を 声を 聴かせて

誰も聞いたことない 声を 声を 声を 聴かせて 

 

君は 綺麗 君は 綺麗 君は 綺麗 君は 綺麗

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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被害者になんてならないで、ヒロインのまま笑ってよ。

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京都駅でY様に会った。最近思うことはあるかと聞いたら「想像力って、自分ができる範囲の外側に及んだ時、はじめて想像力と言うのだと思いました」と言った。私は、綺麗なものを見るとか美味しいものを食べるのもいいけど、謝るべき人に謝ることでこころが解放されることってあるよねと話した。よろこびに触れるだけではなく、かなしみに触れることによっても、こころは安らぎを得るよねと話した。

 

おおまかなスケジュール

12月26日(日)東京

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

俺たちは、とっくの昔から許されている。

女性二人組から「会いたい」と連絡をもらった。相手が複数名いる場合、集中力が分散するためいつも以上に力を使う。A様が「私は人の話を聞くことが好きだ。人は、自分の話をしている時が一番楽しいと思うから、私はそれを聞くようにしている」と言った。私は、それはちょっと違うと思った。自分の話をするのが楽しいのではなくて、人生に触れたと思える瞬間が楽しいのだ。人生の中には、当然、自分も含まれている。だが、A様の言い回しには自分が含まれていないと感じた。だから、そのことを伝えた。いい人といい人の振りを続けることは違う。そんなものが俺に通用すると思うな。人間を舐めた態度は必ずバレる。バレずに気持ち良くなって調子に乗ってベラベラしゃべる人も多いが、そんな人と繋がっても意味がない。

 

時折「他の人とはどういう話をされるのですか?」と聞かれる。だが、そんなことを聞いても仕方ないだろうと思う。他の人がどうかなんてどうでもいいことで、大事なことは自分がどうしたいかだ。今までで一番印象的だった出会いは誰ですかとも聞かれるが、バカなことを聞くなと思う。俺は、今、この瞬間を一番印象的な時間にしたいと思っているんだよ。それなのに、ここにいない人間の話をするなよ。上っ面だけ取り繕って表面的な会話でこの時間を終わらせようとするなよ。正解を求めたくなる気持ちもわかるが、自分という存在に前例はないんだよ。自分を生きるしかないんだよ。だから、もっと自分を出してみろよ。そういう気持ちになる。

 

超偏見だが、正解を求める心理の裏側には「自分はここにいてもいいのだろうか」という不安や恐怖心があるからだと思う。しかし、そんなものはいいに決まっているのだ。いいに決まっているから会っているのだし、いいに決まっているから一緒にいることができているのだし、いいに決まっているから生きていることができているのだ。最初から許されているものを、許すだの許されないだの言いはじめるからおかしくなる。違う。いいのだ。俺たちは、とっくの昔から許されているのだ。ここにいるってことが、許されているってことの最大の証明だ。だから、さあ、そういうことはどうでもいいことだから本当に話したいことを話そうよ、と、思う。

 

被害者になんてならないで、ヒロインのまま笑ってよ。

同席した女性M様は言った。坂爪さんを見ていたら、相手のコアに肉薄するという付き合い方を今まで自分はしてきたことがなかったなと思った。相手がそれでいいならそれでいいのか、余計な言葉を言うのは自分のエゴかと思って自分の気持ちを引っ込めてきたが、それさえも出していいのかと思うと生きることが楽しみになった。と。それを聞いて思った。確かに、余計なことを言うのはエゴかもしれない。しかし、言うことがエゴならば、言わないこともエゴだ。どちらのエゴを選ぶかは自由だ。自分の気持ちを言葉にすることはエネルギーを要する。言いたいことを言わないでいることは、表面的にはエネルギーを温存しているように見える。しかし、実際は温存しただけエネルギーは死ぬ。エネルギーは、温存をすると、死ぬ。

 

おかしいと思うものには、おかしいと言っていかなければ生きていけなくなる。自分が嫌だと思うものは、跳ね返していかないと生きていけなくなる。愛のある言い方を考えなきゃとか、怒る自分の心の狭さが問題だとか、違う。当然、愛にあふれた行為ができた方がいいに決まっている。しかし、自分が聖人君子になるのを待っている間に、寿命が来る。うまくやれるようになってからやるのではなく、へたならへたなまま、へたなまま出す。おかしいと思うものにはおかしいと言う。誰かを傷つけない限り何をしてもいいと言うが、違う。傷つけることも含めて、傷つくことも含めて、何をしてもいいのだ。何かをやるということは、傷つける可能性を抱くことだ。傷が、傷こそが、私たちを解放させることもある。生きた証に、なる。

 

涙を目にすることがある。涙を流す人は「ごめんなさい」と言って、涙を押し殺そうとする。だが、私は、涙ほど純粋なものを知らない。人間が流し得る最上の純粋さが、涙だと思う。時折、号泣に触れることがある。号泣をするためには、深い悲しみと、深い喜びが必要だ。悲しみだけではダメで、喜びだけでもダメで、それらが合致して噴き出した時、号泣になる。号泣をしている人間は「可哀想」と思われることが多い。だが、私は、号泣している人間を世界で一番幸せ者だと思う。そこに人間の全部を感じる。喜怒哀楽の全部を、悲喜交交の全部を感じる。今日、あなたが、世界で一番生きていると思う。一等賞だよ、あんた、今日のあんたは一等賞だよと言いたくなる。そして、私たち一人一人も、本当は誰もが号泣し得る何かを抱えながら生きているのだと思う。さみしさが号泣となって噴き出した。そういう瞬間を、そういう可能性を、そういう悲喜交交を、誰もが抱えながら生きているのだと思う。涙は、朝露に似ている。朝露を見ると、夜を越えたんだな、と、思う。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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愛の中にはみんないて、好きの中には君しかいない。

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四条烏丸ドトールにいる、今年はたくさんの人が死んでしまって、戦時中なんじゃないかなってくらいバタバタ人が死んでしまって、先月一緒に食事をした人がこの世からいなくなっていたり、死んでしまったことをニュースで知ったり、だけどそんなことはなかなか人に話せないから、本や、音楽や、自然に触れることで慰めてもらっている。私たちが、最後に残すことのできる贈り物が、命なのだと思う。

 

おおまかなスケジュール

12月23日(木)京都

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

「願う」と「叶う」。

精神病棟に入院中のA様から「会いたい」と連絡をもらった。8時から18時の間なら、二時間の外出が許されている。指定された駅に向かったが、A様がいない。電話で到着したことを告げると、A様は「僕も駅前にいます」とのこと。それなのになぜ合流できないのか困惑していたが、指定された駅の名前が間違っていた。結局、実際に会うことは叶わなかったが、電話で少しだけ会話をした。A様は「こんな見ず知らずの人間のために、わざわざ来てくれてありがとうございます」と言った。初対面さえ交わせなかったが、A様を、見ず知らずの他人とは思わなかった。

 

その後、H様に呼ばれ大阪に移動した。H様とは「願う」と「叶う」の話をした。叶わないからといって、願うことまでやめてしまってはいけない。願うと、叶うは、別々のものだ。心から何かを願うことができた時、叶う、叶わないを問わず、その瞬間は美しく、尊い。願った通りの出来事が実現することだけが、喜びではない。願いが叶わなかったからこそ、受け取ることのできる体験がある。感じることのできる感情がある。広げることのできる世界がある。叶わないからといって、願うことまでやめてしまってはいけない。わがままと思われるような願いでもいい。わがままを口にできたことが素晴らしいのであって、それが叶うかどうかは別の問題だ。叶わない方がいいわがままもある。ただ、叶わないからといって、願うことまでやめてしまってはいけない。希望を語ることを、諦めてしまってはいけない。

 

大阪に向かう新幹線の中で、一通のメールを受け取った。そこには、以下のようなことが書かれてあった。クリスマスを目前に控え、街は賑やかだが、本来のクリスマスは何を意味するのだろう。陽気に浮かれてプレゼント交換をすることだけが、クリスマスではない気がする。神聖な何か、崇高な何かを求める心の渇きがある。賑わいの中に虚しさがあり、静けさの中に賑やかさがある。最初から最後までそこにあるもの、しかし、多くの人々がその横を素通りしていくもの、それが祈りだと思う。真に人の心を動かすものは、祈りだけだと思う。祈りのないものに、人の心は反応をしない。祈っているか、どうか。どれだけ祈れるかどうかなのだと思う。

 

圭吾、はろー!!!!あの、もし、お御堂に行く機会があったなら、お祈りをしてくれませんか。

こないだ、圭吾と3人で会った、○○○さんが死にそうなんです。昨日、電話がかかってきて、病名はわからないけど、きっと、末期ガンなんだと思います。苦しんでいて、呻いていました。悲しくてずっと泣いていて、今も、一人でいると涙が止まらなくて、ちょうど圭吾と祈りの話をしたあとだったからいろいろと心に思うこともあって。

○○○さんは、圭吾に会えたことをほんとに喜んでました。あんなにヒリヒリした思いをして生きているひとに、久しぶりにあったといっていました。圭吾は心が美しくて、真面目で、本当にあえて嬉しかったと伝えてほしいと言われました。

○○○さんは、わたしにとって、とても大切なひとです。苦しむくらいなら、楽になってほしいと思いながら、それでももう一度、会いたいなと思っていたりもします。だから正直、なにをお祈りすればいいのかわからなくなっていたりもするのだけど、圭吾に伝えたかったしお願いしたかったので、メールしました。

 

note.com

 

愛の中にはみんないて、好きの中には君しかいない。

冬至を越え、あと数日も経てば新しい一年がはじまる。ひとつ、ひとつ、終わらせていく。はじめることが贈り物なら、終わらせることも贈り物だ。終わりの中にはじまりがあり、はじまりの中に終わりがある。手を離すことと、手を離さないことは、正反対のことのようで、実際は表裏一体なのかもしれない。マザーテレサは、愛の反対は無関心と言った。私は、所有から解放するものが愛だと思った。熊本在住の方から一通のメールが届いた。そこには、このような言葉が書かれてあった。

 

坂爪さんお久しぶりです!9月に坂爪さんと会って「わたし離婚したいんだ」と気付いて、なんだかんだと時が過ぎ、ようやく、別のお家が決まりまして離婚届も書きまして、というところです☺️♥️

色々考えたりする日々の中で、坂爪さんの言葉が頭をよぎることが何度もありました。「離婚はいきおい!」とか、他にも色々。

何年もこわくて見ないふりをしていた離婚を、今はわーいイェーイ♪というかんじで出来るのがとてもうれしいです。

あと今度友達と一緒にライブします。「生活の柄」もやります。

毎日寒いですね。坂爪さんがあたたかいところで眠れますように!

また坂爪さんに会いたい!と思ったらご連絡します。

ありがとうございました!

 

もう一通、大分在住の方からメールを貰った。

 

お久しぶりです。お元気ですか?

