いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

語られることのなかった思いを、語れ。

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根性を叩き直すという言葉はいいなと思う。叩き直すということは「根源はOK」という信頼を感じる。ごちゃまぜの家をやっていると、様々な方々が足を運んでくださる。希望に満ち溢れたひともいれば人生に疲れ切っているひともいる。前回の記事で「家も金も身寄りもいないから途方に暮れている」と話す女性Yさんの話を書いた。Y様は、現在、横浜の家で療養(?)をしている。正直に話すと、いま、わたしはY様に説教をしたいと思っている。このブログを書き終え次第、説教をすることに決めた。

 

横浜に召喚して諸々の事情を聞いた。リゾートバイトと呼ばれる住み込みバイトを続ける日々を過ごし、伊豆の旅館で働くはずが直前に予定がキャンセルになり、静岡県内で途方に暮れていたと話す。2日間、駅前で(最近は寒く眠ったら死ぬと思って)永遠に立ち続けていたらしい。その前は、新千歳空港で夜を越したと話す。新千歳空港は夜になると追い出される。彼女は、あまりにも寒すぎるものだから電話ボックスの中で立ちながら夜を過ごしたらしい。結果、彼女は3日連続立ち続けることとなり、4日目の夜、いよいよ体力の限界を迎えた頃に「そういえばさかつめさんが誰でも来れる家的なことをやっていたんだった…!!」と思って連絡をくれたのだと話す。

 

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おにぎりと命

ごちゃまぜの家@横浜でY様と合流する。なにもごはんを食べてないと話す。私は「いろいろと半端ないですね!」と不謹慎だけど愉快な気持ちになる。同席をしていたM様が「まー、なにも食べてないの!あとで食べようと思っていたのだけれど、これ、よかったら食べて」と、コンビニのおにぎりとお茶を差し出す。Y様は受け取り、感謝をしながらおにぎりを頬張る。わたしは、この風景を眺めながらなんだか美しいなあと思った。飯を食わせることは、目の前の相手に「生きろ」と伝える行為だと思った。自分の食糧を誰かと分け合うという光景が、まるで「命を分かち合っている」ように見えた。

 

ある日、ごちゃまぜの家に綺麗な女性が来てくれた。彼女は主婦、趣味は料理、だから今日は料理を作ってきましたと話す。我々は、あまりにも料理が美味しかったから「すごい美味しいです!」と伝えた。ら、彼女は「普段そんなことをまったく言われないからうれしいです」と話した。即座に、我々は「どんな普段なんだよ!」とつっこみをいれたくなったものの、とどめ、毎日料理をつくっているのに美味しいと言ってくれるひとがいない(相手から感謝をされることのない)日々を過ごしているひとは、決して少なくないのかもしれないと思った。そして、これはとてもさみしいことだと思った。こんなにも綺麗なひとなのだから、もっと幸せな日々を過ごしていてもいいように思えるけれど、もしかしたら「このひとはあまり幸せではないのかもしれない」と思った。

 

さみしさについて考えることは多い。もちろん、自分自身さみしさを覚えることもある。あらゆる欲望の根源はさみしさだと言うひともいる。なんだか、わかるような気もする。食べたいから食べているというよりも「さみしいから食べている」ことが自分にはある。さみしさを誤魔化すため、さみしさを紛らわせるために、別の何かを求めてしまうことがある。でも、これでは空白がうまることはないのだろうなと思う。むしろ、さみしさをごまかすことによって「さみしさは深まっている」ようにさえ思う。では、我々は、さみしさとどのように向き合えばいいのだろうか。さみしさを覚えることは悪いことなのだろうか。さみしさは、ごまかす必要もあるもの、忌避すべきものなのだろうか。

 

ローズマリー軟膏

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そんなことを考えていた折、神奈川在住の女性K様から「ローズマリー軟膏ができたので贈りますね!」と連絡が届いた。過去に何度も贈っていただいたローズマリー軟膏の新作が、今年も出来あがったのだとメールをいただいた。今日、届いた小包を開けると、一緒に手紙も同封をされていた。手書きの文字はいいなあと思う。メールにはない温度感のようなものを感じるし、文字を通じて伝わるそのひとの人柄がうれしい。文面を読みながら「読む」という行為の深さを感じた。多分、私たちは書かれているものだけを読んでいるのではなく、書かれていないものも同時に読んでいるのだと思う。

 

ローズマリー軟膏をまた作るきっかけになったのは、友人のお子さんの指先が(特に)ひどく割れて困っていると聞いたからです。当時の私と同じ症状で、とてもかゆがっていて、ステロイドも効かなくなっているそうなんです。圭吾さんも以前言っておられましたが、手荒れに困っている人は沢山いるのだな、と思いました。圭吾さん、また手荒れに困っている人がいらっしゃったら、少しですが軟膏を渡してあげて下さいね。今回の軟膏は、時間が経つと色褪せてしまうタイプのものですが、お渡しする時に一言お伝えして下さると助かります。(きれいなやわらかい葉の部分を使って作りました!!)

