いばや通信

ibaya≪いばや≫共同代表・坂爪圭吾のブログです。わっしょい└( ^o^ )┐

極限とも言える苦しみは、最高の喜びになる。

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島根県松江市から羽田空港を経由して菊名に戻る。その後、ごちゃまぜの家@菊名の家&庭&物置の掃除をしたり(終わりが見えない)東京に行ったり熱海に行ったりしながら時は流れた。菊名の家は大きくて古いために、修繕箇所や清掃箇所は無限にある。来週中には「誰でもおいでやす!」的な感じでみなさまに開放できたらいいとは思うものの、あきらかに人手が足りていない。家にいると掃除ばかりをしてしまうから、寝る暇がない。寝てもすぐに起きてしまう。多分、ある種の緊張状態に置かれているのだと思う(こんな時は愛する女性に抱きしめられたくなる)。この土日で「時間もあるから手伝うよ!」的な方がおりましたら、坂爪圭吾に直接ご連絡をしていただく(照)か、TPD48の誰かに連絡をしていただけると猛烈に助かります。

 

 

ブラジルから一時帰国される方から「日本に戻ったら熱海のわたり食堂【0円食堂】に子供を連れて行きたいと思っていたのですが、終わってしまったのですか!?」という連絡をいただいた。前回の開催をもって勝手に最終回にしてしまっていたのだけれど、これは復活させるタイミングが来たということで『わたり食堂リバイバル』を、6月25日(日)に開催いたします。菊名【横浜】の家は高級住宅街のど真ん中にあるから、諸々の作業などで疲れた後に熱海に戻ると半端なく癒される。多分、人間には「静かになれる場所」が必要なのだろう。熱海の家は海から登る朝日を眺めることができる(海と山と温泉がある)。それだけで、ああ、熱海に家があってほんとうによかったとこころの底から思うことができる(みなさまのお越しをお待ちしております!!)。

 

【イベント詳細】帰ってきた!わたり食堂【0円食堂】

 

笑顔と同じくらい、涙は素敵なものだ。

先日、広島県在住の女性Y様から「島根県松江市から出雲空港まで車を出すので送りますよー!」という連絡が届いた。わたしは、お言葉に甘えて「猛烈ありがとうございます!お願いいたします!」と返信をした。Y様とは松江城で合流をし、空港までの道のりおよそ40分間を車内で過ごす。Y様は、広島県内で電気もガスも水道もないサバイバルな生活を実践しているのだと言う。「旅人なども頻繁に足を運んでくれて、毎日はとても楽しいです!」と話すY様の言葉を聞きながら、わたしは、楽しそうだと話している割にはなんだかちょっと辛そうに見えるなと思った。Y様の話をしばらく話を聞き続けたあとに、わたしはいまだ!と思って「なんだかつらそうだなって思いました。つらそうと言うか、Y様は楽しく生きている風な仮面を被って話しているように感じました」と伝えた。

 

このことを伝えると、これまで明るい口調で話をしていたY様の口調は一変をして、実は最近は大変なことがあってちょうどさっきも小さな揉め事が起きてて苦しかったんですが、せっかく坂爪さんと話せるのだから楽しまなくちゃ!いい時間にしなくちゃ!って思って、それが裏目に出ちゃったのかもしれません的なことを話してくれた。わたしは、Y様のこの発言を聞いた瞬間に「やっと会話ができている!」という嬉しさを覚えた。わたしは、多分、いわゆる『裸の付き合い』が好きなのだと思う。何かで取繕われたそのひとではなく、何かで装飾をされたそのひとではなく、何もかもを取り去った後に残る「そのひと自身」と会話ができていると思える手応えの中に、わたしは『コミュニケーションをとることの嬉しさ』を覚えるタイプの人間なのだと思う。

 

自分の身の上を話しながら、Y様は少しだけ涙を流した。わたしは、その涙を見て「美しいな」と思った。笑顔と同じくらい、涙は素敵なものだとわたしは思う。涙は素敵なものなのに、泣いちゃいけないなどと思って無理をしてまでつくられた笑顔に触れると、見ているこちらまで辛くなってしまう。『笑顔は素晴らしいものだ』的な雰囲気が世の中にはあるけれど、無理をしてまで笑うという行為が、そのひと自身を酷く傷つけているように見受けられることは多い。笑う時は笑う。泣く時は泣く。これがまともな人間のまともな反応だと思うのだけれど、笑いたい時に苦しみ、泣きたい時に笑ってしまうと、大袈裟な言葉で言えば「頭がおかしくなってしまう」とわたしは思う。自分の気持ちは大切に扱った方がいい、誰かに合わせて自分を押し殺し続けていると、前回の記事にも書いたけれど「小さな自殺」を続けることになってしまう。