 

突然ですけど、坂爪さんにどうしても伝えたくなってご連絡しました。
返信は不要ですので、お時間のあるときに読んでいただけると嬉しいです。

 

数ヵ月前からホスピスで働き始めました。
末期ガンの方しか入院できない病院で、ほとんどの方が数日~数ヵ月で亡くなります。
そのような方々と家族が、一秒でも長く穏やかに過ごせるような援助をしています。

 

ホスピスでは死がとても身近にあるので、その対極にある生が浮き上がって見え、私はずっと生きてたんだな、としみじみ感じるようになりました。
五感があって、体がどこも痛くなくて、夜ぐっすり眠れて、朝すっきり目が覚めて排泄できて、好きなものを食べて好きなところに行ける。苦しいとか寂しいとか悲しいとかの感情を味わえる。
あぁ、私はいま生きてるな、と心の底から実感できるようになりました。

 

生きるってどういうことか、
年を取って、病気になって、死ぬとはどういうことか。
人生で大切なことは全て、患者さんから教えてもらいました。

 

長くなってすみません💦

坂爪さんにまたお会いしたいので、お近くにいらしたときに連絡をさせてください。
寒い日が続きますが、体調にはお気をつけて。
お会いできる日を楽しみにしています。

 

出会いが多いということは、その分、別れが多いということだ。別れが嫌だからと言って出会いを避けてしまうことは、生きることそのものを避けることと同じだ。イギリスの小説家・サッカレーの言葉に「愛してその人を得ることは最上である。愛してその人を失うことは、その次によい。」というものがある。喪失という悲しみの真っ只中にいる時、悲しみの中にいてさえなお、自分は幸せ者だったのだと思う。死んだのではなく、生きたのだ。終わったのではなく、はじまったのだ。なくなったのではなく、あり続けるのだ。永遠にあり続ける。すべての美しいものは、悲しみを内包している。悲しみの中で、私たちは途絶えることのない幸せを知る。人間が最後に残すことのできる贈り物、そして最上の贈り物が、命なのだと思う。

 

note読みました。

 

1カ月前、恵比寿で一輪の真っ白な小薔薇を頂きました。そして次の日、薔薇は、驚く程ピンクの大輪の薔薇になっていて、坂爪さんからだけでなく、薔薇からも沢山、メッセージをもらって、感動した時が蘇り、また泣けてきました。

 

私は一生、あの薔薇を忘れないと思います。
本当に一輪の花の威力はすごいこと、坂爪さんから教えて頂きました。

 

以前、夫の祖母が入っていたホームで、一人のおばあちゃんが、あなたきれいね。と言ってくれて、私は嬉しくなって調子に乗り、おばあちゃんの手を両手で握って、ありがとうございます!って言ったんです。そしたら、そのおばあちゃんは、嬉しい、、ってそれだけで涙を流してくれて、、私も思わずもらい泣きしたことも、ふと思い出しました。

 

私は特に人に与えるものなんて、何もないな、ってずっと思っていたけれど、私にも掌があるな、って、noteを読んでいて思いました。

 

本当にいつもありがとうございます!
本当に坂爪さんに幸あれ!!

 

夜分に失礼致しました。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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応援したものから、応援される。

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奄美大島で開催された著名人のパーティーに呼ばれた。主催の方から「男性文筆家の中で坂爪さんが一番好きです」と連絡をいただき、嬉しいことを言ってくれるじゃないかと思って参戦した。会場には逮捕されていたはずの芸能人がいたり、米国のプレイボーイ誌公認のバニーガールがいた。要するに派手だったのだが、ああ、俺はパーティーが苦手だったと気付いて奥の席で三浦綾子の文庫本を読んでいた。

 

おおまかなスケジュール

12月20日(月)東京

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

世界は突っ込みを待っている。

会場にやたら自分は忙しいアピールをする人物がいた。やることをたくさん抱えている=自分は価値のある人間だ、とでも言いたい感じだったが逆効果だと思った。忙しいアピールは、自分は無能であると宣言しているだけだと思う。いちいち忙しいと言う意味がわからない。時間がないなら、忙しいと口にする代わりに短時間でも充実した時間にするために相手や目の前の出来事に愛と集中を注いだ方がいいと思う。謎の忙しい宣言は、私には「あなたを大切に扱う余裕がありません」と言っているように見えた。「誰か、忙しい私を認めて!褒めて!尊敬して!」と言っているようにも見えた。全体的に幼児的で、ああ、この人はきっと仕事ができないのだろうなと思った。一緒にいるだけで、自分が軽く扱われている不快感を抱いた。

 

私の顔を潰すような真似をしないで、と言っている人もいた。顔を潰す。面白い言葉だ。誤解を恐れながら書くと「その程度で潰れる顔ならとっとと潰れてしまえ」と思った。他人の評価一つで潰れる程度の世間体なら、とっとと潰れた方がいい。そんなものを守るために生きる人生全般は虚無だし、くだらない。見栄とプライドに生きる人々を眺めがら「世界は突っ込みを待っている」と感じた。突っ込みどころの多い彼らは、多分、全身全霊をかけてボケているのだ。だからこそ、的確な突っ込みを入れることでギャグが成立する。漫才の突っ込みは一種の神風特攻隊である。せっかく華やかな場所に来たのだから、よし、俺も華やかに散ろうと思った。

 

死ねる機会を探していたら、ある女性が「親の役割はこどもに安全と安心を与えることで、安心と安全は金で買える。だから金を稼げばいんだよ」と豪語した。いまだ、と思って「○○さん(その人の名前)は、安全と安心があるのですか?」と突っ込んだ。最小限の言葉で最大限の効果を生むために、この一言に己の全神経を集中させて彼女を精神的にぶっ殺すくらいの勢いで静謐に苛烈に突っ込んだら、彼女は号泣した。私は「よし」と思った。ごめんなさいだけど俺はこういうことをやる人間で、こういう人間をこの場に呼んだお前が悪い。実は、その日はこの人の誕生日パーティーだった。だから、誕生日なのに角を立てるような真似をしちゃいけないよなとも当然思った。だが、私は、この人に呼ばれたのだ。だったら、自分全開で接する方が礼儀だと思った。誕生日だからと無難に済ませるのではなく、誕生日だからこそ「これが俺からのプレゼントだ」と、思ったことを真っ直ぐに言った方がいいと思った。結果、色々、破滅した。空間は凍りついたが、爽快な破滅だった。

 

応援したものから、応援される。

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散々悪態をついたが、最終的にバニーガールの女性と美容師の男性と仲良くなり、一緒に東京に来た。奄美大島キリスト教の関係は深い。私は頻繁に道に迷うのだが、教会の静謐な雰囲気に幾度となく助けられた。年の瀬だし、陰が極まり色々と大変な人が多い。明るい時に飛び込めるパーティーやクラブなどの場所は多いが、暗い時に飛び込める場所は少ない。そんな時、教会や寺院の存在は心の拠り所になる。クリスマスも近いし「俺が教会になろう」と思った。奄美大島の名瀬清心教会の懺悔室は当然懺悔をする場所だが、不思議と心落ち着く空間である。誰にでも、誰にも話せないことの一つや二つはもっている。世間的には成り上がることをよしとする風潮もあるが、成り下がることも重要だ。誰にでも哀しみがあり、誰もが淋しさを抱えて生きている。そういう「命の共鳴」みたいなものがあれば、慰められる魂がある。人間共通の哀しみみたいなものに触れた時、感じるものは温もりだ。

 

昼の奄美大島は二十度を超えるが、夜の東京は極めて冷える。東京に着いた瞬間、勝手に戦闘モードになる。奄美で緩んだ体が、東京に来るとシャキッとするのだ。この感覚は嫌いじゃない。様々な場所に足を運んで「どこが一番好きですか?」と聞かれるが、東京だ。東京に一番やりがいを感じる。東京にこそ、心の拠り所が必要だと思う。心の拠り所とは弱さを出せる場所だ。弱さを認められる場所だ。弱さを出すことは弱さではない。弱さを出せないこと、弱さを認められないことこそが弱さであり、危うさであり、脆さになる。曝け出した弱さは強さに変わる。強さとは、互いの弱さを補い合える関係性を世界と築くことだ。信頼関係を築くことだ。

 

自分のボディを教会と称して、全国津々浦々呼ばれた場所に移動するモバイル牧師になりたい。免許も資格も何もないし、パーティークラッシャー的な側面もあるが「それでも会いたい」という方がいたらご連絡ください。鹿児島在住の女性から連絡が届いた。「坂爪さんこんばんは。一昨日『あなたが大切にしているものの応援をあなたは受けるものなのです』と聞きました。人を大事にすれば人に応援されるし、言葉を大事にすれば言葉に応援され、身体を大事にすれば身体に応援され、お金を大事にすれば、お金に応援される」。自暴自棄に陥り自分も他人も大事に扱えない時期が誰にでもあると思うが、体は、心は、魂は、金は、花は、人は、命は、大事にされることを望んでいる。いつだって、我々を応援する準備は整っている。

 

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坂爪さん、こんばんは✨

 

今日は一段と寒いですね⛄️

 

ブログやインスタ、noteなど日々楽しませていただいています💓

 

私は寒い時や眠い時、お腹が減っている時などには一切の知的活動が停止する人間なので、
寒さの中でなお一層輝く坂爪圭吾という人間の光に感動しております。

最近で特に心に残ったのは寒い寒い夜に震えながら詠んだであろう詩と、
「君が無価値なら全部無価値だ」の一言です。

 

一昨日『あなたが大切にしているものの応援をあなたは受けるものなのです』と聞きました。

 

人を大事にすれば人に応援されるし、
言葉を大事にすれば言葉に応援され、
身体を大事にすれば身体に応援され、
お金を大事にすれば、お金に応援される。

 

坂爪さんの夜が、
あたたかいものでありますように。。💓

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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すべてを知れば、すべてを許せる。

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薬院駅前のドトールにいる。どうしても許せない人がいる時は、許せない人を主役にした物語を作ればいい。その人がなぜそういう性格になったのか、創作でも構わないから想像力を働かせてその人の背景に想いを巡らせた時、もう、許すしかなくなる。生命は、部分だけではわからない。物語が、バラバラなものを一つにする。

 

おおまかなスケジュール

12月19日(日)奄美大島

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

壁はあなたを守るが、壁があなたを孤独にもする。

男性S様にお会いした。その方は、笑いながら「坂爪さんは忘れるためにお酒を飲む人間が嫌いだと書いていましたが、僕はリラックスするために飲むお酒が好きです。よかったら一緒に飲みませんか」と誘ってくれた。私の身体は、頭と心が切り離された言葉を聞くと硬直するようにできている。もっと愛想良くできたらと思うのだが、そういう体だから仕方がない。男性が話すほど、私の体は硬直した。空間が険悪な雰囲気に包まれた。男性は言った。もっと笑顔が見たいなあ。私は答えた。面白ければ笑いますよ。男性は笑った。ごめんなさいね、僕が面白くなくて。私は黙った。沈黙。硬直。険悪。そういう、ある種の地獄みたいな時間になった。

