いばや通信

ibaya≪いばや≫共同代表・坂爪圭吾のブログです。わっしょい└( ^o^ )┐

義人なし、一人だになし。

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ポール・エルデシュという名前の数学者は、下着とノートだけを入れた鞄を抱えて「世界中の数学者と話すため」に各国を放浪した。数学者と面会をしては数学のことを考え、移動中も歩きながら数学のことを考え、生涯に発表をした論文の数は1000を超える。この数は20世紀最大とも言われていて、実際、エルデシュは生きている時間のすべてを数学に捧げた。タイム誌は彼を「変わり者中の変わり者」と称する。エルデシュの生き様は目茶苦茶だった(生活能力が著しく欠如していた)にも関わらず、エルデシュは世界中で歓迎を受けた。最大の理由は「エルデシュには可愛げがあった」から、というものになる。

 

エルデシュのような生き方はいいなあと思う。自分が熱中できるものを見つけて、それ以外は(意識的にしろ無意識的にしろ)周囲のサポートを受けながらひたすらに「己の熱情の赴くまま」に生きる。私は現在、おはなを配る日々を過ごしている。北海道【札幌〜富良野旭川】では15名程度の方々に実際にお会いしておはなを渡した。エルデシュほどではないにしろ、わたしの今世は、非常に様々な方々に支えられながら継続をしている。明日10日からは仙台に行きます。仙台界隈で「おはなをちょーだい!」という方がいらっしゃいましたら、どなた様でもお気軽にご連絡ください【宿も予定もございません!】。

 

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なんでこんなんなっちゃってんの。

前回の記事で、川本真琴さんの「神様はなにも禁止なんかしてない」という歌詞をご紹介させていただいた。素晴らしい歌詞だと思う。昔から私は川本真琴さんが大好きで、他にも「満員のプラットホーム、破廉恥なクラクション、なんでこんなんなっちゃってんの」という好きな歌詞がある。最近、この『なんでこんなんなっちゃってんの』という部分を頻繁に思い出す。私は思う。人間は、最低限衣食住の三つが整っていたら生きていくことはできるはずなのに、いつの間に、生きるということがこれほど『重い』ことになってしまっているのだろうか【なんでこんなんなっちゃってんの】などと思う。

 

余談になりまくるけれど、先日、成田空港を歩きながら「こどもは五人欲しいなあ」と思った。思ったあとに「それは良い考えだ!」と思った。結婚をする予定もなにもないけれど、端的に「こどもが五人もいたら賑やかで楽しそうだなあ(老後の楽しみも増えそうだなあ)」と思った。が、普通、こどもを育てるとなると「養育費がなんたら」とか「教育費がなんたら」とか「現時点での収入がなんたら」みたいな感じで、いろいろなものがついてまわる。いろいろなものがついてまわるから、本当はそうしたいけれどいまはまだそれをすることができない、などと考えることは頻繁にある。しかし、本当にそうなのだろうか(生きると言うことはそれほど重みを伴うことなのだろうか)。

 

こどもが生まれたら学校にやる。その必要はあるのだろうか。学校に行きたければ学校に行けばいいし、学校に行きたくない(行かせてあげることができない)なら行かないでもいいという考え方はダメなのだろうか。坂爪圭吾のこどもとして生まれて来たことが運の尽き、今世は『学校ではなく自然から学べ(あとはインターネットとかもあるしね!)』的な態度でこどもを育てるということは、父親失格な行為になるのだろうか。極論、食べるものと寝る場所があれば人間は死なないと思う。最低限のラインだけは確保する。それ以外は「おのおので頑張れ」ということにする。それではいけないのだろうか。試験や就職に失敗をして自殺をするひとがいる。学校や社会に馴染むことができなくて自殺をするひとがいる。端的に「なんでこんなんなっちゃってんの」と思う。

 

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社会不適合でも楽しく生きる「適応よりも開墾」

かく言う私も、社会にうまく馴染めない自分を「ダメだ!ダメだ!俺はゴミ人間だ!」と思う日々を過ごしていた。が、冷静に考えてみると「年間自殺者3万人いて、鬱病患者も100万人いると噂の日本社会に自分を適応させることの方がやばいんじゃないか」などと開き直るようになり、現在に至る。これは極端な考え方かもしれないけれど、社会に自分を合わせるように生きるより「生きづらさを抱えているならば、生きづらさを抱えているなりに、生きづらさを抱えている自分でも生きて行くことのできる世の中を『開墾する』生き方」みたいなものを養った方が、いろいろと有意義なのではなかろうかなどと思うようになった。

 

