いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

あなたが楽しく生きることを、喜ぶ人と一緒にいなさい。

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大阪のイベントで100%のムートンマットを貰った。心臓が破裂するほどうれしい。会場にあったムートンを見たとき、超高速で「欲しい!」となった。心の底から欲しがれば与えられるんじゃないかと思い、この手触りは最高だなあ、ムートン大好きなんです、どこで買えるんですか、あまり使ってないと聞きましたが普段は押入れの中にあるのですか、最高だなあ、最高だなあ、こんなものが家にあったら天国だなあ、とか、散々駄々をこねた。ら、持ち主の方から「いりますか…??」と与えられた。私は、両手を上げて「やったー!」とガッツポーズをした。

 

 

梅田駅のかっぱ横丁にある魚屋で、一昨日、夕食をご馳走になった。そしたら数時間後に猛烈な腹痛に襲われて悪寒と冷や汗と目眩が止まらなくなってトイレに籠城した。本気で救急車を呼ぼうかなと思うくらいの腹痛に襲われることが、私には、年に数回ある。インディアンの教えによると、身体の痛みや不調は神様のサインらしい。私は、トイレにこもりながら「神様ごめんなさい、神様ごめんなさい、悪いことはもうしませんから許してください」とか五億回祈った。普段、強気に生きている(いつ死んでもいいとかイキっている)割に、一回の腹痛で私の意思はこんなにも崩れる。冷や汗でびしょびしょになりながら、ああ、神様は俺に何を伝えようとしているのかを考えた。ら、直後に「調子に乗るなよ」という言葉が天から舞い降り小生の身体はビクッ!となった。

 

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調子に乗ったら即死する。

私はできるだけ素直に生きたいと思う。嫌なものには嫌だと言いたいし、好きなものには遠慮なく好きだと言いたい。鏡の法則とやらがある。相手の嫌な部分は、自分の嫌な部分を反映しているだけに過ぎないという例のあれだ。私はこれを信じない。自分の中にあろうがなかろうが、嫌なものには嫌だと言いたい。たとえば、私はテレビが嫌いだ。それに対して「あなたはあなたの中にあるテレビが嫌いなんですよ」とか言われてもピンとこない。逆に、嫌いなものを嫌いと言わない自分を、私は嫌う。石頭の教条主義者達、おかしな形で心理学や謎のセラピーを学んだひとほど、そのひと自身はまったく幸せそうに見えないのに「幸せになるにはこうすればいいのですよ」とか言いたがる。セルフブランディングを教えます!とか言ってる人のフォロワー数が15人だったりするのを見ると、こいつはギャグなのかと思う。童貞が恋愛を語ることと同じだ。言葉に、生き方が追いついていない。

 

勘違いされると困るが、私は童貞を軽蔑している訳ではない。単純に「できもしないことを言っている」本人自身の捻れが気になるのだ。たとえば、私はヨガの先生が苦手だ。マクロビにどはまりしてる人々と似た近寄りがたさを感じる。彼らには、多分、一様に信じている『正義』があるのだろう。私は、平和主義者でもなんでもないくせに自分のことを平和主義者だと思っているひとの目が怖い。選挙活動や核廃絶系の運動をしている人々にも、同じ匂いを感じる。彼らは正しさで動く。が、正しさの反対は『また別の正しさ』であることを引き合いに出すまでもなく、私は、こういう人々の臭さを嫌う。ああ、関わりたくねえなと思う。お前は褒められたいだけだろう、お前の中にあるさみしさを活動を通じて埋め合わせたいだけだろう、とかちょっと思う。私のボディは、正しさよりも楽しさに反応をする。楽しそうに生きているならば、正しかろうが正しくなかろうが、私はそういう人々と同じ時間を過ごしたいと思う(稀に、悟りを開いた賢者みたいなひとに出会う。こういう時、私は、その人を前に土下座をしたくなる。私が悪ぅございました的な気持ちになる。こういう人種を真の平和主義と言うのだろう。彼らは、言葉ではなく雰囲気でその場を包む。語るものではない。体現するものなのだろう)。

 

幸福感と降伏感は似ている。腹痛に襲われた私は、健康であることの尊さを思い知った。金も家も仕事もなくても別にいいけど、健康がなくなったらアウトだと痛感した。おかげさまで腹痛は1時間程度で過ぎ去り、私は起死回生を果たした。一回殺していただいてありがとうございますと神様に思った。最近の私は調子に乗っていたのかもしれない。もっと感謝できるものに対する感謝が(いまいち)足りなかったかもしれない。いま、ムートンマットを膝掛けにさわさわさわりながらこの記事を新幹線の中から書いている。名古屋を過ぎ、次の新横浜で降りたら私はごちゃまぜの家に向かう。今日からしばらく関東界隈で暇をしている。みなさまのお力添えにより、存続の危機に喘いでいたごちゃまぜの家も続けることができそうだ。調子に乗ったら即死する。死ぬことも悪くはないが、この言葉を肝に銘じたい。自分を疑う落ち着きを、常に携えていたい。

