いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

明日も生きていると思うなよ。

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岡山在住の方から連絡が届いた。文面から「これはすぐに行かないと大変だ」と思い、愛媛から岡山に行ける最短ルートを探した。先日お会いしたT様に私を尾道まで送ってくださいとお願いしたら快諾していただいた。T様は男前だ。ベンツをかっ飛ばして最高速度でぶっ飛ばした。昨日のしまなみ海道は横風が強く車体をもっていかれそうになった。それでもT様はかっ飛ばした。最高速度でかっ飛ばした。

 

おおまかなスケジュール

12月2日(木)神戸

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

出す。

電車を乗り継ぎ岡山の山間部に着いた。H様が車で来る。精神的にギリギリだと話すH様は最近友達を自殺で亡くした。何が苦しいのかわからないがとにかく苦しくなることがあり、呼吸ができず、胸が圧迫される。車内でH様は言った。仕事をしているが職場が合わず時折立っていられないほど疲れることがある。かと言って職場を変えれば済む問題だとは思えず、自分が変わるしかないことはわかっているのだが誰に何を話してもアドバイスをされるだけで本当の話をできている実感がない。こうすればいいよと散々言われるがそんなことはもうとっくに試している。だけど言い返す気力が自分にはないから結局一人になる。気力がなければお金があっても生きていけない。人間が嫌いだけど、どこに行っても人間はいる。だけど一人も嫌だ。一人はさみしい。私は本当の話がしたくて坂爪さんを呼んだのだと思う。

 

飲食店に到着した。H様は言った。食事をしていたら落ち着いてきた。不思議と胸の圧迫もない。坂爪さんがそのままだから自分もそのままでいられるのかもしれない。五年前に一度お会いした時はミーハーな気持ちが強かったが、いまは自分が本当に苦しい状態に置かれているからこそ言葉が刺さる。自分がギリギリだからこそギリギリを生きている人に会いたかったのかもしれない。自分のわがままでこんな僻地まで来てもらうことには気が引けたが、勇気を出して声をかけてよかった。食事をしながらH様はそんなことを話した。その後、会話の内容が徐々に私の気を使う方向に向かった。四国はどうでしたか。お疲れではないですか。そんなことを聞かれて違和感を覚えた私は「遠慮をしないでください」と言った。そんな話をするために私はここに来たわけではないし、私をここに呼んだわけではないと思った。長時間の移動をしたら疲れるのは当たり前だ。疲れなんてどうでもいい。どれだけ疲れ(させ)たとしてもそれでも話したかったことがあったはずだろうと思った。

 

そう言うと、意を決したH様は「そうですよね。私は、どこにいても相手の顔色を伺ってしまう悪い癖があります。だけど、自分で呼び出しておいて気を使っても仕方がないですよね。それでは、勇気を出して全部出します」と言って、自分の思いを吐き出した。私は黙って話を聞いた。途中何度か頷く程度で、何も言葉を挟まなかった。挟む余地はないし、挟む必要性も特になかった。何度も何度もH様は泣いた。人前でこんなに泣くのははじめてだと言った。だが、泣き終えた後にH様は印象的なことを言った。坂爪さんを通じて、私は、私に、話を聞いてもらいたかっただけなのかもしれない。自分でも不思議なくらい涙が出た。話しながら私はこんなに本音を押し殺して生きているのかと思ってびっくりした。だけど、出したいだけ出したら元気が出た。なんだか楽しくなってきました。そう言ってH様は笑った。

 

明日も生きていると思うなよ。

H様は言った。「これまでヒーリング系のセラピーに何度か通ったことがあるがこれだけ泣けたことは一度もない。先生や仲間から周囲を信頼して安心して泣いてと言われるが、常にどこかで本当かよと疑い続けていた。周囲に煽られて怒りや悲しみを出すこともあるのだが、爽快感よりも不快感の方が最後に残って気分が悪かった。だけど今はさっぱりしている。坂爪さんはセラピストに向いていますよ」と。セラピストなんて死んでもなりたくない、ただ、セラピーや怪しい講座に多額の金を払う暇があったらそのお金で俺と一緒に遊んでくれと思うことはある、場合によっては高額なセミナーより効き目はあると思います、そういうことを私は言った。

 

翌日、仕事をズル休みしたH様が岡山駅まで送ってくれた。H様の逸話が愉快だった。「昔から坂爪さんのブログは読んでいたのですがパートナーがこんなものを読んだら勤労意欲を失うとか言って読むことを禁止したのです。だから私はトイレでこっそり隠れて読み続けて、トイレを出るときに履歴を消していました。私みたいな隠れ読者はたくさんいると思いますよ」と。隠れキリシタンみたいでいいなと思った。いばや通信を読むと迫害をされるのか、迫害された人がいばや通信を読むのか、順序は謎だが迫害は好きだ。迫害と言えば坂爪さん、ということでH様は過去の体験談を話した。タントリックヒーリングという子宮を温めるセラピーを男性施術者から受けたことがあるのですが、施術の過程で抱き合うプロセスがあって、その時に思わず男性の頭を撫でてしまったのです。そしたら相手の男の人が「なんだか母性を感じました」とか言って、妻子があるのに私のことを好きになってしまって、何度も何度もLINEが来るようになったのです。これってどう思いますか。と。

 

自分が女だったら母性を感じたとか言われても微妙だなと思う気がするのですが実際はどうですかと尋ねたら、H様は「あなたにとって私が癒しになったらそれはよかったですねとは思いましたが、いまこの瞬間からあなたを男としては見ることができなくなりました、とは思いました」と言った。私は、オスのカマキリを思い出していた。オスのカマキリは最終的にメスのカマキリに喰われる。メスに喰われる部分だけを切り取るとあまりにも残酷だが、日常的にメスが引き受けている苦しさや大変さが半端ではないために、オスは自分が喰われる痛みを引き受けることによってはじめてメスと対等になれるのかもしれないと思った。オスのカマキリは、メスに喰われながら「これでようやくあなたと並ぶことができました」と思っているのかもしれない。そういうことを話したら、H様は「女として、なんだか報われる気がします」と笑った。笑いながらなんだかまた元気が出てきたみたいで、非常に危険な車の走らせ方をした。非常に危険な車の走らせ方をしますねと私が突っ込むと、楽しそうに笑うH様が「坂爪さんとなら死んでもいいと思っています」と言った。私は「俺は嫌です」と言った。H様は笑った。空はめちゃめちゃ晴れていた。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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愛ならばある。見捨てられることはない。

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幸せになると幸せじゃなくなる。満ち足りてしまうと、もう、生きていなくていいという感覚になる。幸せとは、届かなくてもいいから、何かに手を伸ばしている状態なのではないだろうか。冒険家は、宝物を手にしたから幸せなのではなく、宝物を目指しているから幸せなのではないだろうか。宝物を手にして何もしてない状態は、生きていない。幸せになることは、死ぬことと同じ。恋と冒険は、似ている。

 

おおまかなスケジュール

12月1日(水)岡山

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

恋と冒険。

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愛媛県松山市でお会いしたT様が車で内子町まで運んでくれた。ブログに書けない話をたくさん聞いたが、T様は過去に飛田で娼婦をやっていた。赤線という言葉を初めて知ったが、半ば公認で売春が行われていた地域がある。ソープランドは本番NGだが、赤線は本番しかない。且つ、ソープよりも料金が安い。昔からNOと言うことを苦手としていたT様は、本番しかないことに駆け引きのなさを感じて、生活のためというよりは自分のために飛び込んだ。二年間勤めたある日、あ、このままだと私は死ななければならなくなるけど死にたくはないと思って、仕事を辞めた。

 

T様おすすめの焼肉屋で晩飯をご馳走になった。様々なことを話したがさみしさがテーマに出た。T様は言った。私の語彙ではさみしさとしか言えない感覚が自分の中にずっとある。さみしさの原因は人恋しさにあると思っていたが、人に会うほどさみしさは増える。言語が違う世界に一人だけ放り出された感覚に近い。坂爪さんにはさみしさはありますか。と。私にもある。だが、器用に説明することができない。昨日、晴れた日の早朝に街中を歩きながら「ああ、さみしいなあ」と感じた瞬間のさみしさは、透明なさみしさだった。さみしいのだが、さみしさが綺麗なものとして感じられた。克服する対象ではなく、空から降る雪の結晶のように感じた。

 

愛媛県内子町でN様と合流し、T様と別れた。時系列は前後するが、お世話になったT様に何かお礼をさせてくださいと伝えたら、T様は「お礼は結構です。リクエストとしては、その分をこどもが喜ぶことに使ってください」と言われた。よし。わかった。ちょうど会いたかった少年がいたのだという旨をT様に伝えると、想像していた以上にT様は喜んでくれた。「会いに行くって、めちゃめちゃ意味のあることですね!生きているって、いいですね!なぜか私が思わず喜びました!」と。会いに行くこと。ものを運ぶこと。思いを届けること。それは意味のある行為だ。

 

愛ならばある。見捨てられることはない。

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愛媛県内子町でお会いしたN様は過去にお父様を自殺で亡くしている。悲しい出来事だが、いまでもN様の中で輝いた記憶として残っている父の姿がある。それは、海に潜っていた時の父と、山を登っていた時の父だ。獲物を仕留めて喜ぶ父、山の歩き方を教えてくれる父は、自分の好きなことをやっているという喜びに包まれていた。その姿を見せてくれたことが一番の贈り物だった。N様はそういうことを話してくれて、私は、父性とはどういうものなのだろうかということを感じていた。

 

努力という言葉がある。努力をした人間は偉く、努力をしていない人間は怠けているとする尺度がある。しかし、自分の好きなことをやっている人間が「海に潜る努力をした」とか「山菜を獲る努力をした」とは言わない。自分がやりたいと思うことを、ただ、やっただけだ。努力なんてない。側から見たら努力をしている風に見えるのかもしれないが、ただ、やりたいと思うことをやっただけだ。努力という言葉には、本当はやりたくないことを頑張ってやったというニュアンスがある。だから、当然そこには「これだけ苦労をした自分を認めて欲しい」という色合いが帯びる。だが、海に潜る父の姿が、山に登る父の姿が、N様に伝えたことは努力の大事さではないと思う。それは、生きていることの喜びだ。好きなことをやる喜びだ。

 

自分探しという言葉がある。私は、ずっとこの言葉を嫌悪していた。自分なんかずっとここにあるのだから、探す必要なんてないじゃないか。ただ、自分が感じることを真っ直ぐに受け止めればそれでいいのだと思っていた。だが、自分を探すという行為ほど、尊いものはないのではないだろうか。訳知り顔で答えを語るより、私は、大事なものを必死で探している人間が好きだ。周囲から「そんなことをしても意味がない」と嘲笑されても、探すことをやめられない人間が好きだ。届かないかもしれなくても、それでも手を伸ばし続けている人間が好きだ。苦しみの中を生きる時、私たちは、少しでも早くこの苦しみから自由になりたいと願う。光を願う。だが、遠く離れて見た時、闇の中を生きる姿そのものが、光だったことがわかる。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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君が無価値なら、全部無価値だ。

