いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

俺達は、最初から最高で、最後まで最高だよ。

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新大阪駅前のカフェにいる。今夜は福岡でLIVE。終了後速攻で小倉港に移動し、夜行船で愛媛に行く。LIVEの場数を重ねながら思う。メンバーのあきとが「此の期に及んで恥ずかしがることが、もっとも恥ずかしいことだ」と言っていた。この言葉がグサリと刺さる。舞台の上で、余計な言い訳は禁物だ。そんなことより「これが自分です」と堂々とやること。お客さんだって、謎の言い訳(言い逃れ)を聞きに来た訳じゃない。個々の人間のベストアクトに触れんがために、生きているのだ。

 

おおまかなスケジュール

9月21日(土)19時 弾き語りLIVE@福岡市中央区清川「i&i」
9月22日(日)14時 弾き語りLIVE@愛媛県内子町「丘の上の日曜市」
9月23日(月・祝日)18時 弾き語りLIVE@愛媛県松山市「厨さん」
9月24日(火)以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます!)
9月26日(木)20時 弾き語りLIVE@大阪市北区中津「EARTH DIVER」
9月29日(日)15時 定期演奏会@神奈川県横浜市「わたり食堂」
9月30日以降、東南アジア巡業編スタート(最初はバンコク
11月4日(月・祝日)14時 坂爪圭吾×壇珠「ファンタジーの魔法の使い方」

🌸🌸🌸すべてのイベントで、常時参加者募集中です🌸🌸🌸

SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu

 

ibaya.hatenablog.com

 

あなたは、もうひとりの私です。

過去に『ジュリー』という曲を書いた。その歌詞に「あなたはもうひとりの私です」という歌詞がある。出会った方から差し入れをいただくことがある。うまい言葉を選べないが、自分の生活だって大変なはずなのに、それなのに贈り物をくださる方がいる。猛烈にグッとくる。まるで、その人の命をいただいているような気持ちになる。生きろ。そう言われている気がする。生きようと思う。そして、自分を恥ずかしく思う。自分のことばかり考えていた自分を恥じ、同時に「あなたはもうひとりの私です」と感じる。あなたは私の代わりに生きていて、私はあなたの代わりに生きている。自分が、自分の命をしっかりと生きるとき、それは(めぐりめぐって)誰かの力になるのだと思う。しっかりと生きよう。そういう気持ちになる。

 

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稀にキリストの存在を思う。彼は、ひとりきり部屋に篭り日々を過ごすのではなく、街に出た。しかも、著名人と人脈を築き上げるのではなく、市井の人々、とりわけ社会的に低く扱われている人々と時間を共にした。私は音楽をやっていて、時折、著名な方々と出会うことがある。そういうときに「うわー!有名人と知り合うの、おもしれー!」とか、思う。が、同時に違和感も感じる。多分、今回の人生は、自分はこっちじゃないんだろうな、みたいな気持ちになる。すごい人々と知り合って、華美な人生を築くことは、何か違う。それよりも、普段、日の目を見ることのない(しかし、確実に生きている)人々と触れ合うことで、市井の人々の声を代弁する。本音を汲み上げ、言葉にならない叫びみたいなものを翻訳する。金持ちになることより、有名になることより、自分の役割はそこにあるような気がする。

 

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移動する日々を過ごしていると「あなたが羨ましい」的なことを言われる。だが、思う。当たり前だが、人間、誰もが同じ生き方をする必要はない。違うから、価値があるのだ。言葉を選べないが、私は、あなたの代わりに生きているのだと思う。あなたの代わりに移動をして、あなたの代わりに人々と出会い、あなたの代わりに世界の風景を眺め、あなたの代わりにそこで感じたことを言葉にしたり、歌にする。そして、あなたは、私の代わりに生きているのだと思う。ずっと同じ場所にいられない自分の代わりに、あなたは、あなたがいまいる場所で感じたことや、思ったこと、学んだことなどを、私の代わりに獲得する。そして、いつか、出会った時にそれらを交換(?)する。生きるということは、多分、そういうことだと思う。

 

