いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

自分の『好き』を貫く勇気。

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昨夜の徹くんの話が超よかった。僕は昔から全力を出させてくれるものが好きだった。僕は新潟の海の家で育った。海も、砂も、どれだけ僕が全力を出しても壊れないからとてもよく遊んだ。6歳年上のお兄ちゃんも「徹、いまから俺の腹を10分殴れ。俺が痛いと言ったら俺の負け、俺が痛いと言わなければお前の負けだ」という遊びをした。お兄ちゃんにはいつもボコボコにされた。ボコボコにされることは悔しいけれど嬉しさもあった。それは『納得できる』という嬉しさだ。いま、僕にはちあきという大切な女性がいる。ちあきも、僕の全力を引き出してくれる。最強で最愛の女性だ。

 

 

徹くんは話す。僕は、昔から『美しい』と思える生き方をしたいと思っていた。格好良い自分でありたいと思い、格好悪い自分は出さないようにしていた。でも、今回、ちあきとの件で自分の中にある極悪な部分がものすごい出た。極悪の自分が出ると、同時に『極善』の自分も出ることがわかった。自分はこんなにもちあきのことが好きなのかと思った。自分はちあきが好きだという気持ちに対する信頼が半端ではない。自分が更新されたように感じた。極悪と極善がタッグを組んで、一緒に生きていくことができたら最高だと思った。全部を脱ぎ捨てて生きること。『裸の太陽』という言葉が浮かんだ時、ああ、この言葉を口に出したら俺は泣いてしまうと思いながらけいごさんと電話していた時に「裸の太陽」と言ってしまって、僕は泣いた。

 

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悪態日記

私は徹くんの気持ちがとてもよくわかるから聞いている途中何回も感動をしてしまった。自分が本気になれる対象を見つけた人間は幸いだ。私は、正直に「徹くんとちーちゃんの関係性が羨ましい」と感じた。自分の本気をぶつけさせてくれる相手。一回や二回などではなく、生きている限り常に全開でお互いをぶつけあい、愛情とも友情とも括りきれない(まるで鋼が溶け合う的な)融合を何度も何度も重ねていく間柄。素晴らしい。これぞ、愛。そう思った。愛を目の当たりにした私は、しばらくの間呆然としてしまった。人間は、誰かをこれほどまでに思い抜くことができるのだという生きた実例は希望だと思った。

 

私が呆然としていると、参加者のひとりが「一緒に写真撮ってください」と言ってきた。私は、いままであなたとは一言も会話を交わしていないのに突然どうしたとイラッときた。言葉のトーンから察するに「俺と写真を撮りたいんじゃなくて、俺と撮った写真をSNSで周囲にひけらかしたいだけだろ」と感じた。ので、悪態をついてしまった。数日前、まだ、一回もあったことのないひとからフェイスブックで友達になってくださいと連絡がきた。こういう連絡は頻繁に届く。私は「友達になってどうするんだ」と思った。友達ってなんだ。俺はお前のことをなんにも知らないぞ。友達になりたければ実際に会うのが筋だろう。そう思って「友達って、お願いされてなるものでも、私たち友達だよねって確認しあうものでもないと思う。苦楽を重ねた回数が、愛情や友情を深めるのだと思う」的なことを伝えたら、そのひとは消えた。この程度で消える人間と、わたしは友達になることはできない。

 

前に、イベント終了後に「坂爪さんこんにちは。私は天才合宿をやっているのですが・・・」みたいな感じでいきなり語りはじめた女性がいた。私は、なぜ、自分が天才合宿を知っている(しかもその趣旨に賛同をしている)前提で話しはじめられているのかが謎過ぎたから「天才合宿なんて知りません」と断った。実は、天才合宿のことは前々から知っていたのだけれど、違和感もあったためにこれを機会に悪態をついた。こういうことばかりをやっているから、周囲からどんどん人が離れていく。しかし、悪態をつくことを抜きに自分は自分でいることができない。そして、悪態をついている自分を結構気に入っている。こういうことを書くと「いいぞ、いいぞ、もっとやれ!」とかまだ会ったことのない人から言われたりする。こう言う人々にも「うるせえ。お前がやれ。」などと思ってしまう。

 

わたり文庫『ミュータント・メッセージ』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、マルロ・モーガン著作『ミュータント・メッセージ』です。こちらの本は「わたり文庫に是非!わたしの人生を変えた一冊です」とご郵送をしていただいた一冊になります。小生も読ませていただきました。素晴らしい一冊だと思いました。とりわけ、誕生日というイベントに対するアボリジニたちの言及には「まったくもってその通り!」だなあと、思わず膝を打ちました。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。 

