いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

すべての瞬間に終わりがある。

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熱海のデニーズにいる。昨日、相模湖畔で壇珠さん(ミユさん)にお会いした。私が、音楽を始めるきっかけを与えてくれた女性だ。小生、シャイニングなシャイボーイであるために、話したいことがあったはずなのにまったく言葉にならず「話したいことがあったはずなのにまったく言葉になりません」とか、そのまんまのことを話した。実は、伝えたい言葉なんて「あなたにあえてよかった」とか、その程度だと思う。いつの間にか生まれてきて、あっという間に死ぬ前に、あなたにあえてよかった。あなたにあえたおかげで、自分にも、生まれてきたかいがありました。

 

 

おおまかなスケジュール

8月24日&25日 15時 定期演奏会@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」
8月31日 13時 Shanti Day@東京都新宿区四谷「シアターウイング」
9月9日 20時頃 命を賭けているライブ@東京都武蔵野市吉祥寺「曼荼羅」

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http://urx2.nu/xkMu

 

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あなたにあえてよかった。

相模湖畔に続く坂道が急で、滝汗が流れた。息を切らしたミユさんが、いきなり「わたしは死ぬと思います」と言った。ミユさんは結構頻繁に死ぬと言う。私も、結構頻繁に死ぬと言う。それは「いつか死ぬね、俺たち」という真理を確認し合っているようで、悲壮感はない。ただ、清々しさだけがある。地球というテーマパークに生まれて、開園から、閉園までの時間を過ごす。楽しいという乗り物に乗ったり、悲しいという乗り物に乗ったり、嬉しいという乗り物に乗ったり、切ないという乗り物に乗ったり。そして、最後、終わりの時間が来た時に「ああ、愉しかったね」と言って、テーマパークを離れる。それまでの時間を、一緒にキャッキャキャッキャ言いながら遊んでいるこどものような気持ちに、ミユさんといると、なる。

 

 

前に『わたしを忘れないで』という曲を作った。この曲の前半に「本気で人を愛すること、それは命を賭けること」という歌詞がある。そして、後半に「天国にもっていけるのは、愛し愛されたメモリー」という歌詞がある。死を歌うことは、生きることを歌うことと似ている。生まれてきて、生きて、死ぬ。そのなかで、ひとと出会い、ひとと出会うことで「自分にも生まれてきたかいがあった」などと思う。人間は、多分、二回死ぬのだと思う。肉体が滅びたときと、忘れられたときだ。もしよかったら、この曲を、聞いていただけたらうれしいと思う。自分が、自分を、忘れてしまうことがある。自分が、自分を、置き去りにしてしまうことがある。

 

 

ああ、これのためにあったのか。生きていると、そう思うことがある。腹が立った記憶も、音楽に生かされると「ありがとう」となる。横浜の家には、ピアノがある。ただ、誰もピアノを弾けるひとはいなかった。だから、ある種の粗大ゴミみたいになっていた。しかし、最近、りゅーちゃん(19)が一緒に音楽をやれることになり、日の目を見た。日の目を見る。素敵な言葉だ。ただ、やりたい。ただ、歌いたい。ただ、そうしたい。そう思ったことが、結果的に「これのためだったのか!」と何かに繋がることは多い。家のない生活をはじめたおかげで、人々と出会った。ごちゃまぜの家をはじめたおかげで、活動拠点を得た。音楽をはじめたおかげで、自分を思い出すことができた。いま、やっていることが、どのような影響を生み出すのか。みんなが、みんなの全部が、日の目を見ることができたらと思う。

 

note.mu

 

すべての瞬間に終わりがある。

すべてに終わりの瞬間がある。私は、今朝、熱海の家で目を覚ました。顔を洗い、着替え、原チャに乗ってデニーズに向かう。パソコンを開き、Wi-fiを拾い、文章を綴る。この記事を書き終えたら、適当な食料を買って家に戻り、本を読み、音楽を作り、夜は温泉にでも行くのだろう。当たり前の日常だが、当たり前ではないな、とも思う。この日常も、この風景も、来年の今頃はまったく変わっているかもしれない。大事なものが、いつまでもそばにあるとは限らない。すべてに終わりの瞬間がある。失ってから気づくには、あまりにも遅すぎるものたちに、いま、囲まれながら生きていることの当たり前を思う。終わりを感じることは、切ないことだ。

 

すべてに終わりの瞬間がある。人生で最後の今日がはじまり、人生で最後の今日が終わる。今日の自分は今日で最後、もう、明日には別の自分になっているのだ。人生は何度でもやり直せる。そう思う。同時に「人生は取り返しのつかないことの連続だ」とも思う。流れているのは、時間か、自分か。永遠にはここにいられないからこそ、言葉を綴ったり、写真を撮ったり、音楽を作ることで「いまを永遠にする」ことを目論む。言葉を探すことで、目を凝らすことで、思いを馳せることで、永遠に手を伸ばす。忘れないように。いつでも思い出せるように。切ないということは、大切であるということだ。切なさが大きいほど、それは、大切なものだ。

 

すべてに終わりの瞬間がある。地球というテーマパークに生まれて、開園から、閉園までの時間を過ごす。楽しいという乗り物に乗ったり、悲しいという乗り物に乗ったり、嬉しいという乗り物に乗ったり、切ないという乗り物に乗ったり。そして、最後、終わりの時間が来た時に「ああ、愉しかったね」と言って、テーマパークを離れる。私たちは、いま、二度と戻らない時間の中にいるということ。当たり前のこととしてではなく、愛しさと共に、郷愁と共に、思い出される時間の中にいるということ。生きるということと、すべてに終わりの瞬間があるということ。終わりを大事にするということは、いまを大事にするということだ。いまを大事にするということは、自分を、自分を含めた「世界全体」を大事にするということだ。今日の自分(あなた)は、今日で、最後。しっかりと、見届けてやりたいと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

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