いばや通信

ibaya≪いばや≫共同代表・坂爪圭吾のブログです。わっしょい└( ^o^ )┐

楽になる道が正解だよ。

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自分の連絡先や家や住所や財布の中身(?)を公開していると「変なひとは来ないのですか?」と5億回ほど尋ねられる。これに対する回答は20種類くらいあって、都度都度「来るなら来いと思っています」とか「人間に対する信頼の問題だと思います」とか「そんなに来ないですよ」とか「丹田に力を込めることで乗り越えています」とか「結界を張っているので大丈夫です」などと答えている。今回は、この『結界【結界の張り方】』について思うことを書きたい。いま、神奈川県横浜市港北区にある菊名という場所でSCRAMBLE HOUSE TOKYO【ごちゃまぜの家】の活動(?)をしている。これまでは管理人としてえりか姫やひとみさんに常駐をしてもらっていたけれど、これからはわたし【坂爪圭吾】が管理人になる。なぜか。最大の理由は「結界を張るため【結界を張り直すため】」というものになる。 

 

 

そのため、熱海や菊名の家の利用をご希望される方は、誠にお手間ではありますが(8月いっぱいは)事前に坂爪圭吾まで直接ご連絡をいただけると助かります。もちろん、連絡はウルトラ直前(家に来る1時間前とか)でも構いません。LINEからご連絡をいただけると返信が早いです。基本的に「家を見てみたい」とか「坂爪に会えるものなら会ってみたい」程度のご要望であればタイミングさえあえばいつでもご対応できるのですが、宿泊希望者が重なると布団の数の限界で眠れないひとが出る(この前は、夜遅くに家に来たらみんなが寝静まっていて気が引けてしまったので、玄関で寝たという20代女子がいたそうです!可哀想な20代女子!)可能性があります。これは非常に良いタイミングだということで、一回『交通整備』的な意味合いも込めて結界を張り直します。それでは「結界を張る」とはどういうことなのか。わたしは、それを『(そこはかとない)神社感を醸し出す』ことだと思っております。

 

※※※ 坂爪圭吾のLINE連絡先 ※※※

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神社感とは何か。

熱海の家を見ていただいた方には察していただけると思うのだけれど、築90年のこの家に来たひとは「まるで神社みたいですね」的な感想を述べる方がべらぼうに多い。 ひとによってはなんだか居心地が悪い場所なのかもしれないけれど、ひとによっては「まるで神社仏閣に足を運んだ時のようなこころの安らぎを覚えることができる」という点において、わたしは熱海の家を愛している。個人的に、18ヶ月ほど暮らした熱海の家は「すでに結界を張り終えている」という手応えを覚えている。それでは、ここで言う『結界』とは何か。わたしは、結界を張るとは『神社感を醸し出すこと』だと思っている。神社には、空間全体の雰囲気から「ああ、ここは静かに過ごす場所だな」とか「大きな声を出して騒ぐ場所ではないんだな」ということが伝わってくる(ものだと思う)。決して『騒ぐな!』とか『静かにしろ!』と言われたから静かにするのではなく、その場所の空気感を通じて「ああ、ここは静かに過ごす場所だな」ということを感じ取ることができる場所。わたしは、このような神社感を醸し出す空間を目指す行為を『結界を張る』という風に呼んでいる。

 

大前提として、わたしはルールを設けたいと思わない。静かにしろとか言いたくないし、部屋や棚や洗面台の整理整頓をしろとかも言いたくない。しかし、静かにして欲しいとは思っているし、家を大切に使って欲しい【次に使うひとのために使って欲しい】とは思っている。究極的な問題は「強制されて何かをやるのではなく、自ずから『そうしたくなる』ような空間を目指すこと」だと思っているものの、なう、菊名の家は非常にとっ散らかっている。神社感はない。ただの「古い家」になってしまっている。これではいけない。これでは悪霊が取り憑いてしまう(大袈裟!)。取っ散らかると結界の効果は薄れてしまう【家に不要なものが溜まり始めたり、怪しいひとが来たり、生けた花が音速で枯れるようになる】ために、よし、ここは一度大々的な大掃除をしよう!ということになった(こんな説明で伝わるのだろうか…こんな説明でも「わかるよ!わかるよその感覚!」と思ってくださる方を坂爪圭吾は敬慕いたします)。

 

家を整えることは大変である。ここ数日(というか数ヶ月)、掃除ばかりをしている。草抜きをしたり、壊れた用具を修繕したり廃棄したり、屋外の作業では蚊に刺されまくっている。ものを持つことは恐ろしいことですねと話すスナフキン先輩の至言が脳裏をよぎるが、同時に、ある程度の神社感を醸し出すことに成功した時の達成感は大きい。これからも頑張りたいと思う。これからも頑張りたいとは思っているものの、元来末っ子気質のわたしはすぐに投げ出したくなる(誰かにやってもらいたがる)傾向がある。ここは正念場である。こうして文章化をしながら自分のケツを叩いている。もちろん、大掃除中もSCRAMBLE HOUSE TOKYO【ごちゃまぜの家】は誰でも大歓迎な状態を続けたいと思っている(理想的には一対一で話すことが自分は好きなんだな、と最近は思う)ので、何かあればお気軽にご連絡をください。大掃除とは言ってもそんなにやることが大量にある訳でもないので、遠方に呼ばれた際には軽めのフットワークで何処にでも行きます(最近はトークイベント出演に強目の関心があります。なにかありましたらいつでもお気軽にお声掛けください!!!)。

 

【過去記事】家族の問題をクリアすると、人生はボーナスタイムに突入する。 - いばや通信

 