 
🌸🌸🌸筆者に「あなたはすでに可愛いです!」と伝えたい!🌸🌸🌸

tenshinohashigo.hatenadiary.jp

 

あなたが楽しく生きることを、喜ぶ人と一緒にいなさい。

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能勢の森。紅葉の時期は迫っている。


最近はいかに自分純度を保つかに真剣である。数日前、ある女性から「渡したいものがあるから会えませんか」と連絡をもらった。私は「5分くらいなら会えるな」と思ってOKです!と返信した。ら、彼女から「野営開けでしょ。お風呂はいってないなら家でシャワーを浴びていきなよ。タクシー代も出すから。」と提案された。私は、正直、なんだか面倒臭くなってしまって「ごめんなさいそれはちょっと無理です!」と返信をしかけた。が、私は、なんで俺がごめんなさいとか謝らなきゃいけないんだ(こういうところから自分軸はブレて行くのだ!)と思ってその文章をどりゃーと消して、一旦携帯を置いて深呼吸した。そして、意を決し、嫌われても構わないのだとぷるぷる震えた指先で「最初は受け取るくらいなら5分くらいで終わるから大丈夫かなと思ったのですが、いま、正直あんまり会いたくない気持ちになっています!」とラインを返した。

 

ああ、これで俺もいよいよ嫌われたなとか思っていた数秒後、彼女から「正直!」と返信がきた。そして「では、わたしから行きますね」ということになって我々は会った。お互い言いたいことを言えたからなのか、実際に会ったら会話も弾んで結局1時間くらい一緒にいた。別れ際も爽やかで「なんだか話せてうれしかったです!」とか私は言った。会話の途中、彼女から「男の人は格好いいとか格好悪いとかを気にするけど、そんなことより嘘がないことが大事なのよ」と言われた。私は、ああ、これはめちゃめちゃ大事なことだと思った。相手を傷つけたくない的な『優しくない優しさ』で、私は、安易にごめんなさいを安易に使う。しかし、これでは距離があるままだ。お互いの本音をぶつけあいながら、それでもなお一緒にいることができる関係性。これを理想だなと思う。本音で傷つくのならば構わない。しかし、嘘で傷つくのならばいたたまれない。正面突破。爽快な言葉である。

 

私の求愛方法を定めたいと思う。これは、もう、ひとえに『自分が幸せそうに生きていることを、お前の喜びとして受け取ってくれ』というものになる。間違っても、私は、お前を幸せにするために生まれた訳じゃない。これは、逆の場合も同じ。俺のために生きるな。お前はお前のために生きろ。それが俺の喜びになる。的なことを思う。言葉にするとウルトラ亭主関白みたいに聞こえるかもしれないけれど、結構、純愛だと思う。私は、私の器から溢れ出すものを、周囲の人々に与えたいと思う。間違っても、自分がカラカラに乾いているくせに、無理をしてまで自分を絞り出して『絞りカス』みたいな愛情を振りまきたいとは思わない。自分に娘が生まれたら、私は、こんな風に洗脳をしたいと思う。あなたが楽しそうに生きてることを、よろこんでくれる人と一緒にいなさい。あなたの喜びが、みんなの喜びになるのよ。だから、恐れることなく幸せになっちゃいなさい。と。とかなんとか言いながら、また、腹痛に襲われたりしたら「絞りカスでもなんでもいいから、俺に優しくしてください」とか思うのだろうなあ。まだまだだなあ。精進が足りないなあ。たくましくなりたいなあ。沖縄、福岡、大阪で出会ったみなさま、本当にありがとうございました(これは本音!ありがとうございますと書きながら、俺は、悪態をつかずにはいられないけれど根本的に人間を愛しているのだなと思った)。

 

 

「 苦しみを越えて 」

大きなことを成し遂げるために力を与えてほしいと神に求めたのに、 謙遜を学ぶように弱い者とされた。

より偉大なことができるように健康を求めたのに、 よりよいことができるようにと病気を戴いた。

幸せになろうとして富を求めたのに、 賢明であるようにと貧しさを授かった。

世の中の人々の称賛を得ようとして成功を求めたのに、 神を求め続けるようにと弱さを授かった。

人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、 あらゆることを喜べるようにと命を授かった。

求めたものは一つとして与えられなかったが、 願いはすべて聞き届けられた。 神の意に添わぬものであるにも拘わらず、 心の中の言い表わせない祈りはすべて叶えられた。 私はあらゆる人の中で最も豊かに祝福されたのだ。


Creed for Those Who Have Suffered

I asked God for strength, that I might achieve

I was made weak, that I might learn humbly to obey...

I asked for health, that I might do greater things

I was given infirmity, that I might do better things...

I asked for riches, that I might be happy

I was given poverty, that I might be wise...

I asked for power, that I might have the praise of men

I was given weakness, that I might feel the need of God...

I asked for all things, that I might enjoy life

I was given life, that I might enjoy all things...

I got nothing that I asked for-but everything I had hoped for Almost despite myself, my unspoken prayers were answered. I am among all men, most richly blessed!

 

https://www.instagram.com/p/BpLNVvQHP2m/

能勢の森。光彩が素晴らしい。

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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