いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

俺達、もっといい感じになれるよ。

f:id:ibaya:20181017125650j:plain

 

俺はイタリア人になりたいのかもしれない。女性と会う前に花を買う癖がある。たくさんの花束ではなく一輪に入魂するスタイル。花を片手に街を歩くと「いまの俺、なんだかいい感じなんじゃないの!?」と思う。花屋さんの店員さんは、結構不機嫌なひとが多い。薄利だし、水が冷たいからだと思う。前に、フローリストの女性から「私は現実主義者だから、綺麗事は信じないけれどあなたの生き方には興味がある」と言われた。この時、あれ、この女性は「無料で人間に刈り取られている花のこと(それによって自分が生きていること)を、一体、どう思っているのだろう??」とか疑問に思った。

 

 

昨日は福岡のイベントに登壇した。これから関西空港に飛ぶ。坂爪圭吾をはじめて知ったと話す方々も来てくれて、私は、私の生き方を説明した。が、これがまたまったくうまくいかなくて、不信感を与えた。私は、私を知らない人に私の生き方を説明すると、大概「きょとんとされる」か「お前は人生を舐めているのか」と言って怒られる。自分を説明しながら、同時に「説明なんてできるものか。俺は、説明をできないことをやりたかったのだ!」とか思う。もう、誰かに理解をしてもらうことは諦めよう。だって、自分でもよくわからないのだから。ただ、一言「俺の生き方を見てください」とだけ言おう。俺は何をしたいのか自分でもまったくわからない。というか、説明できることにあんまり興味がない。私は、言葉の外側に行きたいのだ。言葉にならないこと、説明することはできないけれど『なぜだかどうしてもそれをやりたくなってしまうこと』をやりたいのだ。

 

ibaya.hatenablog.com

 

知性と野生。マーキング・マイ・ライフ。

f:id:ibaya:20181018011953j:plain

野営道具を乾かしている時間は幸せ


食事中の方にはごめんだけど「男ならスタンディング・ユリネーション(通称SU。要するに立ちション)」と思う。馬鹿にされることは承知だけれど、屋外SUの開放感は半端ない。SUをした場所に男は過剰な愛着を抱く。犬の気持ちがものすごいわかる。私はマーキングをしているのだ。全国各地で野営をすると、必然的にSUポイントが増す。福岡に来たときは「ああ、俺はこの場所でSUをしたなあ。。」みたいな慕情を覚える。森羅万象にお近づきになれる。トイレの水は水を使いすぎている気がするから、私はあまり好きじゃない。前に、海外に一緒に行った女性がトイレがなくて困っていたから、適当な草むらを見つけて「ここ、どう?」と聞いた。最初は彼女も逡巡していたものの、やがて、意を決して草むらに進軍した。数分後、草むらから出て来た彼女はものすごい晴れやかな顔をしながら頬を染めてこう言った。「なんだかすごい自由を感じました」。

 

 

知性と野生。この両輪が大事だと思う。知性だけでは石頭の教条主義者になるし、野生だけでは下品な野蛮人になる。私は進学校を出たので知性優先型の人間だった。そんな自分に「野性味が足りない!野性味が足りない人間はツマラナイ!」と思っているのが最近で、能動的に野性味を獲得するようにしている。都会はどんどん整備をされる。普通に生きている限り野性味を獲得する機会は皆無に等しい。昨日、福岡のイベントで格闘技を長年続けている男性M様とお会いした。私はM様が大好きだ。男的に「格闘技をやっている(強い)男に惹かれる」部分って、誰にでもあると思う。M様は言う。本当に強い男は常にリラックスをしている。我の強い人間は弱い。稀に、ヤンキーが「おらおら」みたいな感じでリングにあがるが、大抵、そういう人間は音速でボコボコにされる。そして、翌日にはジムから消える。逆に、大人しそうな陰気な青年ほど、どれだけボコボコにされても、ジムに通うことを諦めない。こういう人間は強くなる。格闘技をやっていると、強い人間ほど『過剰なまでの恐怖心』を持っていることがわかる。強い人間ほど、実際は様々なことにビビっている。ビビっているからこそ、備えることを覚える。恐れがないことが強さではない。恐れや弱さを自覚することが強さなのだ。

 

 

私は、毎回、ブログ記事を書きながら超絶ビビっている。今度こそはみんなから嫌われるだろうなと、ビビりながら書いている。言いたいことを言うときも、結構全身を震わせながら言っている。勇気があるから普通に言えるのではなく、毎回、渾身の勇気を振り絞っているのだ。これはみんなと同じである。だって、嫌われたくないという思いが自分にもあるから。野営をするときも「今夜はちょっと寒いかな・・・体調もちょっとあれだし・・・やめておこうかな・・・」とか、その程度の次元で幾度も逡巡する。そんな自分が肯定された気がして嬉しかった。江戸時代の医学者・貝原益軒先生も「最良の薬は恐れである」的なことを言っている。エベレストなどの高山も、自信満々の奴より『ビビり』の方が登頂率は高いと聞いた。恐れるから、ビビるから、それに対する現実的な用意を周到に行う。私の過去記事『世間体を捨てると楽になる』に対して、先日、北海道でライダーハウスを運営している男性が記事を書いてくれた。この記事が良かった。人を縛ろうとするのは弱い人間のすることだ。紳士たれ。知性と野生の両輪を感じる、力強い、美しい言葉だ。

 

サカツメさんのブログで野田ともすけの「ルールに対する考え」のようなものが紹介されていた。野田さんはカヌーをする人なら知らない人はいないパイオニアで、とにかくルールが嫌いな人だ。「ここでキャンプをしてはいけません」という公務員を川にブン投げていたという。

