いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

もっと真剣に生きてください。

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ごちゃまぜの家の裏側に豚小屋を建てている。豚は私だ。完成したら私(資本主義の豚)が暮らす。先日、大量の廃材をもらった。廃材を使えば無料で作れる。もともと、豚みたいな生活をしていた自分だ。豚は餌をあげると喜ぶ。資本主義の豚はおかねをあげると喜ぶ。見世物小屋みたいな感じになる。豚小屋に私が住み、餌の代わりにお金をねだる。お金をもらえない時は「ぶぅ!」、お金をもらった時は「ぶぅ♡」である。これはもう、どれだけチャーミングに開催できるかの勝負だ。

 

 

ごちゃまぜの家の運営メンバーになかむらさんが加わった。当初は「誰もメンバーこないね…」などと塞いでいたが、ここ数日間で驚きの展開。あれよあれよと参加希望者が集まり、残り座席はひと席程度となった。参加条件などは不文律で、要するに人柄ということになる。ごちゃまぜの家は、基本的に誰がいつ来てもいいことになっている。が、これは受け入れ側にも言えることであり「あなたが自由であるように、こちらも自由であることを忘れるなよ」という、どこかしらパンクな精神が根底に流れている。

 

 

ibaya.hatenablog.com

 

青年は辺境を目指せ。

将来はゲストハウスをやりたいと話す若者に、多分、これまで100人くらい会った。あまりにも定番すぎるものだから「お前もか!」と毎度突っ込みたくなる。シェアハウスやゲストハウスに興味があるからごちゃまぜの家に来ました、とか言われると「俺(坂爪圭吾)はそういうの全然興味ないからね!」と言うようにしている。すると大概びっくりされる。幻滅されることもあるし、露骨に嫌われることもある。そして、ああ、俺は世間からはそんな風に見られているのかと軽くへこむ。

 

「坂爪さんも地球家族という概念を大事にしているんですよね!」とか前に言われた。一方的に決めつけられている感じがものすごい嫌で、私は「なにそのキモい言葉」と返した。こう言う感じで、私は、頻繁に遊びに来てくれた方々と揉める。未熟な豚である。取材や講演の依頼が来ても、大概、途中で揉めてなし崩し的に終わる。第一に、メールだけで要件を済ませようとする態度が気に入らない。本気ならば(対面コミュニケーションを大事にしたいとこれだけ書いているのだし、自分のスケジュールも公開しているのだから)なんでもいいから一回会いに来いよと思ってしまう私は、古いタイプの人間なのだろうか。

 

きっと私は少数派の人間なのだと思う。ビジネスのやり方とか、メールでことを済ませる(金になるとわかってから実際に動き出す)ことの方が、効率的だし諸々合理的なのだとは思う。しかし、私はそこに反発を抱く。それができていたらこんな生き方はしていないよと思う。誤解を恐れずに言うと、私はお利口さんが嫌いだ。器用にたち振舞われるより「不器用でも熱意のある言葉」に触れた時の方が、五億倍燃える。熱を感じるひとと一緒にいたいし、右に倣えの青年より、辺境を目指す青年が好きだ。市民権が得られているものではなく、まだ、市民権が得られていないものを目指す青年が好きだ。今夜はごちゃまぜの家に泊まり、明日から沖縄に行く。

 

 

わたり文庫『人生の救い』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、車谷長吉著作『人生の救い』です。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、栃木県にわたりました ※※※

 

質問・教え子の女性とが恋しいんです。


40代の高校教諭。英語を教えて25年になります。自分で言うのも何ですが、学校内で評価され、それなりの管理的立場にもつき、生徒にも人気があります。妻と子ども2人にも恵まれ、まずまずの人生だと思っています。

でも、5年に1度くらい、自分でもコントロールできなくなるほど没入してしまう女子生徒が出現するんです。

(中略)

教育者としてダメだと思いますが、情動を抑えられません。どうしたらいいのでしょうか。

 

回答・恐れずに、仕事も家庭も失ってみたら


私は学校を出ると、東京日本橋の広告代理店に勤めましたが、この会社は安月給だったので、どんなに切り詰めても、一日二食しか飯が喰えませんでした。

北海道・東北への出張を命じられると、旅費の半分は親から送ってもらえと言われました。仕方がないので、高利貸から金を借りて行っていました。生まれて初めて貧乏を経験しました。二年半で辞めました。

次に勤めたのは総会屋の会社でした。金を大企業から脅し取るのです。高給でしたが、二年半で辞めました。三十代の八年間は月給二万円で、料理場の下働きをしていました。この間に人の嫁はんに次々に誘われ、姦通事件を三遍起こし、人生とは何か、金とは何か、ということがよくよく分かりました。

人は普通、自分が人間に生まれたことを取り返しのつかない不幸だとは思うてません。しかし私は不幸なことだと考えています。あなたの場合、まだ人生が始まっていないのです。

世の多くの人は、自分の生はこの世に誕生した時に始まった、と考えていますが、実はそうではありません。生が破綻した時に、はじめて人生が始まるのです。従って破綻なく一生を終える人は、せっかく人間に生まれてきながら、人生の本当の味わいを知らずに終わってしまいます。気の毒なことです。

