いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

生き方を間違うことはあったとしても、生まれてきたことに間違いはない。

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クラウドファンディング支援者の方におはなを届けるために、これから、羽田空港を経由して大館能代空港秋田県北秋田市】に飛ぶ。早朝便に乗るために、昨日は横浜の漫画喫茶に宿泊をした。てっきり「羽田空港と言えば品川駅!」なんて思い込んでいたけれど、横浜から羽田空港までは、電車でもバスでも30分程度と非常に近いことに今更気付いた。ごちゃまぜの家が菊名横浜市港北区】に実現をしたあかつきには、もう、野宿をする必要もなければ漫画喫茶に宿泊をする必要もない。予定通りに行けば、5月29日(月)から菊名の家の活動(?)ははじまる。部屋の掃除をして、軽く空間を整えて、近隣の方々に挨拶回り(これ大事!これすごい大事!)をした後には、家の鍵などもかけることなく「どなたでもお気軽にお越しください」ということになる。

 

 

と、ここまで書いたところで放置をしてしまい、いまは5月16日。現在は東京の大田区にいる。明日5月17日(水)のお昼過ぎから、東京都国立市で開催されるトークイベントに登壇(?)をする。どうしてもイベント開催は夜の時間帯になることが多く、それでは家庭の主婦の方など来れないじゃないか!ということで、主催者の方が「そのような方々もお越しいただきやすいように」と、素晴らしいご配慮をしてくれた。先日、兵庫県宝塚市でお会いした方から「オープンなひとって胸の窓が開いているイメージがあるのですが、坂爪さんは背中にも窓があって、風吹き抜けまくっている感じですね!」みたいなことを言ってもらえて面白かった。そういえば、昔、あるひとから「ちくわみたいなひとですね」なんて言われた記憶がある。ちくわってどうなんだろう・・・とも思ったけれど、悪気はなかったと思うので「ありがとうございます!!!」と笑顔で応えた。

 

【イベント詳細】坂爪圭吾さんトークライブ!!!

 

最高を求めないと、普通がはいってくる。

自分のiPhoneのメモ帳に「見極めろ、そのひとは最高か?その家は最高か?」と書いてある。わたしは極端な人間なので、何をやるかよりも「誰とやるか」を徹底的に重視したいと思っている。家のない生活を終えて熱海の家で暮らすことになったのも、家が欲しかったからではなく「ムラキさんという人物の人柄が最高だったから」という理由になる。このひとでもいいかなという人付き合いではなく、このひとがいい!と自分から前のめりになって愛して行けるひとを中心に付き合っていきたい。そのためには「最高を求めるマインド」が必要であるような気がしていて、そうでなければ「普通【これでいいや】」的なものに生活全般が侵食をされてしまって、結果的に中途半端な人生で終わってしまうような気がしている。先日、ごちゃまぜの家の支援者の方からメールをいただいた。その内容があまりにも的を得ていると思われたので、ご紹介をさせていただきます。

 

坂爪様


こんにちわ!

 

日々いばや通信拝見しております。

 

改めてクラウドファンディング達成、誠におめでとうございます!

 

最終日クラウドファンディングに投資しようか迷ってましたが、充分に達成している中、自分が投資した所でたかがしれてるし、それなら坂爪さんにお金を渡した方が価値的だよなと思っていたら、口座を公開されたので、本当に些細な金額ですが、お振込させて頂きました。

 

ごちゃまぜの家の成功の可否はやはり坂爪さんが関わっているかどうかがキーになってくると思います。

 

坂爪さんが中心にいる事で集まってくる人の純度に影響があるからかなと思います。


ただフリーの家があるだけでは恐らく駄目で、どういう人が集り、利用するかがきっと大切なのだと私は勝手に思っています。


以前ウーバーの話をされてたと思いますが、常々坂爪さんが言っていた自動車の有効活用の理想系に近いサービスだなと思ってました。


色々と問題も出てきてる様ですが、是非ウーバーについての感想記事も期待してます!


