いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

虫けらのように生きても、春は来る。

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横浜駅ドトールにいる。自分探しという言葉がある。あるいは、自分ブランディングなんて言葉もある。私は、この、どれにも馴染むことができない。自分とは、探すものでもなければ、築くものでもない。それは、きっと壊すものだ。これが自分だと思っていたものを、壊すこと。それは、古い自分を一回殺し、新しい自分に生まれ変わること。ああ、こんな自分がいたのか、と。おお、こんな自分もいたのか、と。新鮮な驚きと共に過ごす日々を、生きるというのではないだろうか。

 

 

おおまかなスケジュール

【現在開催中】 Agape「与える喜びを与える喜びツアー(通称・AYA)」
【現在開催中】 Agape 千が平塚から大阪まで歩きはじめる「東海道五十嵐次」

11月22日(金)19時 Agape 単独ライブ@大阪市心斎橋「
5th-Street

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結果は、燃えカスみたいなもの。

このひとと話していると、自分の感性が刺激される。そう思える人との出会いは、幸福だ。昨日、K様と会った。K様は「結果は、燃えカスみたいなもの」と話す。この言葉を聞いたとき、あなただったら、どういう感情を抱くだろうか。燃えカスという言葉に、ネガティブな印象を覚えるだろうか。私は、K様の、この言葉が大好きだ。気持ちが楽になると同時に、スッキリする。誤解を恐れずに言えば「あなたは愛されている」と言われるより、よっぽど、楽しくなる。なぜだろう。愛は、少し、重い。それよりも、全部は燃えカスみたいなものなんだよと言われる方が、清々しい。笑顔になれる。それは、永遠の命と言われるよりも「俺たち、死ぬよ」と言われた時の、ハッとすると同時に地に足がつくような、あの感じに似ている。

 

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「丸腰中年団のテーマ」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

成功なんかない 失敗なんかない
お金もそんなない 丸腰で行くぜ

目標なんかない 後悔なんかない
年甲斐なぞもない 丸腰で行くぜ

I wanna be an adult
大人になりたかった
who can be a child
こどもになれる大人に

わがままでもいいよ 間違ってもいいよ
いつか行くぜあの世 丸腰で行くぜ

I wanna be a human
人間になりたかった
who can be an animal
動物になれる人間に

わがままでもいいよ 間違ってもいいよ
いつか行くぜあの世 丸腰で行くぜ

 

燃えた首里城の話をした。もし、悪意をもった人間が犯人だとしたら、犯人は、勝ったのだろうか。それとも、負けたのだろうか。全焼させたという点においては、犯人の勝ちだ。しかし、あのように立派な燃え方をしてみせた(なんなら、その後に数億円の寄付金を獲得した)首里城は「圧勝した」とも言える。なにが勝ちで、なにが負けか。それは、各自の美学に依るだろう。成長も、成功も、失態も、失敗も、燃えカスみたいなもの。大事なことは燃え方だ、なんて締め括ることは安易に過ぎる。だが、当たり前のことだが、私たちは、いましか生きることができない。

 

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「ブラボー」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

足並み揃え おれだけドボン 
なんでおれだけ 傷だらけなんだ

血と涙 血と涙 血と涙だけが人生だ

しゃれになんねえ 笑えねえよ 神も仏もありゃしねえのかな
だったら ねえ しかたがねえ 今世は諦めてください

おお、なんて、ブラボー! 人間界のルール無視して
おお、なんて、ブラボー! 金持ちばかり喧嘩してる

なにしたって文句言われんだ 何の役にも立ちやしねえと
代わりはいくらでもいるんだ だから おれたちは 既に自由だ


ムシケラと呼ばれても おれたちは最初から 虫の息
「でも、生きているぜ」 おお、なんて、ブラボー!

足並み揃え やっぱりドボン
なんでこんなに 欠陥(あな)だらけなんだ

傷つけて 傷ついて 避けらんねえ 業を抱え GO

我慢なんねえ しゃらくせえよ 善悪も清濁もありゃしねえ
だったら ねえ 逝くしかねえ この世のしがらみよ サヨナラ

おお、なんて、ブラボー! 揺籠から墓場まで おままごと
おお、なんて、ブラボー! 居心地悪い イスに座る

なんにもねえところからきて なんにもねえところまで行くのだ
よろこびはどこからやってきて かなしみでどこまで行けるのだろう


なんにもないおれたちも まだ未来があるなんて聞いたよ
「なら、生きてやるぜ」 おお、なんて、ブラボー!

