真理は人を、自由にする。
新潟駅前のドトールにいる。鬼ごっこ。人生が本気の鬼ごっこみたいになってきた。背後には、常に現実という名の死神がいる。捕まったら即死だが、逃げ切れば勝ちだ。死ぬのが先か、有終の美を飾るのが先か。あ、どっちも死だ。なーんだ、いずれにしても死じゃないか。あはは。と、定期的に謎の形で安定をする。しかし、死にたくはない。安らかに逝きたい。そう思っていたら、救世主が降臨した。
社会に馴染めず「自分は欠陥人間だ」と、消えたい時期が長く続いた。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2019年6月1日
その時、ふと、嫌いなもののために死ぬなんてクソだ、と思った。どうせなら、自分が嫌いなもののためではなく、自分が好きなもののために、死にたいと思った。
純粋なまま、汚れて行こう。 - いばや通信 https://t.co/Yo6LdXtH5e
おおまかなスケジュール
6月4日 EVENT 音楽×トーク@新潟市西区「海のオフィス」
6月6日以降、FREE!@関西全域【宿も予定もございません】
6月9日 EVENT 音楽×トーク@大阪市北新地「Candy」
6月12日以降、経済的に許された場合に限り、欧州武者修行(仮)
6月30日 定期演奏会@神奈川県横浜市「わたり食堂」
SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu
楽観力。
私の生活は破綻している。それを見かねた救世主から「困ったことがあったら言ってください」とご連絡をいただいた。エブリデイ困っているため、先ほど、新潟駅前でお会いした。結果的に、あらゆる問題が霧消(?)した。餅は餅屋。真理だ。自分が苦手なことを、自分だけで抱えると死滅する。私は、数字などの管理が著しく苦手で、これをやらないと死ぬなどと言われても「これをやらなければ生きていけない世界を、生きていきたいとは思わない」とか言って、すぐに破滅を考える。
救世主M様は言う。幸福は四種類の精神から成り立つ。『自分らしさ』の精神と、『やってみよう』の精神と、『なんとかなるさ』の精神と、『ありがとう』の精神。この四種類の精神だ。あなたには、なんとかなるさの精神が足りない。他の三種類は、充分、備わっている。だから、もっと楽観力を磨いた方がいい。そうすれば、ずっと生きやすくなると思うよ。と。素晴らしい指摘だ。その通りである。小生、行動力はあるものの毎回死にそうになりながら行動をしている。毎回、しっかりビビっている。そして、なにかあるたびに「やっぱりね」とか言いながら、こっそり破滅の準備をする。頑丈な縄を探してみたり、孤独死にふさわしい海や森を探してみたり、遺書を書いてみたり。そんな私の魂胆(?)を見抜いたM様は「楽観力を磨け」という、ありがたい言葉を残した。なんとかなる。だから、大丈夫だ。
別に、法律を犯した過去があるわけじゃないのに、生きることが「罪滅ぼし」みたいに感じることがある。生きていること、生まれたことを『罪』のように感じる。罪という言葉が重いなら、恥という言葉でもいい。私は、私を、恥ずかしい存在だと思う。欠落人間だと思うし、ダメ人間だと思う。そして、これまた厄介なことだが「そんな自分が愛おしい」などと思ったりする。そして、またさらに厄介なのが「似た恥や、似た罪、似た感覚を感じているひとに親愛を覚え」たりする。参った。私は、恥と、罪で、出来ている。そのことを誇りに感じていたりするのだ。だがしかし、生きるためには楽観力を磨きたい。そうだ。これまでがどうにかなってきたように、きっと、これからもどうにかなっていくのだろう。生きたくなったり死にたくなったりを積み重ねながら、図太く、しぶとく、生きていくのだろう。
わたり文庫『アルジャーノンに花束を』
今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、ダニエル・キイス著作『アルジャーノンに花束を』です。こちらの本は、先日、千葉のライブを企画してくれたN様が「わたり文庫に是非」と寄贈をしてくれました。N様、最高の人柄の女性です。千葉駅近くで『14番目の月』というスナックを営業しています。是非、行ってください。定期的に死にたくなる小生ですが、いい人に出会うと、生きたい。生きていきたい。生きててよかった。生まれてきてよかった。と、生きる活力を得ます。大袈裟だけど、マジで、得ます。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。
