いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

死ぬなよ。しかし、死を恐れるな。

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エジプトのカイロ国際空港にいる。エジプト人とインド人には類似性を感じる。ゆるさに悪気がない。14時間のフライトは快適極まりなかった。横になって眠るため、三列ガラ空きの空席を見つけて誰よりも迅速にそこに移動する。さすれば横になって眠れる。気分は水滸伝の戴宗である。ファーストクラス並みに快適だから、勝手に『ファストクラス』と名付けている。寝たり機内食を食べたり水滸伝を読む間に、14時間はあっという間に過ぎた。音楽をやり始めてから一番の変化は、暇をしなくなったこと。これまで、わたしは暇の塊だった。しかし、今は、違う。わたしは、再び、世界と恋に落ちたのだ。

 

 

おおまかなスケジュール


3月17日~25日 FREE!【欧州界隈】
3月26日 「音楽×トーク」企画@ロンドン【イギリス】

3月27日~4月10日 FREE!【欧州界隈】
3月31日 わたり食堂【0円食堂】(帰国不可能)
4月7日 🎁🎉✨🎂💝坂爪圭吾34歳の誕生日💝🎂✨🎉🎁

4月11日 関西空港到着以降、引き続き音楽武者修行【日本】
4月14日「音楽×トーク」企画@大阪【詳細決まり次第更新】

🌐🌐🌐呼ばれたら何処でも行きます🌐🌐🌐

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

生きるとは何か。

前回の記事にも書いたが、K様と話した時間が面白かった。K様は言う。よく、神様がいるかいないか議論ってあるじゃない。そんなもの、あたしに言わせたらいるに決まってるのよ。だって、いま、あたしがここにいるんだから。たとえばさ、ドラえもんでもなんでもいいんだけど、漫画の登場人物は漫画家を認識することができないのよ。ドラえもん藤子不二雄を認識できないように、孫悟空鳥山明を認識できないように、ね。でも、ドラえもんがいるってことは、藤子・F・不二雄、要するに神様【創造主】がいるってことでしょ。だから、認識できるかできないかは置いておいて、神様なんているに決まってるのよ。

 

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神様がいないとか言う人は、要するに欲が深いのよ。神様とか宇宙とか量子力学とか高尚な議論をしているつもりなのかもしれないけど、単に、自分の欲が深すぎるだけ。欲が強すぎる自分の願望を満たしてくれる存在がいなくって、ただ、拗ねているだけなのよ。神様に期待し過ぎなのよ。と。これを聞いた時は「なんて痛快なんだ!」とわたしは惚れた。格好いいとはこういうことだと、名画『紅の豚』のキャッチコピーを思い出した。神様はいる。理由は「現に、自分がここにいるから」。ブラボー。自分の頭で考えてきた人と話す時間は楽しい。人間と話していると思える。本を読み過ぎたり、誰かの言葉や、一般論ばかりを話す人といると、まるで「壁と話している」みたいな感覚を覚える。壁と話すくらいなら水滸伝を読みたい。水滸伝には人間がいる。が、K様と話す時間は水滸伝を越える。理由は「リアル」だからだ。

 

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リアルなやり取りを交わしたい。スピリチュアルにはまる人間の気持ちもわかる。自殺するよりは、スピリチュアルに溺れたり高額な自己啓発セミナーやマクロビにはまる方がましなのかもしれない。ただ、癒されてどうなる。健康になってどうなる。美人になってどうなる。金持ちになってどうなる。肝心なのは、それから、どう生きるかの部分ではないのか。自分が生き延びること以上に、たとえ、死ぬことになったとしても「俺はこれをやりたいんだ」と思えるものがなければ、人生はからっぽなままではないのだろうか。どう生きるか。あるいは「生きるとは何か」。切実だが、本質的な問いだ。答えなんてないのかもしれない。だからこそ、わたしは、この問いを放棄した人間より、この問いと共に生きる人間を愛する。

 

🇬🇧🇬🇧🇬🇧3月26日EVENT@ロンドン詳細はこちらです🇬🇧🇬🇧🇬🇧

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1日1曲継続中!聞いてね!

 

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死ぬなよ。しかし、死を恐れるな。

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音楽活動をはじめてから全否定される機会が増えた。賛否両論集まる。賛だけではなく、否が集まることは健全なことなのだと思う。一番しんどいことは「反応がまったくない」ことだ。反応できない人間は死んでいる。死体は、反応することができない。ボロクソに言われていることをnoteに書いたら、これは大人のイジメだから気にしないで!と言われた。なるほど。一理ある。しかし、ふと、思った。イジメる側の人間も、罵倒を通じて「実はSOSサインを出している」のではないか。普通、幸せな人間は他人を批判しない。そんなことより自分の幸せに集中する。ならば、彼らは、誹謗中傷することを通じて「自分は不幸な人間である」ことを主張していることになる。怒りに怒りで返してもいいが、ファンもアンチもひっくるめて、みんなを楽しませる音楽を作る。そっちの方が「俺は燃えるな」と思った。

 

しかし、基本的に「甘えを自覚していない」人間のことは好きではないから、わかり合おうと努力しなくてもわかり合えるひとと同じ時を過ごしたいと思う。友達ごっこをしている時間はないし、自分が「この人は!」と思ったひとと出逢った際に、恥ずかしくない自分でありたい。精進である。あなたは知名度があるからいいですね、と、ある人間から言われた。わたしは、ふざけるな、と思った。わたしの知名度は単なるまぐれ当たりかもしれない。しかし、自分なりにバットは振り続けてきたつもりだ。当たるも八卦。当たらぬも八卦。だが、バットを一回も振ったこともない人間から、あなたはいいですねなどと言われても「バカヤロー!」と思う。振らずに打てるホームランがあるものか。申し訳ないけど、そういうことを言う人間には「お前はなんにもやんねえよ」と思う。自分はなんにもやらないまま、生きて、他人を羨んで、不満を募らせて、周囲に当たり散らして、不機嫌をばらまいて、言い訳を重ねて、全部を環境の問題にして、そのまま死ねばいいのだと思う。

 

そう言う生き方を「ダサい」と感じる人間と、わたしは生きたいと思う。なんのために生きるか。それは、自分の『好き』に殉じるためだろう。死なないために生きているわけではない。これのためなら死ねる、と、自分を投げ出せる対象を見つけること。それが人生の醍醐味だと思う。見つかることが尊いのではなく、探すこと、求めること、手を伸ばし続けること、そこに辿り着きたいと願うこと、が、尊いのだ。水滸伝の登場人物が全員格好良くて本当に痺れる。敵に囲まれ、全身を槍で貫かれながら、大切なものを護り抜き、死んだ漢がいる。漢は、死ぬ間際、空を見上げながら「愉しかったな」と呟いた。たまらない死に方だな、と、思う。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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