いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

好きなことを、好きなように、どんどんやりなさい。

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ごちゃまぜの家の第二弾候補地をルキンフォーするために、明日から急遽沖縄県に飛ぶことになりました。10月24日(火)の21時頃に那覇空港に到着をして、28日(土)10時20分那覇空港発の便で成田空港に戻ります。が、沖縄での宿も予定も交通手段もすべてが(経済的な理由で)未定になりますので、もしも、もしも那覇界隈滞在の方で「ごちゃまぜの家に使えそうな場所があるよ!」とか「宿がなければ我が家においで!」とか「沖縄のここがいいから無理やりにでも連れていきたい!」などなどありましたら、是非、是非、是非、どなたさまでもお気軽にお声がけいただけましたら幸いです。

 

連絡先・坂爪圭吾

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ごちゃまぜの家より愛を込めて。

昨夜、菊名にあります『ごちゃまぜの家』からツイキャス音声配信を行いました。いろいろと程度の低いことをダラダラと話してしまったのですが、小生、32年間生きてきて「これだけは死ぬまで続けたい!」と思える所業がふたつほどあります。ひとつは「おはなをあげる」という行為です。これは声を大にして言いたい(「おはなはいいぞ」って言いたい)。誰かに会う時、特別な理由は別になくても全然構わないから、駅近くにあるおはなを一輪買って、出会い頭に「はい、これ」みたいな感じでさらっと差し出す。それだけでいい。それだけで「なんだかよくわからないけれど空間全体が華やいで、いまという瞬間の輝きが増すね!」的な気持ちになれます。

 

おはなだけを買って渡すのも最高だけど、個人的なおすすめは「小さなメッセージカードを用意して、一言だけでもいいから手書きのメッセージを添える」ことです。これがあるとないとでは、感覚的に八倍くらい気持ちの伝わり方が違う(ような気がする)。男性的にはこっぱずかしい行為に見えるかもしれないけれど、これ、やってみると「ああ、なんだかいまいいことができているなあ」みたいな気持ちになれるから騙されたと思ってやってみてください。ひとと話すことが苦手なひとも、花に思いをこめて届ければ、きっと何かしら相手に伝わるものがあると思います。コミュニケーションは何も「言葉」だけではないのだと、小生、そういうことを思うことは最近頻繁にあります(頭ばかりを使っていると、身の回りにある自然【すぐそこにある愛】を慈しむ余裕がなくなります!)。

 

そしてもうひとつが「手紙を贈る」的な営みです。非常にありがたいことに、ごちゃまぜの家などに食料品や日用雑貨などの救援物資を送ってくださる方々が日本にはたくさんいらっしゃいまして、この国は最高だなと思うことは頻繁にあります。小包に添えられている手紙などを読むと、ああ、なんだかやっぱり肉筆にはメールにはない「ひとの温度感」を感じることができて嬉しいなあとハートがほぐれます。返事を書いている時間も、なんだか非常に素敵な時間になるので、是非、みなさまも「久しぶりに誰かに手紙でも書いてみるか」と思ってくださった方から順番にやってみてください。多分、すごいいい時間になると思います。(ごちゃまぜの家は静かな環境なので、多分、手紙を書くのに適した空間だと思う。家の片隅に「手紙コーナー」と称して誰でも自由に使える便箋や葉書や切手などを大量に置いておくので、ご希望される方は無許可で使い倒してください。また、誰かに手紙を贈りたいけれど贈る相手がいないから泣いちゃうという方は、ごちゃまぜの家(坂爪&稲村)でもよろしければ『是非、受け皿役を担わせていただきたい!』と感じておりますので、ご希望される方は非常にお手間ではありますが一回ご連絡ください。折り返し、ごちゃまぜの家の住所をお伝えさせていただきます)。

 

録画ラジオ ごちゃまぜの家より愛を込めて。 - TwitCasting

 

わたり文庫『すみわたる夜空のような』

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今回のわたり文庫無料郵送の一冊は、銀色夏生著作『すみわたる夜空のような』です。この本の中に収録(?)されている「君へ」という詩が好きで、ああ、なんだかこれを他のひとにも読んでもらえたらうれしいなあと思ってこの本を選びました。私は現在横浜にいるのですが、昨日までの嵐は嘘のようで、ひっさしぶりの太陽が家の庭を照らしています。それだけでこんなにも幸せになれるのかと、天気がいいだけで人間はこれだけ幸せになれるのかと感じております。こちらの本をご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には、70万時間以内に折り返しご連絡をいたします。

