いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

我慢すんなよ。遠慮すんなよ。

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熱海にいる。逢初庵を手放すことも考えたが、ここにいると数々の記憶が蘇る。これも執着なのか。家にあるほとんどのものが、自分で買ったものではなく誰かから譲り受けたものになる。これを、自分の意図だけで手放すことは許されることなのか。昨日の夜、海面を照らす月を眺めながら「真実は叫ばない。だが、いつも囁いている。お前には、その声を聞く静けさがあるか」と、なにかから問われているような気がした。

 

8月1日から6日まで北海道に行く。4日以外は宿も予定も何もない。誰か「北海道であれをするといいよ」的なものがあれば、教えていただけたら幸いです。1日の夕方に新千歳空港に着き、野営道具と一緒に放浪をはじめる。夏の北海道は、どんな感じなのだろうか。私は、そこでなにを感じるのだろうか。なぜ、自分は懲りずに移動を続けているのだろうか。自分は前に進めているだろうか。それとも、ただ、逃げているだけなのだろうか。

 

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剣と鞘。 

熱海の夜は静かだ。なにもすることがない。必然的に自分と向き合う。この「自分と向き合う」ことは厄介だ。自分を深く知ることができることもあれば、自分に捕まることもある。自分のことばかりを考えるほど、どんどんひとりぼっちになる。「俺が、俺が」の思考にはまり、世界から自分が切り離される。が、ふとした瞬間に、あ、あのひとは元気にしているかなと思う。自分の好きなひとを思う。と、心は軽くなる。自分が消えると、逆に、のびのびと楽しむことができる。自分は、無限の網の目の中で生きている。世界との結びつきに思いがいたるとき、ああ、自分はひとりではないのだなと思う。

 

家なし生活の果てに、私は、熱海に家が与えられた。それがこの家【逢初庵】になる。家があった頃も、家を失った頃も、家を与えられた頃も、考えていることは似ている。それは「居場所を求める」自分の弱さとの、格闘のようなものだった。男は、剣に似ている。剣には鞘が必要だ。鞘を失った剣は、出会うものすべてを傷つける。誰かに向けた刃先は、必ず、自分自身にも向けられる。納まるところを失った刃先は、いつの日か自分自身を傷つけるために使われる。私は、鞘を求めていたのだと思う。鞘は家か、鞘は女か、鞘は神か、鞘は家族か、鞘は命か、鞘は死か、鞘は万象か、鞘は自分か。

 

ひとりでいるとさみしくもなる。人間と話をしたくなる。それならば東京に住めばいいじゃないか。もっと大勢の人間がいる場所で暮らせばいいじゃないか。とも思う。私は「人間と話をしたい」と思っていた。が、人間と話していても「人間と話している」とは思えない瞬間がたくさんあった。俺は、魂の部分、そういった部分の話をしたいのだなと思った。私がずっとほしかったもの、それは『友達』なのだと思った。なんでも話せる友達を求めていたのだろう。そして、それがいない代わりに、抱えきれない思いを紙に吐き出したら、月や、花や、風を友にして、語りかけていたのかもしれない。

 

わたり文庫『無敵のソクラテス

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、池田晶子著作『無敵のソクラテス』です。素晴らしい本との出会いは、素晴らしい人生のはじまりというか素晴らしい人生そのものだと思います。山籠りに最適な一冊、池田晶子さんを生んだ日本は偉大だと思いました。完膚無きまでの名著。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、東京都にわたりました ※※※

 

本当はね、時間が過ぎ去るのでも人生が過ぎ去るのでもなくて、両方一緒に過ぎ去っているから、じつは何ひとつ過ぎ去ってはいないのではないかという気がするのです。私がこの子と出合って、この子の思い出と共に死に、この子も私の思い出を抱いていつの日が死ぬ。私もこの子も、それを知る他の人々も誰ひとり居なくなっても、私とこの子が一回こっきり出合って友情を結んだというこのこと自体は、永遠に失われることがないのではないか、そんな気がしてならんのです。うまく理屈では言えんのですがね。しかし、やはりそれは妙に哀しい。つらつら思うに、私の人生は私が生きたというわけでは、どうもないのです。「わたくしという現象は / 仮定された電気交流電燈の / ひとつの青い照明です」、これは賢治ですな。この人もやっぱりこんな変な言い方をするのです、「すべてがわたくしの中のみんなであるやうに / みんなのおのおののなかのすべてですから」。冷厳な学者だった人が、晩年になって魂の数の帳尻合わせに没頭するようになったりとか、まあ、この宇宙が妙なつくりであることは確かですが、やはりそれはどちらかと言えば、哀しい。どちらかと言えば、ですよ。冗談だと思えば、これより馬鹿げだ冗談はないんですからな。

 

池田晶子『無敵のソクラテス』【新潮社】

 

自伝風物語もよろしくお願いします。 

 

note.mu

 

我慢すんなよ。遠慮すんなよ。

温泉に行く。誰もいない。こっそり全身を浴槽に沈めると、海に潜っている感覚になる。自分の好きだった自然が蘇る。カミュに「優しい無関心」という言葉がある。人間を求めているくせに、私は、人間のなかにいると孤独を感じる。疎外感を覚えたり、ひどい疲れを覚えたりする。人混みの中で感じる孤独は「お前はここにいてはいけない」「お前は去れ」「お前とは分かり合えない」という分離感を胸に刻む。しかし、自然は大きい。自然はなにも言わない。ただ、一緒にいる。そこには自分も含まれている。

 