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香川を経由して愛媛にいる。朝日を浴びる習慣に自分自身が救われている。まだ、誰にも汚されていない空気の中を歩くと「昨日までの全部はリセット!新しい一日を始めよう!」という気持ちになる。初めて訪れる土地でも、散歩をすることで環境に体が馴染む。道中、通学途中の学生に怪訝な目をされながらゴミ拾いなどをすると更に馴染む。無関係だった場所が、ゴミ拾いをすることで自分と関係を持つ。

 

おおまかなスケジュール

11月29日(月)愛媛

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

生活と祈り。

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特別な出来事や劇的な変化はなくても、規則正しい生活が自分を救うことがある。数年前、エネルギーを持て余した私は横浜〜長崎〜広島を折り畳み自転車で移動した。長距離を移動すれば何か変わるかなと思ったが、達成した瞬間の感慨は特になかった。だが、旅の過程で刻まれた記憶がある。岡山と広島の県境にある民家にある日一泊お世話になった。農家を営むその家では、日の出と同時に畑に出る。朝日を浴びるために外に出た時、作業着に着替えたおばあちゃんが太陽を拝んでいた。

 

掌を合わせ、小さな声で囁きながら、最後にゆっくりと丁寧なお辞儀をした。誰かが見ているからやっていることではなく、毎日、毎日、おばあちゃんはこうして昇る朝日に手を合わせていることが窺い知れる、静かな祈りだった。その声に耳を傾けると、おばあちゃんが「お天道様」とか「ありがたい」と言っていることがわかり、私はその場を動けなくなった。いま、自分の目の前でものすごい美が立ち現れようとしている。そう思ったら、朝日に負けずとも劣らない美しい自然を目の前にしている気がして、その場を動けなくなったのだ。琴線に触れるとはこういうことを言うのだなと思った。祈ると言う形式と、人間の精神が一致をした瞬間を見た。

 

道端のゴミを拾うことで、大袈裟だが自分にも生きている意味が少しはあるのかなと思う。生きているだけでいい、存在しているだけで価値があると言う考え方も、わかる。だが、心の底では「良い働きをしたい」という切実な思いが、誰の中にもあるのだと思う。給料が発生するものだけが仕事ではなく、給料が発生しない仕事もある。給料以外のものが、目には見えないエネルギーが発生をしている仕事がある。関与をするって、そういうことなのかなと思う。見て見ぬ振りをするのではなく、自分から手を差し伸べること。他者に、世界に、自分に働きかけること。地味で、目立つことのない、規則正しい生活に救われた。祈りは、生活の中にあった。

 

君が無価値なら、全部無価値だ。

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愛媛県でM様にお会いした。生きていれば様々な出来事が起こる。家族の誰にも話せない出来事。とてもじゃないけれどブログには書けない出来事。まさか自分にこのような出来事が降りかかるとは思っても見なかった出来事。行く先々でそういった出来事を聞かせていただく機会がある。こういう時、完全なる外部である自分の存在意義を少しだけ感じる。明るく元気な人が常に幸福に恵まれているとは限らない。逆だ。彼らは、大変な出来事を経由してその明るさを獲得している。M様は笑いながら言った。坂爪さんに会えるならもっと痩せて綺麗なときに会えたらいいなって思っていたのだけれど、毎日が必死でそれどころではありませんでした。と。

 

普段は無口なはずなのに今日は喋り過ぎてしまったと反省をしたM様が「好きな人の前では一番可愛い自分でいたいのに、一番最悪な自分が出てしまう」と言った。その言葉が一番可愛いと思った。綺麗なものは相対的で、美しいものは絶対的だ。顔の造作が整っているとか、若くて肌に張りがあるとか、スタイルが良いとかではない。その人がその人であることそのものに美しさがある。その人がその人の命を燃やす姿そのものに美しさがある。人間の本質は比較では語れない。本当の魅力は誰とも比べることができない。M様の息子様は、学校の成績があまりよくないらしい。ただ、息子が一生懸命勉強する姿に母として毎日心を打たれていると話した。テストの点数で人生が決まる訳じゃない。点数の横にある、自分の名前をどれだけ信じられるかで人生は決まる。テストは0点でも、自分の名前は間違っていない。

 

M様は、辛い時には映画を見る。好きな映画は仁義なき戦いで、映画を見ながら鍋を囲むことを任侠鍋と呼んでいた。最近『ザ・ピーナッツパター・ファルコン』という映画を見た。孤児でダウン症の少年が悪役レスラーに憧れて、施設を脱走して英雄に会いに行くロードムービーだ。悪役レスラーは、少年に「疑いは弱さだ。自分を信じろ。ワルになれ。ただのワルじゃない。超絶ワルを目指せ」と言う。その言葉に衝撃を受けた少年は施設を脱走するのだが、仁義なき戦いにもこの映画にもお手本になるような優等生は一人も出てこない。ただ、彼らが自分の思いに真っ直ぐに従って生きるその姿から、善悪を超えた力を貰う。少年が施設を脱走する際、一人の老人が鉄格子を押し広げて少年の脱走を手助けする。少年を見送る時、老人は「気を付けろ」とか「元気でな」みたいな言葉を、一切言わない。その代わりに「ぶちかませ」とだけ一言伝え、憧れに向かって走り出す少年の背中を見送った。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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魂の構造上、諦めることは不可能。

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岡山駅ドトールにいる。昨日の夜はさすがにやばくて精神的に追い詰められた。孤独について考えない夜はないが、昨夜は飲まれた。自殺する人には復讐の心理が働いていると聞くが、その心情を理解した。純粋な孤独は綺麗だが、疎外感を伴う孤独は破壊願望を生む。外に向く時は無差別殺人に、内に向く時は自傷になる。昨夜は「矢吹ジョーは、灰になる前に笑ったんだよな」と思うことで自分を保った。

 

おおまかなスケジュール

11月27日(土)岡山

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

矢吹ジョーは、灰になる前に笑ったんだよ。

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昨日は富栖の里にいた。日本唯一の坑道ラドン浴施設で、末期癌患者にも効果が期待できるらしい。受付で分厚い冊子を手渡されたが、そこにはずらっと利用者の声が書かれていた。ある日突然死を宣告された人々が、必死の思いで自分や誰かを助けるために奔走し、少しでも力になればと色々探し求めた結果この場所を知り、いまでは無事に歩けていると言う様な声が肉筆で書かれてある。肉筆の威力は凄い。一人ひとりの人生が込められている。当たり前だが、偉人や有名人だけが生きた訳ではない。彼らの肉筆から、偉人や有名人の言葉にも劣らない命の輝きを感じた。

 

富栖の里までは姫路在住の女性Y様が車で運んでくれた。Y様は極度の冷え性で、平熱は36度を下回ると言う。Y様は綺麗だが全体的に冷めた印象がある。私を車で運んでくださる親切心はあるのだが、優しさの中に冷たさがある。そんな気がするのだけどいかがですかと尋ねたら「よくわかりましたね」と笑った。Y様は言った。私は知らない場所に行く抵抗もないし一人飲みもするし行く先々で友達もできる。だけど、それは人に興味があるからではなく人に興味がないからだと思う。どうでもいいと思っているからできることで、これまで心が震えるほど何かに感動をしたことはもしかしたら一度もないかもしれない。そういうことをY様は話した。

 

Y様は近日中に離婚を予定している。旦那さんはまだそのことを知らない。姫路に嫁いで数年経ったが、旦那さんは自分が一番で少しでも不都合なことが起こるとすぐに怒る。怒った後は半年以上も会話にならないこともザラで、自分にも限界が来た。旦那さんはすぐに怒るから常に自分が旦那に合わせてきた。本当のことを言うと面倒臭くなるから、面倒臭いことになるなら自分が我慢すればいいと思って引いてきた。だけど、結局最後には「自分から離婚したいと告げなければいけない」っていう、一番面倒臭いことが待っているんですね。そういうことをY様は話した。

 

魂の構造上、諦めることは不可能。

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行くあてもなく放浪を続け、行く先々で出会う人生に触れている。この日々を旅と呼ぶのも恥ずかしいが、この旅に目的地はない。だが、目的はある。それは宝物を見つけることだ。宝物とは、極めて抽象的だが人智を超えたものだ。どこどこにあるなになにを探す旅路ではなく、必死に生き続けた結果舞い降りた奇跡を手にするまでの冒険。その宝物を手にしたときに「ああ、これのために俺はこの旅をしていたのか」と思えるような宝物。いまはまだ想像することもできないような、方位磁針もまったく反応しない、強いて言えば魂だけをナビゲーターにした、旅。冒険。移動。言葉はなんでもいい。自分の想像を超えるための旅だから、目的地はない。

 

宝物を見つけるまでは、帰らないと決めている。もともと帰る場所なんてないが、精神的に「戻らない。進み続ける」と決めている。死ぬほど悲しい代わりに死ぬほど嬉しい人生と、あんまり悲しくない代わりにあんまり嬉しくもない人生と、どっちがいい。そんなことを聞かれたら、やっぱり迷わず「前者だろ」と思う自分がいる。自分で決めた道だ。自分で引き受けた道だ。悲しみをぶっ飛ばすと言うよりは、悲しいままでぶっ飛ばす。孤独をぶっ飛ばすと言うよりは、孤独なままでぶっ飛ばす。生きる歓びを爆発させて逆流を往け。血の涙を流しながら、逆流を往け。

 

別れ際、相手の姿が見えなくなるまで見送る人と、そのままそそくさ立ち去る人がいる。贈り物を贈る時、モノだけを渡す人と、必ず手書きの言葉を添えて贈る人がいる。クリスマスの夜、サンタクロースの不在を嘆く人と、自分からサンタクロースになる人がいる。自分が人からされて嫌だったことを真似する人と、自分が人からされて嬉しかったことを真似する人がいる。やる人がいて、やらない人がいる。行く人がいて、行かない人がいる。色々な人がいるが、誰もが旅の途上だ。宝物を手にするまでは帰れない。ルールはひとつ。諦めないこと。魂の構造上、諦めることはできない。死ぬまで諦めないし、死んでも諦めない。不屈の魂がここにある。

 

坂爪さん、おはようございます✨

今日のブログ、ヒリヒリ来ました🔥

ちょうど
「生」を肯定すると思い直したところでした。

それでも
「生きてて良かった」
「産まれて良かった」
「生きることを肯定するのだ!!!」
死に逃げるな!
と。

感動のさらに奥へ
魂を震撼させて生きてゆく

魂を震撼させるからこそ
波紋が広がる

そんな生き方、
在り方で生きるのだと

思い直しましたよ🔥

坂爪さん、ありがとう❤️

ヒリヒリするような
圧倒的に生も死も飲み込んできたような存在感

直接お会いして
直接空気に触れることが出来たからです

存在がまさにプレゼントでpresent!
ありがとうございます😊

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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生きている間は、思い出にしないでくれ。

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京都で行き倒れた男(私)は、その日の昼に人生の勝者しか食べられないような懐石料理をご馳走になった。料亭の女将さんも私のブログを読んでくださっており、写真を一緒に撮ってくださいと頼まれて照れた。夜はひょんなきっかけからベンツを運転することになり、自分は豊かなのか豊かじゃないのかがわからなくなった。昨日は姫路駅で行き倒れた。京都で身体を鍛えたので、寒さには幾分強くなった。

 