 

誤解されると困るがS様を嫌いになった訳ではない。ただ、コミュニケーションに無理を感じただけだ。S様は、私を気遣ってくれているようで自分を守っているように見えた。何か言うたびに「悪い意味じゃなくて」とか「否定したいわけではなくて」とか、そういう前置きをつけた。全部、傷つかないための予防線に見えた。オープンなキャラクターを演じているが、めちゃめちゃ自分をガードしている。だから私は言った。悪い意味でもいいし、俺のことを否定してくれても全然構わないから、余計な前置きを取っ払ってください。あなたには非常に強固な壁を感じる。その壁はあなたを守ってくれたのかも知れないが、あなたを一人ぼっちにもした。その壁がある限り、私は、あなたとコミュニケーションを取ることができません。

 

S様は自分の話をした。転校が多かったこと。ボコボコにいじめられた過去があること。自分はチキンで、八方美人な人間だから周囲の評価をひどく気にすること。私は、S様の言葉の響きに「愛されたい」という欠乏感が強くあることを感じた。愛されたいが行き過ぎると、相手をコントロールするようになる。目の前にいる人間を、自分の不足を補うための道具として扱うようになる。相手はそれを敏感に察知するから、道具にされることを拒み、コントロールされることを拒む。結果、表面的な繋がりで終わる。対等な人間関係はコントロールから自由だ。支配から自由で、同調圧力から自由だ。コントロールは、する側もされる側からも自由を奪う。環境の問題にしたくなることもあるが、本当は、全部自分が決めている。弱さや醜さや狡さも全部ひっくるめて、誰もが、今の自分になりたいと思ってなっている。

 

すべてを知れば、すべてを許せる。

大阪から福岡に向かう船の中、ジブリの音楽とディズニーの音楽が流れた。私は、これらの音楽を聞くと体調を崩す。内臓が蝕まれて自律神経が乱れ、お前は不必要な人間だと言われている感覚になる。だから、離れる。自分がいなくなれば丸く収まる話だと、そういう風に考える。多くの人々はこれらの音楽を愛する。自分だけが馴染めない時、自分が消えればいいだけだ、自分が死ねばいいだけだという思考の罠にハマる。みんなが楽しそうにしている場面で、自分だけ楽しむことができない。自分の心が嫌だと思うものを受け入れると鬱病になる。逃げ続けると居場所を失う。鬱病になったり居場所を失うと死にたいと思う。だが、死にたいは生きたいだ。死にたいと思う時、それは、自分の思いを叫びたい時だ。俺はここにいる。俺はここにいる。誰かに必要とされているとか、必要とされていないとか、そんなことはどうでもいい。俺は、俺を、必要としている。命が、自分を使って叫び出す。

 

博多駅前でY様と合流した。車で来たY様に「運転をさせてください」とお願いしたら快諾していただき、篠栗九大の森に向かった。途中、何度かナビをミスったY様が「説明が下手でごめんなさい」と謝罪した。説明が下手なのは全然いいし、道に迷うのもまったく問題ないのだが、伝えることの重要性を感じた。伝えるのが苦手なのは、日常的に伝えていないからだ。伝えるためには力が要る。自分さえ我慢すれば、伝える面倒を省ける。しかし、伝えられなかった思いは何処に行くのだ。伝わらなかった悲しみは大きいが、伝えられなかった悲しみはそれ以上に大きい。だから、伝えるんだ。下手でもいいから、上手くやろうとしなくていいから、伝えるんだ。伝えようとする力が、伝えたいと思う気持ちが、自分を生きる力になる。

 

THE PRESENTSのRYUから「ピアノコンサートに出るから来て」と連絡をもらい、小倉に行った。大勢の観客の前でベートーベンを弾くRYUは最高に格好良かった。他にも演者はたくさんいたが、クラシック音楽は不思議だ。ピアノの先生は女性が多いが、作曲家の大半は男性だ。男性が作った曲を女性がコピーしている世界に、今更ながら感銘を受けた。RYUの演奏を見ながら「ベートーベンが生きていたらこういう演奏をしていたのかも知れない」と思った。音の中にうねりがあり、音の中に哀しみがあった。ピアノのステージは、世界で一番孤独な場所だと言う。演奏終了後、RYUは「これまでで一番孤独だった」と語った。孤独だからこそ、闇の中に踏み出すからこそ、あれだけ輝いて見えたのかも知れない。RYUは苦しんでいて、俺も苦しんでいて、自分たちは離れて暮らしているけれどそれぞれに苦しみを生きていて、同じ時間を過ごすことによってそれがわかり、私たちは一緒に闘っているのだと言うことを実感する。外に出ると、雪が降っていた。今年最初に見る雪だ。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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どんどんはじめて、どんどんやめよう。

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三宮のドトールにいる。放浪生活をしていると、人間の冷たさと温かさに敏感になる。表面的な優しさなのか、深い愛情なのか、頭から出ている言葉なのか、腹から出ている言葉なのか、真剣に生きているか、自暴自棄になっているのか、薄らとだがわかる。冷たい人間に出会うと淋しくなるが、冷たかった人間が徐々に希望を語り出す姿を見ると、心が喜ぶ。春が来て、花々が芽吹く姿を見ている気分になる。

 

おおまかなスケジュール

12月16日(木)神戸

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

時間は、命。

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五年前に沖縄でお会いしたY様と再会した。Y様は沖縄で出会った時に泣いた。自分は39歳になるのにまったく成長できていないと言って泣いた。私は笑った。あなたは面白いですねと言って笑った。笑ったら「面白いですか?」とY様も笑った。Y様は演劇をやっている。演劇をしている時は「一緒に死のう」と思うと語った。上っ面を撫でるようなやりとりでは喜びは生まれない。一緒に死のう。お前と死ねるならば、舞台で死ねるならば本望だくらいの思いで本番を迎えていると語った。人間関係も同じだと思った。自分を取り繕って好かれても、後には何も残らない。

 

二年前に横浜でお会いしたM様に再会した。当時、私はごちゃまぜの家という誰でも使える家を運営(?)していた。恋人からの暴力を受けて身の危険を感じたM様は、愛犬と一緒に横浜の家に避難した。そこで私たちは数週間一緒に暮らした。現在、M様は神戸で愛犬と一緒に暮らしている。あの頃を懐かしく振り返りながら、M様は語った。私には二十歳を超える息子がいるのだが、先日、勤めていた仕事を「働きたくない」と言う理由で辞めた。昔の自分だったら「怠けている」とか「もっと働きなさい」とか世間体を気にしていたかもしれないが、不思議と今は「いいんじゃない。やりたいことをやろうよ」と思うことができて、息子を受け入れることができた。こんなことを言うのも失礼かもしれないが、坂爪さんのように働いていない人たちをたくさん見たことが、自分の心の器を大きくしたのかもしれない。

 

私は私のために答えた。確かに自分は一般的な意味での仕事はしていないけれど、めちゃめちゃ仕事をしているつもりではいる。と。すると、M様は「めちゃめちゃしていると思います!」と言った。働きたくないと言う人は多いが、本音は違う。働きたくない人間なんていない。誰かの役に立つことに喜びを感じない人間はいない。働きたくないのではなく、ただ、微妙な生き方をしたくないだけだ。働きたくないと言う人の本音は「働きたい」だと思う。本音は「いい仕事をしたい」だと思う。しかし、いい仕事とは簡単に見つかるものではない。だから、偉そうだけど、探すことをやめないで欲しいと思った。探し続けることをやめないこと。そのことに疲れてしまうこともあるけれど、それでもなお、探し続けること。試し続けること。飛び出し続けること。探し続けるあなたを見て、周囲もどんどん探し始める。時間は、命だ。自分を大事にするということは、時間を大事にするということだ。

 

どんどんはじめて、どんどんやめよう。

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里親になった女性の話を聞いた。妊活をしたもののこどもに恵まれず、養子を迎える決断をした。彼女の実家はお寺で、様々な人々が出入りする環境を自分も作りたいと話した。里親は専業主婦でなければならないなどといった諸条件がある。45歳を超えると、0歳児の受け入れはできない。彼女はちょうど45歳になるため、1歳児の里親になった。現在、日本には親と暮らせないこどもが約45,000人いる。里親を得られるこどもはそのうちの2割で、残りの8割は施設で暮らす。長期間施設で暮らすことはあまりよいこととはされていない。家庭的な環境の中で「自分だけを見てくれる大人」の存在を無しに育ったこどもは、自分が家庭を築いた時に子育てのやり方に悩み、苦労することが多いと聞く。里親の定着率は75%で、四組に一組は金銭的・精神的な問題に耐え切ることができず、一年以内にギブアップしてしまう現実もある。里親には守秘義務がある。周囲と悩みを共有することができない。

 

最近、毎日のように飲みの場にいる。昨日は三宮の高架下で飲んだ。お酒は好きだが、忘れるために酒を飲む人間は嫌いだ。そういう酒の飲み方をしている人がいたので、説教をした。俺は忘れるために飲みたくない。忘れる道具にされるのも癪だ。俺は覚えていたい。忘れられない時間にしたい。酒を飲めばいくらでもごまかせる。でも、それじゃ、いつまでたっても寂しいままだろ。誰も本当のことを言わなくなる。お前が女から相手にされているのも、ちょっと我慢すれば酒を奢ってもらえると女が思っているからなんだよ。お前はいいように使われているんだよ。そんな繋がりを飲み仲間とは言わないんだよ。利用し合ってるだけなんだよ。誰も本当のお前に興味なんてないんだよ。そんな環境にいるなよ。命を無駄にするなよ。

 

昨夜、K様が高架下に駆けつけてくれた。K様は言った。自分は挙動不審な人間だからみんなから裏で馬鹿にされることも多くて悲しくなることも多いが、坂爪さんが神戸にいると聞いたので自転車で来ました。仕事はつらいけど俳句の会をやっている時間はみんなの本当の思いに触れることができて、運営的には大変だけどいい時間を過ごせています。坂爪さんに渡したいと思って短歌を書いてきたのだけれど自転車の描き方がわからなくてGoogle先生にお願いして描き方を習いました。私はずっと低空飛行だけど落ちてないです。まだ飛んでいます。落ちてないです。と。色々な人々に出会う。結構多くの人から「苦しい時、坂爪さんの言葉に助けられました」と言われる。おかげさまで元気になりましたと言われるが、酷い言い方をすると「今も苦しめよ」と思う。生きることに真剣である限り、悩むし、苦しむ。苦しむ人は、馬鹿にする対象じゃない。下に見る対象じゃない。尊敬する対象だ。上に見る対象だ。悩めよ。悩み続けろよ。それが生きるってことだろう。苦しみの渦中にいる時期はつらいけど、でも、だからこそめちゃめちゃ生きているんだよ。生きる姿には、歌がある。死んだら楽になるんだから、生きている間は苦しもうよ。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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自分が決めた道を、面白くして行く。

