いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

生きることが、生きがいになる。

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昔、たまごっちというゲームが爆発的に流行した。プレイヤーは、たまごっちに食事をあげたり、夜になったら電気を消したり、一緒に遊ぶことでご機嫌を伺ったりする。いま、私は「俺もけいごっちになれないかな」と思っている。プレイヤー(ここでいうとブロク読者のみなさま!そう、目の前のあなた!)は、さかつめけいごっちに餌をあげたり、しつけをしたり、一緒に遊ぶことでご機嫌を伺う。けいごっちが幸せになると、あなたも幸せになる。けいごっちが不幸になると、あなたはとっても不幸になる。

 

 

昔、タモリさんは「芸能人は国民のおもちゃ」と言った。ある程度有名になると、この言葉の意味がより強く沁みる。私は芸能人でもなければ著名人でもなんでもないが、好むと好まざるとに関わらず、周囲からおもちゃ扱いされることは頻繁にある。ならば、自分から「俺というゲームの楽しみ方」を提示するのは有効だ。私は末っ子なので、基本的に常に誰かになにかをしてもらいたい。連日の野宿でちょっとでも大変になると、すぐに「死んじゃう」とか言って周囲の悲哀を誘う。それによって生き残ろうとする、非常に小賢しい人間だ。

 

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乱世に備える。

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長野の空き地。こどもができたら野放しにしたい。


昨日は長野県大町市にある空き地を見学させていただき、その景観に度肝を抜かれた。ああ、ここを使わせていただける日がきたら(そして自分にこどもができたら)野放しにして思い切り遊ばせたいと思った。息子が生まれたら、一緒にキャッチボールをしたい。娘が生まれたら『日本アルプスの少女ハイジ』に仕込みたい。ブランコに乗りながら、あの、有名なオープニングソングを熱唱するくらいには熱い女性に育つように・・・その後は長野県松本市にある河川敷の薮の中で野宿をした。なにもやることがなかったので、動画を撮影して、パブリックに公開する遊びをした。

 

 

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河川敷(というか薮)で野営。凍死するかと思った。

 

私は愚かなので、常に「乱世に備えて生きる」的な癖がある。もしもこの先生きることに迷うことがあったら、LINEやメッセンジャーから音声メッセージや動画メッセージを希望者に送り届け、それを「よし」としてくださる方々から救援物資などをいただきながら生きよう。毎朝「おはよう!○○ちゃん!今日も元気にいってらっしゃい!」とか「はーい、○○、どうしたんだい。そんな顔してさ!」とか「○○、愛してるよ」とか、バリエーションを増やしてみなさまに幸福を届ける(名前を呼ぶことがポイントだと思っている)のだ。

 

 

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鞄が凍った。

 

冬の長野では「着れるだけ着て、更にもう一枚着なさい!」という伝統的な教訓がある。現在の私は、シームレスのパンツ、スキンズ、オムニヒート、ジーンズ、その上にダウンパンツと、下半身だけでも五枚着ている。というのは嘘で、スキンズを履いてくることを怠った。横浜を出る時に「これだけ履けば大丈夫だろ!」と思ったのが甘かった。長野はまじで寒い。昨日は鞄が凍った。半ヘルで来たことも愚かだった。時速50キロを超えると涙と鼻水が止まらない。嗚咽しながら移動をしている。「着れるだけ着て、もう一枚着なさい」とは素晴らしい教えだ。応用が効く。断捨離の時は「捨てるだけ捨てて、もう一個捨てなさい!」とか。筋トレの時は「やれるだけやって、もう一回やりなさい!」とか。

 

 

生きることが、生きがいになる。

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都市に救われた。。。


長野で鍛錬された野営スキルと肉体を生かすべく、これから関西を目指す。今日は名古屋あたりまで着きたい。なぜか「奈良の天川村に行け」と神様から言われた気がした。道中、与える喜びを与える喜びツアーというふざけた名前の企画を自主開催する。これは、要するに『リアル版けいごっち』ということなのだけれど、連日の野営でろくなものを食べていないさかつめけいごっちに「食べ物を与える」とか「なにかしらのプレゼントを与える」ことを通じて、けいごっちの喜びを自分のよろこびにしてしまおうという企画になる。興味のある方(そんなひとっているのかな??)はご連絡ください。お互いのタイミングがあったら会いましょう!!

 

連絡先・さかつめけいごっち

keigosakatsume@gmail.com

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関西でもごちゃまぜの家を作ってください!と、非常に多くの方々から言ってもらって光栄である。自分も、できることならば関西に作りたいとは思うのだけれど空き地も空き家もなにもあてがない。こういう時こそ肉弾戦である。まずは、野営を繰り返すことで自分の体を土地になじませ、土地と会話をする。はいはいはい、君はこんなことを思っているのだね的なことを土地から聞き出し、その土地に見合ったやり方なり生き方を見出す。なんてことができたらいいのだけれど、このスキルは目下鍛錬中である。だから、誰かに「あなたはどんな家が欲しいの?」とか聞かれても困る。順番が違う。まず先に家なり土地があって、はじめて「ここをどんな風に使ったら面白いか?」という問いが成り立つのだ。が、こういう説明をしても大抵ポカンとされてしまうので、ごちゃまぜの家@関西計画はまったく進展をしていない。

 

だがしかし、懲りることなく私は関西に向かう。こういうのは場数である。繰り返し足を運ぶことで土地の雰囲気を肉体に染み込ませる。人間も同じだ。一回や二回あっただけで、真の友好が深められるとは思わない。苦楽を共にした経験が、愛情や友情を深めるのだ。それにしても野営は楽しい。過酷だけど楽しい。寒いけど楽しい。ここ数日(というか33年間の日々の中で)生産的と呼べるようなことはなにひとつしなかった。そのことに負い目を感じる時期は過ぎ去った。生産性なんてきっと考えなくていいのだ。人間である前に、我々は動物である。野営をしているとわかる。それは「生きることが、生きがいになる」ということだ。ただ生きる。ただお湯を沸かす。ただテントを張る。ただ星空を見る。ただ寝袋で寝る。ただ生きる。それだけのことが、どうしようもなく嬉しくて、どうしようもなく楽しいのだ。

 

 

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野垂れ死ぬならこの場所で。。

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu   

 

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