おおまかなスケジュール

11月26日(金)姫路

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

悲しみの中にある光。

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人生初の懐石料理に度肝を抜かれた。金粉が乗った生の蟹をタレにつけてしゃぶった。日本酒もあった。酒とは無縁の日々を生きてきたが、ここ数日毎日酒を浴びている。食事の席で「坂爪さんは自分を追い込むことで言葉を紡いでいるのだと思うから、迂闊にホテルを取ってあげるとかすることは邪魔になると思ってできない」と言われた。これは本当にそう思う。自分も自分を持て余している。同じ場所にずっといると心が死ぬから飛び出すのだが、飛び出した先で肉体がボロボロになる。

 

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愛するムラキテルミさんは、数ヶ月前に不慮の事故で愛犬を亡くした。ムラキさんは有名な方だから、様々な人々から「元気を出してください」とか「あなたが楽しく生きることがペットにとっても一番いい」とか、励ましの言葉がたくさん届く。しかし、本当に深い悲しみに沈む時、そう言った言葉の一切は響かない。響かないばかりか邪魔になる。悲しみの奥にある光を掴む邪魔になる。明るさや楽しさ、嬉しさや面白さだけに歓びがあるのではなく、悲しみや苦しみの中にも歓びはある。悲しみの中にこそ愛がある。不在の形をした愛がある。その光を掴む邪魔になる。

 

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体が苦しさに悶える時、心は美しさを求めている。すべての美しいものは悲しみを内包している。それは、永遠にはそれを見ていることができないという悲しみだ。すべての瞬間に終わりがある。いつの日か傷つくことさえもできなくなる日が必ず来る。美しいものに触れた時、自分の中にある悲しみが肯定される。涙が出るのは失ったことに耐えられないからではなく、出会えたことが嬉しいからだ。確かに生きていた記憶があるからだ。全部、それでいいのだ。全部、そのままでいいのだ。

 

ameblo.jp

 

生きている間は、思い出にしないでくれ。

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連日の野宿で体がボロボロだと話したら「世界に四つしかないラドン温泉の最高峰が姫路の富栖にあるから、是非そこに行ってください」とご教示をいただいた。京都から新幹線に乗って姫路で降り、姫路在住の方三名と酒を飲んだ。また酒かと思ったが来るものは拒まない。驚いたことに、同席したカップルは実は不倫関係にあって男性側には妻も子供もいることが判明した。人を好きになることはとても素敵なことだと思うが、あまり幸せそうに見えなかった。女性が絶妙な質問をすると、男性は即座に濁す。濁せば濁すほど、どちらとも不幸になっているように見えた。

 

大事なことほど曖昧にしたまま生きている人々は多いのだなと思った。初対面の男性から「あなたは自由でいいですね。かっこいいですよ。僕も仕事をやめて東京に行きたい」と言われた。行けばいいのにと思った。口先だけになると存在がダサくなる。男は、言っていることではなくやっていることが全部だと思う。そこを女は一発で見抜く。だから、女から「男は卑怯だ」と言われるのだと思う。そして、誰も本当のことを言わなくなる。本当のことを言わないほうがうまくいくからと思い込み、結局不本意な毎日を生きるようになる。常に、誰かのせいにしながら。常に、自分の可能性を潰しながら。常に、誰かの人生に嫉妬をしながら。まるで永遠に生きていられるような態度で。人は必ず死ぬということを忘れたような態度で。

 

別れ際、姫路の方に言われた。知らない土地であなたが野垂れ死ぬのは勝手だが、自分の地元で死なれるのは困る。今日は絶対に宿をとってくれ。なんなら自分がお金を出すから、と。私は「安心してください。大丈夫です」と笑った。時折、目の前で自分の手首をかっ切ってやろうかと思うことがある。噴き出す血を目の前にかざしながら「これが生きるってことなんだよ。生きているって、こういうことなんだよ」と突き付けたくなる。俺たちの体は生きていて、傷をつければ血が噴き出すし、この瞬間も身体中を赤い血液が流れ続けているんだよ。炎のように。生々しさを突きつけるために、自分の存在をボロボロに仕立て上げているのかもしれない。

 

こんにちは!

ブログ読んでたら気づきました!
私は、何かに襟首つかまれて、ホラ行ってこい!!っと坂爪さんの前に座らせられたような気がしていたけど、、。

ほんとは謙虚なフリして、自分が変わりたいから坂爪さんを前に座らせていた強欲な人だったんだと!!

すぐに一気には変われないけれど、あれからも少しずつ意識が変化しています。
純次さん(前々回の記事参照)のおかげです。

たくさんの素晴らしい出会いがありますように😌

坂爪さんに幸あれ!!

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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死ぬまでお前の味方だし、死んでもお前の味方だよ。

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あんまりこういうことを書きすぎるのもどうかと思うが、また行き倒れた。今度は教会で行き倒れた。酒を飲み過ぎてしまって、想像以上に真っ直ぐ歩けなかった。一度座ったら最後だった。目が覚めてよかった。全然酒が抜け切れていないが、昼前から貴船で開催されるフォーマルな集まりに呼ばれている。全員で蟹を食うらしい。前日の宿が教会の庭だと悟られない程度には、シュッとしなければならない。

 

おおまかなスケジュール

11月25日(木)京都

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

必死に生きた証。

勝手に友達と呼ぶが、札幌に暮らす女性の友達がいる。彼女とは、数年前に本を手売りしていた時に連絡をもらい、北海道神宮で出会った。彼女の手首には無数のリストカットの痕がある。傷を隠したがる人もいるが、彼女は「私が必死に生きてきた証だと思うから」と言って、特段隠そうとはしない。ただ、傷口を見ることを嫌がる人もいるから、そういう時は隠すようにしていると言った。彼女は数年間引きこもりのような生活をしているが、時折、電話をくれる。この前も少し話した。坂爪さんは、最長、どれくらいお風呂に入らなかったことはありますかと聞かれた。

 

砂漠を横断したときには入れなかったから一週間程度ですと答えたら、彼女は「私は六ヶ月です」と言った。鬱症状が強く出ると、皿洗いやゴミ捨てはおろか風呂に入ることなどといった生活全般が不可能になる。だけど最近はお風呂に入れたんですよ。久し振りに入るお風呂は入浴と言うよりも作業です。自分の体をせっせとこするからものすごい疲れます。だけど、やっぱり気持ち良さもあります。二ヶ月ぶりに洗濯をすることもできました。そして、自分でもびっくりしたのですが一年ぶりに美容室に行くこともできました。特別何かがあって動き出せた訳でもないのですが、突然動き出せる時があります。そういうことを彼女は話し、私は「それはすごいですね。普段はどんな食事をされているのですか?」みたいなことを尋ねる。

 

彼女は「朝はおにぎり、昼はパン、夜はカップラーメンです」と言う。私は「絵に描いたようにダメじゃないですか」と笑う。彼女も笑う。私にも鬱病の経験があるが、鬱病の時でも人間は笑うことができる。当時、同時期に鬱病になった友達と結構頻繁に電話をした。自分がいかにダメな存在かを語りながら、私たちは声をあげて笑った。電話を切った後は再びダークサイドに戻るのだが、鬱病だろうが笑うことはできる。私は奇跡的に鬱病を克服(詳細は下記リンクに譲る)し、リストカットもしていない。ただ、一日おきに行き倒れるような暮らしは、リストカットと同じだと思う。生きていることを確認するために、自分を傷付けずにはいられないことがある。彼女は「この傷は、私が必死に生きてきた証だと思うから」と言った。

 

ibaya.hatenablog.com

 

死ぬまでお前の味方だし、死んでもお前の味方だよ。

昨日の夜、酒を飲みながら思ったことを忘れたくない。よく、あなたのダメなところも含めて好きだよみたいな言葉を聞くが、あれは嘘だと思う。本当に好きならダメとかない。ダメな所も魅力だし、ダメなまんまで大好きだ。本当に好きなら怠惰でも無職でも病気でも体型が変わっても火傷で顔が別人になったとしても好きだ。太っても好きだし、落ちぶれても好きだし、臭くなっても好きだ。自分が好きならば、周りがどう言おうがマジで関係のないことだ。相手が怠惰を治したいと思うなら「よし、俺も毎日一万歩歩きたいと思っているから一緒に歩こう」とは思う。だが、それは相手の怠惰を否定したいからでは全然ない。ただ、一緒によくなっていきたい。一緒に楽しみたい。一緒に時を共有したい。そういう思いがあるだけだ。

 

バカになりたい。バカなくらいに応援をするバカになりたい。相手が引くくらい、うるさいからちょっと黙っててと言われるくらい、あなたのことを応援したい。応援と言うか「すごい!すごい!お前はすごい!」と言い続けたい。「いいぞ!いいぞ!お前はいいぞ!」と言い続けたい。本人以上にその人を見て、全面的な信頼の上で大絶賛したい。祝福のシャワーを浴びせたい。最初は全然引かれてもいい。ただ、10年後、20年後、なんだかよくわからないけれどバカみたいに応援し続けてくれた人がいたなと記憶が蘇った時、少しでも明るい気持ちになれるようなバカになりたい。諦めさせない。絶対に諦めさせない。暑苦しいかもしれないが、それが生きるということだ。諦めのドアをこじ開ける。永遠に諦めないし、諦めさせない。

 

死ぬまで応援しているし、死んで後も応援している。死ぬまでお前の味方だし、死んでもお前の味方だよ。だから、だからじゃないけど、生きてくれ。お前は俺のように生きられないと言うけれど、俺はお前のようには生きられない。誰もが、代わりの効かない人生を生きている。誰かみたいになろうとするよりも、自分が歩いた人生を、自分しか生きることのなかった人生を、見せ合って、触れ合って、世界を広げていけばいい。世界も場所も人間関係も、決して閉じられているものではなくて、自分の手で、自分の足で、自分の心で、自由に拡げて行くことができる。死ぬまで応援しているし、死んで後も応援している。死ぬまでお前の味方だし、死んでもお前の味方だよ。そんなことを思っていた時、横浜からLINEでギフトが届いた。ドトールの無料チケットをいただいたのだが、そこにはこんな風に書かれていた。

 

圭吾さんお元気ですか?

最近私はどんな仕事をしたいか?なにになりたいか?より
どんな自分になりたいか?どんな世界を生きたいか??に基準をおくことが多くなりました。


どんな自分でいたいか?の方がしっくりきます。


いたい自分でいられるために、例えば仕事やなにかを選んだりすると、学びきったら卒業していけばいいし、まだまだ学べるなら努力するしって、自分で決めていけて、
少なくとも
仕事やなにかの
奴隷とかみたいな
考えがなくなりました!


結果お金持ちになったり
人の役に立てたりしたら
ラッキー🍀とは
思いますが
それは結果どうなるか
わからないから
天に任せて
ひたすら自分道を極めて行こうと思います!!!


