いばや通信

ibaya.ex《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

説明のできないことをやりたいんだ。

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福岡を経由して佐賀にはいり、いま、佐賀市内にあるジョイフルでこの記事を書く。東日本在住の方には馴染みのない名前かもしれないが、ジョイフルとは大分県発のファミリーレストランで、非常に素晴らしいことにすべての店舗にWi-Fiが(時にはコンセントまで)常設されている。ネーミングセンスも素晴らしく、ゴリラみたいな顔をしながら自転車を走らせているときに「24時間ジョイフル」という看板を目にすると、ああ、おれも24時間ジョイフルでいられたらどれだけ素晴らしいだろうかみたいなことを思う。

 

昨日は博多在住の方の家にお世話になり、今夜は佐賀県武雄市在住の方の家にお世話になる。明日以降の予定は皆無なので、多分、長崎方面に向かう。12月2日までに広島に着けばいいのだけれど、完全に時間を持て余している。自転車を漕いでいると体力がつく。昨日お世話になった方に「前よりも格好良くなっていますね」と言われたときは照れた。これで料理もできたら完璧ですね的なことを言われたので「昔は料理教室の先生的なことをしていました」と言ったら驚かれた。昔の話をしながら、ふと、久しぶりに自分の半生を振り返りたくなった。

 

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私の名前は坂爪圭吾。住所不定。職業無職。

1985年4月7日生まれの牡羊座で、現在は32歳。血液型はO型。三人兄弟の末っ子で、5歳年上の姉と4歳年上の兄がいる。両親は自営業で、新潟市内で床屋をしている。自営業の家庭で育ったためか、自分が会社員になるイメージを抱くことができず「俺は俺で俺なりのアレをアレするのだろう」的なことを思いながら育つ。学校の勉強は昔からできたものの、テストで100点を取っても「授業態度が悪いから」と五段階評価で四をつけられた瞬間、ああ、学校というシステムはクソだな的なことを思って反抗期に突入をする。多分、この頃から『権威』と呼ばれているものを敵視するようになる。

 

 

その後、新潟高校という進学校に入学をするものの、みんな優秀なひとばかりだったので「IQで勝負をする道はえぐい」ということを思ってその道を降りる。その後、高校を退学するとかしないとかで一悶着あったものの、親と教師の罠にはまって高校を卒業。東京の大学に進学するものの「やっぱりおれには無理だ」ということで退学。晴れて学歴もなくなったことだし、おれはおれで生きる道をさがそうと思うものの、なかなか見つかることはなくアルバイトを三十種類くらい経験する。どれも長続きしない。いよいよおれはクズなのかもしれないと思い込みかけていたところで不幸が重なり、躁鬱病統合失調症椎間板ヘルニアのトリプルパンチで半年間寝込むものの、奇跡のJ字回復を見せる。

 

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料理教室の先生になるものの「お客様満足なんてクソだ!」と逆ギレをする。

ジャムパンの食べ過ぎで一ヶ月に20キロ近く太り「おれの人生は終わった」と死にかけていたものの、その後、カロリー制限のために(普通のパンはカロリーが高くて太るからこそ小麦粉を豆腐で代用する)お豆腐ベーグルを自分でつくるようになってから「料理って楽しい!」ということを思い、みんなで料理を行うイベント的なものを主宰するようになってからいつの間にかそれだけで自分1人は食べていけるくらいの収益(?)があがるようになった。人生はなにが起こるかわからない。ぶっ倒れた瞬間は「おれの人生は終わった」と思っていたものの、これははじまりの合図に過ぎなかったのかもしれない。

 

 

が、もともと料理が得意なわけでもなければ詳しいわけでもないので、細かい調理方法を問われても答えられるわけがない。何を聞かれても「おれに聞かないでください」と逃げ続け、それでもいいと思ってくれる人たちが定期的に足を運んでくれたものの、最終的に「おれは別に料理が好きではない」ということを認めて活動を終始。イベントなどをやっていると「お客さんは楽しんでくれているだろうか」みたいなことをすぐに気にしてしまう私は、やがて「お客様満足なんてクソだ!おれが楽しませたいのは他の誰でもないおれ自身なのだ」みたいなことを叫ぶようになり、2013年頃に「とにかくやばいことだけをやる(自分を楽しませることだけをやる)」というコンセプトで『いばや』という合同会社を設立した。

 

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もともと、わたしはお金を稼いだりお金の管理をすることが苦手だった。そこで「そうは言っても自分の会社をつくればしっかりとやるだろう」と思って起業をした。が、実際にやってみると「自分の会社をつくってでさえ、営業も広告も経理も事務も全然ちゃんとやろうとしない」自分の性癖というか超えられない壁のようなものを感じて、結果三年程度で会社は解散をする。あとの流れは以下の通り。いばやをはじめると同時に「同棲していた彼女と別れて家なし生活に突入する」形になり、結果2年程度の家なし生活を送る。その後、奇跡的に熱海に家が与えられ、奇跡的に横浜にも家が与えられたものの、自病【多動症】が発動をして現在は自転車移動をしながら西日本ではなを配っています。

 

 

説明のできないことをやりたいんだ。

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初対面のひとに「普段はなにをしているのですか」と問われると困る。一応、こうして文章を書いたりごちゃまぜの家などの活動(?)をしてはいるものの、それがメインという訳ではないし、定職と呼ばれているものに就いているわけでもなければい定期的な収入があるわけでもない。この記事で、少しは自分のことを説明できているのだろうか。説明できていないような気がする。と、ここまで書きながら「自分は説明できないことをやりたかったんだ」という初心的なものを思い出した。説明のできないこと、言葉で括ることのできないこと、いまはまだ言葉が与えられていないことをやりたかったのだということを思い出した。

 

突き立てている中指があるのだと思う。この世の中にあるしきたり的なものに対して「それって本当か?」と中指を突き立てることで、疑問を投げ続けているのだと思う。生きるためにはいやなことをやらなければいけないとか、学歴が、就職が、結婚が、貧困が、障害が、格差が、そういうものに対して「それって本当か?」と疑惑をかけているのだと思う。人間にとっての幸せはこれです的なことを言われると、自分はあまのじゃくだからなのだろうか「それがなくても幸せそうに生きている人間がいたらお前はどのように責任を取るのだ」みたいなことを思う。そして、自分という人間をひとつの実験材料みたいなものとして、展開をして生きたいと思っている(のかもしれない)。

 

汚い言葉になるけれど「ざまーみろ」って思うことがある。自分みたいな人間が、社会的に底辺とされているようななんの肩書きもない人間【幸せになんかなれるはずのない人間】が、なんの肩書きもないことによって比較的自由に生きることができることができているのであれば、それは非常に痛快なことだなと思う。正解と呼ばれているものに縛られることより、間違いだらけだとしてもこんな生き方もあるということを立証できるのであれば、これはもう「ざまーみろ」という感じである。常識や良識にとらわれて身動きがとれなくなることよりも、間違いだらけな道だとしても『生きている実感を感じる方向』に、自分は舵を取りたいタイプの人間なんだなと思う。

 

 

 

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説明のできないことをやりたいんだ。

 

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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