いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

常識を越える。

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アピタ新潟西店のカフェにいる。この前、突然メールで「詐欺師」と言われた。罵倒チックな言葉を浴びることは、稀にある。その出来事を日記に書いたら、想像を超えて読まれた。幸せな人間は、多分、他者を罵倒しない。自分が満ち足りていないから、他人のあれこれが気になるのだ。わかるよ。俺にも、そう言う時期があった。あんたも、幸せになれるといいね。そうおもった。詐欺師と呼ばれた瞬間はむかついたが、冷静に考えると「俺は、詐欺師みたいなものでもある」とおもった。

 

 

おおまかなスケジュール

9月9日 20時頃 命を賭けているライブ@東京都武蔵野市吉祥寺「曼荼羅」

SCHEDULE on 
http://urx2.nu/xkMu

 

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Agape主催の無料フェス。

Agape(我々のバンド)は現在七人組。ほぼ全員無職。音楽で生活をしているひとはどうしているのだろう。ファンクラブとか、最近流行りの「オンラインサロン」でも作ればいいのか。計算をしてみよう。月額1000円のあれに登録者が1000人いたら、単純計算で毎月100万円だ。ギリギリ生きていける気がする。だが、それなら「よし、それでいこう!」とはならない。毎月1000円もらうのも気がひけるし、なんというか「お金を出したいと思ったときに、お金を出す」くらいがちょうどいいと思う。月額になると、固定費みたいになるからいやだ。今月は余裕があるから出す、今月はちょっと他にやりたいことがあるから出さない、基本的には出せないけど宝くじがあたったら全部あげる、みたいな流動性が欲しい。というか、別にお金が欲しいわけではない。みんながいい感じに生きていけたら、それだけでいい。

 

生きるためにお金が必要なのもわかるけど、お金がなくてもいきられる世の中なり、スタイルに関心がある。Agape主催の無料フェスとかやりたい。全部無料。オール無料。まず、場所を無料で提供してくれる神様が現れ、それなら「軽食を無料で出すよ」とか言ってくれる企業なり個人があらわれ、無料で髪を切るひととか、無料で映画を流すひととかが登場する。その空間には「気前の良さ」だけが集まる。まったく得にならないのに、損しかしないのに、それでも「やりましょう!」と言う人々のグルーブが生まれる。そのとき、一体、会場はどのような雰囲気になるのだろう。そこで、我々Agapeも無料ライブをやりたい。別に、チャリティーじゃない。ただ「気前の良さ」を掻き集めたいだけだ。気前の良さが結集すれば(仮に、こういう空間が多発したら)、別に金がなくても生きていける気がする。現代社会では「どれだけ稼げたか」で人間を評価する傾向がある。しかし、この空間では「どれだけ与えられたか」で、格好良さが決まる。粋な人間ほど、評価される。

 

前回の記事で「実は、人間は『あげたい』生き物なんじゃないか」と書いた。誰もが、実は、誰かになにかを与えたいと思っている。しかし、そういう機会はなかなかない。逆に言えば、機会されあれば「まってました!」と言わんばかりに、人々の気前の良さは爆発する気がする。我々は、時折「愛されたい」的な悩みを抱く。しかし、これは「愛したい」を言い換えただけの言葉だ。ひとは、誰かを愛することを通じて、自分を愛する。自分を愛することを通じて、誰かを愛する。そこに、実は、境界線はない。自分だけを愛することは不可能で、他人だけを愛することも不可能だ。あ、やばい。変なことを書き始めてしまった。とにかく、最初は小規模でも無料フェスを試したい。生きるために金を集めるより、金がなくても生きていけるエネルギーみたいなものを、集めてみたいと思う。そっちの方が、ご機嫌だ。

 

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常識を越える。

私の実家は新潟にある。実家は不思議だ。突然帰ってもいいし、鍵は空いているし、風呂も勝手に入るし、冷蔵庫も勝手に開ける。車も勝手に使う。これが他人の家だったら、こうはいかないだろう。もっと『遠慮』が発生する。普通なら発生する遠慮が、実家では発生しない。なんと言うか、共有財産の範囲が広いのだ。そして、ふと、思う。この実家の範囲を、もっと広げることはできないのか。誤解を恐れずに言うと、実家がないひとはたくさんいる。いつでも連絡なしに帰れる(突然、玄関をガラガラあけて「ただいま」と言えちゃう)場所がないひとは、結構いる。こういう場所は、あった方がいい気がする。できることならば、ひとつと言わず、ふたつでも、みっつでも、やおよろずでも。実家を増やすことは可能なのだろうか。そこに、ちょっと、トライをしたい。そう思ってはじめたものが『ごちゃまぜの家』になる。実家を増やすとは、要するに「安心感を増やすこと」だと思う。

 

最悪の場合は、ここに戻ればいい。そういう場所がある人間は強い。父性は、母性に支えられている気がする。乱暴にまとめると、父性とは『導く力』だ。そして、母性とは『護る力』だ。これらが噛み合ったとき、人間は前を向ける気がする。逆に言えば、父性だけでは体育会系になりがちだし、母性だけでは湿ったダンボール(過保護)になりがちだ。私の頭がおかしいだけなのかもしれないが、私は、すべての女性に対して「あなたは私の娘であり、私の妹であり、私の姉であり、私の嫁であり、私の母であり、私の祖母である」みたいな気持ちになる。だから、基本的に「人類全体の父になれ」的な思いを、自らに抱いている。父、とか言っているが、時には息子にもなるし、弟にも、兄にも、旦那にも、祖父にもなる。父である私は、基本的に「行け」とか「やれ」とか「死ね」とか、そういうことばかりを言う。大丈夫。恐れることはなにもない。やっちまえ。と。男性性が強すぎる私は、油断をしていると自他を破滅に追い込んでしまう。そこを支えるものが、母性だ。

 

常々感じている違和感がある。それは「なんでもひとりだけでできて一人前」という価値観だ。なにか問題が起こる。そのとき、生きてきた癖みたいなものが「どうすればこれを『自分だけの力で』解決できるか」みたいなことを考えさせる。誰かに頼るのは半人前。誰かに甘えるのは半人前。なんでも、自分だけの力でできて一人前。こうした考え方が、問題をひとりで抱え込むように仕向け、最悪の場合は精神的な孤立を生む。我々、すでに、21世紀を生きている身である。もう少し、分かち合っていってもいいのではないか。普遍的なよろこびのひとつに「よろこびを、誰かと分かち合う」というものがある(と思う)。金も、問題も、自分だけで抱え込んでいる限りダサいのではないか。もっと、気前がよくなってもいいのではないか。と、そういうことを書いていたら「詐欺師」と言われた。確かに、詐欺師みたいなものだなと思う。現実からかけ離れた理想を語る限り、そいつは常に詐欺師みたいなものだ。だが、理想を目指す自由は、ある。私が詐欺師のままで終わるのか、少しでも現実に変えることができるのか、それはこれから先の話になる。あとは、もう、自分の生き方を見ていてくれとしか言えない。できるとわかりきっていることをやっても、それを挑戦とは言わない。できるかどうかはわからないけれど、何かを「やりたい」と思う。それを、実践することを挑戦と呼ぶのだと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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