そんな近況です!
安心して
横浜の治安はおまかせいただき、よい旅を🌟

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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誰かに好かれようと思うな。

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強くこの世にあり続けるには、血を流しながら笑うしかない。連泊禁止令を出し、京都の家を飛び出した。気を張って生きていないと簡単に世の中に負ける。食らいつかないと、食らいついていかないとダメになる。命を燃やしていかないと、誰かに燃やしてもらうのを待たないで、自分から燃やしていかないとダメになる。毎日もう嫌だと思う自分に「嫌じゃない!」と切り返すだけの力が、連日必要になる。

 

おおまかなスケジュール

11月24日(水)京都

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

諦めのドアをこじ開ける。

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貰ったリンゴを齧りながら歩く。食らいついていかないと、と思った時は文字通り食らいつくに限る。会う人から「痩せていますね。ちゃんと食べていますか」と聞かれまくるが、ちゃんと食べれていたらこんな人生にはなっていない。別れ際に握手をすることが多いが、女性に冷え性が多すぎると思う。冷え性は半身浴とか運動だけでは治らない。冷え性の原因は心の冷えだ。女性の場合、男性に対する諦めが冷えを生む。冷え性は筋腫を作る。最悪の場合は女性としての機能を失う。原因は何だろうか。私は「父性の欠如が、女性の冷え性を生んだ」という仮説を立てた。

 

超偏見だが、冷え性の人は視聴率が低い。周囲に丁寧な気配りができたり控えめで優しい人が多いが、他者を優先し過ぎるあまり自分が置き去りにされている。自分から周囲を見つめるまなざしはあるが、他者から「ちゃんと自分を見てもらえている」という実感は薄い。そして、そのことを諦めている。誰かに期待して傷付いたりガッカリするくらいなら、最初から期待しない方が楽だと言う諦めがある。私はそこをぶち破りたいと思う。そこをぶち破るものが高田純次的な父性だ。相手の懐に土足で入り込むことと強引に入り込むことは別物だ。品位を保ちながら、同時に土足で入り込む。諦めのドアをこじ開ける。それが父性だ。日本で父性を感じることは滅多にない。だから、おばさんみたいな男や、おじさんみたいな女が増えた。

 

自信には二種類あると思う。自分の力で獲得する自信と、外からの力で与えられる自信だ。自分を愛するとか自分を満たすなどはよく聞く言葉だが、それだけでは足りない。外側から与えられる「ちゃんと自分を見てもらえている」という実感がなければ、真の自信は築かれないと思う。別に有名になるとかそういう話ではない。ただ、自分を出すということだ。冷え性の人は優しい。だが、その優しさは戦略的で表面的で防衛的で、狡い。周囲に合わせている限り自分を出さないでいられる。優しいのだが、冷たいのだ。深く関わることを避けるために、優しさを利用しているのだ。そして、自分を出すことを諦めるようになり、生命の半分が冷却をする。

 

誰かに好かれようと思うな。

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と言うわけで毎日宿がないので誰か私を泊めてください。連泊はしません。連泊をしたら邪魔になると思いますが、一泊だけなら非日常を楽しんでいただけるのではないかと睨んでおります。昨日お会いしたM様から「奥さんのダメ出しをめちゃめちゃする男性がいるのですがどう思いますか?お前は発達障害だとか言って罵倒する癖に、別れることはしないのです」と相談(?)を受けた。これはもう完全に男の問題だ。嫌ならとっとと別れるか、自分の頭をハンマーでかち割るしかない。発達障害などと罵ることは言語道断、そこを好きになったんとちゃうんかい案件だ。

 

自分はこれだけ尽くしてきたのに報われない的な嘆きは聞き飽きた。やりたいからやっていますと言えない行為は全部欺瞞だ。行き過ぎた母性は沼になる。ありのままでいいとか生きているだけでいいとか、存在の肯定は確かに大事だ。しかし、愛と甘やかしは紙一重。どこかのタイミングで「自分でやれ」と相手をぶっ飛ばす必要がある。世界は母性に溢れている。次は父性だ。諦めのドアをこじ開ける。品位を保ちながら、相手の懐に土足で入り込む。要するにセンスだ。父性のセンスを磨くのだ。センスを磨く一番の方法は失敗することだ。最初はみんなダサい服を着ていた。失敗を重ねることで、醜態を晒すことで自分に似合う様式が見つかるのだ。

 

M様は言った。昔はお金もなくて出張の時もホテルじゃなくて漫画喫茶やカラオケで寝ていた。物凄い狭い個室に椅子を並べてどうにか横になるのだけど、目覚めた時は身体中バキバキになっていた。そんな状態で仕事をしていたのだけれど、そっちの方が苦しいけれど幸せだった、と。そっちの方が苦しいけれど幸せだった。苦しいけれど幸せなのは、やりたいことをやっていたからだと思う。その瞬間、確かに生きていたからだと思う。やってる人を見ると、よし、俺もやろうと思う。生きる力が感染して、損得勘定を超えて自分の『生きたい』に殉死することができる。M様は続けた。男の人は、女の人を楽しませようとしたり笑わせようとしたりすることが大きな力になると思います。そういった思いが男の人の魅力になり、それこそ父性になるような気がします、と。自分に捕まると力を奪われる感覚に陥るが、誰かを楽しませたり、目の前の人間を全力で笑わせようと思うと元気になる。今日は誰を楽しませようか。今日は誰を喜ばせようか。そう考えた時点でこちらが元気になっている。強くこの世にあり続けるには、血を流しながら笑うしかないのだ。

 

坂爪くん、おはよう
昨日はありがとう。

金閣寺でゆっくり温まって眠れたかな?


めいっぱいの父性に
安心して委ねて甘えて
味わわせていただいた気がします。
表し方が下手くそだし、
途中緊張したりとか、ロッキンチェアの曲で泣いたりとかいろいろありましたが、ありがとう。


声に安心する、ってあるなぁ。


京都に坂爪くんがいるのは安心する朝です🌞

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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心が失くしたものを嘆く時、魂は得たものを喜んでいる。

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京都で行き倒れて、間違って公園で寝てしまった。宿が決まっていない状態で呼ばれた飲み会に行き、全員酔っぱらった状態で解散となり、各自家に帰る中私だけ行く場所もなくふらふら街中を歩いていたら横になりたい気持ちに襲われ「ああ、こうやって人は死ぬんだな」とか思いながら寝てしまった。毎年、寒い地域で酔っ払いが凍死をする事故があとを絶たない理由がよくわかった。目が覚めてよかった。

 

おおまかなスケジュール

11月23日(火)京都

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

嘘に負けるな。

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酒の席は不思議だ。楽しくて虚しい。酒の場でしか話せない人間もいるし、酔っぱらった自分と素面の自分を切り分けて考える人間も多い。私は、酔っぱらった自分も素面の自分の延長だと考えたい人間だ。だから、酔っぱらった時に話したことを忘れたり「あれはあの場限定の話だから」とか言われると、だったらお前と同じ時間を過ごさなくてもいいと感じる。昨日一緒に飲んだ人はやたら饒舌だった。明るいし元気だし溌剌としているのだが、きっとこの人はものすごいさみしいのだろうなと思った。さみしい自分を忘れるために、酒を飲んでいるのだろうなと思った。

 

ここ数日「死」の話を連続で聞いた。私と同じ歳の女性Y様は、同じ会社で働くパートナーを今年の春に病気で失った。昨日まで普通に話していた相手が、ある日、いつも通り出社をしたら会議中に突然倒れてそのまま亡き人になってしまった。相手の男性には家庭があった。だから、世間的には不倫相手ということになる。不倫相手の死をおおっぴらに悲しむことは難しい。葬儀が行われても、必要以上に悲しむ姿を見せると周囲に怪しまれてしまうため、深い悲しみを覆い隠すように冷静を装った。だが、心はいまにも崩れ落ちそうなほどに疲弊をしていた。誰にも相談できない。誰にも自分の気持ちを打ち明けることができない。時期を同じくして、父親も突然病気で倒れて亡くなった。自分のことでも精一杯なのに、葬儀の手配や相続の問題などが山積みになり、Y様はギリギリの精神状態で生きていた。よく鬱病にならなかったなって思いますと笑うY様を見て、色々な気持ちになった。こんなことを言うのは不謹慎かもしれないが「失ったのではなく、得たのだ」と思った。

 

札幌在住の方から連絡が届いた。前に書かれていた捨て子の男性の記事を読み、私も子供の頃そんな気持ちになって眠りについた記憶が蘇りました。就寝前に親に邪険に扱われたことが原因かと思いますが、寂しくただ泣きながら寝るという記憶だけが深く残っている幼い頃の自分が今私に会いに来ました。こういうのってインナーチャイルドって言うのかな・・・親子関係って根深いですね。今年、父が亡くなり生きてる母も口をきかない状態で施設にいます。と。親子関係は根源的だが、さらに根元の命があると思う。その光を見ることができたらいいとは思うが、言うのは簡単だ。心が失くしたものを嘆いている時、魂は手に入れたものを喜んでいる。愛するひととの別離ほど苦しいことはないが、自分にとって大事な存在は、大事な『何か』を自分に残している。残された者の使命は、それを繋いで行くことだと思う。大事な存在から受け取ってきた光を、自分の命に宿らせていくことだと思う。

 

心が失くしたものを嘆く時、魂は得たものを喜んでいる。

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T様から借りた車で宇治の平等院に足を運んだ。平等院と言えば十円玉のイメージしかなかったが、想像を絶してよかった。極楽浄土をイメージして作られた内装の壮麗さは尋常ではなく、人間の凄さを目の当たりにした。宗教については詳しくないが、雲に乗った神々(?)が縦横無尽に周囲を飛び交っていた。古来の人々は、死んだ後の世界に慰めを求めて「死んだら彼らが迎えにきてくれる」と想像をしていたのかもしれない。千年という時間の流れを経た作品とは思えないほど、現代を生きる自分の心に鮮烈に響いた。なんだか賑やかで楽しくて、死んだ後も彼らが迎えにきてくれるのならば何も恐れることはないじゃないかと言う気持ちになった。

 

軽い二日酔いと強烈な寒気で目を覚まし、暗澹たる気分で一日のはじまりを迎えた今日だが、雲に乗った大仏様を思い出したら元気が出た。「体を酷使してこそ我が人生」と思い直し、金閣寺に行きたいと話していたM様に連絡をした。8時前に金閣寺で合流することが決まった途端に元気になり、実際に動き出すことの威力を感じた。一時間前行動で金閣寺に先入りしたら参拝時間は9時からだと言うことが判明してしっかり凹んだが、駐車場で日を浴びていたら徐々に回復した。と、そのタイミングで一通の連絡が届いた。そこには「金閣寺近くに使っていないマンションの一室があるので、必要でしたら自由に使ってください」という猛烈にありがたい連絡が届いた。即座に鍵を受け取る流れが発生し、ああ、昨日行き倒れてよかったなあと思った。行き倒れたからこそ屋根や壁のありがたみが染みる。蛇口をひねると湯が出ることのありがたみが、平らな地面で眠れることのありがたみが染みる。

 

昔からちゃんとしなければという思いが強く、子供が生まれてからも自分は親としてちゃんとやれているのか不安だと話す女性S様とお会いした。私は、ちゃんとしていなくていいから楽しそうに生きていた方が子供も嬉しいんじゃないかなと思った。成長してからやろうとか、自分がまともになってからやろうとか、準備をしている間にあっという間に人生は終わる。人生は短い。秋は儚さが浮き彫りになる。この瞬間も終わり続けている。成長や成功を目指すことも面白いが、いま、この瞬間を生きていることを共に喜べたら、他には何も要らないのではないだろうか。数日前、飲食店で落ち合う予定だったC様が事故に遭って救急車で運ばれた。幸い命に別状はないが、今年一杯入院することになったと連絡が届いた。本当に、本当にもう、いつ何が起こるのかはわからない。今日生きている人が、明日も生きているとは限らないのだ。最後にはお迎えが来る。思う通りに生きればいいのだと思う。

 

圭吾さん


お花を🌸お店に届けて下さいましたか?