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那覇牧志駅にいる。やったことないことをやろうということで、昨夜、久高島で琉球宮廷の最高級料理とされるイラブー酒を飲んだ。ウミヘビの燻製を泡盛に浸した高アルコールの酒だが、最初は「イケるぞ」と思った。だが、飲み続けている間に様子がおかしくなり、意識が薄れ、頭痛が翌日の昼まで続いた。だが、それがいい。この、苦しみがいい。何もないより、何かを試して失敗する方がずっといい。

 

おおまかなスケジュール

12月14日(火)大阪

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

呼んでくれ。

沖縄に来るたび、気分が滅入りがちな人ほど沖縄に来たらいいと思う。12月の沖縄は楽園だ。この時期にしか見ることができない、南米ザクラとも呼ばれるトックリキワタの花が咲く。鬱病を吹っ飛ばせツアーをやるとしたら、自分だったら何をするだろう。那覇空港まで車でお迎えに行き、適当な食堂で腹ごしらえをした後に、北部をめがけて突っ走る。途中立ち寄った海辺で野点を行い、百円ショップでアルミシートを二枚買う。最寄のスーパーで食材を買い込んだら、最北部にある海岸を目指す。海に沈む夕日を眺めながら木材をちょこちょこ拾い集め、焚き火をする。

 

波音の中、星空を眺めながら眠りにつく。こういう風に書くとロマンチックだが、実際にやってみたら寒さに凍えた。焚き火がついている間はいい。長袖一枚でも暑いくらいだが、火が消えた途端凍える。海岸の風は強く、アルミシートが簡単に吹き飛ぶ。夜中、何度も何度も寒さに目覚めた。目覚めるたびに燃料を足して火をつけるのだが、丑三つ時、燃料が尽きた。我々の体力も尽きた。車に避難して結局車内で寝た。だが、この苦しみがよい。一連のリアルな苦しみが鬱病を吹っ飛ばすのである。温かいと嬉しい。寒いと悲しい。生きることそのものが生き甲斐になる。星空は本当に綺麗だった。この世のものとは思えないくらい、本当に綺麗だった。

 

夜が苦しいほど朝が嬉しい。海から昇る朝日に神を感じる。大宜味村にちむビーチという楽園がある。手書きの看板に「シャワー・トイレ無料」とあるのが目印だ。生まれて初めて立ち寄ったのだが、何かしらの公共設備があるのかと思ったら、ただただ親切な人々が店のシャワーを貸してくださると言うシステムに度肝を抜かれた。お茶も無料と書いてあり、お茶の部屋に行ったら大量の薬缶から湯気が出ていた。三十種類以上もの薬草茶に、ひとつひとつ丁寧な説明書きを添えて、無料で提供をしていたのだ。奥には食堂もあり、沖縄そばが百円という破格なのだが、その脇にトッピング無料と書かれてあった。紅生姜とかを入れ放題なのかなと思っていたが、違った。何種類もある野菜や海藻の天ぷらを入れ放題だったのだ。なんだここは。採算度外視にもほどがある。驚きに震えた。御嶽のように何もない空間に癒されることもあれば、ちむビーチのようにありすぎる場所に癒されることもある。

 

 

自分が決めた道を、面白くして行く。

今回はドライバー役として沖縄に呼ばれた。旅の最後は北谷のジャークチキンで締めた。ジャマイカの名物料理だが、食べた瞬間ラテンの血が流れる。メシを喰うとはこういうことだ。肉にかぶりついた瞬間「まだ戦える」みたいな気持ちになる。息苦しさを覚える時は、一つの価値観に縛り付けられている場合が多い。そんな時ほど、異文化に触れる時間は貴重だ。沖縄には、大量の野良おじいがいる。野良おじいは自由の権化だ。売店の前や海岸の堤防に屯をして、野良友達と話したり酒を飲んだりしている。彼らを見ていると「いいんだよ」と言っているように見える。いいんだよ。どんな生き方をしようが、いいんだよ。大丈夫。それでいいんだよ。

 

旅の途中、転職に失敗し社内ニートになったと話す女性から連絡が届いた。夢も諦め絶望していて毎日死にたいと考える。どう過ごしたらいいのかわからない。坂爪さんからアドバイスをもらいたい。そういう内容のメールだった。その方は、何度も何度も「自分は社内ニートだ」と言った。まるで、自分のアイデンティティをそこに置いているみたいだった。みんなと同じなら安心で、みんなと違うと不安なのか。違う。自分が自分でいられなくなることが不安なのだ。自分が自分でいられる限り、この人生も悪くないと思える時、魂は自由だ。比べたらダメだ。比べたらダメだ。比較の中に本質はない。比べるな。比べるな。比較の中にあなたはいない。

 

この世の一切は虚妄であるとブッダは語った。虚妄ならば虚妄のまま、自分が欲しいものを獲りに行きたい。先日、お世話になった方に御礼のメッセージを送った。すると、その方から「また命を救ってくれました」と返信が届いた。私がメッセージを送ったまさにその瞬間、その方は死の淵にいた。返信には、このようなことが書かれてあった。坂爪さん、実は、あのあと身体が完全に停止しました。いま、実はオーバードーズしかけたところです。このメッセージを見て泣いています。と。命懸けという言葉がある。危険に身を晒す大冒険や、博打に全財産を賭けるとか、それだけが命懸けではないと思う。今日も、世界の何処かには毎日命懸けで玄関の扉を開けている人がいる。うまく言語化できないが、そういう方への敬意を忘れたくない。誰もが、代わりの効かない人生を生きている。自分には何の取り柄もないと語る人でさえ、他の人から見たら「とてもじゃないけれど、自分にはそんな生き方はできない」という人生を生きている。優劣を競い合うことより、お互いの人生に触れ合っていくことを、豊かさに変えていけたらと思う。明日から大阪に行く。

 

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本当の意味で自分を生きてるから、
それが人のためになってる。
この世で一番役立つ人になってる

頭を使ってないから、
自分を守ってないから、
なかなかできないよ

坂爪さんは生々しく生きてる、
本物は迫害される笑
人はほんとうのことは怖いから

隠れキリシタン
隠れ坂爪信者、
血を流しながら生きてる人は、
わかるよ。

私もだんだん嘘のつけない身体になってしまい、
考えるなと言われても考えるし、
考えすぎと言われても考えたいし、
人は嫌いだけど、抱きしめたいし、

坂爪さんは、本当にすごいのよ。

強くて優しくて、

坂爪さんに恥ずかしくないように生きたいなって思わせる。
確かに優劣じゃないね、

人間の話をしたい、
ほんとの話をしたい、
その人の人生に触れたい、
私もそう思います。

そしたら本当はもっと世界は優しいはずなのにね。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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手を離すなよ。

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東京界隈で花を配っている。様々な方々の自宅にお邪魔する機会が多いが、なんだかこの人はいい感じだなと思う人の家には、必ず植物があった。花とキャンドルがあれば生活は潤う。そう思っていたが、前にお邪魔した家には花もキャンドルも絵画もあり、装飾的にはバッチリだったにも関わらず寒気を覚えた。モデルルームみたいに完成されたその部屋を見て、モデルルーム特有の血の通ってなさを感じた。

 

おおまかなスケジュール

12月10(金)那覇

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

完成品の冷たさと、未完成品の温かさ。

愛媛で会ったN様が言った。ずっと憧れていたアーティストのライブに行くことができて、あまりにもその人のことが好きだから自分は絶対に泣いちゃうと思っていた。しかし、全然感動しなかった。ライブに行った後もその人の曲は引き続き聞いているが、どうして感動しなかったのかを考えたら「出来あがり過ぎていた」からだと思った。と。この話を聞いた時、私は登山と野営を思い出した。登山の醍醐味は苦しさにある。道のりが苦しいほど、達成した喜びは大きい。野営の醍醐味は不便さにある。不便な環境に置かれるからこそ、普段は発揮する必要のない野性味、言い換えるならば知恵や工夫を発揮できる。出来あがり過ぎているものはつまらない。パッケージツアーに似ている。旅と旅行は違う。人生は、旅であって欲しい。

 

昨日、15年間統合失調症を患っている女性H様に会った。H様は生きる希望を見つけるために「統合失調症寛解」などと言ったワードをネットで検索し、病気を克服して幸せそうに生きている人間を探した。しかし、そういった人間は極めて稀だった。そんな中、私の存在を知り「この人の話を聞いてみたい」と思って連絡をくれた。待ち合わせ場所に到着すると、H様はお弁当を差し出しながら言った。坂爪さんのことを知って日は浅いけれど、言葉に愛を感じる。読み終わった後に心が軽くなり、温かい気持ちになる。私は、友達などには驚かれるのだけれど自分が会いたいと思った人には誰にでも会いに行っちゃうところがある。だから、坂爪さんがどういう人なのかを知りたくて、そのエネルギーに触れてみたくて連絡した。と。

 

H様は続けた。前に演劇のワークショップに参加したことがある。そのワークショップは独特で、自分の心から発された言葉以外は全部無視をされた。演劇のプロは頭の言葉と心の言葉を容易に聞き分ける。だから、上っ面の言葉を言っても全部が見事に無視された。本当の言葉以外は通用しない。あの体験は衝撃的で未だに鮮明に覚えているのですが、坂爪さんといるとあの時の気持ちを思い出す。自分には提供できる価値がないし、面白い話をすることもできない。だから、なんだか、ごめんなさい。そういうことをH様が言ったので、私は「面白い話って、面白い話じゃなくて、人間を馬鹿にした話だと思う。人間を舐めている話だと思う」と言った。

 

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手を離すなよ。

本当の言葉以外は通用しない。だったら、ただ、本当の言葉を言えばいい。私はあなたに会いに来たのであって他の誰かに会いに来た訳じゃない。あなたがあなたの話をしてくれることが一番充実した時間になる。世間一般的な面白い話をしても、情報が消費されて終わるだけだ。俺が触れたいと思うのは、情報ではなく情熱だ。目の前のあなたの命に触れたいのであって、ここにいない人の話はどうでもいい。そういうことを伝えると、H様は「そうですよね」と言った。そして、自分の思いを静かに語り出した。「前に坂爪さんも書かれていましたが、私の中にも『どうせみんな離れていく』という思いが強くある。坂爪さんは、もう、すでにそのような思いからは自由であるとは思いますが、私は、どうしても調子が悪くなると物事をネガティブに考えてしまって、自分でも抑えられなくなることがある」と言った。

 

