いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

生きているだけでいい。

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自転車で関西を巡り、武庫川を前に「これが欲しかったんだ」と思う。雄大な景色に触れたこころは雄大になる。自然を愛するように、自分を愛したいなどと思う。移動先では個人経営の店にはいることが多い。私は新潟市内で理髪店を営む両親のもとに育った。親が自営業だからなのか、自営業の方々に勝手なシンパシーを抱く。多分、自営業独特の素朴さが好きなのだと思う。焼きそば定食を頼むと、これはおまけですと言ってメロンと苺をくれた。客だから大事にされているというよりも「同じ人間として扱われている」という感覚が嬉しくて、多分、わたしはこういう場所に足を運ぶのだと思う。

 

ひとやすみをしているとメールが届いた。そこには「家もお金もなくて困っている。昨日までは静岡の駅で2夜を過ごした。さすがに3夜を過ごす勇気がないので、熱海の家に泊まらせてほしい」と書かれていた。メールの差出人は女性だった。私は、確認が遅れたことを詫びたあとに「熱海の家を使ってください。必要なら玄関にある財布を使ってください」と返信をした。いま、熱海と横浜で誰でも立ち寄れる家をやっている。呼び名をごちゃまぜの家と名付けているのだけれど、いま、関西にもそれを作れないだろうかということで、なにもあてはない状態だけれど関西を自転車でぷらぷらしている。

 

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冬が長いほど、春をよろこぶことができる。

私の両親はどちらも中卒で学歴はない。中学を卒業してすぐに床屋の弟子入りをし、住み込みで働き始めた。どちらも貧しい家庭で育ったから、住み込みで働くことは「実家の経済的な負担を減らす」側面もあったのだと思う。ある日、母親がこんなことを話してくれた。わたしは15歳で弟子入りをしたのだけれど、あの頃、自分と同じ年齢の女のひとたちが、高校の制服を着て楽しそうにお店の前を歩いているのを見ていると、ああ、いいなあって思っていたものだよ。と。決して愚痴めいた口調ではなく、ただ、静かな実感を込めて話す母親を見て、息子ながら「いろいろとあったんだな」と思った。

 

自転車を走らせながら、なぜか、母親のことを思い出していた。母親は山形県小国町で生まれた。携帯の電波も届かない田舎で、当時は歯医者に通うために片道90分をかけて歩いていたと話す。田植えの時期は学校を休み、家族総出で田んぼに向かう。母親の実家(わたしの祖父母の家)では牛が二頭飼われていて、私は、小さな頃から「おじいちゃんの家では牛が飼われていることが普通なんだ」と思って育った。同じように、自分の親世代は中卒が普通だと思っていた。が、やがては私は新潟高校という進学校に通うことになり、我が家の普通が世間的な普通とは異なることを知った。同世代の親は立派に大学を卒業していたし、牛を飼っている祖父母を持つ同級生は皆無に等しかった。

 

なぜ母親のことを思い出していたのだろうか。それは、多分「タフになりたいと思ったから」だと思う。身長150センチにも満たないわたしの母親は、貧乏な家庭で育った。母親はよく「貧乏人ほどよく笑う」と言っていた。山形県小国町は雪国で、真冬は雪に閉ざされる。百姓を営む祖父は、冬の時期、出稼ぎにいく必要があるために家をあける。長い冬が終わり、春が来る。雪は溶け、祖父は家に戻り、畑作業が再開をする。春が来るたびに母親は言った。冬が長いほど、春をよろこぶことができる。小さな頃は「そんなものなのかなあ」などと聞き流していた母親の言葉が、ふと、今更になって蘇ることがある。

 

