いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

今世は諦めてください。

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熱海警察署で免許更新をする。ゴールド免許を手にしておおいに喜ぶ。優良運転手である。社会的なものから「あなたは優良です」なんて認めてもらえることは稀有過ぎる。免許証を何回も眺める。うれしさがこみあげる。トイレに行く。トイレでも眺める。ゴールドは大好きな色だ。ノリノリで警察署を出て、ウキウキでバイクを走らせていたら無意識に一時停止を無視したために張り込んでいた警察官につかまる。減点2点と6000円の罰金刑を早速課される。早過ぎるだろ!と思う。あまりにも早過ぎるだろう、と。が、私は「花」とか「ろうそく」とか「焚き火」とかが好きや人間だ。おそらく、消えゆくものが好きなのだと思う。永遠なんてねえな、と思うと同時に「免許を更新したあとでよかったあああああああ!」とも思う。

 

 

前回の記事で「ハワイ島に土地をもっている方とお会いする」的な内容を書いた。新宿三丁目ルノワールで待ち合わせをして、海外に土地を持つことの難しさを教わる。ハワイは植物が異常な速度で育つ。雑草も一年で木になる。放置をしていると、群生した植物がストームの際などに隣家に倒れて裁判になる。業者に伐採依頼をするとしても、木を一本倒す際にも80万円を請求されたり、先にお金を渡すと仕事をしないで消えて無くなってしまう的な傾向もあるために、ぼったくられて終わる可能性も高い。など。最近は「ものを持つことの恐ろしさ」を思う。私たちは、自由になりたくてものを求める。が、結果的に「ものがあることで逆に自由度が奪われてしまう」ことも多い。

 

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権威に服従をするのではなく、真理に服従をしたい。

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ラジオ番組の出演依頼をいただき東京に行く。幼少期はどんなこどもだったのか問われる。滅多に考えることのないテーマを考えるきっかけをいただけることは嬉しい。わたしは学校が嫌いだった。正確には「権威と呼ばれるもの」が嫌いだった。中学生の頃、英語のテストは全部100点だったけれど授業態度が悪いということで、5段階評価で4を貰った。多分、このときに「ああ、学校というシステムはクソだな」的な確信を深めたのだと思う。学校で求められることは「教師にとって都合のいい生徒になること」だと感じた。それは絶対に嫌だと思った。絶対に言うことを聞いてやんねーと思った。

 

授業中眠るのは、おれが悪いのではなくお前(教師)の授業がつまらないからだと思っていた。高校時代、おれを眠らせたくないのであればお前の人柄で魅了をしてみろと真っ向勝負で教師に伝え、ひどく怒られた記憶がある。わたしはそういう人間だった。権威に服従するのではなく、真理に服従したいと思っていた。学校の先生だから言うことを聞かなければいけないというのは、違うだろと思っていた。そのひとがいい感じの人柄であればそのひとの言うことを聞くが、そのひとがあまりいい感じの人柄でなければ「お前の言うことを聞いたら、お前みたいになっちまうねっかや!(新潟弁)」とでも言わんばかりに、静かなる反抗を続けていた。

 

そんな人間がまともな学校生活を過ごせるはずもなく、やがて私はドロップアウトをして「俺はダメ人間なんだな」と自分を責める方向に舵を取った。誰もが当たり前にできることが自分にはできない、と感じる瞬間はつらい。が、それが自分なのだから仕方がない。おかしいのは社会なのか、おかしいのは自分なのか、そんなことを悩んだときに「おかしいと感じる自分がおかしいのだ」と思うと鬱病になる。周りはどうあれ、自分のこころが「おかしい」と思うのであれば、それはおかしいことなのだ。言葉にすると当たり前過ぎるけれど、そういうこと(自分が感じることを最優先事項にすること)の重要性を学びまくった気がする。そして、ダメならダメなりに「ダメな自分でも生き延びる方法を見つけなければいけない」と思って試行錯誤を続けた結果、たまたま、所有の概念を断捨離する(?)謎のライフスタイルが見事にはまった2014年頃からどうにかこうにか楽しく生きることができるようになった。そういう話をラジオ番組で話した。楽しかった。ラジオ番組とかトークイベントとか、誰か呼んでくれないかなと思った。

 

あたび。。 #熱海 #焚き火 #lifeisgood #新しい生き方 #焚き火師 #東京都民を熱海に拉致して #共に焚き火をするお仕事 #焚き火リトリート的な #これ流行らないかな #結構いいと思うんだけどな #夜は明かりを消して #炎を眺める #夜は暗いのが自然 #暗さを楽しむ #ぬはぁ #的な気持ちになる #いい年こいて #この言葉がどれだけ少年隊を傷つけているか #好きだけで動いてもいいのだ #数年来焚き火はいいぞと言い続けているものの #なかなか焚き火人口は増えず #今宵もひとり #涙で焚き火を消化します #みなさまも素晴らしいGWを!🔥✨✨✨

 