結局その時は時間が来て、これといった結論を出すことなく私たちは別れた。H様から「坂爪さんが寛解できた秘訣は何ですか」と聞かれたが、うまく答えることができなかった。私の場合は途中で勝手に薬を飲むことをやめ、ビリーズブートキャンプを突発的にはじめたことにより停滞していた血液が再び身体を巡るようになり、過食により太り過ぎていた体が目に見えて減量した影響は大きい。だが、これは表面的なアプローチであって、もっと根本的な『何か』があるような気がした。どうせみんな離れていくという言葉が、妙にひっかかった。確かにみんなは離れていくかもしれない。しかし、それでも「俺からは離れない」と決めたことが、自分を寛解に向かわせた気がする。繋がれた手は、両者が手を離した時、はじめて散り散りになる。しかし、どちらか片方が手を繋いだままでいれば、繋がれた手が離れることはない。相手が自分を嫌ったとしても、それでもなお、自分は相手のことが好きだと言う思いを抱くことができていたら、繋がりは保たれたままだと思った。

 

その後、自由が丘駅で一人の男性K様と会った。K様が激しく緊張をしていたので「どうしたのですか」と尋ねると、彼は、鞄から障害者手帳を取り出して「自分はこれなんです」と言った。言いたいことはわかったが、やっぱりよくわからなかったので「だからなんですか」と再び尋ねた。一時的に圧迫面接みたいになったが、ここは面接の舞台ではない。ただ、一人の人間と、一人の人間が、互いに合意の上で対面している交歓の舞台だ。K様は野球が好きだと話した。私も野球は好きだと答えた。春になったら一緒にキャッチボールでもやりましょう、ちょうど私の数少ない友達同士の間で草野球チームを作ろうみたいな話があがっているのです、経験の有無は一切問いません、チームの名前は「エラーズ」なんていいよねみたいなことを話しています、私たちは全員、何かしらの形で社会から落ちこぼれています、でも、社会から落ちこぼれたとしても野球を楽しむ自由は残されているはずです、そういうことを話していた時、H様からメールが届いた。H様と別れたあと、私が「手を離さないことが大事だと思います」と投げたボールに対する返信が届いた。

 

坂爪さん
 
どういたしましてです!
 
坂爪さんの文章の、
それでも自分は心を開き続け、
手を離さないという愛に、感動しました。
 
もう、手を離さない勇気を持ちたいです。
 
あと、坂爪さんにお会いして、
坂爪さんの優しさと思いやりに、
ガツンと頭を殴られたような
衝撃を覚えました。
 
自分のもう会わなくなった友達に
プレゼントを送った時、
優しい気持ちでメッセージを
付けたかったなぁとか。
 
あと、面白い話しについても。
相手の感度や想像力を
舐めちゃいかんな!と。
ただ、自分であるしかないんだなと。
勝手に相手のこと、
決めつけちゃいけないですよね。
 
お花可愛いですね。
お部屋で愛でています。
 
本当に幸せを
運んでくれました。
 
この度は、ありがとうございましたm(_ _)m
 
感謝しています。
 
また、いつか!

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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愛するとは、自分の命を相手にやること。

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外苑前のドトールにいる。ムーミンパパの思い出という本に、パパとママの出会いが描かれている。ムーミンパパは孤児で、海のオーケストラ号という船に乗って冒険をする。その道中、溺れている女性を発見する。必死に助け出すと、彼女は「海がおしろいを、だいなしにしたようよ」と言う。パパは「そのままだってきみはきれいだよ」と言う。救助した女性がムーミンママで、その後、二人は結婚をする。危機的状況なのにユーモラスで、全員が自己中心的なムーミンの世界観が好きだ。

 

おおまかなスケジュール

12月8日(水)東京

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

諦めるなって言うけれど、諦めた人なんて一人もいない。

自分が溺れて命の危機に晒されているにも関わらず、ムーミンママは「私のハンドバックはどこ?私のハンドバックはどこ?」と尋ねる。命よりもハンドバックを気にするのだ。パパは「ハンドバックなら、きみがもっているじゃないか」と言う。ムーミンママは「あら、あったわ」とか言いながら、コンパクトを取り出す。そして、鏡に映る自分の姿を見て「海がおしろいを、だいなしにしたようよ」と言う。それを聞いたパパは、即座に「だけど、そのままだってきみはきれいだよ」と答える。パパもママも自分勝手で身勝手だ。だが、彼らの人生を物凄く素敵に感じる。

 

昨日、都内某所でタッカンマリを食べながらお酒を飲む機会に恵まれた。話題にあがったテーマは『家族』だった。私は、行く先々でこんな言葉を頻繁に耳にする。やりたいことをやりたいのだが、家族がいるからそんなことはできない、と。誤解を恐れずに言うと、私は「それはお前のミスだろ」と思う。お前のために俺は嫌な仕事を頑張って続けているんだぞ的な背中を見せられるよりも、自分の理想に挑み続ける姿を見せた方がこどもも喜ぶ気がするのだが、人にはそれぞれ事情がある。超偏見だが、家族を持つと「自分達さえ良ければそれでいい」という思考の土壌が生まれやすい。そして、自分を守ろうとする狭さが息苦しさや窮屈さをもたらす。家庭には幸せなイメージが強いが、底冷えするような優しさに満ちた家庭は多い。

 

愛のない家庭にこどもは育たないという言葉を読んだ。よく、教育関係者の人間が「怒ると叱るは違う。怒らないで、叱りましょう」みたいなことを言う。だが、私は逆だろと思う。躾とは何か。みんなの迷惑になるからやめなさいとこどもを叱る親をたくさん見る。だが、これは冷たい仕打ちだと思う。迷惑だと感じた人間が怒ればいい。みんなの迷惑になるからやめろと言うより、自分が嫌だからやめろと言えばいい。世間体を気にする親の姿をこどもは見抜く。ああ、この人は自分よりも世間体を守ることの方が大事なのだなと見抜く。経済的には恵まれていても、暴力や飢えなどはなくても、底冷えするような優しさに囲まれた環境はこどもの将来から希望を奪う。家族の間で培った感覚は人間関係全般に及び、他者に踏み込めない人間になる。怒られたいのは、踏み込まれたいのは、愛に触れたいと思うからだ。

 

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愛するとは、自分の命を相手にやること。

昨日、冷たい雨に打たれながら重い荷物を長時間徒歩で運んだ時は心が砕けそうになった。だが、面倒な事態になった時も自分の態度は選択できる。ふざけんなよと喚き散らして不機嫌の沼にはまることも、おいおいおいおいと突っ込みながら事態を俯瞰して面白がることもできる。ふざけんなよと思う時は気分もサガる。だが、おいおいおいおいと思う時は気分がアガる。ただでさえズブ濡れという被害を被っているのに、更に「不憫だ」と思うことで二重の不幸を背負う必要はない。どのような事態も面白がれたらネタになる。ネタにできたら覆る。不運も笑い話になる。

 

昨日お会いしたM様が「私は病気で片方の卵巣を摘出し、こどもを作るためには妊活治療をする必要がある。前に妊婦がたくさん集まる場に行ったのだが、妊婦たちからは生のエネルギーを強く感じて、自分からは死のエネルギーを強く感じた」と言った。この話を聞きながら、私は先日お会いした一人の女性を思い出していた。その女性はお金がたくさんあり、悠々自適な生活を続けている。行きたいと思う場所には何処でも行けて、食べたいと思うものはなんでも食べられる。だから私は幸せだ、感謝しなくちゃいけないねと言っていたのだが、どことなくさみしそうに見えた。極めて余計なお世話だが、もう、自分を満たすことに飽きている印象を受けた。自分を満たすことよりも、自分以外の何かに自分の命を注ぎたい、自分を越えたものを「生む」「育む」「繋ぐ」ことを、彼女の心は求めているように見えた。

 

幸せとは何かわからないまま、幸せをずっと求めている。物質的に恵まれたら幸せなのかと思っていたが、何一つ不自由のない環境に身を置かせてもらった時、胸に湧いた思いは「俺はここにいちゃいけない」というものだった。自分さえよければそれでいいという思いでは狭く、窮屈で、息苦しい。逆説的だが、自分の命を自分を越えたものに向かって差し出した時、最大限に自分が生きる。聖書には「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」とある。キリスト教は破滅的な宗教だと思う。破滅には二種類ある。心地良い破滅と、心地悪い破滅だ。私がロックンロールとキリスト教に惹かれる理由は100個以上あるが、その内の一つが「破滅を肯定する姿勢」だ。自分の生涯を丸々キリストに捧げた修道女がいる。彼女が死んだ時手元に残ったものは、ロザリオと聖書と修道着の三つだけだった。私は、こういう生き方をした彼女をカッコいいと思う。本当にカッコいいと思う。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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やりたいことをやって死んだなら、それは生きたんだ。

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やりたいことをやって死んだなら、それは生きたんだ。やりたくないことをやって生きるなら、それは死んでいるんだ。やりたいことがあるなら、やればいい。仕事になるからやるとか、お金になりそうだからやるとか、そんな狭い範囲で自分の好きを考えたらダメだよ。それをやっている時間がたまらなく楽しいから、やるんだよ。やっている時間は変なことを考えないから。やりたくないことをやっている時に、言い訳が増えるんだよ。生活のためとか、家族のためとか、時間がないとか、もっともらしいことを言いながらどんどん顔が腐って行く。喜びのために生きるんだよ。金にならなかろうが、仕事にならなかろうが、ああ、楽しかったという記憶は残るんだよ。自分の好きを諦めたらダメだよ。自分の喜びを諦めたらダメだよ。

 

おおまかなスケジュール

12月6日(月)愛知

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

暗いと不平を言う前に。

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絶対に誰も立ち入らない素敵スポットがあるから一緒に行きましょうとお誘いを受け、T様と河原で焚き火をした。寒いのは嫌いだが温めるのは好きだ。枯れ葉や木の枝を集めている時間は、どうしてあんなにも楽しいのだろう。人間の基本を思い出した。移動中の車内で色々な話をした。T様が「五年位前に、圭吾さんが『世界を変えるより、世界を増やす』と書いていたのを読みました。僕は、その言葉を僕なりに考えて生きてきたのですが、いまではインスタグラマーとかYOUTUBERとか、あの頃にはなかった仕事もたくさんあって、普段何しているのかよくわからないけれど生きている人が段違いに増えたと思います。その点において『世界を増やす』は達成できた気がするのですが、なんとなく日常的につまらないというか、世界を増やすと言うゴールを達成したら、そこにあったのは虚無でした」と言った。

 

この感覚はとてもよくわかる。何かを達成するよりも「そんなことは無茶に決まっている」と周囲からストップをかけられるようなことに挑んでいる時の方が、生きている実感は強い。日本では格差や分断が問題視されることも多いが、全体的に中途半端な印象を受ける。格差や分断があるから生きづらさが発生するのではなく、格差や分断が中途半端だから生き方も中途半端になるのだと思う。もっと大胆な格差や、もっと大胆な分断が生まれた方が革命のエネルギーになる。全員で微妙になっているのがいまだ。別に本気を出さないでも生きていけるし、好きでもない仕事も続けていれば生活に困ることはない。定職を持つことは点滴をつけているようなもので、それがあるから生命を繋ぐことができる。ただ、時折、点滴に自分の命を吸われているような感覚にもなる。これがなければ生きていけないと思っていたものが、いつの間にか「これがあるせいで自由がない」に変わる。極端だが、点滴の管をぶった切ることが自由だと思う。セルフ非常事態宣言を発動して、自分レボリューションを起こす。分断を是正するよりは、分断を助長した方が人間性は蘇る。