 

※※※ こちらの本は、福岡県にわたりました ※※※

 

「君へ」

 

君は好きなことを、

好きなふうにやるべきだ。

そのことが他人から見て、どんなに変でも、

損でも、バカだと言われても、

気にするな。

だって彼等は、君の願いを知らない。

君は彼等と違うものを見ているのだから。

あの、強い思いだけを、繰り返し思い出して。

そのことを忘れないで。

 

他人の説教やからかいなど気にせずに、どんどんやりなさい。

けして周りを見たらダメだ。

仲間はいないんだ。すくなくとも途中には。

君はやりたいように、どんどんやりなさい。

やりたいことを。

好きなやり方で。

その行為が同時に君を救うだろう。

その行為は同時に人をも救うだろう。

そのことを忘れないで。

 

銀色夏生『すみわたる夜空のような』【角川文庫】

 

愛することを恐れないで。

愛を表現することを禁止された時に、多分、人間は老いる【生きていることを楽しめなくなる】のだと思う。ひとが何か新しいことをやろうとする時、大概、その動機は『愛』か『恐れ』のどちらかになるのだと聞いた。多分、その通りなのだろうなと思う。不安や恐れを動機になにかをする(なにかをしない)のではなく、できることならば希望やよろこびをベースに生きていたいと私は思う。それが、時に周囲の人から「お前の生き方はありえない!」とか「クソだ!」とか「ウンコたれだな!」とか言われたとしても、自分の中に「これが私の愛情です」的な思いがあるのならば、ひるむことはない。周りはどうあれ自分だけは、どんどん、どんどん、どんどんやってしまえばいいのだと思う。

 

繰り返しになるけれど「愛を表現することを禁止された時に、ひとは老いる【生きていることを楽しめなくなる】」のだと思う。おはなをあげる行為や、手紙を贈ると言う行為は、大袈裟な言葉でいえば「愛することなんて実はまったく禁止なんてされてなかった」ということを思い出すための最適な機会になる。何かを愛すること、自分の中にある愛情を表現することは、実はまったく禁止なんてされていなかったのだと、仮に「愛を贈った相手から何かしらの見返りを得る」ことはできなかったとしても、自分自身が愛を表現することは誰にも奪うことはできないのだと、そういうことを思う時に(私の場合は)エネルギーが湧く。愛することは禁止されていない。禁止されているとしたら、それは「自分が自分に制限をかけて抑圧をしている」だけなのだと思う。このトリガーを外す。目の前には、いくらでも愛すべき対象が転がっている。別に無理をしてまで愛する方向に舵をとる必要はないけれど、なにかを愛しているときに「ああ、生まれてきてよかったな」的な気持ちになることはできる。

 

時間がなくって「ぐおらららららら!!!」と最高速度でこの記事を書き上げたからまたしても文章が雑になった。でも、30分程度の隙間時間さえあればこれだけの分量が書けるのだということがわかったので楽しい。私は思う。金を稼ぐとか、有名になるとか、世間的に認められるとか、夢や目標を達成するとか、愛されるために何かをするとか、多分、そんなことはどうでもいいのだと思う。自分以外の何者かになろうとすることは、極端な話、自殺行為と同じ(真の自己を否定する行為)だと思う。そんなことよりも、自分であることを楽しむこと、生きていることを楽しむこと、目の前にあることを楽しむこと。やりたいことを、やりたいときに、やりたいように、クソミソに言われたとしてもきっと全然大丈夫だから、どんどんどんどんやってしまうこと。自由になるために誰かの許可が必要なわけでもなければ、愛を表現することに誰かの許可が必要なわけでもないし、誰かの許可がなければ生きててはいけないなんてこともない。自由になるのはきっとおそろしく簡単なことで、いま、この瞬間に「おれは自由だ」と認めるだけでいいのだと思う。生きるとは無垢に無邪気に純粋に自分らしく楽しむことで、何かを成し遂げることではないのだと思う。

 

 

 

https://www.instagram.com/p/BakoxOZDlJH/

愛することを恐れてはいけない。。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

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