いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

必要なものは与えられる。

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熱海のデニーズにいる。熱海に来ると元気になる。なぜか。人間が免疫力を回復するには『五つの浴』が有効だと聞く。森林浴。月光浴。日光浴。温泉浴。海水浴。多分、これが全部あるからだと思う。突然ですが、明日7月21日(日)熱海の家で演奏会をやります。毎回突然でごめんなさい。ひとりでも来てくれたら嬉しいです。こんな機会でもないと熱海なんて来ないと思うので、是非、遊びに来てください。意外と東京からも近く、新幹線で50分、鈍行でも2時間かからない距離です。

 

 

おおまかなスケジュール

7月21日 15時 定期演奏会@静岡県熱海市「逢初庵」
7月22日 死に支度、いたせいたせと名古屋かな。
7月23日 京都以降、FREE!【呼ばれた場所に行きます】
7月27日 15時 定期演奏会@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」
7月28日 15時 定期演奏会@神奈川県横浜市「わたり食堂」

SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu

 

ibaya.hatenablog.com

 

つまらなく生きるなら、死んだほうがいい。

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おいでませ熱海

 

東京の神田駅でK様に寿司をごちそうになった。K様から「坂爪さんは、つまらなく生きるくらいなら死んだ方がいい」と言われた。嬉しかった。潔い。清々しい。こんな言い方をしてくれるひとは少ない。日本の湿度はすごい。油断をしていると精神にカビが生える。せめて、人柄だけでもカラッとしていたい。話題は『言葉が与える力』になった。ドラえもんジャイアンというキャラクターがいる。みんなが彼をジャイアンと呼ぶからこそ、ジャイアンの力は強化される。だが、ジャイアンの母はジャイアンを『たけし』と呼ぶ。だから、彼の母にはジャイアンの効力は通用しない。ジャイアンジャイアンと認識するものにだけ、その効力は及ぶ。

 

私は坂爪圭吾だ。坂爪圭吾名義で音楽を作る。創作活動では「自分を表現したい」みたいなことを思う。だが、常に、頭の片隅に「自分とはなにか」という問いがある。坂爪圭吾は、坂爪圭吾である以前に、ひとりの人間だ。名前のない存在として自分を見ると、よく、わからなくなる。空を飛ぶ鳥に名前はない。それでも、悠々と空を舞う。鳥は、偉くなりたいとか成功をしたいとか、そういうことを思わない。鳥の前で「俺はこれだけ金持ちなんだぞ、えっへん!」と胸を張ったところで虚しい。逆に言えば、我々が自然や動物に癒されるのは、彼らが『ただの命としてそこにある』からだと思う。彼が彼だから、という個別の特徴を超えて、命が、ただ、命のままそこにあることに安寧を覚える。社会的動物である人間は、何者かになるために常に四苦八苦する。そんななか、何者でもなく悠々と生きる存在に、慰められる。そして思う。何者かになれないことが苦しいのではなく、何者かになろうと思うことが苦しいのだ。現在の自分を受け入れられないことが、苦しみになるのだ。そして、また、自分も(動物と同じように)自然物であることを思い出す。

 

社会を変えよう。多様性を認めよう。そんなスローガンを耳にする。私は違和感を覚える。社会とはなにか。それは「社会を構成する一人一人の集合体」でしかないと思う。だから、社会を変えるには、社会を構成する一人一人が変わる以外に、方法はない。理想的な社会を実現したければ、理想的な人間になるしかない。世の中がまともになれば自分もまともになれる、とは、嘘だ。多様性を叫ぶひとが、私には「自分を認めて欲しい」と叫んでいるように見える。別に、他人が自分を認めずとも、自分が自分を認められたらそれでいいと思う。逆に言えば、周囲がどれだけ自分を認めようが、自分が自分を認められなかったら『命のままでそこにある』ことは不可能だ。幸福の秘訣は「誰かのせいにしない」ことだと思う。自分が幸福を感じることができないのは、誰かのせい、社会のせい、環境のせい、時代のせい、周囲の無理解のせい、などと言っている限り、永遠に幸福にはなれない気がする。

 

note.mu

 

必要なものは与えられる。

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前回の記事で「車があったら移動をしながら暮らしたい」とか「エレキギターがあったら幸せだっちゃ」と書いた。すると、広島在住の女性から「自由に使える車があります」と連絡が届いた。また、京都在住の男性から「使っていないギターがあります」と連絡が届いた。驚いた。自分から「これがあったら幸せ」と言っておきながら、いざ、それが実現しそうになった瞬間、湧き出した感情はよろこびではなく『恐怖』だった。新しい生活に突入するとき、過去の生き方を一回捨てることになる。多分、そこに怯えているのだと思う。前に、こんな言葉を聞いたことがある。もし、あなたが生き方を大きく変えたいと思うならば、自分が恐れていることをやるか、好きなひとに告白をするのがいいよ。と。それと似ているのだと思う。

 

迷ったらGO。湿度を吹き飛ばすには、これが一番だ。大前提として「必要なものは与えられる」と思いながら生きていたい。自分に車やエレキギターが必要なら、必ず、なにかしらの出来事を通じてそれは与えられる。与えられないということは、必要ない(いまあるもので戦え)ということだ。必要なものは与えられると信じることは、逆説的だが「なにもなくても生きていける」ことを信じることだ。なにもなくても生きていける。馬鹿にされても生きていける。どのような状態に置かれても生きていける。みんなが当たり前に持っているものを、自分だけがもっていないとしても、生きていける。なぜなら、まだ、命があるからだ。感じる心があるからだ。命(感じる心)があるということは「役割がある」ということだ。役割がある限り、私は、死ぬことはない。逆に言えば、役割を終えたとき、死ぬのだと思う。役割とはなにか。抽象的だが、それは「自分を通じて行われること」だ。自分の意思を超えて、自分がただのパイプのようなものになり、自分を通じて行われる『神の御業』とでも言えばいいのか、それが自分(というか人類全体)の役割だ。

 

音楽をやっていると、不思議なアドバイスを受ける。「音楽をやるには金が必要だよ」とか「音楽をやるには環境や才能や人脈が必要だよ」とか。違う気がする。音楽をやるには、ただ、音楽をやればいいのだ。私の夢は実現している。私の夢は「音楽を通じて有名になること」ではない。違う。私の夢は「音楽をやること」だ。お金がなければ自由になれないなんて、嘘だ。だって、私は、音楽そのものに自由を見たのだから。なにかを好きになるということは、そこに『光』を見ることだ。自由になるために音楽をやるのではない。自由だから、音楽をやるのだ。金の先に自由があるのではない。環境の先に自由があるのではない。才能の先に自由があるのではない。自由ならば、ここにある。どこか遠くに存在するものではなく、自分の中に『すでにあるもの』を愛するために、音楽をやっているのだと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

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