 

T様にやってみたいと思うことはあるかと尋ねたら「圭吾さんがセックスをしている時、その横のステージで一曲歌いたい」と言った。なんだそれはと思ったが、いや、これは最高かもしれないと思い直した。普通だったら、誰だってセックスをする側に参加したいと思う気がする。だが、もしかしたらその横で二人を応援するように歌を歌うT様が、一番気持ちいいんじゃないだろうかと思った。セックスをしている我々も、高らかに歌い上げるT様を横目に潜在的なボルテージが引き上げられ、普通だったら辿り着けない境地まで行けるかもしれない(行けないかもしれない)。セックスは物質に置き換えることができる。普通だったら物質的な幸せを求めて奔走するものだが、本当の幸せは「その横で高らかに歌い上げること」にあるのかもしれない。誰も発想しなかったことを発想し、実際に行動に移した時、常識は揺らぐ。かつてない快楽を得ることもあるし、一切が無駄に終わることもある。

 

やりたいことをやって死んだなら、それは生きたんだ。

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T様と別れ、愛知県一宮市でW様と合流した。W様は男性だが、男性に花をあげるのも悪くないと思って、一輪の花を購買した。W様は語った。こうあるべきとされているものから自由に生きているように見える坂爪さんと実際に会って話してみたかった。自分はこれまで長い時間サラリーマンとして働いてきたが、物質的な豊かさの先に幸せがあると思ってせっせとお金を貯めてきたものの、そこにあったものは虚無だった。ずっと欲しかった車を買ったのだが、全然面白くなくて先月売りに出した。ただ、カメラだけは残った。写真を撮っている時間だけは雑念が消えて没頭することができる。自分がいいと思うもの、自分が美しいと思うものを表現して生きていけたらと思うのだが、仕事になるのだろうか、お金は大丈夫なのだろうかと考えるとどうしても不安になる。そんな時、ちょうど坂爪さんが名古屋方面に向かっているとtwitterで知り、連絡をしなければいけないと思って連絡をした。と。

 

やりたいことをやって死んだなら、それは生きたんだ。やりたくないことをやって生きるなら、それは死んでいるんだ。やりたいことがあるなら、やればいい。仕事になるからやるとか、お金になりそうだからやるとか、そんな狭い範囲で自分の好きを考えたらダメだよ。それをやっている時間がたまらなく楽しいから、やるんだよ。やっている時間は変なことを考えないから。やりたくないことをやっている時に、言い訳が増えるんだよ。生活のためとか、家族のためとか、時間がないとか、もっともらしいことを言いながらどんどん顔が腐って行く。喜びのために生きるんだよ。金にならなかろうが、仕事にならなかろうが、ああ、楽しかったという記憶は残るんだよ。自分の好きを諦めたらダメだよ。自分の喜びを諦めたらダメだよ。

 

お金のためだけに生きることが嫌になったんでしょ?だったらさ、喜びを刻まないと、また同じことをやっちゃうよ。そういうことを私が言うと、W様は「物凄い衝撃を受けています。何も言葉が出てきません。自分がいかに狭い範囲で物事を考えていたのかを痛感し、心配や不安に時間を奪われることを勿体ないと思いました。ここ一二年で、今、一番充実しています」と言った。ここ一二年で一番ですか!と、私は笑った。その瞬間、一通のラインが届いた。そこには「以前娘が世話になったものです。坂爪さんが愛知にいると知り、雨風の下で寝させるわけにはいかないのでこれからホテルを取りに行きます。後ほど合流できますか?」と書かれてあった。私は、ガッツポーズをしながらW様に告げた。あなたに会えたことで私の運気が爆上がりしました。おかげさまで今夜の宿を獲得しました。非常に申し上げにくいのですが、さきほどあなたにあげたお花をですね、返していただくことはできますか。花は女性にあげてこそだと思うのです。W様は、代わりに自分で花を買って、それを次に会う女性にあげてください。男は自分に囚われたら負けです。どれだけ潔く散れるかだと思います。などなど。もっともらしいことを口にしながら、W様から剥奪した一輪の花を携えて、私はホテルに向かうためその場を後にした。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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すべての苦しみの根源は、赦せなくなること。

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800段程度ある石段を降っている途中、一人の老人が意識を失って倒れていた。周囲には人だかりができており、高齢の女性が「大丈夫?いま、救助の人を呼ぶからね」と声をかけながら、電話で助けを求めていた。私は、その横を通り過ぎた。野次馬になるのも嫌だなと思ったし、専門知識のない自分には力になろうとも力になりようがない。ただ、ほんの一瞬「自分が老人を背負って石段を降りれば、スムーズに救助できるのではないか」と思った。だが、病人を無闇に動かすのは逆効果かもしれないという最もらしい理由を隠蓑にして、結局、私はその横を通り過ぎた。

 

おおまかなスケジュール

12月5日(日)京都

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

愛の軌跡。

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その出来事から数日経ったが、いまだに思い出す。なぜ、あの時、自分は老人を背負って石段を降りなかったのか。なぜ、私は素通りをしたのか。石段を降り終わった時、ちょうど救急車が到着した。しかし、当然、救急車は石段を通ることはできない。救急隊員が担架と共に石段をかけあがるしかないのだが、私は、見て見ぬ振りをした自分を恥じた。自分を冷酷だなと思った。老人に手を貸すことは、関わり合いの表明を意味する。もしも自分が手を貸せば、それが逆効果に出た場合、自分が失敗の責任を負うことになる。関わり合いを避ければ、責任を負うこともない。

 

だが、責任や罪悪感を避けたことによって、もやもやとした後悔が生まれ、より一層の罪悪感が募った。たとえ裏目に出たとしても、具体的に手を貸すことが大事なのではないか。最もらしい理屈を並べて何もしないでいるよりも、自分にできる最善を差し出すことの方が、命を凍結させることなく生きていられるのではないか。私は責任を避けた。老人は他人で、私に老人を助ける義理はない。義理もなければ責任もない。だが、横を通り過ぎた自分に残った者は、責任を避けた人間の後ろめたさだった。大袈裟な言葉で言えば、それは「罪の意識」だった。助ける義理はないというのは嘘で、多分、義理はある。責任もある。義理を果たす自由もあれば、義理を避ける自由もある。責任を果たす自由もあれば、責任を避ける自由もある。

 

関係性が浅ければ、喪失の悲しみも浅く済む。深い関わりを築く時、喪失の悲しみも深くなる。愛する者を喪う悲しみは、時に、生きる力を根こそぎ奪う。こんな苦しみを味わうくらいならもう二度と人を愛したくはないと思うことさえも、ある。だが、深い関わりを避けて浅い関わりを生きるだけでは、人生そのものが空虚になる。心は冷え、深い悲しみが減る代わりに、涙が出そうになるほどの喜びも減る。愛する者を喪う時、人は深い悲しみに襲われる。誰の声も届かない闇の中を、いつ抜けられるかもわからない闇の中を、たった一人で彷徨うことになる。だが、誤解を恐れずに書けば、悲しむ人は美しいと思う。それは、愛の軌跡を感じるからだ。愛する者は、死んだのではなく、生きたのだ。同じ時間を確かに共に生きたのだ。

 

すべての苦しみの根源は、赦せなくなること。

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石段で倒れていた老人は意識を回復しただろうか。それとも意識を失ったままだろうか。私にはそれを知る術がないし、老人が死んだとしても涙を流すことはない。あと数日もすれば老人のことを完全に忘れ、私の中でなかったことになる。老人の命も、義理も責任も罪の意識も全部、なかったことになる。ただ、なかったことにされた経験の蓄積は、私の身体と精神を冷やし、私を冷酷な人間に変えるだろう。私は私を赦せなくなることに慣れ、私は私を赦せない方向に向かわせる道を選ぶことに慣れ、私の身体が冷えることに慣れ、私の精神が冷えることに慣れるだろう。

 

そして私は苦しむのだろう。慣れることと諦めることは別物だ。赦せないと赦したいの間を揺れながら、葛藤の摩擦熱に苦しむのだろう。すべての苦しみの根源は、自分が、自分を赦せなくなることだ。平気な振りをしながらも、葛藤の摩擦熱は常に自分の肉体を焦がし続け、芯から冷え切ろうとする頭の働きに歯止めをかける。いいのか、お前、本当にこのままでいいのか。また見て見ぬ振りをするのか。また素知らぬ顔で通り過ぎるのか。また自分の体を冷やす道を選び、また自分の心を冷やす道を選び、こんなことには慣れているからと平気な振りをしながら、また自分を赦せなくなる道を選ぶのか。いいのか、お前、本当にこのままでいいのか、と。

 

このままでは老人は死に、私の中でなかったことになる。老人が生き続ける道は、自分が、これから先の人生で「手を貸すこと」だと思った。相手の代わりに自分が重荷を背負い、石段を共に行くことだと思った。私は優しい人間ではない。ただ、まだ、かろうじて「優しくなりたい」と思うその気持ちによって、ぎりぎり人間の形を保っている。優しくはないけれど、優しくなりたいと思う気持ちだけはなくしてはならないと思う。綺麗事に聞こえるかもしれないが、そう思うことが、誰かのためではなく自分自身を保つ力になる。冷え切った体と心を再び燃焼させる力になる。最近はめっきり寒くなった。寒くて、空腹で、貧しいのだが、貧しさの中には本当がある。貧しさの中には本当がある気がして、貧しさの中に居座ってしまう。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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あなたはあなたを生きなさい。

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四条烏丸ドトールにいる。連日の移動で心身共にガタが来た。自分を浄化したいと思って山を登ったが、泣き言めいた思いが消えなかった。会いたいと言って連絡をくださる方々はたくさんいるが、一体俺はどこから元気を貰えばいいのだろう。そういうことを感じてしまった。ブログには書けないヘビーな出来事が連続した。心に穴が開いた時、その穴からしか見ることのできない風景が、展開をして行く。

 

おおまかなスケジュール

12月3日(金)京都

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

祈りは分断されたプロセスを統合する。

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人間関係が横の繋がりなら、天地との関係は縦の繋がりだと思う。横の繋がりを求めると苦しくなるが、絶対に断ち切られることのない縦の繋がりを思い出せた時、再び歩き出す力を得る。世間に馴染めない自分が顔を出した時、消えたいと思う自分がそこにいる。自分はいない方がいいという確信、誰も自分を必要としていない確信みたいなものが湧き上がり、精神的にどん詰まる。そういう自分をギリギリのところで解放してくれたものは祈りだと思う。無意識的にだが、祈ることで私は力を得た。祈ることで、心を込めることで分断されたものが繋がり直す感覚がある。

 

