いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

【最終日】生きれるだけ生きて、死ぬさ。

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ひとと話しているとき、相手に気に入ってもらうことで話を進めようとする自分がいる。が、相手の笑顔が嘘くさいと感じたときは「その笑顔は本物ですか?」と真っ直ぐ尋ねた方がいい。その方が、短期的には嵐吹き荒れることがあったとしても、長期的には良い気がする。これが本日のオアフ島での反省点。嘘くさいと思っているものにあわせて会話を続けると、どうしても会話が嘘くさいものになる。表面的になる。どこにもいけなくなってしまう。その憂さ晴らし(?)をするかのように、徹さんとツイキャス音声配信を行いました。発狂するほど暇なときなど、聞いてみていただけたらうれしいです!!

 

twitcasting.tv

録画ラジオ オアフ島より愛を込めて vol.2 - TwitCasting

録画ラジオ オアフ島より愛を込めて vol.3 - TwitCasting

録画ラジオ オアフ島より愛を込めて vol.4 - TwitCasting

 

喧嘩を売る。それくらいの気持ちでひとと向き合う時間があってもいい。決して相手を張り倒すためではなく、あくまでも「仲良くなるため」の喧嘩。表面的ではない、深いところでのコミュニケーションを達成するためのONEofTHE手段。そういうことを思った。相手に好かれることだけが人間関係じゃない。相手に嫌われないことだけが人間関係じゃない。たとえ、相手に嫌われることがあったとしても、それでもなお「自分の気持ちを相手に伝える」先に生まれる結びつきの連鎖。それが、真の意味でのコミュニケーションだと思う。

 

🌈🌈🌈9日目の記事はこちらです🌈🌈🌈

 

ibaya.hatenablog.com

 

いつ終わってもいい。

ワイ島からオアフ島に向かう飛行機の中で「いつ終わってもいい」ということを思った。私はいま、ごちゃまぜの家の活動をしている。なにかしらの活動をしていると、どうしても「これを続けていくためにはどうすればいいか」的な思考をする。要するに、維持【死なないための方法】ばかりを考えるようになる。しかし、そんな風に思えば思うほど、日々の重荷は増えていく。死なないために生きるほど、背負いこむものも増えてくる。

 

私は、あらゆることを「いつ終わってもいい」と思いながら生きていきたいと思う。今日は『はじまりと終わり』を強く意識する1日になった(徹くんの飼い猫が数日前に亡くなったことも影響をしているかもしれない)。ごちゃまぜの家の活動をはじめて約一年、本当に、たくさん楽しませてもらった。自分の人生を見てもそうだ。33年間生きてきて、いろいろな目に遭うことができた。いいことも悪いこともたくさんあった。いい人生だったなと思う。いつ終わってもいいのだと、充分に一生分を生きたような感覚がある。

 

生にしがみつきたくないと徹くんは話した。「生にしがみつくと怖いことが増える。家を持てばそれを失うことが怖くなり、仕事を持てばそれを失うことが怖くなる。ぼくは、生にしがみつきたくはないと思う。みんな生きることを前提としているから、家は、仕事は、貯金は、家族は、恋人は、などと聞く。多分、ぼくはそんなに生きようとは思っていないのだと思う。いつ終わってもいいという感覚はぼくのなかにもある。そう思うとき、ぼくは、なんだか安心をすることができる」と徹くんは話す。私は、この話にえらく共鳴をする。いつ終わってもいいと思うとき、私は、落ち着きのようなものを取り戻すことができる。そう思うことによって、逆に、いまという瞬間に躍動的な張り合いを覚えることができる。

 

生きれるだけ生きて、死ぬさ。

徹くんは話す。「生きるとは、死ぬ方向に向かうことだと思う。生きるために生きることはむなしい。花の慶次という漫画の中で、主人公の慶次は常に白いふんどしを履いている。それは、いつ死んでもいいように自分を清らかなものにしていることを意味している。漫画の最後に慶次は『生きれるだけ生きて、野垂れ死にます』と言ってバガボンディングをする。野垂れ死ぬことをよしとしない価値観があるように、野垂れ死ぬことをよしとする価値観があってもいいように思う」と。その通りだと思う。どうしてなのだろうか、わたしはこういう会話をしているときに「こういう会話ができるひとが近くにいてよかった」と猛烈にうれしくなる。ものすごい大事な話をしているような感覚になる。

 

死なないように生きるほど、粋や風流から遠ざかる。生きるとは、死ぬ方向に進むことだ。花の慶次という漫画では(私はまだ読んだことがないのだけれど)、とにかく登場人物たちの『死に際』が猛烈に格好いいのだと聞いた。素晴らしい話だ。普通、誰だって死にたくないと思う。だから、死なないための方法論を模索する。だが、逆説的だけれど「死なないように生きるほど、ゆっくりと生命は枯渇をしていく」感覚を覚える。いつ終わってもいいのだという言葉を思う。これは死を想うことと似ている。いつ終わってもいいのだと想うとき、瞬間に潔さが宿る。執着が薄らぐ。強く握りしめていた手がゆっくりとやわらぐ。それは否定的になることとは違う。いま、ここにあることに対する感謝の念が湧き上がり、自分を透明にすることができる。有終の美を飾りたいと思う。咲き誇るだけではなく、散り誇ることのなかにも美はあるのだということを思う。

 

無一物で生まれた私たちは、やがて、自分の肉体さえも捨ててこの世界を去る。生まれてから死ぬまでの間に、どう生きるか。それは各人の自由だ。徹くんは「生にしがみつきたくない」と話す。私はそれに共鳴をする。花の慶次は「生きれるだけ生きて、野垂れ死にます」と言う。私はそれに共鳴をする。執着を手放す。生きるために生きることを放棄する。私たちの生き方を見て、そんなんじゃ生きていけないよと言ってくれたひとたちは大量にいる。多分、その通りなのだと思う。ただ、思うことは「自分を殺さなければ生きていけない世の中ならば、そんな世の中を生きていきたいとは思わないよ」ということだ。自分は自分のままでどこまで行けるのだろう。できることならば、どこまでもいきたいと思う。いけるところまでいきたいと思う。最悪の場合でも、野垂れ死にをするだけだ。生きれるだけ生きてやりたいと思う。笑えるだけ笑って、踊れるだけ踊って、かき鳴らせるだけかき鳴らして、最後を迎えたいと思う。

 

ヤナの森からおはようございます! #BillyGyallow #あなたはなに派 #わたしはアロ派 #すえは博士かカメハメ派 #名著 #ヤナの森の俺の生活 #bible #朗読 #ケイゴフォレスト #BGMがやばい #愛しています #ウコースティックレレー #lifeisgood #これからコナ空港に車を飛ばして #オアフ島に向かいます #みなさまも素晴らしい旅路を!🌈✨✨✨✨✨✨

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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