わたり文庫『僕はなぜ小屋で暮らすようになったか 生と死と哲学を巡って』

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、高村友也著作『僕はなぜ小屋で暮らすようになったか 生と死と哲学を巡って』です。まだ読み始めたばかりなのですが、高村さんの文章は非常にすんなりと入って来て非常に心地が良いです(好きです!)。高村さんは、神奈川の河川敷の土地(それなりに市街地で便利)を11万円の破格で購買して暮らしたりしている方なのですが、風変わりなライフスタイルと冷静な知性がとっても素敵です。我々SCRAMBLE HOUSEも、ごちゃまぜの家ならぬ『ごちゃまぜの土地』的なサムシングを世界の何処かで使わせていただけないものだろうか、なんてことを妄想します。自由に使える土地があったら楽しそうだなあ…ノルディスクのテントを張りたいなあ…河川敷なら『モバイル水力発電』とか発明できないだろうか…焚き火語りもしたいなあ…などなど。こちらの本をご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡をいたします。

 

※※※ こちらの本は、富山県にわたりました ※※※

 

僕が初めて河川敷に来たとき、堤防にはペットボトルやらビニール袋やら釣り道具やらが散乱していた。僕は「自分の家の周りが汚いのは嫌だ」というまったく自分本位の理由から、定期的にゴミ拾いをするようになった。

 

あるとき、トングとゴミ袋を持ってうろうろしていると、よく堤防に散歩に来ているおばさんとすれ違った。おばさんはそれまで、僕のテントが気になって仕方がないが見て見ぬ振りをしているという雰囲気だったが、僕がゴミ拾いをしているのを見て初めて警戒心が解けたのか、「住んでるの?」から始まり、二言三言話しかけてくださった。

 

身の周りをきれいにしようとする姿勢を見せるのは「害のある人間ではない」ということをアピールするためにいくらか有効らしい。ー 高村友也『僕はなぜ小屋で暮らすようになったか 生と死と哲学を巡って』【同文館出版】 

 

楽になる道が正解だよ。

昨日、熱海の家で開催されたわたり食堂【0円食堂】には、全国各地から様々な方々が足を運んでくれた。宮崎県から車の屋根にテントを装着して小さなこども三人と一緒に遊びに来てくれたお母さん(非常に可愛らしい外見なのに内面はファンキー!楽しそう!前日は高速のSAで夜を明かしたそうです)や、東京駅から菊名駅まで8時間かけて歩いて来た20代女性(猛者過ぎる!)や、福岡の実感を飛び出してヒッチハイクで熱海まで来た17歳の美少年Rちゃん(ピアノの腕前が達者すぎてやばい!鉄砲玉に誘ったところ、ふたつ返事で『やります!』とのこと。これからが非常に楽しみであります)や、旅する大工と称して呼ばれた場所に足を運びまくっている精悍な男性など、バラエティ豊かなラインナップが楽しかった。これは余談になるけれど、開催中、わたしは(眠くなりすぎて)寝た。ちゃんと寝た自分を褒めたいと思った。主催者が寝たことで「この場所は寝てもいいのか!」という自由度高めの許可がおりた(ように見えたのだと、参加者の方から言っていただいたことも良かった)。多分、自分の好きなようにやるのが一番なのだと思う。誰もが好きなようにやりながら、それでいて調和が成立するための『結界』なのだと思っている。

 

 

家族をテーマに開催されたトークイベント@SCRAMBLE HOUSE TOKYOにも、様々な方々が遊びに来てくれた。40歳になって性転換をされた男性(いまは女性)の体験談からはじまり、その方が「当時は親の目線や友達の目線がこわかったけど、でも、どうしてもそれをやりたいと思ったので『これによってすべての繋がりが断ち切れてもいい。天涯孤独になってもいい』という気持ちで、崖から飛び降りる気持ちで性転換をすることにした。そうしたら、友達は離れるばかりか前よりも近くようになった」と話してくれた。その話を受けて、参加者の女性が「実はわたしの息子も最近性転換をしたのだけれど、親としては、こどもが元気でいてくれることがなによりも嬉しい」と話す。諸々、様々な事情を抱えてはいるのだろうけれども総じて『人間って素晴らしいな』という感想を、わたしとMAYUCHAPAWONICA姫は強く抱いた。「天涯孤独になってもいい」という言葉は、素晴らしいなと思った。ひとりでもいいと肚を括る覚悟が、逆に、自分はひとりではないのだという思いを強めることがある。死んでもいいと肚を括る覚悟が、逆に、生きているのだという思いを高めることがある(のだと経験則的に思う)。

 


社会的にマイノリティであるということだけで「可哀想なひと」だと思われてしまうことは頻繁にある。しかし、究極的な意味では「不幸な人間なんてひとりもいない」のだと思う。自分が置かれている現状の中で、どのように生きるか、どのように楽しむか、どのように愛するものを見つけていくのか、同じ時代に生きるわたしたちひとりひとりは『共通の問い』を抱えている。同じ答えを共有することはできなくても、同じ問いを共有することはできる。その点に置いて、わたしたちは圧倒的にフェアなのだと思う。自分に同情をするのも自由。自分に同情することに飽きて何かをはじめることも自由。いろいろなものの制約を受けているようで、その内実は「誰もが自分のやりたいようにやっている【自分の慣れ親しんだ考え方を採用している】」だけなのではないだろうか。自分のこころが「いいな」と思うものに触れた時、こころがふわっと軽くなることがある。あの感覚、あの瞬間を大切にしたいのだと思う。 自分の考え方は、多分、自分で選ぶことができる。わたしは「自分のこころが軽くなる」道を選びたいと思う。

 

 

 

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楽になる道が正解だよ。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu

 

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