今から十年以上前、東京の赤坂で知人たちとカフェを運営していた。昼の店長はNで、夜の店長を私が勤めた。経営関係者は私を除き全員クリスチャンだった。店の名前はエクレシアカフェと言った。ラテン語で教会を意味する。ある日、昼の店長Nがこんなことを言った。カフェの仕事は確かに地味で毎日同じことの繰り返しだけど、今、自分の目の前にいるお客さんは自分しか接することのできない大切な相手なのだということを強く思った。適当に扱うこともできるし、精一杯心を込めて接することもできる。適当に扱った時は自分自身を適当に扱っている気がするし、精一杯心を込めて接することができた時は自分自身を丁寧に扱えている気がする。仕事とは、何をするかというよりも「どういう気持ちを込めたか」が大事なのだと思うようになった、と。これを聞いた時、ああ、これこそが祈りなのだと思った。

 

分断が進むと、自分なんていなくてもいいのだと簡単に思えるようになる。世の中が便利になるほど、当たり前だが分断は進む。いちいち畑で野菜を育てなくてもスーパーで簡単に手に入るから、手間暇をかける苦労も喜びも経由する必要がない。ただ、あまりにも世の中がインスタントになると「自分は取り替え可能な存在なんだ」「自分が自分である必要は極めて薄いものだ」ということを感じやすくなり、自分がかけがえのない存在であるとは感じられなくなる。大袈裟な表現になるが、多分、私たちはプロセスを奪われている。生きている実感を感じるプロセスを奪われ、成果物だけを与えられた時に感じるものは嬉しさよりも虚しさだ。自分が種から育てた作物には愛着が湧く。だが、スーパーに並んだ商品に愛着を覚えることは難しい。私たちは本来大地の上に実るべきものだったはずだが、いまはベルトコンベアに乗せられて自分の出生地も忘れて陳列されている商品になった。祈りが消費に抵抗する。商品を作品にする。「人間は商品じゃない。作品だ」と叫んでいる。

 

あなたはあなたを生きなさい。

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昨日お会いした方からこんなことを聞かれた。元旦那が余命僅かの癌になり、可能な範囲で力になりたいとは思うが、本音を言えばどこまで手を貸すべきなのかがわからない。力になりたいと思う部分と、嫌だ、面倒だと思う部分があって、いつもの自分なら「嫌ならやらなければいいじゃん」と一刀両断できそうなものだが、相手が元旦那ということもあって踏ん切りがつかない。自分が冷酷な人間に感じることもある。坂爪さんは行く先々でもっとここにいてくれと言われることもあると思うのですが、どうやって思いを振り切っている(断ち切っている)のですか、と。


私は「血の涙を流しながら置いて行く」みたいなことを思った。理想的な人間像は人によって異なる。自分を犠牲にしてでも他者に尽くすことが愛だと思う人もいれば、一時的には相手を見捨てる形になったとしても、それでも自分の命を燃やす姿を見せることを通じて生の熱量を伝えることが愛だと思う人もいる。愛とは何か。責任とは何か。私はまだ答えを知らない。だが、責任を感じるからと言う理由だけで誰かの世話をすると、相手を少しずつ嫌いになる。小さな責任の輪を飛び出して大きな責任の輪を歩き出す時、嫌悪感は消え、同胞感のようなものが宿る。置いて行った手前、自分も血を流すのが礼儀だと思う。自分を生きるのが礼儀だと思う。

 

自分のガッツが湧いてくる瞬間がある。これまでは自分が咲くことが大事だと思っていた。だが、違った。咲きたいんじゃない。咲かせたいんだ。傲慢な思いだが自分を使って花を咲かせることができた時生まれてきた甲斐があったという充足感を得る。仕方がないと諦めるのではなく、咲く。咲かせて行く。生きる力を叩きつける。死ぬ前に、死ぬ前に、死ぬ前に、生きてくれ。倒れてもいい。勝たなくてもいい。ただ、負けるな。嘘に負けるな。醜さに負けるな。孤独に負けるな。劣等感に負けるな。敗北感に負けるな。無力感に負けるな。無価値感に負けるな。暑苦しい祈りを込めながら、生命のハンマーを叩きつける。生きることも死ぬことも咲くことと同義だ。仕方ないと諦めるのではなく、咲く。咲かせる力は、人間の意思だ。

 

はじめまして。
神奈川県に住む42歳、○○と申します。

いつも頼りにしている、厳しいことも、寄り添ってくれることもしてくれる知り合いのお姉さんに、坂爪さんのブログ好きなんだと教えられて、読み始めました。


昨日、一昨日とリストカット、ODをしたりとかなりボロボロな状態で。
思考をとめたくて、自分自身が嫌でたまらなく、そして旦那が憎くて仕方なく…


旦那との不仲、そんな中長男の高校受験、長女の発達障害グレーゾーンとスクールカウンセラーの方とのお話があったり。
3年ほど前から鬱、拒食症、円形脱毛、不眠などそんな現状です。


そのお姉さんに
本気でやりたいことだけ、やればいい
やりたくないことは、やらなくていい
子供のためではなく、自分のためにやりたいことを考えてごらん
と言われました。


そして、坂爪さんのブログを教えてもらい、読んでいる中に


あなたはあなたを生きなさい。茨の道でも、石を投げられても、身ぐるみを全部剥ぎ取られても、無様でも、孤独でも、涙が出ても、あなたはあなたを生きなさい。たとえ、そのことで死んでしまうことになったとしても、一度も生きることのなかった人生よりは、ずっといい。誰かになろうとするのではなく、あなたはあなたを生きなさい。あなたの喜怒哀楽を生きなさい。あなたは、あなたを、生きなさい。


ここの文章がすごく心にドンときました。


もっとブログをよんで、本も読んでみたいと思ってます。


ブログ楽しみにしています。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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明日も生きていると思うなよ。

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岡山在住の方から連絡が届いた。文面から「これはすぐに行かないと大変だ」と思い、愛媛から岡山に行ける最短ルートを探した。先日お会いしたT様に私を尾道まで送ってくださいとお願いしたら快諾していただいた。T様は男前だ。ベンツをかっ飛ばして最高速度でぶっ飛ばした。昨日のしまなみ海道は横風が強く車体をもっていかれそうになった。それでもT様はかっ飛ばした。最高速度でかっ飛ばした。

 

おおまかなスケジュール

12月2日(木)神戸

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

出す。

電車を乗り継ぎ岡山の山間部に着いた。H様が車で来る。精神的にギリギリだと話すH様は最近友達を自殺で亡くした。何が苦しいのかわからないがとにかく苦しくなることがあり、呼吸ができず、胸が圧迫される。車内でH様は言った。仕事をしているが職場が合わず時折立っていられないほど疲れることがある。かと言って職場を変えれば済む問題だとは思えず、自分が変わるしかないことはわかっているのだが誰に何を話してもアドバイスをされるだけで本当の話をできている実感がない。こうすればいいよと散々言われるがそんなことはもうとっくに試している。だけど言い返す気力が自分にはないから結局一人になる。気力がなければお金があっても生きていけない。人間が嫌いだけど、どこに行っても人間はいる。だけど一人も嫌だ。一人はさみしい。私は本当の話がしたくて坂爪さんを呼んだのだと思う。

 

飲食店に到着した。H様は言った。食事をしていたら落ち着いてきた。不思議と胸の圧迫もない。坂爪さんがそのままだから自分もそのままでいられるのかもしれない。五年前に一度お会いした時はミーハーな気持ちが強かったが、いまは自分が本当に苦しい状態に置かれているからこそ言葉が刺さる。自分がギリギリだからこそギリギリを生きている人に会いたかったのかもしれない。自分のわがままでこんな僻地まで来てもらうことには気が引けたが、勇気を出して声をかけてよかった。食事をしながらH様はそんなことを話した。その後、会話の内容が徐々に私の気を使う方向に向かった。四国はどうでしたか。お疲れではないですか。そんなことを聞かれて違和感を覚えた私は「遠慮をしないでください」と言った。そんな話をするために私はここに来たわけではないし、私をここに呼んだわけではないと思った。長時間の移動をしたら疲れるのは当たり前だ。疲れなんてどうでもいい。どれだけ疲れ(させ)たとしてもそれでも話したかったことがあったはずだろうと思った。

 

そう言うと、意を決したH様は「そうですよね。私は、どこにいても相手の顔色を伺ってしまう悪い癖があります。だけど、自分で呼び出しておいて気を使っても仕方がないですよね。それでは、勇気を出して全部出します」と言って、自分の思いを吐き出した。私は黙って話を聞いた。途中何度か頷く程度で、何も言葉を挟まなかった。挟む余地はないし、挟む必要性も特になかった。何度も何度もH様は泣いた。人前でこんなに泣くのははじめてだと言った。だが、泣き終えた後にH様は印象的なことを言った。坂爪さんを通じて、私は、私に、話を聞いてもらいたかっただけなのかもしれない。自分でも不思議なくらい涙が出た。話しながら私はこんなに本音を押し殺して生きているのかと思ってびっくりした。だけど、出したいだけ出したら元気が出た。なんだか楽しくなってきました。そう言ってH様は笑った。

 

明日も生きていると思うなよ。

H様は言った。「これまでヒーリング系のセラピーに何度か通ったことがあるがこれだけ泣けたことは一度もない。先生や仲間から周囲を信頼して安心して泣いてと言われるが、常にどこかで本当かよと疑い続けていた。周囲に煽られて怒りや悲しみを出すこともあるのだが、爽快感よりも不快感の方が最後に残って気分が悪かった。だけど今はさっぱりしている。坂爪さんはセラピストに向いていますよ」と。セラピストなんて死んでもなりたくない、ただ、セラピーや怪しい講座に多額の金を払う暇があったらそのお金で俺と一緒に遊んでくれと思うことはある、場合によっては高額なセミナーより効き目はあると思います、そういうことを私は言った。

 

翌日、仕事をズル休みしたH様が岡山駅まで送ってくれた。H様の逸話が愉快だった。「昔から坂爪さんのブログは読んでいたのですがパートナーがこんなものを読んだら勤労意欲を失うとか言って読むことを禁止したのです。だから私はトイレでこっそり隠れて読み続けて、トイレを出るときに履歴を消していました。私みたいな隠れ読者はたくさんいると思いますよ」と。隠れキリシタンみたいでいいなと思った。いばや通信を読むと迫害をされるのか、迫害された人がいばや通信を読むのか、順序は謎だが迫害は好きだ。迫害と言えば坂爪さん、ということでH様は過去の体験談を話した。タントリックヒーリングという子宮を温めるセラピーを男性施術者から受けたことがあるのですが、施術の過程で抱き合うプロセスがあって、その時に思わず男性の頭を撫でてしまったのです。そしたら相手の男の人が「なんだか母性を感じました」とか言って、妻子があるのに私のことを好きになってしまって、何度も何度もLINEが来るようになったのです。これってどう思いますか。と。

 

