いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

愛も勇気も涙も鼻水も涎も「自分全部出し」で生きる。

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熱海の家の掃除を誰かにやっていただきたい!現在、熱海の家を逢初庵という名のもとに「誰でも自由に使える」ように開放をしているのですが、諸事情により、前回ご利用された方がゴミ処理諸々できないままに家を出られたので、もしも、どなた様か「逢初庵をご利用がてら家の掃除をしてくださる方」がいらっしゃいましたら、坂爪圭吾までご連絡ください!!

 

※※※ お掃除をしてくださる神様があらわれました!本当にありがとうございます! ※※※

 

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連絡をもらえたら非常に助かります…これも人助けだと思って…助力をいただけたら超絶恩に着ます・・・(熱海の家は宿泊も可能なので、数日間自由に使ってもらっても一向に構いません!!)。私はと言えば、現在、鹿児島のランドマークでおなじみマルヤガーデンズの屋上におりまして、明日15日(金)11時頃には博多駅界隈に降臨する予定です。が、特段予定がある訳でもなんでもないので、福岡界隈で「あれがあれならあれしましょう!」などありましたら、是非、どなた様でもお気軽にご連絡ください。

 

※※※ お掃除をしてくださる神様があらわれました!本当にありがとうございます!【再録】 ※※※

 

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希望を失った人間から死んでいく。

三浦綾子著作『海嶺』を読む。1832年、愛知県の熱田から江戸に向かって宝順丸が出航をした。しかし、乗組員14名を乗せた船は激しい嵐に遭って遭難をする。1年2ヶ月後、奇跡的に船は北アメリカに漂着する。その頃には、14名いた乗組員も3名に減っていた。逆境のなか、諦めることなく希望を持ち続けた男たちの姿が描かれていると同時に、希望を失った人間から死んでいく姿も克明に描かれている大作だと思う。

 

「希望を失った人間から死んでいく」というのは胸に刺さる。本当にその通りだなと思う。この本を読んでいると「自分も、気を強く持たなければ」という思いになる。私は、今、ストーカーみたいなものから逃れるように全国各地を漂流している。宝順丸とは比べ物にならない小さな遭難に過ぎないけれど、それでも「希望を失うと生命がやばい」と思うことはそれなりにある。そんなとき、小説などを通じて「ここまでやった人間がいる」と知れることは、強い励ましを生む。自分の悩みなどちっぽけに思えるし、よろこびだけではなく、苦境も『人間を磨く宝』になり得るということを思う。

 

旅と呼ぶには程遠い日々だが、旅の醍醐味はリラックスをしたりリフレッシュをすることだけにあるのではない(と思う)。ある意味、自分を極限の状態に置き、ボロボロのドロドロになりながら、それでもなお「キラッ!」と光る何かを見つけるための全身を賭した試み。しんどさに血を吐きそうになることもあれど、血を吐きそうにならなければ絶対に掴むことができなかった『何か』を掴むことがある。誰だって、自分がもっとも不幸な境遇に置かれた時に、自分が一番躍進できたと思える経験を持っていると思う。ここ数日「幸福だけではない、不幸でさえも恵みになり得る」ということを思う。

 

ごちゃまぜの家日誌も更新中! 

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愛も勇気も涙も鼻水も涎も「自分全部出し」で生きる。

移動中は人間について考える(ことが多い)。弱さとはなにか。強さとはなにか。多分、この世の中には強い人間と弱い人間がいるのではなく、ひとりの人間のなかに「強さと弱さがある」だけなのだと思う。強い人間はいない。強くなろうとしている人間がいるだけだ。強い人間とは、自分の中にある弱さを「飼いならす」ことができる人間だと思う。弱さや悲しみは、乗り越えるものではない。ただ、共に生きることならばできる(ものだと思う)。

 

 

大きな困難に出会うと「なぜ、自分だけ」という思いになる。が、自分だけということはないのだと思う。誰もがなにかを抱えながら、それでも前を向くために生きている。苦しいとき、悲しいとき、さみしいとき、自分だけがつらいのだと考えれば考えるほどに孤立は深まる。しかし、完璧な人間はいない。誰だって悩むし、誰だって苦しみを覚える瞬間はある。ただ、それを出すか出さないかの違いでしかない。自分だけということは絶対にない。だからこそ、自分が置かれている逆境を生き抜くことが、やがて、自分みたいな誰かの力にも(自分の知らないところで)なることは頻繁にある。誰かのためにできることなんてない。ただ、自分が自分を真剣に生き抜くとき、いつの間にか「勝手に誰かの力になっている」ものだ(と思う)。

 

 

生きていると「強くならなきゃ」とか「変わらなきゃ」などと思うことは頻繁にある。しかし、そんな必要はないのかもしれない。ただ、自分の中にある全部を出して生きる在り方。それはまるで赤ん坊のように、喜怒哀楽の全部をぶちまけて輝く、愛も勇気も涙も鼻水も涎も『自分全部出し』で生きる在り方。格好悪い自分も無様な自分もひっくるめて、全部出すことを通じて「おれはこんなにも生きているんだよ!」と主張をする、抑圧された生命の咆哮。本当は、変わる必要も強くなる必要もない。自分のなかにあるものを外に出すだけ、ただ、それだけの話なのかもしれない。強くならなきゃとか変わらなきゃという様々な葛藤や苦悶を通じて、いつの日か、私たちは「何も変わらなくていい」「そのままでいい」という境地に、ゆっくりと辿り着くのだと思う。

 

 

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人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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