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俺達は、最初から最高で、最後まで最高だよ。

日々、自分の非力さを嘆く場面に出会う。昨日もそうだ。己の非力さに、悔しさや不甲斐なさを抱いた。そういうときは「俺はダメな人間なんじゃないか」などと思う。そして「今に見てろよ」みたいな、なにくそ根性を発動させてしまう。だが、違う。私は、自分を含めた誰かに対する「なにくそ根性」で、飛翔をしたい訳じゃない。違う。きっと、俺達は最初から最高で、最後まで最高なのだ。音楽をやる理由は、ただ、音楽をやりたいからだ。音楽をやっている。その時点でゴールをしているのだ。技術があるから、とか、キャリアがあるから、とか、そういうことに胸を張りたい訳じゃない。違う。私は、端的に「生きていることのよろこび」を歌いたいだけだ。それは、全員共通のことだ。うまいから素晴らしいのではなく、ダメでも素晴らしいのだということを言いたい。生きていることに胸を張りたいのだ。

 

演奏中、カフェの店主M様が「カホン(座って叩ける太鼓)で参加してもいいですか?」と加わってくれた。それがすごい良かった。人前でカホンを叩くことは、初体験だとM様は話した。自分は、うまくなければやっちゃいけないと思っていた。でも、坂爪さんを見ていたら、ダメでもやってもいいのだと思いました。すごい楽しかったし、すごい嬉しかったです。演奏終了後、小さな女の子が「ねえ、お願いがあるの」と話しかけてきた。その子はけん玉が得意で、私の歌に合わせてけん玉をやりたいのだと言った。よし、わかった。やろう。ギターを弾いて私は歌った。女の子は、音楽に合わせてけん玉を使ってまるでドラムのようにリズムを刻んだ。あ、これだ。そう思った。音楽のよろこびはここにあるのだ。音を合わせる。それが、楽しい。うまいとかへたとかじゃない。ただ、どうしようもなく楽しい。ただ、それだけのことなのだ。ただそれだけのことが、どうしようもなく尊いのだ。

 

この「どうしようもなく楽しい」渦を、作りたいのだと思う。歌い手と聞き手の境目を溶かし、全員が一丸になって楽しむ。これは、盆踊りに似ているのだろう。なにかを楽しむ時、自分が自分の「好き」を生きる時、才能の有無や精神的な欠落や日常的な悩みや些細な出来事が、どうでもよくなる。ただ、生きていることの実感が残る。この実感は「俺達は、最初から最高で、最後まで最高なんだ」と思わせる感覚を与える。なにかができるからすごいんじゃない。なにかができないからダメなんじゃない。俺達は、生まれた時から最高で、最高なまま生き、最高なままこの星を離れて行く。足りないものはなにもない。ただ、俺達は、最初から最後まで最高であり続けるだけなんだ。と。この感覚を、大事にしたいと思う。読者の方からメールが届いた。自分も最高で、あなたも最高だ。そのことを忘れそうな時は、また、いつでもこの瞬間に戻ってくればいい。命は踊りたがっている。踊りたがる命を、躍らせること。多分、生きているということは、そういうことなのだと思う。

 

「みんなの前で歌いたい」というきもちが多分何年も前から自分の中にあって、、

でもどうしたらいいのかわからなくて。めちゃくちゃ恥ずかしいし、きっかけもないし、普段から歌をやってるわけでもない。上手いわけでもない。どうしたらいいのかわからないけど、なんか歌ってみたいというきもち。

今日、それを叶えられた!

仲間たちの前で、一曲だけ、久しぶりのギターをひきながら、歌った。

「歌うかも」とみんなにメッセージした時、こわくて手が震えた。でもわたしの真ん中のきもちが「願いを叶えてくれるの?」とよろこんでいたのかも、涙がでてきた。

恥ずかしいし、こわいし、わけわからなかったけど、、、

下手くそなものを下手くそなまま、やりたいきもちだけでただやればいい、ということを私は坂爪圭吾さんから教えてもらった。勇気をもらった。

ただやりたい、というきもちだけで、ちょっと勇気を出して、恥ずかしいきもちを乗り越えて、自分の願いを叶えた。こわかった。でも願いを叶えられて、、うれしかったよ。

自分の中で今日はとびこんでみた日。ああ、こわかったけれど、おもしろかった。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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