いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

悲しむひとがいる限り、俺の仕事は終わらない。

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菊名駅前のコロラドにいる。諸事情が爆発をして所持金が二万円を切った。3月16日から一ヶ月弱欧州で武者修行をする。予算は一万円強。宿を一晩確保したら消える額だ。無事に乗り切れるのだろうか。俺はどうするつもりなのだろうか。自作の音楽をSNSに投稿する度にフォロワーが減る。尾崎紀世彦の「また逢う日まで」が脳内を流れる。悲しい。でも仕方がない。生きることはかくも悲しいことなのだ。

 

 

おおまかなスケジュール


3月10日 お金がないから仕事に行かなきゃ@東京
3月11日~15日 FREE!【日本】
3月16日 朝・カイロ【エジプト】
3月16日 昼・ミラノ【イタリア】
3月17日~25日 FREE!【欧州界隈】
3月26日 音楽発表会@ロンドン某所【イギリス】

3月27日~4月10日 FREE!【欧州界隈】

4月11日 関西空港到着以降、FREE!【日本】

🌐🌐🌐呼ばれたら何処でも行きます🌐🌐🌐

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

涙の数より、恥の数。

ロンドン在住のS様から「はじめたのですね音楽!それならロンドンでイベントやりましょう!」とご連絡をいただいた。素人なりに音楽活動をはじめて数週間、爆裂どヘタクソながら「まずは量だろ!質とか言っている場合じゃないだろ!」ということで1日1曲(!)を目安に創作を続けている。岡本真夜は涙の数だけ強くなれると歌った。が、正確には『恥をかいた数だけ強くなれる』だと思う。いきなりロンドンで発表会だ。音楽の本場だ。照れるぜ。誰も来なかったらどうしよう。というか航空券を買えるのだろうか。ミラノから歩いてロンドンに向かうのだろうか。

 

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出発まで五日しかない。お仕事を募集しなくちゃいけない。誰かわたし(坂爪圭吾)にお仕事を与えてください。欧州在住の方は発表の機会を与えてくださるととても嬉しいです。帰国後の関西(あるいは日本全国)での発表の機会も求めています。いまはまだ数曲しかないけど(1日1曲の単純計算で行くと)月末には20曲程度持ち曲が増える。素晴らしい。人前に出るときは「もうちょっとうまくなったら」とか考えてしまうが、違う。未熟なら未熟なりに「いまの私を見てください!」と差し出す方がいいと思った。数年後、いまよりはましになった自分が現在の自分を振り返ったとき、ああ、俺はこんなだったなあと懐かしさを覚えるのだと思う。

 

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他人の幸福をうらやんではならない。なぜならあなたは、彼の密かな悲しみを知らないのだから。そんな感じの箴言がある。33歳から音楽をはじめるというのは無謀なのかもしれない。社会的な自分が「いい歳こいて…」と自分に突っ込む。しかし、同時に「無謀とはなんだろう。普通とはなんだろう」みたいなことも思う。『普通は』若い時からやるものだ、とか、『普通は』この年齢でやることではない、とか。普通って、得体の知れない誰かとの比較でしかない。普通の人なんて、多分、一人もいない。そんな幻想に惑わされちゃいけない。誰かから「あなたは変わっているね」と言われても、それが自分にとっての自然ならば、それが『自分にとっての普通』なのだ。わたしにとって、音楽をやることは、普通のことである。

 

青春三部作を作りました。

 

 

 

 

 

 

悲しむひとがいる限り、俺の仕事は終わらない。

音楽を作る。SNSに投稿する。それを見てくれるひとがいる。反応が届く。反応が届くと「めっちゃうれしい!」と思う。反応が皆無だと「俺は死んだ方がいいのかもしれない」と思う。反応があることのうれしさを、長い間忘れていた。このブログをはじめたのがいまから五年前。いつの間にか大勢の人々に読んでいただけるようになり、諸々の奇跡に恵まれた。が、同時に『反応があることの日常』に慣れてしまっていた。音楽をはじめる。まったくの初心者であり、小者だ。こんな小者に反応をくれる人がいる。反応があるとはこんなにうれしいことなのか。昔を思い出す。ブログ開設当初も、反応がうれしくて書き続ける力を得た。五年も続いたのは、反応があったからだ。『書く私』だけではなく『読むあなた』がいたからだ。

 

音楽はもちつきに似ている。世界に飛び散る粒子を集めて、バラバラなものをひとつにする。もちつきは『つくひと』と『返すひと』が必要だ。そして、当たり前のことだけどもちを織りなす材料が必要だ。料理は奇跡だ。人類の魔法だ。なぜ、あの組み合わせでこんなものが生まれるのだろうかと感動する。人間と動物の違いは『料理をするか』だ。動物は料理をしない。人間は料理をする。直接的な料理もあれば、音楽とか絵画とか建築とかも『料理』だと思う。自分のためだけに作る料理はやる気が起きない。たまごかけご飯で済ませてしまう。しかし、食べてくれる誰かがいるときは「よし、今日は腕を振るっちゃうよ!」みたいな感じで奮迅する。結果、引き出しが増える。質素な料理も、愛するひとと食べればご馳走になる。

 

俺は贈り物を残したいのだろうなと思う。人間が死んだあとに残るものは、集めた物ではなく与えた物だ。そんな感じの箴言がある。その通りだと思う。創作をやっていると『自分の欲望とか、自分の願望とか、そういうものがどうでもよくなる』瞬間がある。ただ、自分が死ぬ前に、どれだけの贈り物を残すことができるのか。そういう気持ちで作るとき、自分が消えて、透明ななにかだけが残る。この、透明な『なにか』に触れたくて、それを残したくて、音楽をやりたいと思うのだろう。悲しむひとがいる限り、俺の仕事は終わらない。生きるっていいな。人間っていいな。生きててよかったな。と、思わせてやりたいと思う。自分にも。他人にも。

 

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

  

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