いばや通信

ibaya≪いばや≫共同代表・坂爪圭吾のブログです。わっしょい└( ^o^ )┐

最後は女に帰りたくなる。

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ごちゃまぜの家を北海道にもつくりたい!という思いが爆発をして、いま、札幌にいる。昨夜は「札幌の奥座敷」でお馴染み定山渓在住O様の自宅マンションに宿泊させていただいた。一階部分には住人共有の温泉(!)があり、マンションの住人は24時間いつでも自由に利用ができる。寝起きも「顔を洗ってくるね」という一言と共に、洗面台ではなく温泉に直行する。洗面台で顔を洗った記憶は、ここ最近ではそう言えばまったくないなあなんてことをO様は笑顔で話す。わたしのアゴは「半端ない暮らしですね!」と外れる。朝晩と温泉につかり、ああ、日本人にはこれが必要なんだよ、温泉にはいることでほぐれる何かがあるのだよ、などということを思った。定山渓には、既に廃墟と化している企業の保養所がいくつもある。ここを(管理をする代わりに)安価で使わせていただくことはできないものだろうか、などということを考えていた。

 

 

札幌中心部なら、円山公園中島公園界隈がいいのかななどと夢想をする。菊名の家を離れても、菊名の家のことが常に脳内にある。先日、千葉県から遊びに来てくれたM様のこどもたちが猛烈にかわいくて、この瞬間も写真を眺めながらニヤニヤしていた。別に血の繋がりがある訳でもないのに、さも【SAMO】父親になったような気持ちになる(勝手に)。一昨日の夜は、菊名の家で音声配信を行なった(7歳の女の子と3歳の男の子も一緒だった)。こどもの声が聞こえるだけで、謎にこころがほぐれる【小鳥のさえずりを聞いているような気持ちになる】のは、きっと自分だけではないはずだと思う。

 

【音声配信】Recoded Radio 最後は女に帰りたくなる。 - いばや #378014072 - TwitCasting

 

遠く離れてそばにいて。 

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菊名の家を離れることで、菊名の家のことを冷静に(客観的に)眺めることができる。あまりにも同じ場所【ひと】と長くいると、癒着のようなものが生まれて物事を冷静に考えられなくなる。高城剛さんが「アイデアと移動距離は比例する」ということを仰っていたけれど、多分、その通りなのだと思う。自分の場合、風通しが良いこと【積極的に外の空気を取り入れること】は必須事項であり、菊名の家を離れることで「菊名の家には駐車場の空きが一台分あるから、寝泊まりができる車【最高の理想はマイクロリーノ&野営道具!】をつくってみんなで共有できたら面白そうだな」とか「庭にノルディスクのテントを張って、居住空間も拡張すれば『横浜のど真ん中でグランピング』なるものも実現可能かもしれない」など、その場所を離れることで舞い降りるアイデアもある。同時に、離れることで育まれる【再認識される】愛情もある。まったくそこにはいないくせに、ああ、俺は菊名や熱海の家が大好きなのだなあということを、離れるほどに感じたりする(帰る場所があるということは幸せなことだ)。

 

ごちゃまぜの家がはじまってから、早速「家を追い出されることになってしまったので、しばらくの間菊名の家に滞在をさせていただけませんか?」というエマージェンシーな連絡が立て続けに届いた。このような場合、わたしはどのような対処をすればいいのだろうか。一番怖いのは「余裕もないくせに引き受けた結果、共倒れになる」ことだと思うけれど、まあ、その時はその時なのかもしれない。みんな、いろいろあるのだなあなんてことを薄らぼんやりと思う(いろいろありますね!)。ごちゃまぜの家の二階部分と離れの部分は、当初は賃貸物件として貸し出される予定になっていたものの、ちょっとだけ事情が変わって「これからどうしていこうか」という白紙の状態になっている。こういう場合、そういうひとが一時的な避難所として暮らせるようにすればいいのだろうか。それとも、そういうことをやってしまうと「そういうひとばかりが集まってしまう」ことになってしまうからやめたほうがいいのだろうか、など、わたしにはわからないことが多い。これからも(その場に居合わせたひとと一緒に考えながら)ごちゃまぜの家の在り方を模索していきたいと思う。

 

近々、菊名の家で「ごちゃまぜの家のオープンハウス」なるものを開催したいと思う。まずは実際に物件を見てもらわないことには何もはじまらないのだと思う。ごちゃまぜの家は、自分で言うのもあれだけど、非常にいい感じの空間になりつつある。人間は、多分、ひとりで生きられるようにはできていない。自分ができることは自分でやって、自分が苦手なことは誰かにやってもらった方が話は早いことが多い。料理ひとつとっても、自分だけのためにつくるよりも食べてくれる人がいた方が作り甲斐もあるというものだ。子育ても、こどもひとりに対しておとな三人くらいがちょうどいいのだと思う。ごちゃまぜの家では「365日炊き出しが行われている」ような状態になればいいと思っているのだけれど、これには女性の力が不可欠になる。女性の出入りが増えてからというもの、圧倒的に台所の諸々が充実をしてきている(男ばかりで空間をつくっていた時は、屋外ばかりが整うばかりで内装はめちゃくちゃだった)。どちらか一方に偏ることのない、男女【陰陽】がいい感じに融合する空間になることを願う。