あなたは自分の生が破綻することを恐れていらっしゃるのです。破綻して、職業も名誉も家庭も失った時、はじめて人間とは何かということが見えるのです。あなたは高校の教師だそうですが、好きになった女生徒と出来てしまえば、それでよいのです。そうすると、はじめて人間の生とは何かということが見え、この世の本当の姿が見えるのです。

せっかく人間に生まれてきながら、人間とは何かということを知らずに、生が終わってしまうのは実に味気ないことです。そういう人間が世の九割です。

私はいま作家としてこの世を生きていますが、人間とは何か、ということが少し分かり掛けたのは、三十一歳で無一物になった時です。

世の人はみな私のことを阿呆だとあざ笑いました。でも、阿呆ほど木の楽なことはなく、人間とは何か、ということもよく見えるようになりました。

阿呆になることが一番よいのです。あなたは小利口な人です。 

 

車谷長吉車谷長吉の人生相談 人生の救い』【朝日文庫

 

もっと真剣に生きてください。

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先日、こんなメールをいただいた(こんな感じの連絡は頻繁にいただく)。

坂爪さん、ごちゃまぜの家についてお伺いしたいことがありメールさせていただきました。 実は、 児童養護施設の子供たちが、18才になって施設を出されてしまうと、保証人もいないため、なかなか住む所がなくなってしまうこと、そのため、路上生活となり、犯罪に手を出してしまったり、 風俗のお仕事でボロボロになってしまう子供達が多い現実をなんとか変えたい!救いたい!と、友人がNPO法人を立ち上げました。施設を出された子供達が住める場所(できれば無料のところ)を探しているそうです。坂爪さんのごちゃまぜの家の話をしたところ、「一時的にでも、施設を出された子供達を住まわせてもらえるかどうか、勿論、光熱費は支払いますので 聞いてほしい」…と言われております。勿論、ずっと彼らが住めたらありがたいそうですが、それだとごちゃまぜの家の意味がなくなってしまいますので、一時的にでもいいので住むことは可能でしょうか。お返事お待ちしております。

 

小生の立場を明確にするため、返信を掲載する。

 

遅くなりました!

一点 本気
なら、あなたではなく、NPO代表本人が連絡をしなさい。
二点 メールだけ
で済まそうと思うな実際に来い話はそれから
三点 誰かを救いたいなんて、
何様のつもりだ

以上。もっと真剣に生きてください


このような返信をすると、およそ9割からは返信さえ来なくなる。消えるのだ。正直、私は「この程度で引っ込む奴は最初から引っ込めばいい」と思う。最近、頻繁に『ジョゼと虎と魚たち』という邦画のワンシーンを思い出す。詳しくは映画を見ていただきたいのだけれど、主人公のジョゼが、思いを寄せる男性に向かって「帰れ・・・!!『帰れ』って言われて帰るような奴ははよ帰れ!!」と怒りを爆発させる場面がある。私は思う。一回断られたくらいで諦める程度の熱量ならば、そんなものはやめちまえと思うのだ。逆に言えば「私は、いま、メールでお断りをした。それでもなお、あなたには『何度でもしつこくぶつかってくる』権利があることを忘れるな」とも思っているのだ。

 

コミュニケーションとは、こういうことだと思っている。私の目的は「相手をボコボコにする」ことではなく「本音を確かめ合うこと」だ。それによって、最初は断りたいと思っていた提案も、流れによっては「是非、我々にもお手伝いをさせてください」となる場合もある。だからこそ、私の意見が違うと思ったらその時は『違う』とボールを投げてほしい。一回断られた程度で引き下がるような、やわな思いなら最初から声をかけないでほしい。なにかしら自分なりの熱量があったからこそ、あなたはその活動をはじめたんじゃないのか。それならば、その熱量を俺にぶつけてきてみろよ、と、思う。

 

私はこういうタイプの人間だ。自分から歩み寄るタイプの人もいるのだろう。しかし、私は歩み寄りたいとは思わない。できることならば、お前から越えて来いと思う。そのためには、多分、勇気が必要になる。「自分にはそんな勇気はない」などと言って逃げるひともいる。しかし、それは違う。勇気は『出すか、出さないか』だ。これは、逆に言えば『勇気はすでに自分の中に備わっている』ということだ。出すか、出さないか、それを決めるのは常に自分だ。私は、それに助力をしたいとは思わない。私が歩み寄ったら、それは自転車に補助輪をつけて走ることと同じになる。補助輪をつけたままでは、あなたは自転車に乗れないままだ。だから、私は、歩み寄ることをしない。誰かになにかをしてもらおうと思うな。自分には力があるのだと認める恐怖を越えるのだ。勇気を出す瞬間は怖いかもしれない。それでも尚、私は「越えて来い」と思う。勇気には、勇気で応えていきたいと思う。

 

 

https://www.instagram.com/p/BXlxUGfDnY6/

#wanna be a brave explorer

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

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