 

【過去記事】絶滅危惧種で行こう! - いばや通信

 

腹を割って生きれば、毎日はドラマになる。 

最近は「腹を割って生きれば、毎日はドラマになる」ということを思う。様々な方々と話す日々を通じて、わたしは「いったいどれだけのひとが、自分がほんとうに話したいと思うことを話せているのだろうか」などと疑問に思う。多分、多くの人々は自分の本音を押し殺しながら当たり障りのない会話を続けている(続けざるを得ない)状況にあるのだろう。だからこそ、自分の本音を話すことに不慣れになり、時には「本音を口にすることで謎の蓋がオープンになってしまい、原因不明の涙が流れ出してしまう」のだと思う。この前も、菊名の家にひとりの女性が遊びに来てくれた。女性は「これは家庭環境の影響が大きいとは思うのですが、わたしは自分が生きていることに価値があるとはどうしても思えなくて、何かをすることができてはじめて『そこにいてもいい』って思うことができるのです」と話しながら涙を流した。

 

わたしは、涙に触れた時に相反するふたつの気持ちを抱く。ひとつは「もっと泣け!【泣いて泣いて泣き尽くしてスッキリしちゃえ!】」というもので、もうひとつは「泣くな!バカ!【おまえはそんなもんじゃないだろう!的な意味で、これまでとこれからはまじで関係がないのだから、いつまでもそんなところに長居をしていないで『自分がなりたいと思うような』日々を生きろよ!】」的なものになる。何が言いたいのかと言うと「日常的に自分の本音を口にすることができていたのならば、多分、その涙は流されることはなかったのだろうな」ということです。自分の本音を口にするということを『非日常』的な行為にしてしまってはいけないのだと思う。そうでなければ、溜め込まれた感情が自分の中で腐敗臭のようなものを発してしまって、乱暴な言葉でまとめると「なんだかあまりイケていない人生」を過ごす羽目になってしまう。

 

わたしは清々しい日々を愛する。苦手な場所に長居をしてしまうと、苦手なひとと(苦手だと思う関係性のままで)付き合いを継続してしまうと、一緒に過ごした時間の分だけ憎しみが溜まる。ゆっくりでもいいから、嫌だと思う付き合い方を変えること。最初は1割だけでもいいから、自分のこころが「いいな」と思うものを日々に導入していくこと。自分のこころが「嫌だな」と思うものに対しては、勇気を出してNOを示すこと。自分が嫌だと思うものを受け入れ続ける日々を過ごしてしまうと、最悪の場合は魂が腐る。魂が腐ると内臓が腐りはじめて、具体的には「口臭がきつくなる」というあまり良くない感じのデメリットがある(ような気がしているけれど、これは完全に余談でした!!)。

 

【音声配信】Recoded Radio 無礼者の撃退法 - いばや #379726965 - TwitCasting

 

わたり文庫『極限のトレイルラン』

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わたり食堂の復活と同時に『わたり文庫』も復活をします(あとで名前を変えるかもしれない)。一旦終わらせたものを、再び蘇らせることが好きです。復活第一弾のわたり文庫は鏑木毅著作『極限のトレイルラン』になります。意味はなくていい、価値はなくていい、ただ、徹底的に肉体を酷使することで見えてくる喜びがあるということは、アホみたいな日々を過ごしている自分を肯定してくれる【背中を押してくれる】力がある。頭で考え過ぎてもロクなことはない、もっと身体を動かしていこうという動物的な気持ち【野性味】を取り戻すことができる一冊です。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、新潟県にわたりました ※※※

 

「あの崖から飛び降りて、大怪我でもすれば、この地獄から逃れられるし、リタイアの立派な理由がたつじゃないか」

 

「あの岩に頭を強打させて、頭蓋骨にヒビでも入れば、仕方ないなと思ってくれるだろう」

 

苦しさのあまりにこんなことを考えはじめました。

 

今思えば、何と自分は恥ずかしいことを思ったのだろうと自己嫌悪に襲われるのですが、この時の私にはこれしか逃げ場がありませんでした。

 

しかし、すんでのところで私を支えてくれたのはこんな思いでした。

 

「カブラキツヨシたれ」

 

自分はこれまで、どんなに苦しい絶望的な状況でも逃げずに、現実を直視し、闘ってきたじゃないか。2007年に初めて出場したUTMBもそうだった、同じく100マイルを走った2009年の「ウエスタンステイツ・エンデュランス(耐久)ラン」も40度になる気温のなか必死にもがいて乗り越えた。絶対に無理という状況を何度も打開し、乗り越えてきたじゃないか。