 

それにしてもかわいい。

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それにしてもかわいい。

 

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なんなんだいったい。

 

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写真を見るだけで癒されてしまう。 

 

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これなんかもう犯罪レベルだと思う。 

 

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悔しくなってきたのでわたしの幼年時代の写真も一緒に貼ります。誰にでも無垢なこども時代があったのだよな…などと思うと(たまに)泣きそうになることがあるのはなぜなのだろう。純粋なものに触れると涙が流れそうになることがある。自分の何かが薄汚れてきている証明なのだろうか。こどもと過ごしていると、何かが浄化されていくような感覚を覚えるこ 。自分や親戚にこどもが生まれない限り、なかなか「日常的にこどもと触れ合える機会」はないものだ。これは意外と盲点である。誰もが同じ社会に暮らしていながら「まったく接点のない」ひとたちがこの世界には無数にいる。この境界線が溶け出した時、果たして、世界はどのような風景を見せてくれるのだろうか。ごちゃまぜの家が、結果として「いろいろなこども【おとな】と触れ合うことができる」人間交差点的な21世紀のパワースポット(?)としても機能をしていけばいいなあと思う。

 

読者プレゼント『morihiko COFFEE』

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わたり文庫が終了をしてしまったものの、これからも「坂爪圭吾が移動先で譲り受けたもの・購買したものなどを読者の方々に無料でリリースしていく」的な営みは続けたい。この活動(?)にまだ名前は与えられていないけれど、先刻、札幌でお会いした女性から『morihiko』の珈琲【ドリップ】を頂戴した。今回は、こちらの珈琲をご希望される方に送料無料(坂爪圭吾が負担します!)で勝手にプレゼントをさせていただきます。ご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾まで直接ご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間【詳細になっていない詳細は過去記事を参照してください!】以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの珈琲は、和歌山県にわたりました ※※※

 

【過去記事】どのような生き方でもいいから、胸を張って生きろ。 - いばや通信

 

最後は女に帰りたくなる。

最近、最後は女に帰りたくなるということを思う。わたしは男で、たとえば「今日はいい仕事をしたなあ」と思えた1日の終わりには、女のもとに帰りたくなる。寂しいからという理由でもなく、人肌が恋しいという理由とも少しだけ違う。ただ、男性にとって女性は「(誤解を恐れずに言うと)充電器的な役割がある」ように感じていて、最後は女のもとで眠りたいとかなんとか思ったりする。そういうことを、同じ場所に居合わせた39歳の男性と14歳のえりか姫にしたところ、39歳の男性は「それはすごいわかります。わたしの場合、嫁がまさにそういう感じで、充電してくれている感が半端ないです」と話してくれた。続けて、39歳の男性は「えりか姫には、まだこういう話はちょっと早いかな??」とえりか姫に問いを投げた。すると、えりか姫は(14歳なんていう年齢はまるで関係がないのだとわたしたちに教え諭すかのように)このようなことを話しはじめた。

 

わたしも、最近は『帰りたいと思える場所』みたいなひとになりたいなあって思いがあります。いままでは、自分にはこれができるんだっていう何か【行為】を通じて、自分の存在価値というか重要性を周囲のひとたちにがんばって認めてもらおうとしていたところがあったんだけど、最近では「特別なことは何もしようとしなくてもいいんだ。ただ、堂々と、そこで待っていればいいんだ」って思うようになりました。鉄砲玉のみんなが疲れて帰ってきた時に、たとえば珈琲を淹れたり料理をつくって待っていたりできたらいいなあとかは思うけど、特別ななにかをするというよりも、ただ、そこにいる【そこに在る】ということが誰かにとっての応援とか癒しみたいなものになれたらいいなあって思います。

 

これを聞いた瞬間、わたしは「えりか姫やるな!」と思った。そして「是非とも帰りたい女ナンバーワンになるのだよ」とアホな父親振りながら伝えた。39歳の男性も「それができたら多分モテまくるよ」などと伝えていた。多分、男はぶんぶん丸みたいなもので日中は自分の好きな場所まで自由に好き勝手に動き回っていたいなどと願いながら、最後は「女のもとに帰りたい」と思う生き物なのではないだろうか、などということを自分を見ていると思う。散々自由に動き回った末に、最後は女【充電器】に戻るお掃除ロボット『ルンバ』みたいなものだ。きっと、男だけでは埋められないアナが男にはあって、女だけでは埋められないアナが女にはあるのだろう。それは、きっと『自分ひとりで埋める必要のないアナ』でもあるのだと思う。アナがあるからこそ、それを埋めることのよろこびを覚えることができる。だからこそ、わたしたちは「ひとりで完璧になることよりも、お互いに補い合っていくことを願う」生き物なのではないだろうかと、そういうことを考えていた。

 

 

人生は続く。

 

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