革命を起こしたいとか、そんな大仰なことは考えない。私は自己中心的な人間なので、なによりもまず「自分が自分のままで快適に生きるウェイ」を見つけたい。その道が、結果として誰かのためにもなったのであれば最高だと思う。いろいろな人々と話す日々を過ごしていると、みなさま、多かれ少なかれそれなりに「生きづらさ」のようなものを抱えていらっしゃることがわかる。生きづらさを抱えているのは、なにも自分だけではないのだと言う当たり前のことを思う。すると、わたしは如実に元気になる。仮に、仮に、仮に自分が「こんな自分でも生きていくことができました!」的な道を発見(あるいは開墾)することができたとしたら、自分と似たような方々にとっても「それは非常にワンダフルですね!」的なことになるのではなかろうか、などと甘いことを思う。

 

自分のこころが「いやだな」と思うことを受け入れると、いつの間にか自分自身が「いやだな」と思うものと一体になる。これは非常に恐ろしい話だと思う。いやだと思うものを受け入れると、いやだと思うものに自分も加担をする【自分自身が醜い存在に成り下がる】ことになる。私は思う。今の世の中は「生きているだけではいいと思えない罠」的なものが無数にあるように思う。誰かに認められて、はじめて「自分も生きていていいのだ」と思うことができるように仕組まれている。逆に言えば、ただ生きているだけではダメだということになっている。が、これは嘘【罠】だと思う。誰かに認められようが、誰にも認めなかろうが、生きとし生けるものは「生きていていいに決まっている」ものだと思う。多分、わたしはこのからくりを暴きたいのだと思う。このからくりを暴きたくて、ひとと話したり、偉人の生き方に触れてみたり、自分なりに閃いたことを愚直に試したりしているのだろうなあと思う。

 

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わたり文庫『塩狩峠

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、三浦綾子著作『塩狩峠』です。わたくし、先日、旭川にある三浦綾子文学記念館なる場所に足を運ぶことができました。わたしは三浦綾子のファンでございます。とりわけ『母』と『塩狩峠』がとりわけ大好きなのですが、今回は塩狩峠をご推薦いたします。名前は聞いたことあるけどまだ読んだことはない!という方がいらっしゃいましたら、騙されたと思って是非読んでみてください。心が洗れるような、生きる姿勢を正されるような凛とした感覚になります(これが読書の素晴らしいところですね!)。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、奈良県にわたりました ※※※

 

一粒の麦、

地に落ちて死なずば、

唯一つにて在らん、

もし死なば、

多くの果を結ぶべし。

 

何を食い、何を飲み、何を著んとて思い煩うな。是みな異邦人の切に求むる所なり。汝らの天の父は凡てこれらの物の汝らに必要なるを知り給うなり。まず神の国と神の義とを求めよ、然らば凡てこれらの物は汝らに加えらるべし。この故に明日のことを思い煩うな、明日は明日みずから思い煩わん。一日の苦労は一日にて足れり。

 

義人なし、一人だになし。

 

三浦綾子塩狩峠』【新潮文庫

 

義人なし、一人だになし。

という訳で、明日から仙台界隈に足を運びます。お時間のある方はどなたでもお気軽にご連絡をいただけましたら幸いです。ひとと出会うことの最大のメリットは、多分、あれこれこういう話ができるとかそういう具体的なことではなく「生きていることを確認すること」なのだと思います。生き方に間違いもなければ「これが正解!」というものもないように思うので、ああ、あなたも生きているのですね、わたしも同じように生きております、お互いいろいろありますがこれからも共に生きていきましょう的なアレを交わすことができたなら、多分、それだけで万々歳なのだと思います。

 

先日、北海道でお会いした方から「これまでは寝る前に缶ビール3本くらい空けないと眠れなかったのですが、坂爪さんからおはなをもらってから『なんかもうこれはなくてもいいや』ってなりまして、スパッとお酒をやめることができました。いまでは禁酒4ヶ月になります!」という神懸かり的なご報告をいただきました。僭越ながら「おれはキリストか!」などと思いました。ブログだけだとまったくうまく説明をすることができないのですが、生きているとたくさんの奇跡的な出来事に触れることができます。そのひとつひとつに「生きていてよかったなあ」などとしんみりすることができる今回の人生を気に入っております。

 

生きることに対する過度な緊張をほぐしたい。もしかしたら、坂爪圭吾はそんな風に思っているのかもしれません。坂爪圭吾という漢字の羅列は若干ソリッドなので「それだけではないとんがった部分」も勿論ありまくるのですが、多分、人間の最大のパフォーマンスが発揮される瞬間は「(気張っている時ではなく)肩の力を抜いて、リラックスをできているとき」なのだと思います。わたし自身は天然素材の切込隊長といたしまして、明日から(誰にも呼ばれた訳じゃないけど)勝手に仙台に切り込みをいれて参りたいと思います。お会いできる方がおりましたらば、是非、仙台でも何処でもお会いいたしましょう!!

 

 

 

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三浦綾子に触れたくて。。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu   

 

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