この現実をどう展開するか。

新潟生まれのわたしにとって、関西圏はアウェイになる。車や電車で移動をするよりも、徒歩や自転車で移動をする方が「自分のカラダがその土地に馴染む」感覚を覚える。関西にごちゃまぜの家をつくるにあたって、まずは自分を馴染ませたいと思った。昨日は新大阪から天王寺まで、今日は大阪府能勢町周辺から三ノ宮まで、明日は淡路駅周辺まで自転車で向かう。道中、自分のような人間は「土がない場所では生きることができない」ということを思った。その点において、能勢町の環境は最高だと感じた。高層ビルに囲まれると、わたしは容易に窒息死をする。ひとに優しくする余裕を失ったり、大量に溢れるモノや情報に疲弊をしたり、虚無的なものに襲われる感覚を覚える。

 

街で耳に入って来る言葉たちに、心臓がどきんとすることがある。先日、とある母と娘の会話が聞こえてきた。絵が好きだと話す娘は美大に通いたい意思を母親に告げる。それに対して、母親は「絵だけではごはんは食べれませんよ」と一蹴をする。なにも言い返すことができない娘は、その後、うつむいたまま何も言わなくなった。きっと、このようなものはどこにでもある会話なのだと思う。が、わたしはこれを聞きながら「その時は死ねばいいのだ」と思った。やりたくないことをやって生きるより、やりたいことをやって死ぬ方が清々しい。誤解を恐れずに言うと、自分が好きだと思うことをやって、それで食えなくなったのならば、その時は潔く死ねばいいのだと思った。絵の道を諦めて、数年後に母親を恨む人生を送るより、よほど清々しいことだと思った。

 

自分と母親の関係性を思い出した。苦労を重ねた母親は、こどもたちに「同じ苦労はさせたくない」という思いから、自営業になることよりも立派な大学に出て立派な企業に勤めることを望んだ。自営業はボーナスが出ない。自営業は身体が資本だ。病気になったら一巻の終わりだ(実際、父親がガンで入院をしていた頃、母親はひとりで家と店の切り盛りしていた)。だから、安定した道を選べと。しかし、結果的に我々息子たちは色々な意味でおかしな方向に進んだ。元来、あまのじゃくな性質があった私や私の兄は、親が「これをやれ」と言うことを悉く拒み、ただ、自分がやりたいと思うことだけをやるようになった。その模様を見て、多分、母親もゆっくりと私たちを諦めていったのだと思う。ああ、こいつらにはなにを言っても無駄だ、こいつらは自分のやりたいことしかやらない人間なのだと。だからこそ「もうなんでもいいから元気でいてくれたらそれでいいです」というところに着地をして、我々も、親からの期待がなくなったぶん(反抗する対象がなくなったので)それならば元気で生きていきます!と、あらゆる確執が霧消した。実際、私の両親は私の生き方を『理解』している訳ではまったくない。なにをやっているんだかよくわからないけれど、楽しそうに生きているならそれでいいんじゃないと『放置をしている』状態にある。この器に、私は、親の偉大さを見る。

 

わたり文庫『後世への最大遺物』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、内村鑑三著作『後世への最大遺物』です。後世に残せる遺物は3つある。ひとつは金。ひとつは事業。ひとつは思想。そして、このどれをも残すことのできない人間でも、これだけは残せる最大遺物がある。それは『高尚なる勇ましい生涯』であると内村鑑三は語る。私は、多分、親の苦労を引き継ぎたいのだと思う。それは、親に対するリスペクトがあるからなのだと思う。親は、こどもに「苦労をしてほしくない」と願う。しかし、その苦労が親を親たらしめているのであれば、我々もよろこんで(苦労を避けるのではなく)苦労を歓迎していきたいのだと、変な言い方になるのだけれどそういうことを思う。世界に立ち向かう勇気を与えてくれる、素晴らしい本だと思います。ご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、静岡県にわたりました ※※※

 

高尚なる勇ましい生涯とは何であるかというと、私がここで申すまでもなく、諸君もわれわれも前から承知している生涯であります。すなわちこの世の中はこれはけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であるということを信ずることである。失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである。この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります。

 

今時の弊害は何であるかといいますれば、なるほど金がない、われわれの国に事業が少い、良い本がない、それは確かです。しかしながら日本人お互いに今要するものは何であるか。本が足りないのでしょうか、金がないのでしょうか、あるいは事業が不足なのでありましょうか。それらのことの不足はもとよりないことはない。けれども、私が考えてみると、今日第一の欠乏は Life 生命の欠乏であります。