 

手荒れに悩んでいるひとや、身近な誰かが手荒れに悩んでいるひとに、限定9名様になりますがローズマリー軟膏を(坂爪経由で)プレゼントをさせていただきます。ご希望される方は、何かしらの方法で直接ご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。贈り主のK様自身、過去に酷い手荒れに苦しめられていた時期がありました。が、自作のローズマリー軟膏で手荒れを克服(?)された経験から「自分のようなひとが、少しでも楽になってくれたのであればうれしいです」と、こちらの軟膏を贈ってくれました。これはほんとうに素晴らしい行為だと思う。手荒れはとてもつらいことだと思う。ローズマリー軟膏およびK様の思いを通じて、誰かひとりでも、楽になれるひとがいるのであればうれしいです。

 

※※※ こちらの募集は、終了しました ※※※

 

連絡先・さかつめけいご

LINE ID ibaya

keigosakatsume@gmail.com

 

わたり文庫『なんていいんだぼくのせかい』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、荒井良二著作『なんていいんだぼくのせかい』です。こちらの絵本、坂爪圭吾が人生史上最高に愛する一冊になります。佐渡島に行ったことがないひとに佐渡島の魅力を伝えることが不可能なように、この絵本を読んだことがないひとにこの絵本の魅力を伝えることは不可能なんだと感じます。だから、お願いをすることしかできません。もしも、本屋さんに立ち寄ることがあったなら、そのときは騙されたと思ってこの絵本を立ち読みしてみてもらいたい、と。そして、もしも気に入ってくれた場合は「自分のために買うのもよし、あるいは『誰かにあげるため』に買うのもよし」と強く思います。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、兵庫県にわたりました ※※※

 

それから それから こどもがわらっていった

なんていいんだ ぼくのせかい

 

それから それから こどもがおどろいた

なんておいしいんだ ぼくのせかい

 

それから それから こどもがはしった

なんておおきいんだ ぼくのせかい

 

荒井良二『なんていいんだぼくのせかい』【集英社】 

 

語られることのなかった思いを、語れ。

さみしさについて考える。たとえば、さみしさを紛らわせるためにセックスをする。これで解決をするだろうか。一時的には解決をするだろう。しかし、やがてまた似たようなさみしさに襲われるだろう。さみしさをごまかすことは簡単で、しかし、そのさみしさが自分のなかから消えることはない。さみしいとき、わたしたちはある種の欲求に襲われたりする。それを別の欲望(食欲や性欲や睡眠欲など)でごまかそうとすることもある。しかし、それはさみしさを先送りしただけだと思う。さみしさの本質、それは「語られることのなかった思いを語りたい」と希求する切実な願いではないだろうか。

 

さみしさは、伝わらなかった愛情だ。愛したいように愛せなかった記憶が、愛されたいように愛されなかった記憶が、悲しみとなって蓄積をして、さみしさとなって噴出をする。「いま」悲しむと同時に、わたしたち「これまで」も一緒に悲しんでいるのだと思う。さみしさとは、多分、身体中からこぼれ落ちている愛情だと思う。さみしさとは、多分、行き場をなくしてさまよう愛情だと思う。さみしさとは、多分、語られることのなかった思いを語りたいと願う、生々しい切実な思いだ。わたしたちは、本当は知っているのだと思う。これまでがこれからを決めるのではなく、これからがこれまでを決めるのだと。いまの価値を決めるものは、これまでではない。これまでではなく「これから」こそが、いまの価値を決めるのだということを、本当は知っているのだと思う。

 

年齢を重ねるごとに、誰も本当のことを言わなくなる。さみしいひとを見ても「さみしいひとだね」とは言わなくなる。言えば悪口になり、言えば険悪になる。無難な道を尊び、表層的で画一的な道を尊ぶようになる。が、そのことによって「さみしさが内側にこびりついている」ように感じることは多い。わたしは思う。『傷つく』ことと『気づく』ことは非常に似ているように思う。痛いポイントを突かれた瞬間はつらい。怒りを覚えることも、憎しみを覚えることもあるかもしれない。しかし、傷つくことで自分の内部に気付けるのであり、話すことで「離す」ことができるのだと思う。いつの間にか、自分の内側にこびりついていたさみしさを、言葉や、言葉以外のコミュニケーションを通じて『引き剥がす』ことができる。自分と『切り離す』ことができる。感情を認めることで、その感情は成仏する。その時に流れるものが、涙だと思う。「水に戻る」と書いて涙と読む。昔のひとは、どのような思いで涙という漢字を定めたのだろうか。わたしはこのブログを書き終え次第、隣室にいるY様のもとに向かう。涙を見ることがあったとしても、それは悪い涙ではないように思う。涙は、すべて、浄化であるように思う。涙も、涙以外も、おさえるのではなく、どんどん流したほうがいいのだと思う。

 

 

https://www.instagram.com/p/BilTf5klF1Y/

初夏だ。 #大阪 #淀川 #lifeisgood

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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