いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

好きなことをやっていられる、こんな素晴らしいことはない。

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横浜在住の女性Y様から譲り受けた飛騨産業のロッキンチェアに、世界各地から遊びに来てくれたこどもたちが連続して座る。その様子があまりにもピースフルで、Y様に「こんなことになっています!」と画像を送る。Y様は「まあ、なんとうれしいことでしょう!」と返信をくださる。いい感じの風が吹いた。先日、陶芸作家N様から「未使用の食器類がいくつかあるのですが、ごちゃまぜの家で使いますか?」と連絡をいただく。音速で「使います!」と答える。いままで、ごちゃまぜの家にはほとんど食器類がなかった。N様はダンボール三箱分の食器類と共に、東京都内から車で運んで来てくれた。N様はおしゃれな女性で、故にN様の作品もおしゃれになる。ごちゃまぜの家が、日に日に進化していく。その様を見ながら「生かされているなあ」と思う。

 


自分にできることを考える。わたしには何もない。あるものと言えば「何かを好きだと思う気持ち」程度で、多分、わたしはそれだけでやってきたのだと思う。わたしはおはなが好きで、特別な理由はなくても出会うひとにおはなを渡したりすることが好きだ。昨日、菊名の家に新しいはなを複数個購買して、庭に植えたり部屋に飾ったりした。その場所におはな【生きているもの】があるだけで、一気に空間が蘇る。いまの世の中にこれといった不満はないけれど、強いて言えば「もうちょっとおはなを配るカルチャーが全国的に蔓延すればいい」なんて思ったりする。明日から北海道&関西&島根方面に足を運ぶ。そこでおはなを配りたいと思う。興味(?)のある方はどなたでもお気軽にお声掛けください。

 

【イベント情報】おはなをあげる【北海道&大阪&島根編】

 

好きなことをやっていられる、こんな素晴らしいことはない。

ごちゃまぜの家は、クラウドファンディングの支援者の方々のお力添えによって実現をした。一応、責任者はわたし【坂爪圭吾】ということになるけれど、この家は「誰のものでもない」ものだと思う。わたしは自然が好きで、海も山も森も空も湖も、誰のものでもない。誰も「この海は俺のものだから誰もはいるな!」とか「この空は俺のものだから誰も見るな!」とは言わない。誰のものでもないからこそ、誰のものにでもなる【それを見ている間だけは、そのひとのものになる】ことができる。これは、なにも自然に限った話ではないのだと思う。人間も同じだ。わたしは、自分自身を含めて「ひとは誰のものでもない。親や恋人の所有物でもなければ、会社や学校などの社会的なコマでもない。誰のものでもないからこそ、みんなのものに成り得る」ものだと思っている。

 

ごちゃまぜの家をやりながら、ああ、こういう家は様々な場所にあった方が確実にいいのだろうなということを思う。多分、真の意味でいい仕事ができている時は、自惚れを抜きにして「自分はいい仕事をしている」という揺るぎない手応えを得ることができる。この手応えを、ごちゃまぜの家では毎日のように感じることができる。誤解されると困るが、わたしは「どうだ、こういう素晴らしいアイデアを生み出せる自分はすごいだろう!」ということを言いたい訳ではない。そうではなく、自分がやりたいと思ってやっていることと、それを受け取る側のひとからも感謝をされてしまうような生き方、それが奇跡的に成立をしている瞬間の中には「たまらんなあ!」と思えるよろこびがある。わたしは、ただ、自分のやりたいようにやっているだけに過ぎない。その行為が、結果的に誰かのためになっているのなら「最高だな!」と思う。いやだと思うことはやらない。自分がやりたいとこころから思えるものだけに集中する。そのように決めてから多分10年くらいの年月が過ぎた。いま、そのように生きる【生かされている】ことができているこの境遇を、ああ、自分は誰に感謝をすればいいのだろうか(などと思いながら天を見上げることがある)。

 

好きなことをやっていられる、こんな素晴らしいことはない。ごちゃまぜの家も「その場所に居合わせた人々が、瞬間瞬間に好きなことだけをやることができる。それぞれが別々のことをしているある種のカオスな状態の中で、謎に調和が成立をしている」ような空間になればいいと思う。そういう場所を、わたしは次に北海道と梅田につくりたいと思う。だから北海道と梅田に行く。物件の候補などは何もない。ただ、それが「本当にやる価値のあること」である限り、どこかしらから「こんなのはどうでしょう??」的な声がかかると勝手に思っている。声がかからないということは、いまはまだその時ではないということなのだ(と思う)。まずは実際に自分の足を運ぶこと。リアルに何かを感じ取ること。頭ばかりで偏執的な妄想を膨らませるのではなく、その土地の空気を感じながら大地を踏みしめて歩くこと。まずはそこから、自分の足で歩き始めることなのだと思う(ということで明日からおはなを配りに向かいます!!)。

 

【過去記事】花を愛するように、ひとを愛したい。 - いばや通信

 