自分が女だったら母性を感じたとか言われても微妙だなと思う気がするのですが実際はどうですかと尋ねたら、H様は「あなたにとって私が癒しになったらそれはよかったですねとは思いましたが、いまこの瞬間からあなたを男としては見ることができなくなりました、とは思いました」と言った。私は、オスのカマキリを思い出していた。オスのカマキリは最終的にメスのカマキリに喰われる。メスに喰われる部分だけを切り取るとあまりにも残酷だが、日常的にメスが引き受けている苦しさや大変さが半端ではないために、オスは自分が喰われる痛みを引き受けることによってはじめてメスと対等になれるのかもしれないと思った。オスのカマキリは、メスに喰われながら「これでようやくあなたと並ぶことができました」と思っているのかもしれない。そういうことを話したら、H様は「女として、なんだか報われる気がします」と笑った。笑いながらなんだかまた元気が出てきたみたいで、非常に危険な車の走らせ方をした。非常に危険な車の走らせ方をしますねと私が突っ込むと、楽しそうに笑うH様が「坂爪さんとなら死んでもいいと思っています」と言った。私は「俺は嫌です」と言った。H様は笑った。空はめちゃめちゃ晴れていた。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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愛ならばある。見捨てられることはない。

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幸せになると幸せじゃなくなる。満ち足りてしまうと、もう、生きていなくていいという感覚になる。幸せとは、届かなくてもいいから、何かに手を伸ばしている状態なのではないだろうか。冒険家は、宝物を手にしたから幸せなのではなく、宝物を目指しているから幸せなのではないだろうか。宝物を手にして何もしてない状態は、生きていない。幸せになることは、死ぬことと同じ。恋と冒険は、似ている。

 

おおまかなスケジュール

12月1日(水)岡山

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

恋と冒険。

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愛媛県松山市でお会いしたT様が車で内子町まで運んでくれた。ブログに書けない話をたくさん聞いたが、T様は過去に飛田で娼婦をやっていた。赤線という言葉を初めて知ったが、半ば公認で売春が行われていた地域がある。ソープランドは本番NGだが、赤線は本番しかない。且つ、ソープよりも料金が安い。昔からNOと言うことを苦手としていたT様は、本番しかないことに駆け引きのなさを感じて、生活のためというよりは自分のために飛び込んだ。二年間勤めたある日、あ、このままだと私は死ななければならなくなるけど死にたくはないと思って、仕事を辞めた。

 

T様おすすめの焼肉屋で晩飯をご馳走になった。様々なことを話したがさみしさがテーマに出た。T様は言った。私の語彙ではさみしさとしか言えない感覚が自分の中にずっとある。さみしさの原因は人恋しさにあると思っていたが、人に会うほどさみしさは増える。言語が違う世界に一人だけ放り出された感覚に近い。坂爪さんにはさみしさはありますか。と。私にもある。だが、器用に説明することができない。昨日、晴れた日の早朝に街中を歩きながら「ああ、さみしいなあ」と感じた瞬間のさみしさは、透明なさみしさだった。さみしいのだが、さみしさが綺麗なものとして感じられた。克服する対象ではなく、空から降る雪の結晶のように感じた。

 

愛媛県内子町でN様と合流し、T様と別れた。時系列は前後するが、お世話になったT様に何かお礼をさせてくださいと伝えたら、T様は「お礼は結構です。リクエストとしては、その分をこどもが喜ぶことに使ってください」と言われた。よし。わかった。ちょうど会いたかった少年がいたのだという旨をT様に伝えると、想像していた以上にT様は喜んでくれた。「会いに行くって、めちゃめちゃ意味のあることですね!生きているって、いいですね!なぜか私が思わず喜びました!」と。会いに行くこと。ものを運ぶこと。思いを届けること。それは意味のある行為だ。

 

愛ならばある。見捨てられることはない。

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愛媛県内子町でお会いしたN様は過去にお父様を自殺で亡くしている。悲しい出来事だが、いまでもN様の中で輝いた記憶として残っている父の姿がある。それは、海に潜っていた時の父と、山を登っていた時の父だ。獲物を仕留めて喜ぶ父、山の歩き方を教えてくれる父は、自分の好きなことをやっているという喜びに包まれていた。その姿を見せてくれたことが一番の贈り物だった。N様はそういうことを話してくれて、私は、父性とはどういうものなのだろうかということを感じていた。

 

努力という言葉がある。努力をした人間は偉く、努力をしていない人間は怠けているとする尺度がある。しかし、自分の好きなことをやっている人間が「海に潜る努力をした」とか「山菜を獲る努力をした」とは言わない。自分がやりたいと思うことを、ただ、やっただけだ。努力なんてない。側から見たら努力をしている風に見えるのかもしれないが、ただ、やりたいと思うことをやっただけだ。努力という言葉には、本当はやりたくないことを頑張ってやったというニュアンスがある。だから、当然そこには「これだけ苦労をした自分を認めて欲しい」という色合いが帯びる。だが、海に潜る父の姿が、山に登る父の姿が、N様に伝えたことは努力の大事さではないと思う。それは、生きていることの喜びだ。好きなことをやる喜びだ。

 

自分探しという言葉がある。私は、ずっとこの言葉を嫌悪していた。自分なんかずっとここにあるのだから、探す必要なんてないじゃないか。ただ、自分が感じることを真っ直ぐに受け止めればそれでいいのだと思っていた。だが、自分を探すという行為ほど、尊いものはないのではないだろうか。訳知り顔で答えを語るより、私は、大事なものを必死で探している人間が好きだ。周囲から「そんなことをしても意味がない」と嘲笑されても、探すことをやめられない人間が好きだ。届かないかもしれなくても、それでも手を伸ばし続けている人間が好きだ。苦しみの中を生きる時、私たちは、少しでも早くこの苦しみから自由になりたいと願う。光を願う。だが、遠く離れて見た時、闇の中を生きる姿そのものが、光だったことがわかる。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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君が無価値なら、全部無価値だ。

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香川を経由して愛媛にいる。朝日を浴びる習慣に自分自身が救われている。まだ、誰にも汚されていない空気の中を歩くと「昨日までの全部はリセット!新しい一日を始めよう!」という気持ちになる。初めて訪れる土地でも、散歩をすることで環境に体が馴染む。道中、通学途中の学生に怪訝な目をされながらゴミ拾いなどをすると更に馴染む。無関係だった場所が、ゴミ拾いをすることで自分と関係を持つ。

 

おおまかなスケジュール

11月29日(月)愛媛

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

生活と祈り。

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特別な出来事や劇的な変化はなくても、規則正しい生活が自分を救うことがある。数年前、エネルギーを持て余した私は横浜〜長崎〜広島を折り畳み自転車で移動した。長距離を移動すれば何か変わるかなと思ったが、達成した瞬間の感慨は特になかった。だが、旅の過程で刻まれた記憶がある。岡山と広島の県境にある民家にある日一泊お世話になった。農家を営むその家では、日の出と同時に畑に出る。朝日を浴びるために外に出た時、作業着に着替えたおばあちゃんが太陽を拝んでいた。

 

掌を合わせ、小さな声で囁きながら、最後にゆっくりと丁寧なお辞儀をした。誰かが見ているからやっていることではなく、毎日、毎日、おばあちゃんはこうして昇る朝日に手を合わせていることが窺い知れる、静かな祈りだった。その声に耳を傾けると、おばあちゃんが「お天道様」とか「ありがたい」と言っていることがわかり、私はその場を動けなくなった。いま、自分の目の前でものすごい美が立ち現れようとしている。そう思ったら、朝日に負けずとも劣らない美しい自然を目の前にしている気がして、その場を動けなくなったのだ。琴線に触れるとはこういうことを言うのだなと思った。祈ると言う形式と、人間の精神が一致をした瞬間を見た。

 

道端のゴミを拾うことで、大袈裟だが自分にも生きている意味が少しはあるのかなと思う。生きているだけでいい、存在しているだけで価値があると言う考え方も、わかる。だが、心の底では「良い働きをしたい」という切実な思いが、誰の中にもあるのだと思う。給料が発生するものだけが仕事ではなく、給料が発生しない仕事もある。給料以外のものが、目には見えないエネルギーが発生をしている仕事がある。関与をするって、そういうことなのかなと思う。見て見ぬ振りをするのではなく、自分から手を差し伸べること。他者に、世界に、自分に働きかけること。地味で、目立つことのない、規則正しい生活に救われた。祈りは、生活の中にあった。

 

君が無価値なら、全部無価値だ。

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愛媛県でM様にお会いした。生きていれば様々な出来事が起こる。家族の誰にも話せない出来事。とてもじゃないけれどブログには書けない出来事。まさか自分にこのような出来事が降りかかるとは思っても見なかった出来事。行く先々でそういった出来事を聞かせていただく機会がある。こういう時、完全なる外部である自分の存在意義を少しだけ感じる。明るく元気な人が常に幸福に恵まれているとは限らない。逆だ。彼らは、大変な出来事を経由してその明るさを獲得している。M様は笑いながら言った。坂爪さんに会えるならもっと痩せて綺麗なときに会えたらいいなって思っていたのだけれど、毎日が必死でそれどころではありませんでした。と。

 

普段は無口なはずなのに今日は喋り過ぎてしまったと反省をしたM様が「好きな人の前では一番可愛い自分でいたいのに、一番最悪な自分が出てしまう」と言った。その言葉が一番可愛いと思った。綺麗なものは相対的で、美しいものは絶対的だ。顔の造作が整っているとか、若くて肌に張りがあるとか、スタイルが良いとかではない。その人がその人であることそのものに美しさがある。その人がその人の命を燃やす姿そのものに美しさがある。人間の本質は比較では語れない。本当の魅力は誰とも比べることができない。M様の息子様は、学校の成績があまりよくないらしい。ただ、息子が一生懸命勉強する姿に母として毎日心を打たれていると話した。テストの点数で人生が決まる訳じゃない。点数の横にある、自分の名前をどれだけ信じられるかで人生は決まる。テストは0点でも、自分の名前は間違っていない。

 

M様は、辛い時には映画を見る。好きな映画は仁義なき戦いで、映画を見ながら鍋を囲むことを任侠鍋と呼んでいた。最近『ザ・ピーナッツパター・ファルコン』という映画を見た。孤児でダウン症の少年が悪役レスラーに憧れて、施設を脱走して英雄に会いに行くロードムービーだ。悪役レスラーは、少年に「疑いは弱さだ。自分を信じろ。ワルになれ。ただのワルじゃない。超絶ワルを目指せ」と言う。その言葉に衝撃を受けた少年は施設を脱走するのだが、仁義なき戦いにもこの映画にもお手本になるような優等生は一人も出てこない。ただ、彼らが自分の思いに真っ直ぐに従って生きるその姿から、善悪を超えた力を貰う。少年が施設を脱走する際、一人の老人が鉄格子を押し広げて少年の脱走を手助けする。少年を見送る時、老人は「気を付けろ」とか「元気でな」みたいな言葉を、一切言わない。その代わりに「ぶちかませ」とだけ一言伝え、憧れに向かって走り出す少年の背中を見送った。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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