本を読む。血で書かれたような言葉に触れるとき、作者の魂に触れている。内容そのものより、作者が「命を注ぐに値するなにか」を見つけることができたという事実と、その瞬間を目撃させてもらっていることに、胸が震える。ああ、こいつは生きていると思う。こういうやつと話をしたかったのだと思う。真の意味で生きている人間に触れるとき、自分のなかにある『何か』が反応する。『何か』は言う。おい、お前はなにをやっているんだ。いつまで、そんなところにいるつもりだ。次はお前だ。我慢するなよ。遠慮するなよ。もっと自分を晒け出してみろよ。

 

喜怒哀楽、そのどれかひとつでも押し殺すとき、すべての感情が殺される。自分の嫌いを我慢すると、自分の好きまで消えてしまう。諦めには二種類ある。愛して手放す諦めと、愛することを手放す諦めだ。『何か』は言う。傷つくことを恐れるな。愛することは、傷を引き受けるということだ。それが『生きる』ということだ。弱い部分。強い部分。黒い部分。白い部分。全部をひっくるめての自分だ。嵐は過ぎた。熱海の空は晴れている。夏だ。考えてわかることと、考えてもわからないことがある。生きていればわかることと、生きていてもわからないことがある。考えるだけの日々はここまで。生きる意味とか、生きる価値とか、自分にはわからないことばかりだ。それでもなお、見上げた空の青さや、すれ違う猫、道端の草花を目にした時など、生きていることをうれしく感じる。いま、私は「生きていたい」と思っている。

 

 

けいごさん、先日は菊名の家に滞在させていただき、ありがとうございました。
感動しすぎてなかなか言葉がまとまらず、お礼のメールが遅くなってごめんなさい。

 

「人から大切にしてほしければ、まず自分で自分を大切にしよう」
とよく聞きますが、菊名の家に行って、
「こういうことかぁ!」と、その言葉の意味を体感しました。

 

普段から大切にされているものは、こんなにも自然と大切にしたくなるものなんですね。

 

菊名の家にいると、心あるたくさんの人達に大切にされていることが、いたるところからありありと伝わってくるので、ちょっと来ただけのゲストな私も、「ここは大切にするところなんだ、当然のごとくそういう場所なんだ」、と、すんなり感じることができました。

 

そして、「菊名の家のように、私が私を慈しんで大切にできたら最高だなぁ」と自然に思えました。

 

また、「大切にされている場所はとても居心地が良いものなんだなぁ」というのも発見でした。

 

縁側のロッキングチェアーに何気なく腰掛けたら、ふわぁっと途方もなくやわらかく受け止められて、「うわぁぁあー‼」と感覚がぶっ飛ぶようでした。
浮遊感すら覚える衝撃の心地よさで、びっくりでした!

 

朝になると、うぐいすとセミの鳴き声で目が覚めて、朝日が木漏れ日になって差し込む台所には美しい器が揃えてあって、いたるところに活けられている季節の花々が彩りを添えていて、窓の外は緑が眩しくて。
「ここはいったいどこなんだろう?」
という不思議な感覚を覚えました。都会の住宅街の真ん中だなんて到底信じられない。

 

菊名の家はそんな風に、パッと目に入る大まかな印象から、「よくよく見たら…」で分かる細部に至るまで、圧倒的な美しさを誇ってて、
「これが坂爪圭吾なんだ。。」
と、あまりのパワーに感動しました。

 

家は住む人を表すというけど、こういうことなんですね。

 

今回けいごさんにはお会いしなかったけど、けいごさんの意識や周りの人との関係などがありありと伝わってくるようでした。
そして、私の家も、つまり私も、こんな風にすることができるんだ!という希望が持てました。

 

お庭のテントの中にも、チェアにベッド、本を読むライトなど、心地よく過ごすためのしつらえがほどこされていて。。

 

もはや神域。

 

と感じました。

 

そういえば菊名の家を出て、鶴岡八幡宮を訪れた時、菊名の家と似た感覚を覚えたのが印象的でした。

 

でもこれだけ凄い空間を作ったけいごさんでも、たまに「普通に生きられたら楽なのに」と感じることもあると、いばや通信で拝見したことがあるのを思い出しました。

 

一方、私は一応の定職はあるけれど自分の好きな仕事をやれていない、このままではだめだ、人生を変えたい、というモヤモヤがありました。

 

ということは、自分のできる生き方の素晴らしい面に目を向ければ、幸せを実感することはたやすいんじゃないかと気づかされました。

 

結局、どんな生き方でもほんとに同じくらい価値があって、どんな生き方でも幸せになれるんだと。

 

たとえ、自分がそれ以外の生き方を選べなくて、やむなく今の生き方をしているんだとしても全く問題なくて。それがいいんだと。

 

だから、人生は、もう変えなくていい!

 

言い換えるなら、私は、もう変わらなくていい!
そのままでいいんだ!

 

と、なんだかすごくスッキリしました!!

 

実は私は今育休中なのですが、ちょうどこの9月に復帰して働く予定になっていて、
「本当にあの職場に復帰していいんだろうか、自分の好きなことを仕事にしなくていいんだろうか」
と、ずっと自問自答を繰り返してきたんです。

 

今回、菊名の家に滞在させていただき、気づきをいただいたおかげで、なんだかとても安心して、地に足をつけて自分の人生を生きていけそうな気がします。

 

ある意味人生を変えるような大きな気づきと、ワクワクするほどの心地よい時間を、本当にありがとうございました。

 

ぜひまたお邪魔させていただけたらと思います。

 

長文たいへん失礼しました。

 

けいごさんも、毎日暑い日が続きますが、ご自愛されつつ楽しんでください。

 

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あさみ。。 #朝 #熱海 #lifeisgood

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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