いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

楽しみたい。それだけだよ。

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横浜駅前にあるドトールにいる。明日から軽自動車に野営道具を積載し、男三人で三重県志摩市を目指す。道中「野点カンタービレ」と銘打ち、野点コーヒーをご所望される方に振る舞いたい。4日は海岸沿いでイベントが開催される。サーフィンも可能ということで、小生、生まれて初めてのサーフィンに挑戦をする。どうしても、チャラい印象を拭えなかったサーフィン。しかし、サーフショップを経営するY様の素晴らしい笑顔と「自然とコネクトする感覚が、たまらなく最高です」という言葉が魅力的で、トライを決めた。是非、あなたも一緒にやりませんか???

 

 

おおまかなスケジュール

5月1日~5月3日 軽自動車にテントを積んで、西方浄GO!
5月4日 15時 EVENT@三重県志摩市「around.HANA」(参加者募集中!) 
5月5日 19時 EVENT@愛知県名古屋市「夜空と月のピアス」(参加者募集中!)
5月6日-10日 FREE!
5月11日 昼・群馬県伊勢崎市 夜・FREE!
5月12日以降、FREE!

坂爪圭吾 SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu

 

ibaya.hatenablog.com

 

こどもの自分に、軽蔑されない自分になる。

自分が一番やらなそうなことをする。これは素晴らしいと思う。まさか自分がサーフィンをやるとは思わなかった。想定を超える出来事との遭遇。現実は、軽々と想像を超える。これはうれしい。一日一曲の日々は続き、50曲程度生まれた。一年前の自分に「お前、一年後、50曲つくってるぞ」と言ったら、びっくりするだろう。「俺って一体どうなってるの!?」みたいに、感じるのだろう。昔から、こどもの頃の自分に軽蔑されない大人になりたい、という思いがあった。私は、小さな頃から反逆的で、嘘くさい生き方をしているおとなを見ては「嘘くさいな」と思っていた。そんな自分に軽蔑されない生き方を、いまの自分はできているだろうか。

 

生き方に正解はない。だから、生き方に間違いもない。ただ、定期的に「俺の生き方は間違っていないよな?」と、誰かに聞いてみたくなる。そんな風に弱る時期がある。そういう時、私は、正しいと思われることをやる。道端のゴミを拾ったり、誰かに花をあげたり、家の水拭きをしたり、本を郵送したり。自分が生きていることが、誰かの迷惑になる。避けられない。自分の善意を、必ずしも善意として受け取られるとは限らない。恩を仇で返す。そんな言葉もある。因果応報。そんな言葉もある。私は、罪滅ぼしをするように、私は誰かに花を贈ったり、家の掃除をすることがある。そんなとき「ああ、これがあってよかった」と思う。自分は、いま、正しいことをやれている。ひとりよがりでも、そう思える時間には救いがある。

 

幾度も死にたいと思いながら、幾度も生きたいと思う。心電図のように揺れ動く軌道が、龍のように飛翔できる日を願う。なぜ、自分はこれまでの日々を生きることができたのか。それは、まぎれもなく『希望』があったからだ。希望は、あればうれしいという類のものではない。希望がなければ、生きていくことは難しい。それは空気のように、生きるために必要不可欠なものだ。死ぬ方向に向かう心を、生きる方向に向かわせるもの。なにかをやりたいと思える希望が、生きる糧になる。なにかを好きになる感覚、自分の好きを取り戻す感覚が、生きる方向に向かわせる。

 

note.mu

 

わたり文庫『本日順風』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、野田知佑著作『本日順風』です。人間、守りに入ると弱くなる。攻める。時には暴力さえも、肯定する。野点カンタービレ開催中、私は、ミルを持参する。このミルは、高知県の女性から譲り受けたものだ。彼女は言う。なんでこんなバカに俺はコーヒーを飲ませたんだって後悔したら、このミルで殴っていいからな。と。こんな言葉と一緒に、愛用していたミルを託してくれるひとと出会えた自分の人生を、素晴らしいと思う。与えられた困難は、工夫とジョークで乗り越える。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、東京都にわたりました ※※※

 