ごちゃまぜの家の現在。

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頂き物だけで成立をしている(先日はレトロな扇風機を掘り当てました!)この家の状態を「素晴らしいな!」と思う。TPD48【鉄砲玉48】も、側から見ていても「こいつらはいい仕事をしているなあ…!!」と思う。たくちゃんは数日前まで学童施設で働いていたために、小さなこどもの扱いに長けている。すぐに仲良くなってしまう。そのため、絶賛子育て中のお母様からの依頼にひょいひょい応え続けている。知識先行型のあきとさんもあきとさんなりに身体を張った生き方をしていて、昨日も夜遅くまで帰ってこなかった。私たちは「死んだのかな?」と思っていた頃、23時過ぎにあきとは非常に清々しい表情をしながら帰ってきた。何があったのかは聞かない。あきとの表情がすべてを物語っていた。夜遅くに定期報告会と銘打って、坂爪&たくちゃん&えりか&なかむらの四人でツイキャス音声配信をした。ら、終盤えりか姫に奇跡が舞い降りて「ありがとうございます!!」とえりか姫は声を大にして叫んだ。

 

【音声配信】Recoded Radio ごちゃまぜの家定期報告会 - いばや #377824984 - TwitCasting

 

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恒例になりつつある木登り。

 

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先日、今回のクラウドファンディングで100万円を支援してくれた東京在住の男性K様と面会をした。猛烈に驚いたことに、男性の年齢はわたしと同じ32歳。その年齢でこれだけのお金をサラッと出せてしまうK様を「かっこういいなあ」と思った。K様曰く「金も時間もあれば幸せになれると思っていた。でも、実際になってみると、違うということがわかった。それで、俺はけいご(仲良くなって呼び捨てになった)の生き方を見ていたら『こっちなんじゃないかな』って思って、何かをやりたくなったんだ」とのこと。金も時間もあるけれど幸せじゃないと素直に言えるK様を、わたしは超絶素敵だと思った。K様は続けて「もしかしたら、これから『競って与え合うような社会』になるんじゃないかなって思うんだ」という、予言めいた言葉を口にしていた。その言葉が、いまでも胸の中で響いている。競って奪い合う社会から、競って与え合う社会【溜め込んでいるヤツが格好いいという基準から、リリースしているヤツが格好いいというネオ基準】への移行時期。いまは、そういう時代なのかもしれないと思う(ということでTPD48をよろしくお願いいたします!!)。

 

【イベント情報】【1th「僕に好きかとキクナんて」/TPD48】

 

好きな人に好きだと言う。それだけで、充分、生まれてきた甲斐があったのだと思う。

6月10日に奈良県明日香村で教育にまつわるトークイベントに登壇(?)する。わたしはまだ結婚をしたこともなければ子育ての経験もない。ただ、自分が父親になる日が来るとしたらこどもには好きにやっちゃってもらいたいと思っている。根本的には「今夜食うものがあって明日食べるのに困らないカネがあり、屋根のある場所で眠ることができる。それだけでOK!【生きているだけでいい、それ以外はおまけだよ】」的なスタンスで付き合っていきたい。学校も「行きたければ行けばいい」だけの話で、行きたくないなら別に行かなくてもいいのだと思う。仕事も同じだ。やりたければやればいいし、やりたくなければやらなければいい。そうした純度を貫いた先に、世界にひとつだけの「自分というオリジナルな生き方【存在】」は確立をされていくものだと思う(なんてことを書くと「だからお前は無責任なんだ!」と怒られてしまいかねないけれど、では、真の責任とはなんだろうかとわたしは思ったりする)。

 

 

自分を生きる。これ以上に雄弁なことはあるだろうか。誰かの生き方にああだこうだと口を出すこととか、自分のコントロールを超えた範囲の世界に首を突っ込むことなど、多くの場合は「過干渉【余計なお世話】」となりお互いに疲弊して終わることは多い。相手を変えることはできないけれど、自分を変えることはできるという月並みな言葉を引用するまでもなく、まずは自分からなのだと思う。自分の大好きなあのひとも、自分を幸せにすることはできない。自分の大嫌いなあのひとも、自分を不幸にすることではできない。自分を幸せにするものは自分の解釈であり、自分を不幸にするものも同じように自分の解釈になる。 傷つくことを自分に許さなければ、どのような言葉を言われても「関係ないよパワー」的なもので突破をしていけるものだとわたしは思う(というのは嘘で、そりゃあ生きていればウッカリ傷いてしまうこともある。ただ、いつまでも傷ついている場合ではないのだと思う)。

 


自分を幸せにできるのは自分だけ、という言葉には語弊がある。わたしは、やはり「他人の存在は自分の幸福に不可欠である」ように思う。もちろん、自分が自分を楽しませたり幸せにすることももちろん(ある程度の範囲内であれば)可能だとは思う。ただ、ひとと話をしたりハグをしたりそれなりのスキンシップを交わすことは、自分ひとりだけではなかなかできない営みになる。抱きしめられることでしか解決しないこと、自分ひとりだけではどうしても埋めることのできないある種の穴を、他人の存在が満たしてくれることもある。わたしたちは多分、ひとりひとりが凸と凹のようなもので、ぴったり当てはまるひとと同じ時間を過ごす時に「最高のハピネス!」を感じるようにできている。だからこそ、自分が好きだと思うもの、自分が好きだと思うひとには怯むことなく「好きです」ということを全身であらわしていきたいのだと、そういうことを思っている。

 

 

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可愛過ぎてやばい。。。

 

人生は続く。

 

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