シンガポールは建国以来、本当に何も資源が無い中、未来を担保にしてここまで発展してきた都市だと聞いています。


水さえも他国に頼らなければならない状況の中、未来の可能性にBETし続けて今の繁栄があると聞いて、とてもシンガポールには興味があります。
何も無かったからこそ、どんどん新しい事に寛容な空気がある都市と言うのはきっと活気もあるでしょう!

 

チームラボの常設展もあるので、機会があれば是非ご覧になってこちらも感想を期待してます!

 

長文になりましたが、怪我や事故なく帰国される事を心より願っております!

 

良い旅路と良い週末をお過ごしください!

 

テレビ出演や本の出版や各種メディアの取材を断っている理由も、多分、ここにあるのだと思う。現在の自分のレベルでは、不特定多数のひとに広く知られることのメリットよりもデメリットのことが多いような気がしている。もともと宣伝や広告という行為があまり好きではなく、何かしらの経緯で奇跡的にこのブログを発見してくれたひと、何かしらの経緯で奇跡的に坂爪圭吾という人間の存在を知って「このひとは面白いな」と思ってくれたひととだけ、いまは付き合っていきたいと思う。有名になりたいとか金持ちになりたいとか、そういう欲求を自分の中に感じることはない。あるものと言えば「深いコミュニケーションを達成したい」という欲求程度で、そのためには余計なノイズを取り払う必要がある。そして、常に冷静でいる必要がある(ように感じている)。

 

【ごちゃまぜの家@東南アジアスケジュール】ごちゃまぜの家族に乾杯!@東南アジア【ホーチミン&シンガポール&バンコク&クアラルンプール&ハノイ編】

 

父親の不在」と「女の沼」 

数日前の投稿で「最大のタブーとは『家族』である」という旨の記事を書いた。様々なひとの悩み相談的な話に耳を傾けていると、その根本的な原因みたいなものは「生まれ育った環境」にありそうな気がしたから、そのような記事を書いた。誤解を恐れずに言うと、いま、日本社会に欠落しているものは『父親』だと思う(なんて書き方をすると硬くなるけど、でも書く!)。わたしは女性と会うことが多いためにどうしても女性目線の話題になることが多いのだけれど、乱暴にまとめると「父親の代わりを探している」女性は多いのだと思う。父親に愛されたように(愛されなかった部分を埋めてくれるように)、自分のことを愛してくれる男性を求めているとでも言えばいいのだろうか。また、既婚者の女性からも、旦那さんが家庭で父親役をしっかりと務めてくれないために、母親が父親役まで兼任をしていて結果的にひどく疲れている、みたいな印象を受けることも多い。

 

教育関連や子育て関連のイベントなどに呼ばれても、参加者が圧倒的に女性ばかりで「まじか!」と思う。お父さんはいったいどこで何をやっているのだろうかと思う。何か新しいことをはじめる時、みんなで協力しあって何かを試してみようと思う時、女性ばかりが集まってしまうと「(陰湿な)女の沼」みたいなものが生まれる。こんなことを言うと怒られてしまうかもしれないけれど、女性陣の会話を耳にしていると「たしかにみんなおしゃべりを楽しんでいるようにも見えるけれど、どれだけのひとが『ほんとうに話したいこと』を話せているのだろうかと思うと疑問だ」と感じることは多い。男性的な要素、それは「会話全体【活動全体】にビシっ!と一本の芯を通す」ことにあると思うのだけれど、女性だけの集まりでは、なかなか難しいのかもしれない。男性的な役割を女性が背負いすぎると、ひどすぎる言い方になるけれど「ゴリラみたいな女性になってしまう」と感じることもある。

 