 

種々の不幸に打ち勝つことによって大事業というものができる、それが大事業であります。それゆえにわれわれがこの考えをもってみますと、われわれに邪魔のあるのはもっとも愉快なことであります。邪魔があればあるほどわれわれの事業ができる。勇ましい生涯と事業を後世に遺すことができる。とにかく反対があればあるほど面白い。われわれに友達がない、われわれに金がない、われわれに学問がないというのが面白い。われわれが神の恩恵をけ、われわれの信仰によってこれらの不足に打ち勝つことができれば、われわれは非常な事業を遺すものである。われわれが熱心をもってこれに勝てば勝つほど、後世への遺物が大きくなる。もし私に金がたくさんあって、地位があって、責任が少くして、それで大事業ができたところが何でもない。たとい事業は小さくても、これらのすべての反対に打ち勝つことによって、それで後世の人が私によって大いに利益を得るにいたるのである。種々の不都合、種々の反対に打ち勝つことが、われわれの大事業ではないかと思う。それゆえにヤコブのように、われわれの出遭艱難についてわれわれは感謝すべきではないかと思います。

 

内村鑑三『後世への最大遺物』【岩波文庫

 

生きているだけでいい。

数ヶ月前に新潟に戻った。その際に母親と話した。母親は言った。あんたのブログを読んでいるよ。ブログを読んで、ああ、生きているんだなって思っているよ。これは生存確認みたいなものだよ。あんたがやっていることはあまりよくわからないけれど、みなさまによって生かされているんだってことはわかったよ。だから、もう、いまでは『けいごは、みなさまに生かされている間は生きて、みなさまから生かされなくなった時は死ぬんだな』って思うことにしているよ、と。私は、この言葉を聞いて「実の母親ながら、すごい!!!」と思った。よくぞここまで振り切って(?)くれたものだと感動をした。

 

親も子も、一番深いところでは同じことを願っているのではないだろうか。その願いは「不完全でも構わないから、楽しそうに生きていてほしい」という言葉で表現できると思う。決して完璧であることを求めてはいない。愛情とは、相手の秀でたものに対して湧き上がるものではなく、愚かさを愛することではないだろうか。愚かささえも、愛しいと感じるこころの働きではないだろうか。極端なたとえになるけれど、そのことは、死をリアルに感じたときに如実に湧き上がる。なにかしらの事故や事件に巻き込まれて、相手が死んでしまうかもしれない状態に陥ったとき、私たちは「生きてさえいてくれたら」と願う。あらゆる条件は吹き飛び、ただ、相手の命があることを願うようになる。

 

生きているだけでいい。ほんとうは、ただ、それだけでいいのだと思う。美しい夕日を眺めるとき、わたしたちは感動をすると同時に「ある種の切なさ」を覚える。それは、きっと、私たちの存在は永遠ではないということを実感するからなのだと思う。それは、ストレートに言えば「いつか死ぬよ」ということだ。昔の人は、美しいと書いてかなしいと読み、愛しいと書いてさえかなしいと読んだ。すべての瞬間に終わりがあって、あるのはこの瞬間だけなのだと言うことを、美しいものを通じて「いつまでも見ていることはできない」かなしみを知る。そして、私たちは、永遠に手を伸ばす。この肉体は永遠ではないとしても、それでもなお、永遠に残るものがあるのではないだろうかと感じる希望に向かって、私たちは手を伸ばす。いま、わたしが、こうして文章を書き綴ることも、ごちゃまぜの家などの活動を続けていることも、いつか尽き果てるであろう我が身を超えた「永遠に残り続けるもの」に、自分の生命を注ぎ込むことができるように、永遠に手を伸ばそうとする営みの総称、それを『祈り』と呼ぶのだと思う。

 

 

 

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行雲流水の五月。 #雲 #流 #lifeisgood

 

人生は続く。 

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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