いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

時間なんてない。あるのは記憶だけだ。

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大阪府鶴見緑地近くのコメダ珈琲にいる。こどもを好きな理由がわかった。一般論を言わないからだ。誰かと話しているとき、一般論ほど退屈なものはないものはないと感じる。常識がどうだの、普通はこうするものだの、誰かがこんなことを言っていただの、心の底からどうでもいい。あなたが、あなたであるところの話を聞きたい。一般論に毒されると、自分が消える。誰と話しているのかわからなくなる。

 

 

おおまかなスケジュール
 
6月7日 FREE!@関西全域【宿も予定もございません】
6月8日 FREE!@関西全域【宿も予定もございません】
6月9日 17時 EVENT 音楽×トーク@大阪市北新地「Candy」
6月12日以降、経済的に○な場合、欧州音楽武者修行(仮)
6月12日以降、経済的に×な場合、四国&九州音楽武者修行(仮)

【イベント出演依頼があり次第、どこでも行きます!!】
6月30日 15時 定期演奏会@神奈川県横浜市「わたり食堂」


SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu

 

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記憶と時間。

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新潟の夕日。ミニライブを開催した。


巷では「過去を悔やまず、未来を恐れず、現在を生きよう」みたいな言葉を聞く。いま、ここを生きよう。そういうことなのだと思う。私は、こういう励まし(?)の言葉に、もう、飽きた。過去と現在と未来を、明確に区別できる気がしない。物理学の世界では「時間はない」という学説もある。個人的に、時間はないと言われるほうが、ドキドキする。前提がひっくり返される楽しさを覚える。大概、我々は、三次元の世界を生きていると思っている。三次元に、時間の概念が加わると、四次元になる。しかし、物理学には『超ひも理論』なんて理論もある。この理論だと、我々が生きている世界は11次元(!)ということになる。11次元とか言われても、まったく意味がわからない。意味がわからないと、愉快な気持ちになる。

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家のない生活をしていた頃、様々な人々の家にお世話になった。特定の女性に養ってもらうことが「ひも」ならば、宇宙全体から養ってもらおうとする発想を「超ひも理論2.0」と呼べるのではないか、と、なんとなく閃いてしまった私は『超ひも理論2.0 〜私は地球に愛されている〜』を提唱した。程度の低いギャグだが、これがまた意外にウケた。宇宙は意味がわからない。私は、意味がわからないものが大好きだ。だから、意味のわからない生き方をしたいと思う。織物の一種に『さをり織』というものがある。障害者の就労支援などでも使われる(?)織物の一種で、障害者の方々は、健常者には思いも寄らない奇抜な(それでいて猛烈に美しい)織物を織り上げたりする。一般人には思いも寄らない秩序。表面的には無秩序に見えても、人間の想像を絶する『秩序(芸術)』に触れた時、我々は感動を覚える。

 

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来週から欧州に行く。が、片道切符しかないため、帰ってこれないかもしれない。欧州が無理になった場合、四国&九州音楽武者修行に出る(予定)。欧州でも、日本でも、もしも「坂爪圭吾と語ってみたい!」などと思ってくださる方がいたら、規模は一切問わないのでイベントを企画していただけたら猛烈に嬉しいです。音楽の場数、会話の場数を磨きたい。人と話すことでインスピレーションを得たい。私には、昔から「人間と話したい」という欲求があった。しかし、人間と話しているはずなのに「人間と話している」とは思えない瞬間が、たくさんある。一般論しか語られることのない時間は苦痛だが、なんだか、最近は『人間の機械化』がすごい速度で進んでいる。お利口さんは多い。ロボットみたいなお利口さんは、最悪だ。

 

note.mu

 

時間なんてない。あるのは記憶だけだ。 

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音楽をはじめてから、自分で作詞作曲をするようになった。創作をしながら「ああ、俺は、人類共通の記憶にリーチしたいのだな」と思う(ことが多い)。音楽は時間に乗っている。絵画の場合、その絵を5秒見て立ち去ることもできるし、1時間でも2時間でもずっと見続けていることもできる。しかし、音楽は時間に乗っている。3分間の音楽なら、誰にとっても、聞いていられる時間は3分間になる。この違いが、なんだか興味深い。もし、時間なんてものはないとすれば、あるものは『記憶』だけだ。私は、時折、考える。我々は「時間が流れる」なんて表現を使うが、実は、流れているのは時間ではなく『人間』の方なのではないだろうか。と。時間は常にそこにあって、そこを人間が流れているだけに過ぎないのかもしれない。

 

音楽を聞いてくれたひとが「動画で見るより全然いいですね!やっぱり生ですね!」と感想をくれる。なんとなくわかる。動画にないものがライブにはある。なにが違うのか。私は『振動』だと思う。別に『波動』でも『エネルギー』でも『覇気』でも言葉はなんでもいいのだが、動画にはない、リアルの振動がライブ会場に生まれる。音楽とは、要するに『振動(音の振動)』のことだ。音は、(これは非常に重要なことだと思うのだけれど)物質を通過する。壁を超えるし、人間の皮膚を超える。臓器に直接届く。鐘を鳴らすことで心身のバランスを整える、なんてことは昔から行われてきた。祭りの太鼓も、原始的な本能を目覚めさせる力がある。

 

記憶と時間。興味のあるテーマだ。音楽に限らず、素晴らしい出会いには、世界を変える力がある。誰にでも経験があるだろう。恋をすると、世界が輝いて見える。素晴らしい本を読み終えると、世界が明らかに変わって見える。素晴らしい音楽に触れた途端、まったく同じ世界を生きているにも関わらず、まったく別物の世界を感じ取ることができるようになる。これまで当たり前だと思っていたものが、一瞬にして『奇跡』に取って代わるような、価値観の転換。それは、自分が新しいものに生まれ変わるというよりも、忘れていたなにかを『思い出す』という感覚に近い。私は、音楽を通じて、人類共通の記憶にリーチをしたいと思う。言葉でも、同じことだ。自分という完全に個人的な事象を通じて、人類全体の記憶にアクセスする。自分を生きれば生きるほど、自分を掘り下げれば掘り下げるほど、結果的に、人類全体に到達する。そういう、表面的には矛盾をしていることに、関心がある。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

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