人類全体の末っ子として生きてきたのが20代、そして32歳を迎えたいま、わたしは「人類全体の父親」になりたいと思っている(半分は冗談で、半分は本気といった感じです)。母親の役割が「受け入れて許すこと【慈悲深さ】」にあるならば、では、父親の役割は何になるのだろう。最近のわたしは、超絶乱暴にまとめると「ビシッと言うこと!」にあると思っている。時には説教をすることも厭わない覚悟で、その後のフォローは母親にお委ねをして、嫌われたとしても構わないから渾身の愛をもって説教をぶちかますこと。「お前はそんなもんじゃないだろう!」という思いが根底にあれば、多分、何を言っても大丈夫なのだと思う(ような気がする)。また、完全に余談になるけれど「ごちゃまぜの家があれば、今世は結婚は無理だろうと思っていた自分でさえもこどもを育てることができるじゃないか!(みんなに育ててもらえばいいじゃないか!)」ということを思った。結婚相手は皆無だ(結婚をしたいと思っているのかどうかさえ謎だ)けれど、これからの展開が楽しみだなあ、と思う。

 

【参考イベント】坂爪圭吾さんトークライブ「新しい教育方針?〝10歳成人説〟を語ろう」

 

『人はなんで生きるか』

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、トルストイ著作『人はなんで生きるか』です。こちらの作品に登場をするミハイルという男性は、物語の中でたったの3回しか笑顔を見せることはありません。しかし、その笑顔がたまらなく最高の笑顔で、わたしは「おれの生き方は間違ってはいないよな」などと誰かに訊いてみたくなった時、ミハイルのことを思い出すことで自分のセンターに戻ることができるような感覚になります。トルストイの作品の中でも、とびきり大好きな物語のひとつです。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、サモア諸島にわたりました ※※※

 

ここに収められた五つの短編はトルストイ(1828-1910)晩年の執筆になるもの。作者はこの時期いちじるしく宗教的・道徳的傾向を深めていた。そして苦悩に満ちた実生活を代価としてあがなあったかけがえのない真実が、幾多の民話となって結晶していったのである。これらの作品には、素朴な人間の善意にたいする確かな信頼が息づいている。

 

トルストイ『人はなんで生きるか』【岩波文庫

 

【参考HP】わたり食堂・わたり文庫

 

生き方を間違うことはあったとしても、生まれてきたことに間違いはない。

引き続きクラウドファンディングのお礼の電話をかけ続けている(もしもまだ「あれ、おれには電話来てないよ!」的な方がいらっしゃいましたらご連絡ください!管理能力が圧倒的に足りていなくてごめんなさい!!!)。電話をすると、電話をしているこちらの方が支援者の方々から元気をいただくことがあまりにも多く、電話をするたびに励まされている。批判の言葉を耳にすることはあっても、応援の言葉を耳にする機会は意外と少ない。改めて「ああ、自分はこのような方々から支援をしていただいているのか」と思える感覚の中には、目に見えるひと【耳に聞こえるひと】の存在がある。昨日の夜、こんなメールをもらった。わたしは「ああ、人間が生きているということは素晴らしいことだなあ」と思った。

 

坂爪さん、初めまして!


◯◯◯◯◯在住の◯◯歳の◯◯です。

 

ブログ、1ヶ月前位から読み始めました。

 

過去の記事も遡り、ようやく読み終わりました。
坂爪さんの気づきや想いに毎日ワクワクしながら読みました。

 

昨日は母の日でしたね。

 

三年前までは、母の日には実家の母にカーネーションを送っていましたが、私の再婚をきっかけに「もうこれからはプレゼント類は何もいらないよ」と言われたので、今年こそは手紙を書こうと思いました。


でも…母の日が迫ってきても、手紙を書く気力がありませんでした。


言いたい事はたくさんあるのに、言葉にまとまらないのです。

 

私には3歳下の妹がいるのですが、私だけ虐待されて育ちました。


ケンカしたら、私だけ腕を捕まれ罵声を浴びせられながら母に何時間も往復ビンタされたり外に裸足で出されたり。


父が転勤族で、2、3年おきに転校していたのもあり、私は家にも学校にも身の置き場が無いと感じて育ちました。

 

坂爪さんのように、荒れて過ごすことは無かったのですが、自分の存在意義が全くわからず自傷行為を繰り返していました。


今年で精神科への通院が10年目になりました。

 

最初の結婚がうまくいかず、2人の子供を連れて離婚。
理解のある男性と出会い、再婚して現在にいたります。
家族仲も順調、子育ても楽しい。
それでも、今でも時々鬼のような母を思い出して辛くなる時がありました。

