いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

超える。

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誰もが超サイヤ人みたいなものだ。死にかけるたびに強くなる。久しぶりに実家に顔を出した。母親はこのブログ読者だ。心配をかけているかもと思い、無事な姿を晒そうと思った。が、母親はまったく心配なんてしていなかった。お母さん、俺、ハワイで死にかけたんだよ(それなのに結構平気そうだね)と言うと、母親は「あんたらには何回も殺されたから、もう、心配なんてしないよ」とのこと。昔、母親にこう言われたことがある。あんたはみなさまから生かされる限り生きて、生かされなくなったら死ぬんだね。あとはもう、天にお任せするよ。と。母親は強い。

 

 

新潟から大阪に移動する。S様に預けていたバイクを回収する際、超絶暖かい軍用のズボンとバイク用の手袋を貰った。ボタンが外れかけているのを発見して私が泣きそうになっていたら、S様が裁縫道具をサッと取り出して縫ってくれた。私は、女性が裁縫をする姿に弱い。一瞬で悩殺される。電車で編み物をしている女性を見ると「平和だ…(守りたい…)」と思う。私はまったく裁縫ができない。ボタンが外れることはご臨終を意味する。が、S様が蘇らせてくれた。S様に別れを告げ、奈良県天川村に向かう。数週間前に「天川村に行け」と天啓を受けたからだ。

 

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悪態日記。

天の川温泉でM様と待ち合わせをする。天の川で待ち合わせなんて素敵だ。早めに到着する。全身が凍えている。先に温泉に入る。デザインが素敵な温泉だった。が、私は「デザインが素敵な温泉」が嫌いだ。デザイナーが噛み始めるとロクなことにならない。受付横におしゃれグッズが並びはじめたらアウトだ。五千円もする積み木が売られていた。作り手に対して、私は「お前は積み木を広めたいんじゃなくて、お前を広めたいだけだろ」と思った。積み木に対する愛を微塵も感じなかったのだ。ぷんすか。ぷんすか。一通り悪態をつきおえた頃、M様と合流をした。

 

詳細は省くが最高の時間を過ごした。天啓に間違いはなかった。私は、ここ数日間「俺の人生のメインは俺自身だ」と思っていた。仮に私が作家であっても、仮に私が音楽家であっても、仮に私が陶芸家であっても、それは唯の副産物にすぎない。自分の本領が発揮される部分は、あくまでも『生身の自分』だと思う。うまく説明できないが、自分の作品を通じて自分を誇るのではなく、自分に向けられた評価や賞賛や社会的成功を通じて自分を誇るのではなく、ただ、自分が自分であることに誇りを持ちたいと思う。いい作品を作れた自分は素晴らしい存在だ、とかじゃない。自分の存在価値に、何物も介在させない。いい作品をつくれようが、いい作れなかろうが、大前提として「自分は素晴らしい存在だ」という前提に立ちたい。

 

デートだって同じだ。人気のあの場所に行こうとか、美味しいあの料理を食べようとか、夜景の綺麗な場所に行こうとか、こういうのは全部おまけ。メインは「二人が同じ空間にいること」であり、両者の存在である。あとはおまけだ。何をしようとか、どこに行こうとか、そういうことじゃない。今以外の時間じゃない。ここ以外の場所じゃない。今、ここにあるすべてに意識を向ける。なにもなくていい。なにもないからこそ、なにもかもを味わうことができる。両者の存在を強く意識できる。二人の間に、何物も介在させない。一切の不純物がなくなる。まるで世界にふたりきりみたいだね。「いいね。」私が言う。「なにが?」M様は言う。「なにもかもが。」私が言う。「うん、同じことを思っていたよ。」M様は言う。私達は笑う。

 

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ふたりは、たがいにさりげなく敬意をはらいあい、そのくせふたりとも、自分の世界をしっかり保っていました。相手のためになにかをしてあげるなんてことはなく、わかりあおうともしなければ、気にいられようともしませんでした。こういうのも、居心地よくいっしょにすごす、一つの方法ではないでしょうか。#ムーミン谷の名言集

 

超える。

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奈良県宇陀市で野営をして、三重県名張市にいる。貰ったカップ焼きそばを食べる。カップ焼きそばって、焼くというより煮て食っているよなあと思う。これから俺はどこに向かうのだろう。錨をなくした難破船みたいだ。死ぬまでなんにも予定がない。一生懸命に生きるということ。先日、新潟で開催された素人のライブ企画に呼ばれた。音楽が大好きで、下手なりに一生懸命やろうとしている人々の集いだった。一生懸命って素敵だなと思った。一生懸命なひとを見ると、自分も一生懸命に生きたいと思う。その姿勢に感動をする。懸命に生きようとする姿勢。命を燃やそうとする姿勢。美しいと思う。真っ直ぐに、透明に、美しくありたいと思う。

 

一生懸命になる対象は、きっと、なんでもいいのだと思う。「やりたいことが見つからない」なんてどうでもいい。なんでもいいから、ただ、いまの自分にはちょっと無理だなと思うことを、勇気を出してやってみる。連休に100キロ歩くとか、好きなひとに手紙を書くとか、作品を発表するとか、言いたいことを言ってみるとか。上手とか下手じゃない。金になるとかならないじゃない。大事なことは「心を込めること」であり、自分の本気を出すことだ。なんでもいいから「今日だけは一生懸命にやってみる」こと。すると、自分の未確認な部分がひょこっと出てくる。あれ、自分の中にはこんな部分もあったのかと、自分に感動することができる。

 

M様は言った。最近、前よりも新しいことに挑戦できるようになっている。でも、なにかをやろうとすると、同じくらい『恐い』と感じる気持ちが湧いてくる。でも、この恐いって言う感情は、自分のことばかり考えている時に出てくる感情なんだって気づきました。自分がやろうとしていることが、きっと、自分以外の誰かにとって力になることなんだって、自分がそれを信じることができたとき、その恐さは消えます。圭吾さんが、ブログで『言いたいことを言う』とか『やりたいことをやる』姿を見せてくれることが、私の生きる力にもなっています。だから、ありがとうございます。と。おい。なんだこれは。素晴らしすぎるじゃないかと私は思った。自分が自分を生きること。それが、結果として誰かの力になることもあるのだと。それならば、生きよう。御心のままに。テントを出る。朝露。清澄な空気。朝日が昇る。新しい1日がはじまる。まだ、誰にも汚されていない1日がはじまる。

 

 

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朝 #snowpeak #lafuma #lifeisgood

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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