いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

生きることを諦めない。

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幼少期の記憶がある場所を歩くのはえぐい。忘れていた記憶が蘇る。新潟は私の故郷だ。暗黒の青春時代を過ごしたため「俺は新潟に疎外された」とか「会いたいと思う同級生は皆無だ」とか「ここを逃げたくて東京に行ったんだよな」とか、のけものとしての自分を思い出す。新潟の空は青い。泣けるほど青い。新潟駅から鳥屋野潟まで実際に泣きそうになりながら歩いていたら、通行人の男性が「坂爪さんですか?ブログ読んでいます!!」と声をかけてくれた。私は、ああ、新潟にもつながりがあった!!!と思って胸が震えた。消えてしまいたい感覚が消えた。

 

 

地獄の曇天が続く。11月頃から「あ、きたな」となる。この時期になると、青年期に刻まれたバイオリズムが目覚めるのか、自然、鬱っぽくなる。油断をしていると闇や鬱に襲われる。暗黒時代に聞いていた音楽を繰り返し聴くようになったら危険だ。1000のタンバリンをエンドレスリピートで流し始めたあたりから、私は鬱気味の自傷気味の自暴自棄気味のメンタルになっていた。が、来年で私も34歳になる。昔よりは自分のことがわかってきたから「おっと危ない!」と思って軌道修正をした。私には、文学的に散りたいと思っている夢見がちな部分がある。カート・コバーンの死に様に憧れてしまう的なアレだ。が、私の実態は爆死である。

 

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悲しみに寄り添わない。

昔、躁鬱病統合失調症椎間板ヘルニアのトリプルパンチで半年寝たきりになったことがある。医者からは「完治までに三年かかる」と言われた程度には強度の鬱を発症していた。しかし、私はこの苦境を『ビリーズブートキャンプをやること』を通じて半年間で乗り越えた。今にしてみれば、もっと文学的な美しい理由で復活できたらよかったのにと思う。なにかこう、脳天をかち割られてしまうような半端ない女性に出会ったとか、檸檬を書店に置くことで世界観をぶち壊すことができた、とか。しかし、私は、結果的に『ビリーズブートキャンプをやる』という、文学的とは程遠い現実的で世俗的なやり方で回復を遂げ(てしまっ)た。

 

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この「文学的に散りたいと思っている自分」は周期的に顔を出す。しかし、私の本質は爆死だと前述した。できることならば文学的に美しく散りたいと思う。が、実際の私には「散る前に病む」という致命的な弱さがある。病むことを美しさに転換できればいいのだが、自分の場合、ただ病む。病んで終わる。これではいけない。退廃の美とか、それはそれで素晴らしいのかもしれないけれど「自分には無理!」みたいだ。だから、もう、私は退廃の中に美を見出すことをやめた。少なくとも、自分の人生に退廃を宿らせることをやめた。ビリーズブートキャンプでU字回復を遂げたように、家なし生活の果てに家を購買してもらったように、今世の私には「まるでギャグみたいな本当のおはなし」が似合う。美しくはないけれど、クスッと笑えること。常識がとろけること。西行は「願わくば花の下に春死なんその如月の望月の頃」と詠み、実際にその通りに死んだ。奇跡だ。私は、間違っても西行のようには散れないだろう。タイムボカン的な爆死が似合う。爆発をして、ドクロマークが出る。それでおしまい。それくらいの終え方が自分に似合っている。

 

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悲しみに寄り添うことをやめた。私は、もう、誰の悲しみにも寄り添わない。誤解されると困るけれど、悲しみに寄り添うというやり方を否定したいわけではない。悲しみが悲しみを中和することもあるだろうし、心理カウンセラーは立派な職業だと思う。しかし、私は、悲しい話を聴き続けていると体が冷える。こちらまで飲み込まれる。私は悲しみに寄り添うことをやめた。人間、誰だって心の奥底に悲しみはあると思う。抱きしめてほしかったとか、親に愛されたかったとか、友達がほしかったとか。が、私はこれらの悲しみやさみしさをガン無視する。こういうことは「さみしさ業界の人々」や「悲しみ業界の人々」におまかせをする。私は、悲しみよりももっと奥にある本音に寄り添いたい。抱きしめてほしかったとか、親に愛されたかったとか、友達がほしかったとか、そういうことのもっと先にある本音。それは『生きていたい』だと思う。どれだけ死にたいと連呼するような人だって、本当は『生きていたい』のではないだろうか。違うかもしれない。しかし、私はそこに賭けたいと思う。生きていたいと思う部分、この部分にこそ寄り添いたいと思う。

 

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Do your best, untill you die.

 

生きることを諦めない。

ハワイで強盗にあって拳銃をつきつけられた直後、私は「まだ結論は出さない」と思った。強盗に遭った出来事(そもそもでハワイに足を運んだこと)を、良い出来事にするのか、悪い出来事にするのか、決めるのは自分だ。しかし、結論を急がない。強盗に遭ったことが自分にとってどういう意味を持つのか、腰を据えて考えたいと思った。その数時間後、私は「被害者にはならねえ」と思った。加害者と被害者がいるとしたら、私は、加害者でいたい。そういうことを考えたとき、ああ、俺も強盗側の人間なんだなと思った。強盗が、たまたま強盗にあっただけの話だ。そう思ったら、不思議と、拳銃をつきつけた強盗に対して親近感に似た感覚を抱いた。

 

ジョン万次郎にまつわる書籍を読んでいる。難破の果てにホノルルまで流されたジョン万次郎は「神にいかなる運命を与えられようと、人は最善をつくさねばならない。そうすればあとに続く者の励みになる」という詩に感銘を受ける。結果、彼はアメリカで様々な技術や学問を吸収し、日本に持ち帰った。彼の生き様を見ていると思う。人間が生きる上で、良い道とか、正しい道なんてものはないのだ。あるものは、自分が選んだ道を、良い道にしていこうとする人間の意思、正しい道にしていこうとする人間の意思だけだ。ジョン万次郎にはそれがあった。だから、私は、彼の生き様に感動をする。彼の生き様に励ましをもらう。同時に、自分の生き方が問われているように思った。お前は、今、お前が選んだ道を「良い道にする意思はあるか」「正しい道にする意志はあるか」と、問われているように思った。

 

昔は言葉にできなかったことが、何年も経って、ようやく言葉になることがある。おれはずっと悲しかったんだなとか、さみしかったんだなとか、友達がほしかっただけなんだなとか。でも、そのもっと奥、そういうことのもっと奥の奥の奥には『生きていたい』と願う部分が、常に、常に、常に、蠢いていた。私のハートを何よりも強く震わせるものは、その部分、その『生きていたい』と願う部分に向かって言葉をくれた。それは『生きててもいいよ』という言葉だった。その言葉は、どうしようもなく優しくて、どうしようもなくあたたかかった。私は、もう、嘘でも構わないと思った。冷たい現実より、あたたかい嘘を生きたいと思った。私は、生きててもいいよという嘘に騙されて、これまでを生きることができた。そして、これからも自分を騙し続けたいと思う。どれだけ現実が「お前には無理だ」と崖から自分を突き落としても、何度も、何度も、そういう言葉に拾い上げられてきたように。自分は、自分の中にある「生きていたい」に寄り添って生きたいと思う。

 

 

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すごいいい帽子買った!#fjallraven

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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