お店の○○さんが男の方がと言うのでどなたかわからないのですが、私は勝手に圭吾さんだと思ってます❣️

取りに行けないので写真を送って下さるようお願いして待ってます🌟

ガーベラかしら🌸🌸🌸

圭吾さんにお花を貰いに行きたくて、配ってる投稿があると、いつもテンション上がって浮足立っていましたので😆
とてもとても嬉しいです✨


直接手渡しされたら嬉し過ぎますが😆今回は諸事情流れから病院なので何かそれはまた不思議なことで病室に一輪の花を思い浮かべてとにかく回復目指します❣️


治ったら
是非一緒に海の三兄弟やりたいと夢見ております。回復がんばります💖🌈


年内は入院になりそうです😅


圭吾さん、よき年末を❣️


お花をありがとうございます💖ではではまた❣️☺️

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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お前の魅力は、正しさじゃなくて可愛さだろ。

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四条烏丸ドトールにいる。京都では鴨川の橋の下で野宿したり、一晩お世話になる予定だった方が自転車で転んで救急車に運ばれて緊急入院をしたり、お会いしていた女性に電話がかかってきたと思ったら突然別れ話がはじまって目の前で泣いている姿を見たり、色々あった。電源カフェはありがたい。電源カフェは俺の家だ。

 

おおまかなスケジュール

11月22日(月)京都

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

愛ならあるぜ。恋をくれ。

土曜日は姫路にいた。お会いしたM様が「姫路は昼から飲む文化があるんだよ」と教えてくださり、生まれて初めて昼から夜までひたすら酒を飲んだ。姫路の人に怒られるかもしれないが姫路はガラが悪い人が多いらしい。新潟では絶対に絡まれないような絡まれ方で、行く先々で絡まれた。お兄ちゃんイケメンやな。そう言ってくる言葉の響きやまなざしの奥には対抗心の炎が燃えていて、ああ、男ってマウントを取りたがる生き物なんだなと思った。同じ日本と言えど、別国だ。異文化だ。

 

日曜日は西宮でH様にお会いした。H様が経営している四国のマンションに空室が一部屋あるから、好きな時に使っていいよと言っていただいた。「空き地を使って自然農を試したいと思っているから草刈りをしてもらえたら助かる」とのこと。合鍵を受け取り、頃合いを見て四国に行くことになった。草刈りは好きだし、四国も好きだ。四国でお会いできる方がいたらご連絡ください。四国を知りたい。H様は言った。コロナの影響で世界がどんどん変わっちゃう。農業なんてまったくやったことないけど食べ物くらい自分で作れるようになったら嬉しいじゃない。そう言うH様はとても可愛らしく明るかった。明るく生きることが一番の免疫力だと思う。

 

その後、梅田でY様にお会いした。Y様は現在関西で開催されている心理学的な講座に参加するため一時的に関西に滞在していると話した。セミナー仲間もたくさんいる、的な話を聞いた時に「俺はそういう仲間は嫌いだな」と思った。だから、試しに「セミナーをキャンセルして、返金を求める暴徒になってみたらどうですか」と提案をした。Y様は非常に可愛らしい小柄な女性なのだが、良い子でいなければいけない的な正しさでガチガチに固められている印象を受けた。もっと普通でいいんじゃないだろうかと思った。愛を表現してみんなと楽しく生きていきたい、みたいな言葉を聞いた時に「それって本当かな」と思った。乱暴な言葉になるが、お前に必要なのは愛ではなくて恋だと思った。愛ならば、とっくの昔からここにある。

 

お前の魅力は、正しさじゃなくて可愛さだろ。

その後、四条でT様と合流した。T様の車に乗って京都北部の湧水を汲み、茶菓子ならぬ水菓子を一緒に食べた。野良で。茶の道を極めるのが茶道なら、水の道を極めるのは水道だね、俺たちは水道のマイスターだねとか話した。無限に湧き出す冷水を飲みながら「俺は結構豊かに生きているよ母ちゃん」と、祖国の母を思った。ものは試しということで「車を明日貸してもらえると超嬉しい」とT様に言ってみたら「全然いいですよ」と快諾をしてくれた。というわけで、今日の私には車がある。ずっと野良だった人間が突然車を与えられると、物凄いテンションがあがる。

 

その後、円町でY君と会った。Y君は高校生の頃から私のブログを読んでくれており、現在は芸大に通っている。男二人で愛を語り合った。最近の私は、愛より恋だろ的な心境にある。これまでは「たくさんの人を好きになれるけれど、愛せる人は少ない」と思っていた。だが、今では「たくさんの人を愛せるけれど、好きになれる人は少ない」的な心境にある。愛ならある。常にある。だが、恋はなかなか見つからない。恋の衝動は滅多にない。そういうことを話したら、Y君は「本当に好きなものを目にすると、シラフなのにシラフでいられない感じになりますよね」と言った。そうなのだよ、そうなのだよY君と思った。君は本当によくわかっている。

 

Y君は言った。僕から見るとアイドルもインスタもウーバーイーツも同じ色をしている。頭の同じ部分を刺激されて、一瞬で振り向くのだけどそこには何もないみたいな気持ちになる、と。ちょうどその日の朝、私はミャンマーのドキュメンタリー映像を見ていた。ミャンマーは現在非常に大変な状態にあるが、一部の勇敢な人々は虐殺されることを覚悟の上で軍事政権への抵抗を示している。抗う。命を賭けて自由を求める姿は、私に勇気を伝染させた。勇気があるから逆流に立てるのではなく、逆流に立った時に湧き出してくるものが勇気なのだと思う。流れに乗って生きることは容易だが虚しさが残る。俺たちは精一杯抗って生きて行こうね的な言葉を交わして私たちは別れた。その後、宿泊を予定していたC様とお会いするために移動をした。移動の途中、C様から連絡が来た。自転車で転んで救急車で運ばれて緊急入院することになった、と。C様の身を案じながら、再び私は路頭に迷った。また逆流が来たぞと思ったが、梅田でお会いしたY様からLINEが届いて元気が出た。

 

坂爪さん

今日はお会いしていただき、本当にありがとうございました。
坂爪さんに会えて、言葉をきけて、とても嬉しかったです。
でも、正しさじゃなくて、もっと可愛くそばにいたかった!


「○○さんに幸あれ!」というメッセージカードを見て泣き、本を読んで泣きました。


今までずーっと、「これがいい!」という自分の気持ちをないがしろにし、正しさを求めていたことに初めて気がついて、愕然としました。

頭の中があまりにもごちゃごちゃと混乱していて、恥ずかしい気持ちと、
「私はこれが好きだった!」というものが脳裏をよぎり、
家に帰ってからまた、お花のそばでわーわー泣きました。


素敵なお花をありがとうございます。
お花はほんとにいいですね。


ごちゃごちゃしてる自分の中にも、「これがいいなあ」って感じられる気持ちがあって、その気持ちが嬉しくて
今日はめっちゃ可愛いマフラーを買いました。


「○○の魅力は、正しさじゃなくて可愛さだろ」
っていうのがすごく嬉しかった。


そして、今、素直に「恋がしたい!」って思ってる自分にビックリしてます。


正しさその他もろもろ捨てて捨てて、恋をして、もっと可愛くなります。


坂爪さんと同じ時代に存在できて、出会えたこと、一緒にご飯を食べれたこと、話せたこと、、たくさんたくさん、感謝しています。

またいつか、坂爪さんに会いたいな。


坂爪さんに幸あれ!!

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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飛び出せ!どうぶつの俺。

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姫路駅に向かっている。連日の移動で身体的にはボロボロだが、疲れを取る方法は二種類ある。思い切り休むか、思い切り叫ぶか。油断をすると前者ばかり選ぶが、勇気を出して音楽スタジオに篭ると必ず元気になる。よっしゃ、生きてやるぜみたいな気持ちになる。ロードームービーや無謀な旅日記を読むと元気になる原理と同じで、自分の中にある野生が蘇る。ああ、俺は飛び出していきたいんだなと思う。

 

おおまかなスケジュール

11月20日(土)姫路

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

吉と出るか、京都出るか。

昨日、京都でS様とお会いした。S様は話した。坂爪さんの文章はずっと読んでいてなんで自分はちゃんとできないのだろうと自分を責め続けてきた自分を許せるようになって、私には来年社会人になる娘がいるのですが坂爪さんが関西にいることを知って「この人に家に泊まっていただきたいんだけどどう思う!?」って相談したら、娘からお母さんアホちゃうのみたいな顔をされて「なんで知らない人を泊めるの?危険かもしれないよ?お母さんはすぐに人を信じ過ぎるけど世の中はそんなに甘くはないよ?その人に騙されているだけかもしれないよ?」と言われました。

 

S様は続けた。だから私も娘に言ったんです。でもな、私はこの人のブログを五年間とかそれくらい見ていて、ほら、この人は本も出している人なんだよと言いながら坂爪さんの本を見せました。すると、娘は「五年間ずっと騙しているだけかもしれないよ」と言いました。なので、私はどんなことを書いているのか知ってもらえたらと思って本を差し出してみたのですが、娘は「そんな本、読みたくもないし興味もない!!」と言いました。これは家に泊めるのは無理だなと思って、今日はお食事をご一緒できたらと思いました。と。こういったことを出会い頭に言われたので、遠回しにディスられているような気がした。そして、愉快な気持ちになった。

 

これが社会だ。家庭は社会の縮図だ。誰かが「この人を招き入れたい!」と思っても、同居人が反対をすれば不可能になる。当然であり自然だ。人生的にディスられ続けてきた私は、基本的にこの家で弾かれたように社会からも弾かれた。極論、世界が全員娘さんみたいな人々だったら私はとっくに死んでいた。だが、S様のような人がいたからこそ私は命を維持することができている。社会からは弾かれても、個人とは繋がれるのだ。異物の役割は常識に波風を立てることだ。S様との別れ際、私は捨て台詞を残した。私のことを五年間ずっと騙し続けているだけかもしれないと話した娘さんに、家に帰ったら伝えてください。「よく、わかったね」と。

 

飛び出せ!どうぶつの俺。

S様と別れ、次の予定も家も金も宿も生きる希望もないしどうしようかな死のうかなと思っていたら「大阪でごはん食べませんか!」と連絡が届いた。それはもう行くに決まっているではありませんかと返信をしたら、京都在住のT様から「けいごさん!今夜時間があったら焚き火をご一緒しませんか!?」と連絡が来た。私が大阪に行かなければならない旨を伝えると、T様は運転手役をやらせてくださいと名乗り出た。T様は三日前に結婚をしたばかりで、新婦のC様も共に同行することになった。さっきまで死のうかなとか思っていた男の界隈が、突然賑やかになった。

 