 

『極限のトレイルラン』ー 鏑木毅【新潮文庫

 

極限とも言える苦しみは、最高の喜びになる。

明日死ぬかもしれないという言葉が好きだ。今日の命は今日で最後、明日には再び取り戻すことはできない。それならば、今日の命を思い煩うことなく精一杯使い果たしてやりたいじゃないかと、そういう気持ちにさせてくれる。限りあるこの時間を、湧き上がり出す感情を、出し惜しみしている場合ではないのだと思う。やりたくないことをやっている場合ではないのだと思う。小さなこと【どうでもいいこと】にいつまでも拘っている場合ではないのだと思う。誰かと衝突することを恐れて、嫌われることを恐れて、悪く言われることを恐れて、いつまでもいい子【いい人】の振りをしている場合ではないのだと思う。

 

 

生きていることの醍醐味は「新しい自分に何度でも出会える」ことだと思う。自分はこういう人間だからという限界を、枠を、つまらない思い込みを、想定外の出来事はいともたやすく打ち砕いてくれる。ダサい自分に飽きたなら、自分で自分を壊していく。言い訳を重ねる自分。誰かのせいにしたがる自分。誰かに何かをしてもらうことばかりを求める自分。被害者意識を武器にする自分。何かを知ったつもりになる自分。まるで粋じゃない【ダサい】行為をいつの間にか選択しそうになっている自分。自分のこころが「ダサいな」と思う、ダメな自分を自分で壊していく。健全な日々とは、多分、健全な自己肯定感と、健全な自己否定感のサンドウィッチなのだと思う。ダサい自分を壊した先に、新しい自分【最高よりももっと最高な自分】と出会うのだと思う。

 

 

島根県松江城では双子のお母さんにおはなを贈り(よろこんでいただけたことが本当に嬉しかった)、その後、その場にいたみなさまと城壁の周辺を散策する。こどもは遊ぶ。とにかく遊ぶ。いろいろなものを作り上げては、作り上げた瞬間から壊していく。クラッシュアンドビルドを生き様で体現するその姿を見て、ああ、これなんだよなあみたいな気持ちになった。こどもを見ていると「清々しくていいな」と頻繁に思う。嫌なものには嫌だと言い、好きなものには全身全霊で「好きだ!」と表現する。泣きたい時には泣き、笑いたい時には笑う。だからこそ、瞬間瞬間の感情に真っ直ぐで無駄な未練に引き連られることもない。後日、双子のお母様から嬉し過ぎるお言葉をいただいた。なにかがあるからスゴイということでもない、なにかがないからダメだということでもない。瞬間瞬間に湧き上がる思いに、瞬間瞬間に存在をする自分自身に、絶大なる信頼【絶頼】を寄せてもいいのだと思った。

 

 

夜分に失礼します。

 

昨日はありがとうございました!

 

ドキドキしながら向かわせてもらい到着したところ、
子ども達が爆睡。。。

 

これも運命、必然かな…と感じました。

 

そんな中でも、坂爪さんの"寝てることは自然なことなので"(うろ覚えですみません)のような言葉に、"あー、なんて穏やかなんだろう"とほっこり致しました。

 

(結果的に娘は起こしてしまう形になってしまったのですが…)


坂爪さんは、子ども達をまっすぐに見て下さっているというか、観察して下さっているように感じて、
それは、とても楽しそうであり幸せそうでもあり、

子ども達を純粋に観て下さっている方と子ども達が関われていることが、とても幸せでした。

 

今回近隣に坂爪さんが来られるということで、ただただお会いしたかったのです!

 

私がお花をいただけるとは思っていなくて、メッセージカードまで添えてあり、会う前に名前まで覚えていて下さっていて。

 

お花をいただけることがこんなに嬉しいと感じたのは初めてです。


それから、お会いしてからのこの2日、ずーっと心が穏やかで、子ども達が可愛くて可愛くて。

 

それが、何よりの私の幸せです。

 

この現象はなんなのでしょうか。

 

説明できない現象が起きています。

 

表現力が乏しく、どれだけ伝わるかわかりませんが。

お会いできたこと、やはり嬉しいです。

 

帰宅後、娘がお花を持って、
"お花〜♡うれしい〜♡"
と言っておりました。

生で聞いていただきたかったです。


最後まで読んでくださりありがとうございます!

 

お忙しいと思いますので、返信は不要です!

 

お身体お気をつけて。

 

男の子と女の子。。。

 

人生は続く。

 

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