いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

踊る。

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妙蓮寺駅前のドトールにいる。海外で様々な方々のご自宅にお世話になり、個室を与えられること、部屋にベッドがあることのありがたみを痛感した。いまは、基本、ごちゃまぜの家【誰でも自由に使える家】にいる。これまでは、全室、共有スペースとして開放をしていたが、自由に使える個室があった方が、利用者の方も「遠慮なく羽を伸ばせる」と思った。8畳の洋室を、完全ゲストルームとしてすごいいい感じに作り直したい。ので、ベッド探しの旅がはじまる。もしも「使っていないベッドがあるよ!」という方がいたら、ご連絡をいただけましたら幸いです。

 

おおまかなスケジュール

4月17日~18日 完膚なきまでにFREE!【横浜】

4月19日 放置していた原チャの回収【長野県大町市

4月20日  「音楽×トーク」イベント@【山梨県甲府市】
4月21日以降、原チャで関東に向かう(イベント求む!)

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

 

50%

ごちゃまぜの家にあるものは、基本、いただき物で構成されている。大袈裟な言葉で言えば「みなさまの善意」で成立している。無料で家にあるものを使え(食材含む)、無料で宿泊もできる。無料だから「この程度でいいか」というクオリティにするのではなく、無料だからこそ「無料なのにこんなに素敵でいいのですか!?」と、ちょっとびっくりしちゃうくらいの空間にしたい。理想は、子育て中のお母さんがこどもと一緒に立ち寄り、こどもをリビングに放置して(こどもの面倒は、家にいる他のひとが見る)お母さんはベッドでお昼寝をしちゃう、みたいな流れだ。 

 

最近、自分が自分の人生に関与できるのは「せいぜい50%」という感覚を覚える。昔、家なし生活をした。2年間の放浪の果てに、ブログ読者の方から家を購買していただくというドラマを経て、家なし生活は閉幕した。家を手に入れること。これは、自分の実績(?)であるようで、自分の実績(?)では、ない。自分にできることは、ただ、自分を生きる姿を見せること。それを見た周囲の人々が、たとえば、家を買ってくれたり、ごちゃまぜの家に食材や日用雑貨を送ってくれたり、イベントなどに呼んでくれたり、など、自分を「想像もできなかった場所」に運ぶ。私は、今、音楽活動開始二ヶ月になる。一年後、どこまで行けるのかを見たい。最大のモチベーションはこれになる。ただ、具体的にどのような場所に行けたらいいのか、というイメージはない。これは、家なし生活開始直後に「誰かに家を買ってもらえたらいいな」などとは、微塵も思っていなかったことと、似ている。

 

家なし生活を経て得た教訓は108個ほどある。ひとつは「自分をオープンなものにしている限り、人間は死なない」というもの。自分の場合、自分には家がない、自分には金がない、自分には仕事がない、など、普通だったら「こんなことは恥ずかしいから言えない」と思うことを、全部、出した。これが、多分、よかった。あの瞬間、自分は、この世で一番邪魔なものを捨てた。それは『見栄』だ。見栄を捨てると、どれだけ生きることが楽になるかを思い知った。同時に、世界の優しさを知った。何もない自分に、人々は、過剰なまでに優しかった。逆に言えば「自分をクローズにするほど、死ぬ」と思った。自分をオープンなものにしている限り、人間は死なない。逆に言えば「自分をクローズにした瞬間、死ぬ」のだと思った。では、オープンとは、なにに対して、オープンになることなのだろうか。クローズとは、なにに対して、クローズになることなのだろうか。それは『循環』だと思う。

 

 

flower

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flowerには、花、という意味に加えて「flow(流れる)」と「er(もの)」という意味(流れ行く者)もあるのではないか。花も、ロウソクも、海に沈む夕日も、流れ行くから素晴らしいのではないか。そして、我々の命も、やがては流れ去るものである。変わるものと、変わらないものがあって、それは「永遠に春のままでいることはできないけれど、春は、また来る」ことと似ている。どれだけ汚れても、濾過すれば透明。水は、水のまま。そんな感じのことを思い、この曲を作りました。

 

note.mu

 

踊る。

宇宙の基本は「まわる」だ。太陽もまわる。地球もまわる。時間もまわる。経済もまわる。血液もまわる。インとアウトを繰り返す。インだけではなく、アウトだけでもない。ストックだけじゃなく、フローだけじゃない。その営みが『循環』だ。自分を循環の中に置くこと。それが、循環を生きるということだ。想像してみて欲しい。いま、なんとなく調子が悪いと感じるときは「自分が、循環から外れているとき」では、ないだろうか。便秘で苦しいのは、周期が乱れているから。経済的に苦しいのは、決して、お金がないからではなく「自分がお金の流れから外れている」感覚を覚えるから。人生的に苦しいのは、決して、なにかが足りないからではなく「自分が世の中から疎外されている感覚を覚えるから」では、ないだろうか。

 

一般的には、大富豪とは「所持金の多いひと」というイメージがある。しかし、複数名の富裕層の方々と出会い「お金持ちとは、動かしているお金が多いひとのことだ」と感じた。溜め込むことではない。真逆だ。動かし続けること、常にリリースし続けること、だ。溜め込むことは、一見、身の安全を保証する行為に見える。しかし、では、どれだけ貯蓄をすれば安心できるのかというと、いくらあっても足りない、という感覚を拭うことは難しい。なんなら、常に、狙われる(喪失する・奪われる)恐怖に襲われる。どれだけ厳重な防犯をしても、防犯をするほどに「ここにはなにかあるぞ」と、泥棒たちは目を光らせる。ストックは、奪われる。しかし、人間からフローを奪うことは、できない。豊かなひとには、ストックの余裕ではなく、フローの余裕を感じる。彼らには「自分にもしものことがあっても、助けてくれるモノは無数にある」という、世界に対する安心感や、信頼感を、感じる。

 

自分の力でできるようになることが一人前。誰かに頼るのは半人前。そう言う価値観がある。ある局面では、おそらく、真理だと思う。しかし、別の側面では「真逆だ」と感じる。自分だけの力でなにかを成し遂げる。それは、強さではない。弱さであり、脆さであり、孤独であり、退屈であり、傲慢であるとさえ、言える。だから、聖書などでは「与えなさい」と言われるのだろう。同時に「受け取りなさい」と、言われるのだろう。与えることと、受け取ること。これらは表裏一体で、たとえるなら「宇宙と社交ダンスを踊る」みたいなものなのだろう。私は、ダイナミックと言う言葉が好きだ。ダイナミックな人生を望むなら、ダイナミックに集めるだけでは、足りない。金も、時間も、命も、真価を問われるのは「使い方」だ。ごちゃまぜの家を、音楽活動を、これからの日々を、いい感じのものにしたいと思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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