※※※ こちらの本は、千葉県にわたりました ※※※
キニアン先生もしこれをよんでもぼくをかわいそーとおもわないでください。先生がいったようにぼくわりこうになるための二度目のきかいをあたえてもらたことをうれしくおもていますなぜかというとこの世かいにあるなんてしらなかったたくさんのこともおぼいたし、ほんのちょとのあいだだけれどそれが見れてよかたとおもているのです。それからぼくの家族のことやぼくのことがよくわかたのもうれしいです。みんなのことをおもいだしてあうまでわ家族なんかいないのとおんなじでしたけれどもいまわ家族もあることがわかっているしぼくもみんなみたいな人間だとわかっているのです。
どうしてまたばかになてしまたかぼくがなにかわりいことをしたかわからない。きっとぼくがいしょけんめやらなかったからかもしれないだれかがぼくにいじわるしたからかもしれない。でもうんといしょけんめにべんきょーすればもうちょとりこーになって言葉もみなわかるよおになるんだろうな。
やぶけた表紙の青い本をよんだときとてもいい気ぶんだったのをちょとおぼいている。
ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』【早川書房】
真理は人を、自由にする。
千葉でライブをご一緒させていただいた、N様の歌声が本当によかった。純粋に、音楽を愛している人の歌声だった。N様は話す。小さな頃、父親が酒乱で家で暴れることが多かった。暴力も受け、生きることが辛く、なにもいいことはないと感じていたとき、ふと、ラジオから流れてくる音楽が耳に入った。その音楽が優しくて、自分の力になり、辛い時期を生きることができた。だから、自分の音楽を通じて、少しでも誰かがそういう気持ちになってくれたらうれしい。と。その声には、音楽を通じて「自分を認めて欲しい」とか「誰かを蹴落としてやりたい」とか、そういう邪念が微塵もなかった。それは、歌というよりも、祈りに近いと思った。N様の祈りは、深く、優しかった。N様に出会えたことを、心から嬉しいと思った。
母親と話した。母親は、昔から「貧乏人ほどよく笑う」と話していた。事実、我が家も母親の実家も(父親の実家も)生活は厳しく、笑わないとやってられない場面は結構あった。みじめさにうちひしがれてへこんだ部分を、音楽で埋め合わせている。自分の欠落している部分を、ユーモアで満たしている。そういう感覚が、自分にはあった。この世界に音楽がなければ、ユーモアがなければ、とっくの昔に自殺をしていたと思う。つらさを経由したひとの、言葉は、音楽は、ユーモアは、深く、優しい。付け焼き刃ではない、そのひとの人生そのものが乗っかっている、懐を感じる。そして、思う。悲しみも、苦しみも、決して無駄にはならないことを。
N様の演奏中、感じたことをメモを取った。笑ったり、泣いたり、みんな生きてんだよ。不完全でも、みっともなくても、みんな生きてんだよ。生きたいと思ってんだよ。もがきながらでも、幸せになりたいんだよ。そうじゃなかったら、悩まないよ。苦しんだりしないよ。生きたいと思う摩擦熱が、悩ませたり、苦しませたり、しているだけなんだよ。だから、それを見せてくれるひとに、どうしようもない共感を覚えるんだよ。と。日々、色々なことを感じながら、誰もが生きているのだと思う。ただ、ひとつ、もしも共通する願いがあるとすれば、それは「感動したい」という願いだ。感動に触れたいと願う思いが、人間をライブ会場に向かわせたり、図書館に向かわせたり、遠い異国に足を運ばせたりする。感動を通じて、我々は、自分はまだ生きていたことを思い出す。自分には、まだ、何かを感じる心がある。たとえ、これまでの人生がうだつのあがらないものだったとしても、たとえ、代わり映えのない毎日を過ごしていたとしても、明日、なにかいいことがあるかもしれない、感動の予感と、感動の可能性の、発動。それを『希望』と呼ぶのだと思う。
決めつけてはいけないのだと思う、自分も、他人も。自分は大丈夫だとか、自分はダメだとか、あのひとに好かれたとか、あのひとに嫌われたとか、人の気持ちはいつまでも同じ場所にいることはできない。すべては流れていく。あらゆることは「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」のだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2017年8月6日
人生は続く。
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu