いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

愛情表現としての怒り。

f:id:ibaya:20181009191900j:plain

 

成功体験が足りないとか言うけど、逆で、失敗体験が足りないのだと思う。どうすればうまくやれるか、とか、どうすれば周囲から嫌われないか、とか、そういう風に尋ねられると「逆だろ」と思う。人生の最優先事項が嫌われないことだとしたら惨めだ。それでは誰の人生を生きているのかわからない。無傷で墓場に入るとき、それは誇らしい生涯だったと言えるだろうか。全然言えないと思う。そんなことよりも『嫌われたとしても構わないから、自分がやりたいと思うことを実行する』ことなんじゃないのかと思う。

 

 

今日、ごちゃまぜの家に保険の勧誘の女性が「保険入っていますか?」と下劣な笑顔でやって来た。営業を頑張っている(それが会社の方針である)ことはわかる。しかし、他人の領域に土足で踏み込んでくる精神性と、黒ずんだ表情が無理過ぎて「こんな仕事は早くやめなよ。そうじゃないと、あんた、カラダを壊すよ」と言って追い払った。街中でティッシュ配りをしている人間や、空港でクレジットカードの勧誘をしている人間にも、似たようなことを思う。共通点は『笑顔が嘘くさい』ことだ。日常的に嘘をついていると、やがて「自分が嘘をついていることすらわからない乖離した状態」になる。

 

ibaya.hatenablog.com

 

間違った「ごめんなさい」は自尊心をボロボロにする。

f:id:ibaya:20181008112505j:plain

 

嘘の笑顔は詐欺師と同じだと思う。前に、綱島駅前でリヤカーを引きながら全国各地のお菓子を売り歩いている若者がいた。彼と目が合ってしまったのが間違いだった。若者は「10秒だけでも見て行ってください!」と、超絶嘘くさい笑顔で私に言った。逃げる機会を逸してしまい、私は「どうしようかな」と思いながらお菓子を眺めた。若者は「おひとついかがですか??」と私に言う。私は、しばらく考えた後に「ごめんなさい」と言ってその場を離れた。ら、若者は、あろうことか私に向かって「いいですよ〜♫」とヘラヘラした感じで私に言った。私は、強烈な違和感を覚えながらその場を離れた。

 

違和感があまりにも強く、消化不良感が半端なかった。消化不良感はやがて『苛立ち』に変わった。この苛立ちは、若者に対する苛立ちではなく「言いたいことを言わなかった自分に対する苛立ち」だった。私は、若者にごめんなさいと言った。しかし、私の本音は「あんた、そんな笑顔が俺に通用すると思うなよ」という怒りだった。私は、彼に対して説教をしたかったのだ。それなのに、実際に口から出た言葉は『ごめんなさい』だった。説教をしたい人間が、謝罪の言葉を口にしているのだ。これはあまりにも真逆だと思った。ごめんなさいと言う言葉は、その場をしのぐには便利な言葉だ。しかし、使い方を間違えると自尊心をボロボロにする。この苛立ちは、私の自尊心が、生ぬるい言葉遣いをする自分に対して「お前、ふざけんじゃねえよ」と抗議をしているのだと感じた。

 

J-POPの歌詞に「ごめんじゃなくて、ありがとう」みたいなものが頻繁に登場する。しかし、使い方を間違えるとありがとうさえも自尊心をボロボロにする。私は、職業上(?)様々な人間からメールをもらう。返信をする際に「ご連絡ありがとうございます」みたいな言葉を癖のように使っていた。が、正直、この人は失礼だなと思う人からも頻繁にメールがくる。それに対しても「ご連絡ありがとうございます」とか言っている自分に激烈腹が立った。失礼なひとは大量にいる。名前さえ名乗らないひとも大量にいる。それに対しても「ご連絡ありがとうございます」とか言っている自分なんなんと思った。私の本音は「いい大人だろ。名前くらい名乗れ」だった。ここでもまた、最大の矛盾が起きている。説教をしたい人間が、謝礼の言葉を口にしているのだ。こういうところから自分はブレていくのだ。そう思い、失礼なひとには「あんたちょっと失礼だよ」とか「出直してこい」と返信をするようにした。ら、メールの返信が楽しくなった。自尊心をボロボロにするものは言葉だ。同じように、自分の自尊心を守るものも言葉だ。

 

わたり文庫『本日順風』

f:id:ibaya:20181009195417j:image

 

今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、野田知佑著作『本日順風 アウトドア人生相談』です。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、新潟県にわたりました ※※※

 

Q・この前、あるカヌークラブに入ろうと思い、行ってみたら、その会は入会金も会則もなんにもなく、何をやってもよろしいという。いつ誰でも入れるし、いつ辞めてもいいという、とてもでたらめな会でした。そんなだらしない会に入る気はせず、早々に辞退してきました。北海道のカヌークラブでちゃんとしたクラブを知っていたら紹介してください。

