いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

真理は、人間を自由にする。

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熱海のデニーズにいる。明日16日は横浜。20日は大阪。21日は福岡。22日は愛媛でLIVEが決まった。17日以降、西日本に向けて出発したいのだけれど、奇跡的に「関東から関西まで車で行くよ!」という方がいたら、同乗させていただけないでしょうか。あるいは、23日以降「途中、この場所に寄ってよ!」という方がおりましたら、小規模でも全然構いませんのでEVENTを企画していただくことは、可能でしょうか。場数。場数。場数。自分に足りていないのは、圧倒的に場数だと思う。

 

 

おおまかなスケジュール

9月16日(月・祝日)15時 Agape演奏会@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」
9月18日(水)18時 弾き語りLIVE@名古屋ドーム(前)
9月19日(木)19時 弾き語りLIVE@大阪ドーム(前)
9月20日(金)13時 弾き語りLIVE@奈良県奈良市「GUEST HOUSE OKU」
9月20日(金)20時 弾き語りLIVE@大阪市鶴見区「Cafe de Lien」

9月21日(土)19時 弾き語りLIVE@福岡市中央区清川「i&i」
9月22日(日)14時 弾き語りLIVE@愛媛県内子町「丘の上の日曜市」
9月23日(月・祝日)以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます!)

9月29日(日)15時 定期演奏会@神奈川県横浜市「わたり食堂」
9月30日以降、東南アジア巡業編スタート(最初はバンコク

🌸🌸🌸すべてのイベントで、常時参加者募集中です🌸🌸🌸

問い合わせ先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com

SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu

 

ibaya.hatenablog.com

 

切実さ。

良い音楽と、悪い音楽の違いはなにか。先日、ある人の歌を聞いた。歌唱力は高いし、心地よい音楽だし、万人受けするだろうなとは思った。が、同時に「いいだけだな」と思った。この「いいだけだな」という感想は、音楽に限らず、いろいろなものに思う。美人だけど、美人なだけだな。とか。絵は上手いけど、上手いだけだな。とか。料理は美味しいけど、美味しいだけだな。とか。なんと言えばいいのか、そのひとがそのひとである必然を感じない。いいだけなら、代わりはいくらでもいる。いいだけじゃ、半分なんだ。本当の『いい』には、悪いも含まれている。

胸に響くものと、胸にまったく響かないものの違い。それは『血』が通っているかどうかだと思う。言い換えるならば『切実さ』だ。私は音楽をやっているが、普段はそれほど音楽を聞かない。飲食店などで流れているJ-POPを不快に感じることは多く、ライブもフェスもまったく行かない。行きたいと思うことがない。快感を覚える以上に、不快になることが多い。なぜ、不快になるのか。それは「なんで音楽をやっているのかが見えない」からだ。猿真似に見えるからだ。猿真似に見えるからこそ、そのひとであることの必然性が見えない。逆に言えば、感動を覚える歌い手には、その人自身の『切実さ』を感じる。誰かに認められたいとか、人気者になりたいとか、みんなを楽しませたいとか、それだけじゃない「自分は音楽でなければいけないんだ」という、その人自身の必然性を感じる。そこに、胸を打たれる。

 

数日前、ごちゃまぜの家に「お金がないからここに住みたい」と話す女性が来た。私は、正直、ごちゃまぜの家である必要性がよくわからなかった。ただ、家賃を低く済ませたいだけならば、NPO組織だの国家福祉だの、方法はいくらでもある。この家であることの必然性、あるいは「その人自身の切実さ」みたいなものがわからない限り、一緒にいられないと思った。だから、そのことを尋ねた。あなたの切実さがわからない、と。すると、その女性は涙を流した。涙を流しながら、彼女は「なぜ、涙が流れているのかわからない」と話した。私は、この涙にこそ、彼女の切実さを感じた。乱暴なやり方だったかもしれない。しかし、きっと、そういうことなのだと思う。音楽も、あらゆる営みも、すべては人間の『生き方』の発露だ。

 

note.mu

 

真理は、人間を自由にする。

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熱海


なぜ、綺麗なところだけを見せようとするのか。綺麗なだけじゃ、半分なんだ。本当の『いい』には、悪いもあるんだ。喜怒哀楽、まるごとひっくるめての人間なんだ。それなのに、一部分だけ取り出して「これが自分です」とか言われても、違うだろう、となる。楽しさや明るさなどが、一般的に歓迎される感情なのはわかる。しかし、その部分だけを差し出すのは、芸術家ではなく『芸術屋』だと思う。芸術屋の作品は、死んでいると思う。明るいようで、明るくない。元気なようで、元気を奪われる。血が通っていない、温度を感じない、機械のような冷たさを感じる。

 

私は、ここにむかついて音楽をやっている気がする。資本主義の歯車にされてたまるか。社会システムの部品にされてたまるか。権威や権力に飼い慣らされてたまるか。そういう反発心が、マイクを握らせたり、ギターを握らせているのだと思う。生きている限り、社会のルールに従うことは必須だ。父親なら父親の、母親なら母親の、学生なら学生なりの責任などは付いてまわる。しかし、自分の役割が、自分の社会的なポジションが、自分のすべてではないはずだ。父親(母親)である前の自分、会社員である前の自分、学生である前の自分、一人の人間としての自分、一匹の動物としての自分、一個の生命体としての自分。これを忘れたら、本当の意味で『生きる』ことは難しい。この難しさが、現代的な虚しさを生み、自殺やアルコール中毒などの倦怠的な雰囲気を生むのだと思う。ここに、私は、反発をしたい。

 

音楽は、人間を自由にするものだ。規則で縛られているうちは本当じゃない。与えられた枠に捉われ、人間全体として生きることを忘れてしまったら、途端に生きることが窮屈になる。毎日の生活に捉われてしまうと、人生の美しさに目を向けることを忘れてしまう。芸術の役割は、凝り固まった思考をほぐし、感性に潤いを与え、生きることの素晴らしさを取り戻すことではないのか。生きている限り、明日の生活費や、家賃の支払いなど、現実的な問題にぶち当たることは多い。しかし、そんなことよりも、自分にとっては「小さな頃に夢中になったものを、忘れないでいること」の方が、何億倍も大事なことだ。人間は、自分が好きなことをやっているとき、ナチュラルに人を愛し、ナチュラルに人を許し、ナチュラルに前向きな気持ちを抱き、ナチュラルに人と繋がっていく生き物だと思う。その感覚は、生きていかなければならないと強迫的な気持ちで自分を駆り立てることとは違う、この世界を「もっと生きたい」と思う気持ちがあふれ出す、前向きな力に変わるはずだ。

 

 

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All of the feelings

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

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