車内では「これまでの人生で最高だった体験と、最低だった体験を話そう」と言う話題で盛り上がった。新婦C様の衝撃的な事実が飛び出し、私と新郎は驚愕した。こんなことを書いてもいいのかわからないが、書こう。若かりし日のC様は単身バックパックでインド旅行を計画していた。初の海外ということもあり、C様は緊張していた。何事も経験だ。自分の目で見ることが大事だ。そう思ったC様はたとえインドで死ぬことになっても構わないと腹を決めて航空券を取った。インドに惹かれた一番の理由は、地球の歩き方に載っていた写真だ。その写真があまりにも綺麗で、自分の目で見たいと思ったからだ。インド旅行中、C様は砂漠のように荒凉とした場所で迷子になり、一人、心許なさを味わっていた。すると、目の前から一人の男性が歩いてきた。日本人だ。C様が声をかけると、その男性は快くC様を助けてくれた。どうしてインドに来たいと思ったのか聞かれたC様は「この写真に惹かれたからです」と、地球の歩き方を見せた。すると、その男性が「その写真を撮ったのは僕だよ」と言った。目の前に、自分が長年憧れ続けていた写真の創造主がいたのだ。「そんなことを言われたら好きになっちゃうじゃないですか、で、そのあと私たちは付き合うことになったのです!」と、C様はテンション高めに話した。

 

結婚ホヤホヤの女が新郎の目の前で話す話題じゃねえだろと思ったが、あまりにもドラマティック過ぎたために何も言えなかった。T様は微笑みを浮かべながら、心持ち細目で運転を続けた。私は「最悪の出来事は16歳の時に原付試験に落ちたことで、最高の出来事はその次の日に合格したことです」と言おうとしていた自分を恥じた。ドラマティックな出来事は、自分の世界を飛び出した飛距離に比例をする。「人生とは、何かを計画している時に起きてしまう別の出来事」という言葉もある。とびだせ。動物の俺。生きる意味や何かをする大義名分などを探してしまうこともあるが、大前提としては飛び出したいと思う命の衝動があるだけだ。自分の中にある野生を蘇らせていきたいと思う。その後、結局我々は大阪で一緒に食事をした。大阪での食事に誘ってくださったY様は離婚を経験していて、元旦那さんは現在闘病中の身だ。そんなY様からは、このような言葉で食事に誘っていただいた。

 

おはようございます!

元旦那さんの具合が良くなくて、癌が骨や肺やたくさん転移してるし、薬の副作用で他の臓器も弱って、切除したりな今日この頃ですが、私は存分に遊んでます🔥

行きたいところに行き、会いたい人に会い、見たいものを見て毎日を過ごしています!

 

家を処分してからこの土地に居る必要はないのではと思っていましたが、元旦那さんがホスピス入るか、5年生きるまで近くに居ようと思います。

とっても不器用で、痛い辛い苦しいって言うの苦手だから、言わせて聞き役になります。

現夫婦じゃないのが心穏やかです。看取ることもないし、死亡連絡も来ないでしょう。全然好きじゃないけど愛なのでしょうがないです。

 

坂爪さんも今日、今、大切にしたい事を大切にしてください!当たり前に明日が来るとは限らないから、今日、今、会いたい人に会って、あなたが大好きだ大切だって伝えてください!押し寄せましょう✨恋をしましょう✨恋がしたいぞー❤️‍🔥

 

大阪来たら一緒にご飯たべましょうね😋

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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LINE ID ibaya

人間はみんな弱いけど、本当はそれほど弱くない。

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三宮のドトールにいる。昨日までは宿があったが今日から何も予定がない。真の流れ者になった。間違ってアイスコーヒーを注文したために軽く震えている。神戸は異人館がある。名前はよく聞くが行ったことはない。何処に行っても私は異人だ。言葉の響きに誘われて、用事もないのに行ってしまいそうだ。こども達が空に向かい両手を広げ、鳥や雲や夢までも掴もうとしている。誰か私を捕まえてください。

 

おおまかなスケジュール

11月18日(木)神戸

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

傷つける勇気。

呼ばれるままに移動をしている。昨日は京都で男性K様にお会いした。K様は言った。新卒で入社した会社が驚くほど自分の肌に合わず、それでも大学卒業後は普通に働かなければならないという呪いにかかっていたので無理をしてまで働いていたら体を壊して会社を辞めた。ちょうどその時期に兄を自死で失い、人生的に一番辛かった時期に坂爪さんのブログに助けられたので今日はその御礼を言いたかった。坂爪さんのブログには、うまく言えないけど肯定の雰囲気がある。こんな生き方をしている人間がいるのだと思えることが安心にも似た気持ちを与えてくれた。と。

 

そう言ってもらえることは嬉しいから「嬉しいです」と伝えた。男性は続けた。自分の経験を生かして精神的に人の力になれる仕事を色々探して、現在は心理療法士的な資格を取るための勉強をしている。会話の基本は相手を否定しないことだったり何を聞いても驚かないで平常心で聞くことだったりするのだけれど、普通の人にはなかなかそれが難しいみたいで、精神的に辛い状況に置かれている人は更に孤立を深めて行くのだと。私は、この話を聞きながら「それって本当かな」と思った。相手を否定しないことは確かに大事だ。ただ、腫れ物を扱うように接したり接していたら繋がりは生まれない気がする。乱暴な言葉を使うと、人間が弱体化すると感じた。相手を否定しないことは、強さを信頼していないことと似ていると感じた。

 

一度何かに深く傷ついた後は、どうしたって同じ苦しみを避けようとする。だが、傷つくことを恐れたままでは、人を愛することができないと思う。自分がちょっとでも不利になった途端、洞窟に隠れたり言い訳を引っ張り出して来て、自分を守る道を選択してしまう。病気や事故や親しい人間との離別は確かに辛いし苦しい体験だが、自分のアイデンティティをそこに置いてはいけないのだと思う。人間はみんな弱いが、本当はそれほど弱くない。自分を守れば守るほど、人間が弱くなる。自分が不幸になる。しかし、真の意味では、不幸な人間は一人もいないのだと思う。傷つく勇気、傷つける勇気を持った間柄が、人間的な絆を深めて行くのだと思う。

 

人間はみんな弱いけど、本当はそれほど弱くない。

その後、脳性麻痺という障害で手足の自由が効かない女性M様にお会いした。M様は言った。友人から「こんな人がいるよ」と坂爪さんのことを教えてもらって、私は文字をうまく読むことができないから写真を見ることしかできないのだけど、空とか海とか花の写真を見るたびに、いつも優しい気持ちになりました。なので、直接会えるなら少しでも会いたいと思ったのです。私には記憶の障害もあって、原因はよくわからないのですがこれまでの記憶が全部なくなってしまうのです。言葉も全部忘れるし、親の顔を見ても「ああ、これが私のお母さんなんだ」って思うのですが、車椅子の生活をしていると誰かになにかをしてもらうとかしてあげるとか、自分のお金とか誰かのお金とか、そういうことがわからなくなることがあります。

 

車椅子ではちょっとの段差も乗り越えることができないから、誰かの助けなしには生きることができません。福祉サービスを利用することもあるのですが、誰かに申請書を書いて貰う必要があります。私としては、サービスを利用する側も提供する側もどちらも気持ちよくいられたらと思うのですが、なかなかそれは難しいみたいで、もやもやを感じることがあります。介護のルールで「利用者の人と個人的に親しくなってはいけない」というのがあるのですが、たとえばヘルパーさんが怪我をしたときに絆創膏を渡すことも許されません。美味しいものを食べている時は一緒に食べたいなって思うし、苦しそうな時は隣にいようって思うのだけど、厳しいルールがあるのでそれをすることができません。そういう時は、人を幸せにしないルールなんて要らないんじゃないかなと思います。ルールに負けると後悔をします。

 

障害者施設などに行くと、そこにいる誰かが「この人は何を言ってもわからないから」などと話をしている声が聞こえてきます。自分に言われている訳ではないのに、とても苦しくなります。私は言葉を知らないのですが、なんだかよくわからないけれど胸が痛くなったり、温かくなったり、悲しくなったり、嬉しくなることがあります。どれだけ思いを尽くしても、自分の気持ちが相手に伝わるとは限りません。これまでは自分がダメなんだって思っていたけれど、相手のタイミングもあるのかもしれないと思うようになりました。坂爪さんと会うのは今日がはじめてなのに、話を聞いてもらってありがとうございます。はじめてなのに話せるということは、回数じゃないんですね。資格があるとか、専門知識があるとかでもないんですよね。お医者さんと話していてもまるで機械と一緒にいるような気持ちになることがあるのですが、今日は、坂爪さんに会おうとした自分にマルをつけてあげたいです。昔の自分の日記を見て、ああ、自分はこんな人間だったんだって思うことがあるのですが、昔の私はマンドリンを弾いていたみたいなんです。だから、これからはマンドリンもはじめてみようかなって思っています。そう言ってM様は笑った。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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LINE ID ibaya

挑戦しないで何が人生だ。

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四条のドトールにいる。諸事情が爆発して「東京には二度と戻ってくるな」とケツを叩かれ、身一つで家を飛び出した。昨夜は京都に匿っていただいたが、今日以降の宿はない。家なし野郎の掟として「連泊はしない」というルールがある。連泊すると確実に邪魔になる。だが、一泊だけならば非日常を提供できるかもしれない。

 

おおまかなスケジュール

11月16日(火)京都

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

俺はここにいる。

君に会いたいと言われ夜の繁華街に足を運んだ。その方はカメラマンをしている50歳の男性で、凄まじい目の輝きをしていた。初対面で開口一番「圭吾さんは頭が物凄く良いから、生きるのが大変でしょう」と言われた。不快感はなく、この人は次に一体どんなことを言うのだろうとワクワクした。男性は続けた。私は捨て子だった。親に捨てられて施設で育った。この年になって思うことはみんな幸せになればいいじゃんってことなんだけど、心の何処かには常に「俺を捨てやがって」という怒りがある。圭吾さんには、私のこの怒りと似たものを抱えているように見える。

 

ちょっと前に凄まじい病気をして余命三年と言われたんだけど、どうにか立て直した時に自分の中で第一章が終わったのがわかった。だから、次は世界と戦う。世界を殴りつけたい。喧嘩だよ。これまでもたくさん喧嘩をしてきたけど、今度は世界と喧嘩をするんだ。私は闘っている人が好きだ。圭吾さんは闘っている。だから、私は圭吾さんが好きだ。ここまで聞いたところで、私は男性に尋ねた。喧嘩をしたいとか殴りつけたいと思う気持ちはわかる気がします。殴りつけたいと思うその気持ちは、どこから来ていると思いますか。男性は答えた。「俺はここにいるぞ」。

 

俺を見ろ。俺を見ろ。俺はここにいるぞ。自分が捨てられた人間だからなのかはわからないけれど、世界を殴りつけることで、喧嘩をすることで自分の存在証明をしているのかもしれないと思う。そして、自分を証明することがこれまでお世話になった人たちへの恩返しになると思っているんだ。俺を見ろ。俺を見ろ。俺はここにいる。俺はここにいるんだぞ。I'm here。俺はここにいる。俺を見ろ。俺を見ろ。I'm here。俺はここにいる。男性は、そう叫びながら天に中指を突き立てた。私は黙って男性を見つめ続けた。男性から、喧嘩をふっかけられているように感じた。

 