おお、なんて、ブラボー! 淀みに浮かぶ 不束者よ
おお、なんて、ブラボー! 無傷のままじゃ 生きちゃいけねえ

なにしたって文句言われんだ 何の役にも立ちたかねえ もう
代わりはいくらでもいるんだ だから おれたちは 常に自由だ


おむかえを呼ばれても ボロボロになりながら 最後っ屁
「まだ、生きているぜ」 おお、なんて、ブラボー!

なんにもねえところからきて なんにもねえところまで行くのだ
汚れちまってる悲しみも よろこびも 全部 引き連れて GO


ゴミクズと呼ばれても おれたちは最後まで 不燃ゴミ
「だが、燃え尽きてやるぜ」 おお、なんて、ブラボー!

 

今、7人組のバンド活動をしている。K様曰く「全員が100%信頼し合っている集団はカルトっぽいから、全員が、全員に3割くらい不満を抱えているくらいでちょうどいいと思うよ」と言った。鋭い指摘だ。逆に言えば、その3割が命綱になる。集団行動が苦手な人間が、7人も集まって集団行動をしている。この時点で「奇跡的だな」と思う。集団行動を避ける人間は、多分、本能的に全滅のリスクを避けているのだと思う。全員が同じ行動をすると、なにかあったとき、全滅する。そのとき、命綱になるのが『残りの3割』の部分だ。歌いながら、まるで哭いているみたいだなと思うことがある。自分の中の動物的な部分が、呻き声をあげている。それは「悲しいよ」という言葉を経由して、常に「生きたい」と叫んでいる。

 

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 「tinc tura」 作詞 Keigo Sakatsume 作曲 Yasuko Kosuge

西の雲に 溶けていく
ひかりは 絶え間なく

過ぎた日々の 面影を
映した 星空

あいにきて いますぐに
とまらない おもい 抱いて

あいにきて いますぐに
あふれだす おもい 抱いて

ティンク トゥーラ

雨宿りをして行こう
夜空に 見えた 虹

大空まで 手を 伸ばす
いつまでも このままで

 

 

わたり文庫『邂逅の森』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、熊谷達也著作『邂逅の森』です。素晴らしい一冊だと思います。ご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には、70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、石川県にわたりました ※※※

 

 「人間てのは、お天道様と一緒に生きていくべき生き物だって、俺ぁ思うんだ。今までさんざん日陰を歩いてきた俺だけどよ。お天道様に逆らった生き方をしちゃ、ろくな死に方が待ってねえ。今回の雪崩で、骨の髄までそれがわかった。ありゃあ、神様が俺たち人間に天罰を下したに違えねえんだ」

熊谷達也『邂逅の森』【文春文庫】

 

虫けらのように生きても、春は来る。

シュタイナーの思想に興味がある。浅学だが、彼は、世界を物質界と霊界に分けて考えた(らしい)。物質界と霊界の間にあるものが色と光と熱で、物質界に一番近く、同時に霊界にも通じているものが『色』だ。色には、表面に固定された色と、物質から離れて浮遊している色がある。前者をピグメント、後者をティントゥーラと言う。空、水、虹、夕焼け、これらは全部ティンクトゥーラになる。青い海の水を掬っても、手の中に残るのは透明な液体。海の青を、掬い取ることはできない。掬い取ることはできないけれど、確かにそこにある色をティンクトゥーラと言う。

 

朝焼けの空のグラデーションが好きだ。モネの絵画のように「向こう側の世界」を感じさせる。美しい音楽に触れた時も、同様に「向こう側の世界」を感じる。日常生活の中で、忘れがちになっている世界観が、沁み渡る。掬い取ることはできないけれど、確かにそこにある『色』。私の好きな色は、青と、赤だ。そして、金色に憧れている。自分が好きな色は、自分の「足りないもの」を暗示しているらしい。青を好み、赤を好み、金色に憧れている自分は、いったい、何色なのだろう。きっと、自分に、色はない。自分自身は常に透明で、それは、水のようなものだ。なにに交わるか。なにを取り入れるか。それが、瞬間瞬間の自分を織り成すのだろう。

 

生き方に正解はない。だから、生き方に間違いもない。私は、書くこと、歌うこと、生きることを通じて「自分の中にある純粋な部分を、守り続けている」感覚がある。この部分に、どれだけの価値があるかはわからない。ただ、この部分があったからこそ、素晴らしい出逢いに恵まれた自負はある。自分が自分であり続けたからこそ、出逢えたよろこびがある。それは、これまでの人生をまるごと肯定するほどの、おおきな力だ。生き方に正解はない。ならば、生き方に間違いもない。どう生きてもいいし、みな、好きなだけ汚れる自由がある。自分という人間が水のようなものだとすれば、どれだけ汚れても、水は水のまま、常に、そこにある。だから、安心して汚れればいいのだと思う。安心して、燃えていけばいいのだと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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