 

A・君のような人間は死んだ方がいいと思う。会則のないクラブなんてとてもいいじゃないか。会則がないのなら罰則もないだろう。そういう会は理想だと思うがね。そういうのは「だらしがない」とはいわず「自由な」というのだ。

最近、方々にキャンプ場ができていて、そこに行った人の話を聞くと、ひどいものらしい。罰則だらけなのだ。

人を管理するのが好きという精神はそもそも病的なものであると知りたまえ。弱い人間は他人を管理したがり、規律やルールを好む。弱い人間ほど人間を拘束し、自分を縛るものがないと生きていけない。

ぼくはアウトドアにおけるあらゆる規則、制度に反対する。われわれの頭のなかにある人間としての良識で十分だ。それは「不文律」で、ことさら文章にしたりわめいたりする必要はなかろう。

規則や規律を強調する人間は、自分の良識のなさ、自制心のないことを告白しているのである。自分を縛る規律がないとやっていけない、というのはとても幼稚な精神だ。幼稚なガキは判断力や価値観がない。ルールがないと不安になる。だから自分の上に立って強く命令してくれる人を欲しがる、その結果、独裁者ができるという構図がある。自由になれない奴、石頭の教条主義者は死ね、というのが当、身の上相談の不文律である。


野田知佑『本日順風』【文春文庫】 

 

愛情表現としての怒り。

多分、変な自己啓発セミナーにはまっちゃった女性なのだと思う。彼女は「私は、喜怒哀楽の喜と楽だけで生きていきます!」と言っているのを見て、これはやばいなと思った。彼女の笑顔は無理にまみれていた。こういう女性を笑うことはできない。自分にもそんな風に思ってしまう瞬間はある。喜や楽は、ポジティブな感情だから表現することに抵抗がない。それに対し、怒りや悲しみはネガティブとされているから出し方にコツがいる。しかし、私は思う。怒りや悲しみの感情『だけ』を押し殺すことは不可能で、それらを封じることは感情全体を封じることになる。ネガティブに蓋をすると、皮肉なことに『ポジティブも絶滅をする』のだ。自分の嫌いに蓋をすると、自分の好きがわからなくなる。怒りを忘れた人間には、冷たい血が流れる。そして末端冷え性になる。

 

怒りはホッカイロである。怒りはネガティブなものではない。怒りは一種の愛情表現である。不機嫌と怒りは違う。憎しみと怒りも違う。怒りは瞬間沸騰的なもので、あと腐れのないものだ。溜め込んだ怒りが腐敗をすると、憎悪や呪詛や不機嫌になる。誰かに対する憎しみを耕す時、それは『自分自身に対する憎しみ』も同時に耕してしまっている。我々は「愛」とか「感謝」という言葉を好んで使う。大事な概念だとは思うが、愛や感謝が「怒りを出すべきタイミングを殺している」場合もある。愛している場合ではない。感謝をしている場合ではない。それよりも怒ることだ。と、そのように感じる瞬間がある。もっと言えば「愛とかなんだとかお利口なことを言っているときより、怒りを爆発させているときの方がよっぽど人間を愛せている」とさえ思う瞬間がある。もっともっと言えば、怒るときに『愛そのもの』になっているとさえ、私は思う。

 

愛とか感謝とか優しさよりも、我々は怒り方を覚えなくちゃいけない。怒り方にはコツがいる。SNSとかでよく見る「あべ死ね」とか言っているタイプの怒りは最低&最悪で、絶対に真似をしちゃいけない。真の怒りは切れ味鋭く、尾を引かない。爽快で、潔く、根底に愛がある。怒りを避けることは、自分の嫌いを受け入れるということだ。自分の嫌いを受け入れるということは、自分が「嫌うものそのもの」になるということだ。別に人類全体を愛する必要はないと思う。が、自分が常に近くにいる人間、職場、学校、家庭など、自分の生活の基盤となる場所では、怒りを表明していきたいと思う。最近、私は「間合いに入ってくる限り斬る」という武士的な感覚になることが多い。基本的に、みんな好きに生きればいいと思っている。が、俺の間合いに土足で入ってくるならば、その時は斬るぞ的な緊張感を大事にしたい。拙者、これが礼儀だと考える。同じように、目の前の人間に対する礼儀もしっかりわきまえたい。潔い怒り。潔い言葉。潔い生き方。切れ味のよい生き方をしたいものだ。

 

 

https://www.instagram.com/p/Bon1_2yllsK/

#ibaya.ex #22century #updated

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

Photographed by Chiaki Toyozumi

 

f:id:ibaya:20181007152602p:plain

LINE ID ibaya