挑戦しないで何が人生だ。

本を買いたいと連絡をいただき、50代の女性M様にお会いした。M様は言った。私は子供が好きで子供相手の仕事を長年していたのですが、最近になって自分自身が子供のように生きたいんだってことに気付き仕事を辞めました。坂爪さんに会いたいと連絡した後は自分でもビックリするくらい緊張して、夕飯の支度をしていた時も茹でていたほうれん草を床にぶちまけて足を負傷した。何をやっているんだ私はと思って頬をぴしゃっと二回叩いたのだが、こうしていまお会いしている最中も物凄い緊張しています。と。M様は人を癒す仕事をしたいと話した。私は「癒しは出口なんじゃないか」と思った。癒されるのは結果であって、入り口は冒険とか緊張とか開拓とか、新しい世界に飛び込む勇気とか挑戦なんじゃないのかなと思った。

 

M様と別れた後LINEが届いた。そこにはこのようなことが書かれていた。「坂爪さん。先程はありがとうございました。私は自分にはチカラがないってことを前提に、なんかうまくいかないことを、全部周りのせいにしていたみたいです。いつもどこかで、誰かどうにかして〜!!って思っていたんですね。それでこのまま年を取る怖さを感じていました。やるだけやって、ゆだねる時もあるかもしれないですが。何もしないでどこかに誰かに委ねてばかりだったのだなぁって思いました。気持ちを伝えるってすごいことですよ。っていう坂爪さんの言葉が刺さりました。あ、なんか涙出てきました。私の中の子どもが喜んでるみたいです。黒柳徹子ロード、突っ走ります!!(注釈・坂爪もM様も黒柳徹子が好きで意気投合しました)

 

サティシュ・クマールが世界を徒歩で旅したエピソードを思い出した。歩いてパキスタンに行こうとするサティシュをインドの友人たちは必死で止めた。インドとパキスタンは宗教上の対立から緊張関係にある。だが、サティシュはパキスタンに行くのだと言ってきかない。友人たちに「殺されるぞ」と言われても、殺されるならそれが自分の寿命だとサティシュは語る。そして「私がインド人として行けばパキスタン人に出会うだろう。私がヒンズー教徒として行けばイスラム教徒に出会うだろう。しかし、私が人間として行けば人間に出会うだけだ」と友人たちに告げた。私はこの言葉が大好きだ。そして、彼は一人のパキスタン人女性に命を救われることになる。彼は、彼の挑戦を通じて『世界の優しさ』を証明した。M様から追記でLINEをいただいた。癒しは結果であり、冒険や勇気や挑戦が入り口なのだと思う。

 

私、帰ってすぐ犬の散歩に行ったら、街灯に照らされてる紅葉🍁がすごく綺麗な遊歩道で、もうすごく満たされた気持ちになり、なぜかいろんな悩みがスーっとどうでもいい気分になりました。

私は緊張がすごかったので、坂爪さんに癒されるとは、夢にも思わなかったけど、気づいたら、坂爪さんがおっしゃっていた通り、癒されてるみたいです。

悩むことも罪悪感もいらないんだなって気持ちになりました。
押さえ込もうとしていたことが、しなくていいよって思えたからだと思います!

癒しの小さなきっかけくらいは、誰かに作れるかもしれないけれど、本当に自分を癒せるのは、きっと自分だけなんですね。

不安や恐れもいっぱいあるけど、それもうけるね!😆って面白がって、一緒に歩く歩道を歩いてこー!自分!って感じでしょうか。

茹で汁を足にぶちまけながら、坂爪さんに会いに行った自分を、今は笑えるし、癒されてます😊

真っ白な小バラ頂いたかと思ったら、大輪の薄いピンクのグラデーションの薔薇だったんです!!すごい存在感でびっくり‼️です!

ほんとに綺麗です。

あなたも、周りの人も、私のようにほんとにすごいのよ!!見くびらないでね!って薔薇が言ってまーす🌹

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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どんどんはじめて、どんどんやめよう。

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諸事情が爆発して生活が逼迫した。否、もともと逼迫していた生活に拍車がかかった。昨日、納豆を買うために外に出たのに間違えてピアスを買った。こんなものを買ったら生活が破綻すると思って一旦は諦めたが、諦めた瞬間「豪傑」というワードが脳裏をよぎって、次の瞬間には「これをください」と店員さんに告げていた。

 

おおまかなスケジュール

11月12日(金)以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

連絡先・LINE ID ibaya or Mail keigosakatsume@gmail.com

 

耳に豪傑をぶらさげて。

今、日光を上半身裸で浴びながらこの記事を書いている。新潟生まれの私にとって冬でも晴れる関東の気候は奇跡に近いし卑怯だとも思う。生命のバイオリズム的に冬は鬱になる。新潟の冬は晴れない。晴れないと精神も内向的になってよからぬことを考えて自滅する。私にはもう無料エネルギーを浴びて生きる以外に道はない。おかげさまで本は全部売れた。全部売れたが結果的に大赤字で最近はゆで卵に良質な塩とオリーブオイルをかけて食べると腹持ちも良いし完全食!だと言い聞かせていた。何を食べるかも大事だがどう食べるかも大事だ。ゆで卵の正しい食べ方は、大量の塩を振りかけたゆで卵を一口で飲み込み、咀嚼をしていると絶対に口の中がパサパサしてくるからそのタイミングでオリーブオイルをラッパ飲みすることだ。

 

熱海の家を手放すしかないのかと思う。誰か熱海(伊豆山)に家や別荘が欲しい方がいたらご連絡ください。土石流をすれすれのところで回避した築100年の平家だ。家の真横は惨憺たる有様になっているが、暗い雰囲気はない。これまで、この家は「使いたい方がいたら誰でも無料で使ってください」と完全開放していた。先日まで不慮の事故で一切合切を失った方が家を利用していたがネクストステージを見つけて出て行かれたばかりであり、現在は無人だ。じゃあお前が使えよというツッコミも入りそうだが、私は家があるとダメだ。もともと貰った家だから売るのもどうなのかなと思っていたが、家を売る代わりに小さな車を買ってそこに全財産を打ち込んでモバイル生活を送るのも悪くないのかな、悪いのかな、悪そうだな、悪いのもいいな、という妄想だけはしている。今後の身の振り方がわからない。これまでの人生でわかった試しもない。熱海に興味のある方がいたらご連絡ください。

 

秋でも冬でも裸で日光を浴びていると汗が滲む。冬でも日焼けできる。太陽はダウンジャケットよりも暖かいのだ。私は元来細身で色白だから、細身で色白の人間が家も金も仕事もなく「おなかがすいたよお」とか街中を徘徊していたら心配をされる。日焼けをしていたら「まあ、こいつは大丈夫だろう」と思ってもらえそうだという理由で隙を見つけて皮膚を焦がしている。皮膚を焦がしていると心も燃えてくるみたいで、根源的なエネルギーみたいなものがチャージされて「よし」となる。よしとは思うものの発散先がない私は今日も明日も悶々としている。そんな方はいないと思いますが「それなら坂爪さん、一緒に遊ぼうよ!」という方がいたらご連絡ください。坂爪圭吾という男の日光を浴びていただきたい。人生を楽しむのだ。

 

 
 
 
 
 
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どんどんはじめて、どんどんやめよう。

私は三人兄弟の末っ子で姉と兄がいる。時折両親目線で自分たちを眺めるのだが、我々三兄弟は全員進学校に進んだ。兄は東大を出たし、親としては一安心だったと思う。だがしかし20代に全員一回破滅を経験し、両親は落胆した。未来を悲観したとも思うが、30代になって姉も兄も家庭を築き私は本を出し両親も軽く安心した。姉も兄も私も誰一人両親の期待する道を歩まなかった。反発したというよりは、そういう風にしか生きられなかった。多分、誰もがバグを抱えている。みんなと同じでありたいと思いながら、みんなと同じになれない自分を呪う時期がある。普通なんて嫌だと普通を嫌悪しておきながら、普通になれない自分を責める時期がある。

 

私はまだ結婚をしていないから結婚している人々に連絡を取りづらい。毎日忙しいだろうなと思ったり、話も噛み合わなくなるだろうなと思ったり、勝手に「きっとこうだろうな」と決めつけて会う前から溝を作り、思い込みで溝を深めて行く。巷には結婚するのも幸せ結婚しないのも幸せみたいな言説が増えてきたし未婚者に対する差別的な眼差しも減ってきているが、溝は全部幻想だと思う。どちらにも幸せはあると思うが、溝を埋めるのは哀しみの共有だと思う。結婚している人にも哀しみはあるし、結婚していない人にも哀しみがある。幸せを競い合うより、哀しみに寄り添い合うというか、みんな色々ありながらも生きているんだよな的なまなざしが両者の間に生まれたら、未婚既婚、正社員派遣社員アルバイト無職、健常者障害者などといった溝は消える。人生に優劣はなく、分かち合った幅が豊かさになる。

 

永遠にそのままで行け。どうして自分はこうなんだろうと嘆くより、どんどんはじめてどんどんやめよう。こんなことをやって何になるのだろうとか、どうして長続きをしないのだろうとか、そんなことは考えないでいい。何にもならないでいい。何の役にも立たないでいい。しっかりしなくてもいいし、成長しなくてもいい。ワガママでもいいし、間違ってもいい。ただ、自分の心が感じるやりたいに殉じて生きればいいし、ただ、自分の心が感じるやりたいに殉じて死ねばいい。光は、自分が思うよりずっと強いものだ。自分としては闇っている時でさえ、それが誰かの光になる。光はコントロールの外にある。だから、永遠にそのままで行け。自分を変える必要はない。自分のまま、裸のまま、弱いなら弱いなら、ちょっといいところがあるのならちょっといいところをチラチラさせながら、永遠にそのままで行け。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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やりたいことをやるために、好きなものを好きだと言うために、僕らは生まれてきたんだ。

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三浦綾子『泉への招待』を読んでいる。ある高僧が山道を歩いていて道標を見た。その道標の指すままに歩こうとしたとき「もしかしたら、この道標は自分の姿ではないだろうか」と気づき、ぎょっとした。人々は道標の指し示すままに歩いて行って目的地に着くが、自分はこの道標のように、ただ一つところにつったって道を指し示すばかりで一歩も歩いてはいない。自分も歩み出さねばならぬ、そう、この高僧は悟ったという話であった。わたしはこの頃時々、この高僧の言葉を思い出す。

 

おおまかなスケジュール

11月8日(月)以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

連絡先・LINE ID ibaya or Mail keigosakatsume@gmail.com

 

起きよ。光を放て。

土曜日、滋賀から東京まで会いに来てくれた女性がいた。名前をS様とする。S様は日帰りで行くと言うから「それなら私から行きましょうか?」と返信をした。だが、S様は「今回は、自分から『行く』と言うことをやりたいんです」と言った。短い時間だとしてもいいから自分から会いに行くということをやりたい、そして、坂爪さんが作った曲をウクレレで練習したからそれを聞いてほしいとS様は言った。素晴らしいと感激をした私は「それなら代々木公園に行きましょう!」と言って、原宿駅前で合流することになった。S様は、東京は人生で二回目だと言った。

 