わたり文庫『フランクル「夜と霧」への旅』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、河原理子著作『フランクル「夜と霧」への旅』です。学校生活及び社会生活にまるで馴染めなかったわたしは「どうすればこんな自分でも生きていけるものだろうか!」とはなはだ苦悶し、なにをすればいいのかわからないけれどとりあえず本だけは読んだ方が良さそうだと睨み、図書館で気になった本は全部読むと言う暴挙に出ました。その際、何人かの「こいつらは最高だ!」と思える傑物たちと出逢うことになったのですが、最も影響を受けた偉人のひとりがヴィクトール・フランクルになります。最高です。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、東京都にわたりました ※※※

 

フランクルは、医師の役割は、患者が生きる意味をみつけるのを助けることであり、触媒としての働きなのだ、と言った。1969年の國學院大学での講演では、どんな教育者も、学生に生きる意味を与えたりすることはできない、唯一与えられるのは「真理探究に挺身する己れ自身の生きた実例」だと語った。ただ手本になることができるだけなのだ、と。

 

私がどう生きようと、誰の手本にもなりえないし、なりたいとも思わない。ただ、つまりはどう生きるかしかないのだ。何もすべてフランクルの言う通りにしようと思っているわけではないが、いまのところ、フランクルの思想は私にとってかなり大切な支えになっている。それは単に個人の生きる手がかりであるだけではなく、社会がなだれを打つときにあらがえるかどうか、ということにもつながるはずなのだ。それだけの骨格を持つ思想なのだと、私は思っている。

 

河原理子『フランクル「夜と霧」への旅』【朝日文庫

 

今世は諦めてください。

菊名の家と熱海の家を往復している。ものは増やしたくないと思いながら、いつの間にか、生活を続けるほどにものが増える。ものが増えるのは恐ろしいことだ。ブルース・リーは「増やすな。捨てろ」と言っている。素晴らしい教えだ。増やすことは(金銭とか材料の調達が必要になるから)いますぐ増やすことはできないけれど、捨てることならばこの瞬間からできる。目に見えるものも、目に見えないものも。なにを捨てるか。断捨離のコツは「捨てるのがコワいものを捨てること」だと思う。人生を変える一番手っ取り早い方法、それは「恐れていることをやること」だと思う。捨てる。捨てる。捨てる。捨てるのが恐いものを捨てたとき、我々は『恐さの先に気持ち良さがある』ことを知る。それは「自分にもできた」とか「未練を断ち切った」とか「それがなくても生きていける」と知ることの気持ち良さであり、こころもからだも身軽になることの爽快感なのだと思う。

 

感情の断捨離も必要だ。最近、周囲で小さな事件が連発している。人間関係の問題は「見栄」から生じているように思う。ダメな自分を見せたくないという思いから、優しい人柄を演じてみたり、できる風な人間を装ってみたりすることで、問題はより一層面倒臭いものになる。これは自分自身に言いたいことなのだけれど、言いたいことがあるならば、早いうちに言った方がいいのだと思う。怒りと憎しみは違う。多くの場合、誰かに対する憎しみは「言いたいことを言わなかった自分自身に対する憎しみ」をこじらせたものであるように思う。他人を憎むことで、自分に対する憎しみを耕している。だからこそ、文句があるならば、できるだけ早急に伝えること。陰口を言うのではなく、真っ向勝負で(傷つけるのが恐いとか言っていないで)伝えること。偽物は去る。本物は残る。真意を伝えることで離れてしまうような薄い関係性に固執をしないこと。残るものは残り、離れるものは離れる。それは自然の摂理であり、悲しむようなことではない。

 

番組の最後に「なにか言いたいことはありますか?」と問われた。しばらく考えた後に「今世は諦めてください」という言葉が頭をよぎった。33年間生きてきて、なにかしらの生きづらさを抱えていたのは自分だけではないことがわかった。むしろ、ほとんどの人々が個別の生きづらさを抱えて生きていることがわかった。だからこそ、それでもなお「人並みに生きることができるように」と世間的な良識にしがみつくより、人並みであることを求めるより、自分は自分でしかないのだから、自分は自分のままで生きるのだと決めてしまうこと、その明朗な覚悟が爽やかな風を吹かせるのだと思った。だって、どうあがいてみたところで、自分は自分でしかないのだから。諦めるということは、生きることを投げ出すこととは違う。それは「みんなと同じであること」を諦めることだ。足並みを揃えることを止めることであり、みんなが求める幸せを自分も一緒に追い求めることを止めることだ。諦めるほどに軽くなり、諦めるほどに自由になる。そのことをきっと感じるだろう。だからこそ今世は諦めました、幸せだと思われることを諦めました、みんなと一緒で在ることを諦めました、残された日々、自分は自分のままで行かせていただきます【永遠にこのままで行け】と決めた瞬間に吹き抜ける爽やかな風に、私は、自分が自分で在ることの清々しさを感じるタイプの人間なのだと思う。

 

 

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あたひ。。 #熱海 #朝日 #lifeisgood

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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