いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

あらゆる解決策は、いい男(女)になること。

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愛媛県松山市のアマンダコーヒーにいる。幸せになりたいと言う人は多いが、幸せになろうとしている人は少ない。誤解を恐れずに言うと「お前は、言い訳ばっかりだな」と思うことは多い。スラムダンクやワンピース(別に、ラグビーのW杯とかでもいい)に感動を覚えるのは、自分もそうありたいと思うからではないのか。それとも、ただの消費なのか。消費して終わるなんて、傍観者も甚だしい。傍観者に、人間を、人生を愛することはできない。それじゃ、生きているとは言えない。

 

 

おおまかなスケジュール

12月1日(日)Agape 坂爪圭吾 弾き語り演奏会@ごちゃまぜの家

SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu 

 

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なんて気持ちのいい連中なんだ。

言ってるだけの人と、実際にやっている人の間には、残酷な差がある。命の輝きがまったく違う。口先だけの人間は、すぐにバレる。この世で最もダサいことは『言い訳』だと思う。自分の不遇を、誰かの責任にすることだ。言い訳を重ねる男は、端的に、モテない。負のスパイラルに突入し、それを環境や社会の責任にする男は、救いようがない。逆に言えば、言っていることとやっていることが一致している人間は、格好いい。私は、掃除のおばちゃんが一番かっこいいと思う。彼女たちの一致感は、見事だ。能書きを垂れているヒマがあったら、掃除のひとつでもしてみやがれ。そう言われているような気持ちになり「ははー!(最敬礼)」となる。

 

小さいことにうじうじ悩むこともあるが、問題の9割は「自分が、いい男(女)になる」ことで解決する。誰にも認められないとか、誰にも振り向いてもらえないとか、そんなことを考えても無駄だ。それは他人の領域だ。逆に言えば、毎日を楽しむことができていれば、金がないとか、彼女がいないとか、肩書きが、家族が、友達が、など、問題は吹き飛ぶ。自分を楽しませることができていないとき、周囲と比較し、深刻になり、湿度を帯び、死ぬ。魅力とは「自然体で、心から楽しんでいる姿」から、醸し出されるものだと思う。それは、時に自己中心的にさえ見えるものだ。それは、時に我儘で自分勝手に見えるものだ。だが、確実なことがひとつある。それは、退屈な正論をふりかざす人間より、よっぽど魅力的だということだ。

 

いい男のイメージに、ルパン三世がある。カリオストロの城のなかで、庭師のおじいさんが、去りゆくルパンたちを見て「なんて気持ちのいい連中だろう」と言う場面がある。この言葉に、いい男の本質がある。要するに『粋』であるということだ。いい男がルパンならば、いい女は峰不二子だと思う。彼女は言う。「言葉が強い女が、強い女じゃないの。言葉が強いのは、ただのキツイ女。強い女っていうのは、挫けない女の事を言うの」と。そして、また、別の場面ではこう言った。「いい女っていうのはね、自分で自分を守れる女よ」と。漫画の中に、映画の中に、現実の中に、いい男(女)は無数に登場する。お手本は、無数に転がっている。いい男になろう。いい女になろう。そうすれば、問題の9割は勝手に解決をしている。

 

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「緊張と弛緩」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

リラックス リラックス リラックス
リラックス リラックス できねえよ

リラックス リラックス できねえよ
頭も 心も さわがしい

あの子も この子も まっている
おむすび おむすび 投げつけろ

すっげえ楽しそうに生きていることが一番
ああ この世でかっこういいことだろう?

ねばならねえは つまらねえ 緊張と弛緩

みんなの三倍苦しんで みんなの三倍輝いた

すっげえ悲しそうに生きていることが一番
ああ この世でかっこわるいことだろう?

ねばならねえは くだらねえ 緊張と弛緩

リラックス リラックス リラックス
リラックス リラックス リラックス

 

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あらゆる解決策は、いい男(女)になること。

大阪でお会いした女性から、一通の連絡が届いた。そこには「いい女って何やろ…と考えてみて、圭吾さんに会ってから、いいわけしないで楽しんでる人かな、と思いました。」と、書かれていた。素晴らしい言葉だ。いいわけしないで楽しんでいる人。自分にとって、その女性はとても素晴らしい存在に思えた。だから、自分がどれだけ素晴らしいと思っているのかを、懸命に伝えた。決して、褒めている訳じゃなかった。ただ、事実として「あなたは綺麗だ」ということを伝えたかった。それは、野に咲く花を見て「綺麗だ」と言うことと、似ている。綺麗なものを、綺麗だと言う。そのとき、言っている本人も、満ち足りた気持ちになることができる。

 

綺麗事じゃない。お世辞じゃない。褒めているわけでもない。ただの事実として「あなたは素晴らしい存在だ」ということを、どれだけ伝えることができるだろう。人を愛するということは、人生を賭けることと似ている。自分なんてどうなってもいいから、このひとだけは。そう思えたとき、逆説的だけれど、自分の命が最もふさわしい形で使われているような、そういう感覚を覚える。自分の命は、自分が愛するもののために使ってこそ、真価を発揮するのかもしれない。それは、ルパン三世の言葉であったり、ひとりの女性の存在であったり、音楽などの芸術であったりする。私は、私の命を注ぎ込める『何か』を、ずっと探していたのだと思う。

 

生き方に迷う時は、自分の心が「美しい」と感じる道を選びたい。その過程は、どれだけ醜いものであったとしても、自分の心が感じる「美しさ」があるならば、耐え抜ける気がする。逆に言えば、どれだけ自分にとって有利な道でも、心が感じる「美しさ」がなければ、自分は、耐えられないような気がする。誰かを好きだと思う気持ち。何かを愛する気持ち。それ以上に、尊いものはこの世の中にないように思う。だからこそ、自分の心が「これをやりたい」と思ったことには、素直に、やらせてやりたいと思う。たとえ、そのことで死んでしまうことになったとしても、それは素晴らしい人生だったのだと、自分に言ってやれる生涯を送りたいと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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