世間体を捨てると楽になる。 - いばや通信

ブログでは「人を縛ろうとするのは弱い人間のすることだ」とバッサリしていた。野田節全開である。強い人の言葉だ。

 

(中略)

 

ルールに関して、とても好きな逸話がある。それは北大の前身である学校を創設するとき、道民はクラーク博士に校則案を見てもらった時の話だ。

まだ教育なんて金持ちの道楽に近い存在だった時だ。あれをするな、これをするなと校則はとても細かく設定されていた。博士はそれを全部投げ捨てて「これだけでいい」と言った。「紳士たれ」とても強く、美しい言葉だ。

紳士とは自分の正義を実行できる人であると思う。誰かが困っているのを助ける、集団でおこなわれる不正義にNOという、それらの行動ができる人を紳士と呼ぶのだ。

 

hatinoyado.hatenablog.jp

 

俺達、もっといい感じになれるよ。

f:id:ibaya:20181018103110j:plain

嘉向さんと豊住さん。喧嘩と仲直りを繰り返している。

 

知性と野生。この両輪を感じることができる人間との出会いは宝物だ。私の友人に嘉向徹&豊住千明という稀有なカップルがいる。彼らは野生がちょっと強めの(だけどしっかり品性もある)最高のカップルだ。彼らが10月25日(木)、横浜にあるごちゃまぜの家でトーク企画を開催する。私の過去記事で「修羅場っくれている人々の話」を何度か紹介したけれど、実際、これらの修羅場は全部彼らの実話になる。彼らほど、本気で生々しい生涯を送っている人々を私は知らない。本気で生きている人間に触れると、いかに自分が本気を出し渋っているけち臭い人間であったかを思い知る。そして「俺ももっと生きたい!生きてやるぜ!」的な、生きる力がむくむくする。お時間のある方も、お時間のない方も、是非、彼らを(職場や学校や家事を一旦全部放り投げて)目撃してください。

 

ごちゃまぜの話 feat.とよずみちあき&かむきとおる love 坂爪圭吾

 

徹さんから「ごちゃまぜの話をシリーズ化できたらいいなと思って見たり見たり!」をご連絡をいただいた。超絶いいなと思った。私は離婚式をコーディネートしたいと思った。別れたいけれどなかなかふんぎりがつかないカップルに、スカッと晴れやかに別れていただく企画。破壊や終焉を祝うデスアニバーサリー。新しい人生に踏み出すひとが醸し出す雰囲気は素晴らしい。離婚届に捺印したり、結婚指輪を粉砕したり、思い出の写真をみんなで一緒に焼却したら、やる側ももちろんのこと、見ている側にもグッ!と来るものがあるだろう。連帯感も生まれると思う。結婚相手とか、パートナーとか、そういう関係性ではいられなくなった二人も、デスアニバーサリーを通じて「出会えて良かった」最高の二人になる。少なくとも、二人の関係がなかったことには絶対にならない。風化することのない、確かに『あった』ことが強烈に刻まれる。

 

ごちゃまぜの話 feat.とよずみちあき&かむきとおる love 坂爪圭吾

 

最近思う。まず、大前提に愛がある。その上に好き嫌いがあるのだと思う。家族間とかもろにそうだと思う。愛しているから好きな時期もあれば、愛しているけど嫌いな時期もある。でも、どちらの場合も、等しく『愛の土俵の上での話』である。嫌いになったからといって、それは「愛していない」とはならない。超絶余計なお世話な話だが、女性と話している時、ある種の違和感を覚えることがある。この違和感は、その女性自身が「過去に、自分が女であることを煩わしく感じていた時期があったのではないか」的なことを私に推測させる。男に比べられて悔しい思いをしたとか、過去に男に酷い目に遭わされたとか、女であることに嫌気が差したとか。その記憶が、自分の女の部分を封印させる。そんな過去があったのだろうかなどと推測をする。私は思う。女が女の部分を封印すると、女は乾く。罪悪感や憎しみで生きるゴリラになる。そんな姿を見ると「あんた、もっと綺麗になれるよ」とか思っちゃう。ゴリラは男の役割である。自分がかわいくあることを自分に許すことができたとき、女は自分で自分を潤わせることができる(とか言うとなんかめっちゃ嫌な言い方になる。だけど本当にそう思う)。男も同じ。自分が格好良くあることを自分に許すことができたとき、男は、自分で自分を律することができる。昨日見たジョン・レノンの言葉がよかった。別に、特別な人間になろうと思わなくてもいい。そんなことよりも、私は、動物的なよろこびを大事にしろと(自分に)言いたい。いい感じの男が増えれば、勝手に女もいい感じになる。いい感じの女が増えれば、勝手に男もいい感じになる。それが、いい感じの循環になればいい。

 

When I was 5 years old, my mother always told me that happiness was the key to life. When I went to school, they asked me what I wanted to be when I grew up. I wrote down ‘happy’. They told me I didn’t understand the assignment, and I told them they didn’t understand life.

私が五歳の時、母はいつも幸せが人生の鍵だと教えてくれた。学校に行くと、彼らは大きくなったら何になりたいかと訊いた。私は「幸せに」と書いた。彼らは私がその課題を理解していないと云い、私は彼らに貴方達は人生を理解していないと云った。ー ジョン・レノン

 

 

https://www.instagram.com/p/BpBeVuFFbcK/

これから人と会う前の俺。。。

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

f:id:ibaya:20181014151143p:plain

LINE ID ibaya