Q・この前、あるカヌークラブに入ろうと思い、行ってみたら、その会は入会金も会則もなんにもなく、何をやってもよろしいという。いつ誰でも入れるし、いつ辞めてもいいという、とてもでたらめな会でした。そんなだらしない会に入る気はせず、早々に辞退してきました。北海道のカヌークラブでちゃんとしたクラブを知っていたら紹介してください。

A君のような人間は死んだ方がいいと思う。会則のないクラブなんてとてもいいじゃないか。会則がないのなら罰則もないだろう。そういう会は理想だと思うがね。そういうのは「だらしがない」とはいわず「自由な」というのだ。

最近、方々にキャンプ場ができていて、そこに行った人の話を聞くと、ひどいものらしい。罰則だらけなのだ。

人を管理するのが好きという精神はそもそも病的なものであると知りたまえ。弱い人間は他人を管理したがり、規律やルールを好む。弱い人間ほど人間を拘束し、自分を縛るものがないと生きていけない。

ぼくはアウトドアにおけるあらゆる規則、制度に反対する。われわれの頭のなかにある人間としての良識で十分だ。それは「不文律」で、ことさら文章にしたりわめいたりする必要はなかろう。

規則や規律を強調する人間は、自分の良識のなさ、自制心のないことを告白しているのである。自分を縛る規律がないとやっていけない、というのはとても幼稚な精神だ。幼稚なガキは判断力や価値観がない。ルールがないと不安になる。だから自分の上に立って強く命令してくれる人を欲しがる、その結果、独裁者ができるという構図がある。自由になれない奴、石頭の教条主義者は死ね、というのが当、身の上相談の不文律である。

野田知佑『本日順風』【文春文庫】 

 

楽しみたい。それだけだよ。

ごちゃまぜの家の活動をやっていると「私も、居場所づくりをしたい」と話す人々と頻繁に出会う。誤解されると困るが、私は、居場所を作りたくてごちゃまぜの家をやっていない。居場所なんて、作りたくない。理由は、なんとなく、気持ち悪いからだ。これまで『自称・居場所づくり』の人々と複数会った。共通する印象は、誰かを救うことで、自分が救われたがっているという自覚の欠如である。わたしは、そういうことをやりたくない。自分がやりたいと思ったことをやっていたら、結果的に『それが誰かの居場所にもなっていた』みたいな状態を、理想だと思う。

 

教育関係者は「幼少期に、親から愛されることが大事」とか「親から愛情を受けていない人間は、おとなになっても他人を愛せない」とか、平気な顔をして、言う。私は、これが、許せない。そんなことがあってたまるか、と、思う。あなたの理論が正解ならば、孤児院で育った人間は、全員不幸ということになる。あなたは、誰かの幸せを願ってそれを言っているのかもしれないが、その言葉が、特定の境遇に置かれた人間の孤立感をより一層深めていることに、気がつかないのか。と、思う。私は、人間を信じたい。置かれた境遇を問わず、人間には『弾き返していく力』『切り開いていく力』があるものだと、信じたい。小さなこどもたちを見ていると思う。たとえ、この子達に親がいなくても、世間的には『恵まれない』と言われる環境にあろうと、人間そのものに宿る『かわいさ』『おろかさ』『たくましさ』に注目したいと、思う。これは、自分自身に対しても、まったく同じことだ。

 

親から愛されなくても、自分で、自分を愛していける。何かを好きになるとき、この世界を、捨てたもんじゃないなと思える。大事なのは、親からの愛じゃない。自分から湧き上がる熱情だ。なにかを好きになる気持ちだ。だから、何度も思う。愛されたいとか、愛されないとか、そんなことより、遊ぼうよ。遊ぶとき、我々は、愛を泳ぐ。遊びのなかで癒され、遊びの中で成長する。遊びのなかで鍛えられ、遊びのなかで創意工夫の経験を重ねる。時に、自分が消える。遊び、そのものになる。小難しいことを並べ立てながら、しかし、一番奥底にある感情は「楽しみたい」「愛したい」「生まれてきたことをよろこびたい」だと、思う。楽しいという気持ちの中に、全部、ある。時に、私は、罪滅ぼしをする。しかし、人生全体が罪滅ぼしであってたまるか。根底にあるものは『楽しみたい』『愛したい』『生まれてきたことをよろこびたい』という、思いだ。その方向に、帆を進めたいと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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