原宿駅で合流し、明治神宮をご一緒した後に代々木公園に到着した。適当な場所を見つけて「ここでもいいですか?」と確認し、よし、それではいつでも好きなタイミングで聞かせてくださいと着席したところで、S様はガクガク震え出した。あまりにも震えるからどうしたのですかと尋ねると、S様は「こんなに緊張するとは思わなかった」と顔面を両手で覆った。あまりにも手が震えるから楽器を弾けない。「無理だ、絶対に無理」と蚊の鳴く声で囁くS様を見て、私は「いいぞ、いいぞ」と思った。震えるほど怖いことをこの人はいまからやろうとしているのだ。S様の勇気を尊敬したし、こんな瞬間に立ち会えたことを神か何かに感謝したくなった。

 

結局、S様は私に背を向ける形でウクレレを演奏した。演唱後、S様は「よし、私はやるべきことを果たしたぞ!!」と満面の笑みを浮かべた。震えるほど恐ろしいことを、恐ろしさに負けないでやり遂げた人物からは晴れやかな風が吹く。その恩恵を受けながら「俺も震えるほど怖いことをやらなくちゃな」と思った。その直後、S様の携帯電話が鳴った。電話に出たS様の顔がどんどん深刻になっていく。電話を終えたS様は言った。親からの電話で、おばあちゃんが危篤になったから今すぐ戻って来いと言われました。なのですぐに帰ろうと思います。まさかこんなことが突然起こるとは思ってなくて現実感がなくてふわふわしているのですが、今日はお会いできて本当によかったですと。一緒にいた時間は僅か一時間程度だった。

 

やりたいことをやるために、好きなものを好きだと言うために、僕らは生まれてきたんだ。

東京を離れなければならなくなったS様は残念に映るのかも知れないが、私には、とても濃厚な時間を生きている光に見えた。せっかく東京に来たからあれもやろう、これもやろう、という意味では成し遂げたものの数は少なかったかもしれない。だが、絶対にこれをやりたいと思ったことを成し遂げたS様は輝いて見えた。頭で考えているだけではなく、実際に行動に移した。震えるほど怖いことに挑み、実際に成し遂げた。自分自身、書くことや歌うことを通じて自分なりの伝道をしているつもりでいた。だが、それだけでは命のない道標と同じだと自省させられた。イエスは歩いて伝道した。聖書を書いたのはイエスの弟子だ。イエスは書かない。イエスは生きた。イエスは歩いた。自分もまた、歩み出さねばならないと思った。

 

2020年に本が出版された。今でも時折読者の方から感想をいただく。それを読む度に「俺もしっかりと生きよう」と励ましと力を貰う。伝道と言っても道具がない。だから、行く先々の本屋で自著を購買し、それを売り歩く伝道をしようと思った。本を売ることが目的ではなく、実際に人と会うことが目的だ。お金がある人は買ってくれたら嬉しいし、お金がない人も「お金がないから無理」とか思わないで連絡さえ貰えたら無料で差し上げます。現在地は東京ですが、最初にご連絡をいただいた方の場所から開始します。途中経過などはブログや各種SNSから報告します。本屋にまだ自著があるのか不安だが、なかったらないで代わりのブツを用意します。本が欲しい方はご連絡ください。本はあるからサインだけ欲しい!!もOKです。最早、内容は問いません。神に用いられるがまま、運ばれていきたいと思います。

 

『泉への招待』の中で、このようなエピソードが紹介されている。クリーニングの白洋舎を創立なさった今は亡き五十嵐健治先生が、こんなことをおっしゃっていられた。それは、先生が小樽で洗礼を受け、無一文のまま、函館の友人を頼って行かれた時のことである。ところが、頼って来いと言ってくれた友人は宛てどころにはいず、日は暮れてくる。空腹と疲労の中で先生は祈った。今夜泊まるところもないが、先生の心は楽しさに満たされていた。何が楽しかったか。それは、キリストの神は必ず祈りを肯(き)き給うと教えられたが、一体どんな方法でこの祈りを肯いて下さるかが楽しかったのだそうだ。と、うすくらがりの中で、うしろから声をかけた者がある。この人が洗濯屋で、先生はその夜、食と宿にありつき、職も与えられた。のちに三越に勤められ、十年後にクリーニングの白洋舎を創立されたのは、実にこの函館の洗濯屋に短期間でもつとめた経験によるところが大きかった、と。私自身、潤沢な資金がある訳でもないし移動中は連日宿無し状態が続く。人生の基盤を一気に失って不安定な中に飛び込んでいくことになるのだが、不安定だからこそ遭遇できる『何か』がある。五十嵐健治先生には遠く及ばないが、私も「楽しみながら祈る」「神の答えを楽しんで待つ」魂のゆとりを、育んで行きたいと思う。

 

坂爪さんこんばんは!!!夜遅くに失礼します!🌕💝
私は高校生の終わりの時に坂爪さんの出した本を買いました!!!本を読んでる時はすっごくワクワクドキドキして、言葉の一つ一つが心にとっても響きました。間間の写真もすっっっっーごく素敵でらぶちゃんです!!!
それから、元気がなくなったなって思うといつもあの本を読んで、パワーをもらってます!!
今もいろんなことが重なって不安な気持ちがあったのですが、本の最初の坂爪さんの言葉?のページを読んだだけで、あーーー!!ワクワクワクワクって感じで、自分の人生にワクワクが止まらなくなりました💝
こんな夜遅くにこの小娘は何を言ってるんだって感じなんですけど、なにが言いたいかといいますと、ありがとうございますということです!!!!
今どうしても伝えたくなったので、伝えさせていただきます💝おやすみなさい!

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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音楽をやるな。音楽になれ。

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何かを成し遂げるには人生はあまりにも短い。だが、道の途上で息絶えても体から抜けた魂は死後もその道を歩み続けるだろう。道の途上で息絶えることは決して不名誉なことではない。真に恐るべきことは道を失うことだ。本当は誰もが道の途上にいる。道を指し示すものがその人の業だ。どうしてもみんなと同じになり切れない部分、世間的な安定を投げ捨てたくなる魂の逆流が進むべき道を示す。道の途上で息絶えることだ。道を見失った魂が、死後、地縛霊や浮遊霊になるのだと思う。

 

おおまかなスケジュール

11月1日(月)東京

以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

 

俺を殺しても、次の俺が現れる。

銀座でK様から焼肉をご馳走になった。K様は毎回ギリギリのところで声をかけてくれて私を窮地から救い出してくれる。肉を食べながら露骨に元気になり、食後に訪れた喫茶店は過去にジョンレノンとオノヨーコが時を過ごした聖地だと知った。K様から続けようと思わないでくださいと言われた。毎回終わらせてください。自然現象。野ざらしでいてください。ツアーとかやらない。人を動かさないでいいから人智を超えたものを動かしてください。損得で生きてない人は損得じゃないところから生かされる。道の途上で死ねばいいのです。死んだ後も体から抜けた魂がそのまま飛んでいきます。だけど道を忘れたらおしまい。地縛霊とか浮遊霊になる。

 

興行ではなく自然現象になってください。ロック歌手が生活なんてクソ食らえだとかステージの上から叫びながら真面目にライブスケジュールをしっかり立てて多種多様なグッズを販売して著作権を守りファンクラブの会員から毎月決まったお金を徴収して自分たちの生計を安定させていることはもはや矛盾ではなくこの世の常識となっていますが、あなたたちは先のことなんて考えないでください。次があるとか思わないでください。毎回これが最後だと思って毎回しっかり終わらせてください。虹も雷も定時に出現するなんてことは無理です。自然現象は人間のコントロールを超えています。人間を動かさないでいいから人智を超えたものを動かしてください。人間に認められなくていいから人智を超えたものから認められてください。

 

やっておいた方がいいことなんてこの世の中にゴマンとあるから、その程度の熱量のことはやらないでいいです。ツアーもグッズ販売もファンクラブも楽曲をリリースして著作権を守ることも「やっておいた方がいいこと」だとは思いますし実際やろうと思えばいくらでもできることだと思いますが、そんなものに惑わされる必要はありません。あなたたちは人間と人間以外の間にいる存在なのだから、人に聞かせるとかそういうことではないのです。そうじゃないものが聞いているし、違う世界に響かせていないと選んでもらえません。存在として消えてしまいます。音楽を練習するとかそういうことでは全然なくて、大事なことは鳴り響かせることです。萩尾望都さんのラーギニーという漫画では七人姉妹の踊り子がタンブーラという楽器を奏で続けますが、それを見た人がお前たちは一日中遊んでいるなみたいなことを言います。それに対して彼女たちは「違います。私たちが世界を支えているのです」と答えます。ラーギニーとは女性音楽のこと。男性音楽はラーギと言います。

 

音楽をやるな。音楽になれ。

人を動かさないでいいから、人智を超えたものを動かしてください。音楽であり続けてください。そうすれば時代やそれ以外が動きます。いつまでもあるとは限らないと言うことをそのまま体現してください。みんな道の途上なんだってことを思い出すために鳴り響かせてください。興行ではない、一瞬の奇跡。虹や雷のような自然現象として、人間のコントロールを越えたところから音楽を鳴り響かせてください。音楽は練習するものではありません。音楽をやるのではなく音楽であり続けてください。人に認められるのではなく、人智を超えたものに認められてください。

 

数年前、北海道で介護の仕事を辞めたばかりの女性と会った。仕事を辞めたいと父親に相談した時、父親から「お前はなんで介護の学校に入ったんだ」と聞かれた。彼女は「介護の仕事なら食いっぱぐれることもないと思ったから」と答えた。それを聞いた父親は、彼女に「自分の好きなことをやりなさい」と言った。「自分の好きなことをやりなさい。それで食えなくなったら水を飲みなさい。水も飲めなくなったら死になさい」と言った。それを聞いた彼女は稲妻に打たれたような衝撃を覚えた。そして、父親の強い愛を感じた。やっておいた方がいいことは無限にある。だが、これをやらなきゃ死んでも死に切れないと魂が求めるものはひとつだけだ。

 

何かを成し遂げるには人生はあまりにも短い。だが、道の途上で息絶えても体から抜けた魂は死後もその道を歩み続けるだろう。道の途上で息絶えることは決して不名誉なことではない。真に恐るべきことは道を失うことだ。本当は誰もが道の途上にいる。道を指し示すものがその人の業だ。どうしてもみんなと同じになり切れない部分、世間的な安定を投げ捨てたくなる魂の逆流が進むべき道を示す。道の途上で息絶えることだ。道を見失った魂が、死後、地縛霊や浮遊霊になるのだと思う。

 

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「セイム」 作詞・Gi/作曲・RYU/観賞・KEIGO

 

何でもない日に別れがあったり

「ちょっと待って」なんていう間もなく

咲く前に折れちまった枝もある

まあ 俺たちは勝手な生き物だよ

元は同じ 元は同じ

顔は違えど 元は同じ

 

まだ“どう生きようか”って考えてる

そのうちどんどん陽が高くなって

「ああ、また」なんて憂いてる

どうやったって生きたい動物だよ

元は同じ 元は同じ

元はさりとて 死ねば土

 

遠い 遠い 遠い山を見てる

低い 低い 低い谷がのぞく

どこかで飛べると思ってる

羽もないのにイメージしてる

 

ジョナサンが太陽に突っ込んだ

 

元は同じ 元は同じ

元はといえば同じ光

みんな光から生まれてきたんだ

速いから一瞬なのか

 

元は同じ 元は同じ

元を辿れば同じ光

ああ 眩しいな 何にも見えないや

生まれたところに帰るんだな

生まれたところに帰るんだな

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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