 

※※※ こちらの本は、岐阜県にわたりました ※※※

 

バースデー・パーティーの話になると彼ら(オーストラリアの原住民たち)は熱心に聞き入った。私はケーキや歌やプレゼントについて話し、年をとるたびにキャンドルが一本ずつ増えると説明した。「なぜそんなことをするのか?」彼らは質問した。「われわれにとって祝いとは特別なことにたいしてするものだ。歳をとることは特別なことではない。なにも努力しなくても自然に歳をとっていくではないか!」

「歳をとることを祝わないとしたら、なにを祝うの?」私は言った。


「よくなること」という答えが返ってきた。「去年より今年のほうがさらに賢くていい人間になったら、それを祝うんだ。それは自分だけしか知らないことだから、自分でパーティの時期がきたとみんなに告げるんだ」。そうだったのか、これはきちんと覚えておこうと私は思った。

マルロ・モーガン『ミュータント・メッセージ』【角川書店

 

自分の『好き』を貫く勇気。

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柿の木に登る。なかなかの笑顔。


人間関係で守り抜きたいと思う言葉がふたつある。ひとつは『知らん』。ひとつは『うるせえ』。このように思うことを自分に禁止してしまった瞬間から、人生の風通しは悪くなる。身の上話などを聞いていると、家庭環境がどうのとか、職場環境がどうのとか、恋愛相手がどうのという流れになることが多い。しかし、私は、話を聞きながら「それって全部言い訳だよね」とか思う。身の上相談にあまりにも親身になりすぎると、話しても聴き手も一緒になって苦しみの沼で溺死をするリスクが高まる。だから、程よく「知らん」とスパッと断ち切れる自分でありたい。過去のことは過去のこと。これまでがこれからを決めるのではなく、これからがこれまでを決める(過去は変えられないけれど、過去の意味ならば変えていける)のだ。

 

誤解されると困るが、わたしは誰かの身の上話を聞きたくないわけじゃない。素直なそのひとの思いを聞かせていただけた時は、ああ、俺はひとつの人生に触れさせていただいているのだ(このひとは、自分の代わりに生きてくださっているのだ)などと思って感動する。昨日、イベント終了後に、ある女性の話を聞いていた。彼女は、話しながら、途中何回か泣いた。私は「泣くのもたまには必要ですよね」とか思いながら、体育座りをしながら黙って話を聞いていた。ら、彼女は、ごめんなさい、いま、私は坂爪さんの貴重な時間を奪っていますよね的なことを言いはじめた。私は「それは違う」と思ってこう言った。俺の時間を無駄にするのか、無駄にしないのか、それを決めるのはあなたではなく俺自身である。この程度で、わたしの時間は無駄にはならない。だから、わたしを言い訳に使わないで欲しい。わたしは、この時間を無駄だとは思っていない。この場を立ち去りたいなら、ただ、立ち去りたいとだけ言ってください。続けたければ、続けてください。ただ、俺のせいにするな。と。

 

我ながら「俺はいいことを言うなあ。今日のMVPは俺だなあ」とか思った。言いたいと思ったから言う。やりたいと思ったからやる。これだけでいいんじゃないかなと思う。たとえ「お前はとんでもない利己的な人間だな」などと責められようが、おいおいおい、この世の中に利己的じゃない行為なんてものがあるとでもお前は思っているのかいと問えばいい。帰り際、彼女とは玄関で軽い抱擁を交わした。よい時間だと思った。私は思う。あんまり難しく考えないでいいのだと思う。ただ、自分が好きなものには「あなたが好きです!」と真っ直ぐに自分の思いを伝える。自分の好きを出し惜しみしたり、こんなことを言われたら迷惑かなとか考えて思いをひっこめたりする経験を何度も重ねると、自分の本音がわからなくなる。死ぬ前に伝えたいことなんて、あなたのことが好きでした以上のことなんてさほどない。だから、自分が好きなものを見つけたら、裸一貫でぶつかって行って「あなたのことが大好きです!」と真っ向勝負で思いを伝える。自分の『好き』を貫く勇気。それだけのことで、意外と、清々しい人生を過ごせるのではないだろうかと思う。

 

 

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みんなありがとう。。。 #柿泥棒

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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