いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

戦う限り、負けない。

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菊名駅前のコロラドにいる。雨。寒い。梅雨。湿度。朝5時。雨音で目覚める。テントの中。寒い。お湯を沸かす。湯気。暖気。お湯。飲む。早朝、一番崇高な時間。この時間帯に思ったことが、1日の質を決める(気がする)。戦う限り負けない。なぜ生きるか。それは「勝つため」ではないと思う。私の場合「負けないため」だ。勝ちたいとは思わない(たまに思う)。ただ、負けたくないとは、思う。

 

 

おおまかなスケジュール

6月24日以降 死に支度、いたせいたせと、菊名かな
6月30日 15時 定期演奏会@神奈川県横浜市「わたり食堂」
7月2日 15時頃 ドンムアン空港到着以降、FREE!

SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu

 

ibaya.hatenablog.com

 

世界には、こんなに楽しいことがあったのか。 

ひたすら曲を作り続けている。駄曲の数々。創作は孤独だ。毎日作ると「もう、俺からはなにも出てこないよ」と思う。それでも作る。作ろうとする意思を持つ。気力はなくとも、楽器を持つ。椅子に座る。ノートを広げる。言葉を綴る。作ろうとする意思をもつと、不思議なことに、言葉が出る。音楽が出る。創作に疲れて「もうやめたい」などと思いながら、創作によって励まされている自分を見る。人間関係と似ている。人間に疲れ、人間に嫌気が差す時もあれば、人間に救われることもある。創作の時間は孤独だが、音をあわせる時間はたまらない。ああ、音楽をはじめてよかったと思える最高の瞬間のひとつだ。やめないでよかった。心から思う。

 

千葉県で開催されたライブ出演直前、女性Mさんからもらった言葉。楽しんでほしい。失敗しないようにやるんじゃなくて、楽しみながらやってほしい。楽しむ姿を見て、自分たちも一緒に楽しむことができる。間違えたときも、ああ、間違えたって閉じてしまわないで。堂々と間違えて、間違えたことも楽しんでほしい。と。大事な言葉だと思う。どれだけ正しいことをやっていても、当事者たちが「楽しそう」でなければ、見ている側も窮屈になる。私達は、多分、誰もが『自由』を感じたくて生きている。自由に触れるとうれしくなり、自由を奪われると悲しくなる。自由を『愛』や『よろこび』に置き換えてもいい。楽しんでほしい。この言葉は、多分、人類全体に共通する祈りだ。誰もが、大切なひとには「生きることを楽しんでほしい」と願うだろう。完璧であることより、完全無欠であることよりも、無様でも、不器用でも、不完全でも「楽しみながら生きてほしい」と、願うだろう。

 

反対のないもの。そこに興味がある。誰かを「優しいひと」「冷たいひと」「明るいひと」「無口なひと」などと表現するとき、必ず、何かを取りこぼす。言葉は足りない。誰にでも、それだけじゃない部分がある。誰かを「優しいひと」と形容するとき、同時に、そのひとの『優しくない部分』が浮き彫りになる。対義語のない言葉、反対のない言葉を通じて、自分の好きなものを表現できたらと思う。そのもののど真ん中。そのひとのど真ん中。それを表現したい。音楽をやっていると、稀に『ど真ん中』を体験できる瞬間がある。ただ、そうであること。ただ、それでしかないこと。瞬間的なものだとしても、何かが合致した時、我々は、高次の次元に引き上げられる。ただ、そうでしかないことの境地。それは、おそらく『遊び』を通じて辿り着く境地。楽しいのなかには、全部ある。遊びのなかには、全部ある。

 

note.mu

 

わたり文庫『代表的日本人』 

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、内村鑑三著作『代表的日本人』です。生き方に迷う時、私は、長く親しんできた本を手に取る。そこには、自分の原点のようなもの、初期衝動のようなものが書かれている。たとえば、西郷隆盛の「天を相手にせよ。人を相手にするな。すべてを天のためになせ。人をとがめず、ただ自分の誠の不足をかえりみよ」という言葉。自分は、自分の『好き』を通じて、自分をチューニングするのだろう。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、新潟県にわたりました ※※※

 

誠の世界は常に密室である。そのなかで強い人は、どこにあっても強い。

 

命も要らず、名も要らず、位も要らず、金も要らず、という人こそもっとも扱いにくい人である。だが、このような人こそ、人生の困難を共にすることのできる人物である。またこのような人こそ、国家に偉大な貢献をすることのできる人物である。

 

「天」と、その法と、その機会とを信じた西郷は、また自己自身をも信じる人でありました。「天」を信じることは、常に自己自身を信じることをも意味するからです。

内村鑑三『代表的日本人(西郷隆盛・新日本の創設者)』【岩波文庫

 

戦う限り、負けない。

強制収容所の体験記を読んだ。過酷な状況で生き延びた人間は、不思議なことに、体力のある人間より「繊細な人間」だった。そして、極限の状況の中に置かれても、最後まで奪われることのなかったものが『音楽』と『ユーモア』だったという。どれだけ腹をすかしていても、自分に残された最後の食糧と引き換えにしてでも、不定期で開催された音楽の催しに集まる人間は、決して少なくなかったという。繊細な人間は、言い換えれば「情操豊かな人間」とも言える。ささいな出来事に、芸術性を見いだせる人間とも言える。強制収容所では、希望をなくした人間から、死んでいった。希望を抱き続けた人間は、強制収容所でも自分を保ち続けた。

 

ある心理学者は、強制収容所での数々の体験を、いつの日か、大勢の聴衆の前で語る自分を想像しながら、日々を乗り越えた。ここでの体験が、いつの日か、必ず報われる瞬間が来る。そう信じることが希望となり、彼を『生きる』方向に向かわせた。強制収容所と、いまの日本は、まったく違うもののようで「どこか似ている」と思う。それは、希望の欠如だ。私達には、どのような環境に置かれても「そこでどう動くか」を決める自由がある。態度決定の自由だ。逆に言えば、希望を失うことは、意思を失うことと似ている。意思を失うと、環境の奴隷になる。蔓延する諦めのムードに蝕まれ、自分を保つことが難しくなる。「なにをしても無駄」という気分が蔓延すると、自分を捨てることが賢明なこととなり、自分を出すこと、夢を見ること、希望を抱くことは「愚かなこと」になる。そして、夢は、希望は、次々とその芽を摘み取られてしまう。賢明であるために。この世を生き延びるために。

 

ここでいきなり突拍子もないことを言うけれど、私は、孤独死でもいいじゃないかと思う。みんなに囲まれながら死ぬことがひとつの終わりなら、人知れず、こっそり息を引き取ることもひとつの終わりだ。自分がどれだけ生きたのかは、おそらく、自分が死ぬ瞬間にわかるのだろう(わからないかもしれない)。自分がごまかしてきたものと、自分がごまかさないできたもの。自分が避けてきたものと、自分が貫いてきたもの。自分が愛してきたもの。自分が愛されてきたもの。私は、今朝、負けたくないと思った。自分を大事にするということは、自分の『希望』を大事にするということだ。自分に嘘をつくくらいなら、自分をごまかすくらいなら、自分を貶めるくらいなら、自分の希望を貶めるくらいなら、私は、私に「孤独死を贈りたい」と思う。その孤独は、きっと、遥かに充実した孤独であるように思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

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