 

でも、坂爪さんのブログと出会い、「私は私!」と胸を張れるようになりたいと心から思いました。


自分のために、母を許したいと思いました。

 

母の日、思い切って母に電話しました。

 

「今日は母の日だね、私を産んでくれてありがとう。
私は子供たちを産んで育てて本当に良かったと思うんだ。
私は手のかかる子供だったね、お母さん子供育てるの大変だった?」

 

母は涙声で、

「お母さんも◯◯たち産んで良かったと思ってるよ。
みんな元気で何よりだよ」
と答えてくれました。

 

白髪で真っ白な頭。
遠くなってしまった耳。
もう、私が長い間怯えてきた鬼のような母ではありませんでした。

 

生まれて初めて、母に「産んでくれてありがとう」と言えました!

 

坂爪さんのおかげです!

 

もう大丈夫です。

 

私は私に生まれてきて良かったなぁと、じわじわ感じてきています。


「ありがとう」という言葉、本当に素敵ですね!
「ありがとう」の想いも、循環していくんでしょうか。

 

ほんの些細な人の優しさにも、たくさん「ありがとう」と伝えていける人になりたいです。

 

「ありがとう」と相手に伝えられるということは、受け取り上手って事ですよね。

 

長々書いてしまい、すみません。

 

坂爪さんに読んでいただけるだけでも、本当に嬉しいです。

 

どうか、元気でお過ごしください。

 

昨日は秋田県北秋田市在住の支援者の方に(日帰りの飛行機で)おはなを届け、この前の12日金曜日には、岡山県津山市在住の支援者の方におはなを届けた。電話をすることが最高ならば、実際にお会いできることは「最高よりももっと最高!」だと思った。岡山県では支援者の方のご自宅(お母様と息子様の二人暮らし)にお邪魔をさせていただき、手料理をご馳走になったり、息子様と相撲をとったりした。手料理があまりにも美味しく、ああ、おれたちは料理ではなく『作り手の気持ち』を食べているのだなと思った。大切なことは「なにをやるか」ではなく「どのような気持ちを込めたか」なのだと思う。帰り際、息子様から「人生で一番楽しかった」と言われた時にはなんだか泣きそうになってしまった。家の空間も周囲の自然も最高で、ああ、ここは「人の中にある優しい部分」が引き出される素晴らしい場所だなと思った。そのことをお母様にお伝えさせていただいたところ、後日、お母様から返信が届いた。

 

坂爪さん


「人の中にある優しい部分」が出てくるようなそんな雰囲気だと言っていただいて、こころから感動しています!

 

わたし、思うんですけど、人はみんな細胞レベルの頃から優しさや強さを繋ぎ、育み、既に備わって生まれてくるような気がするんです。


自我が芽生えるその時までは、赤ちゃんは自分も人も疑うことなく(完全なる信頼のもと)全身全霊で泣き、笑い、怒り、ありとあらゆるありのままの自分を表現します。転ぶことを怖れて歩むことを止めたりはしません。それは既に優しさや強さを持っていて、尚且つ信じきっているからだと思うんです。


生まれてからの環境や成長の過程で優しさや強さを忘れてしまったり、無かったように勘違いしてしまうだけだと思います。


昨日、坂爪さんと共有させていただいた温か~い空間の中で、「色んな人がいるけれど、みんな、最終的な目的(たどり着きたい場所)は自分が持って生まれた優しさに還りたいだけなんじゃないかな~?」なんて思いました。

 

なので、そんなふうに同じ想いが重なったような気がして、とっても嬉しいです✨

 

ありがとうございます💕

 

追伸。お土産にいただいた廣榮堂さんのきびだんご、◯◯さん(息子様のお名前)は初めて口にしたのですが、どうやら美味しすぎたようです。


一つは母を家来にするために分け与えてくださいました。残りは一人で完食されました✨
幸せの置き土産💕ありがとうございました😊

 

自分を信じるということ。それは「自分の中にある美しい部分の存在を信じること」なのだと思う。自分にはなにもないとか、自分は無価値な人間だとか、自分には生きている意味はなにもないだとか、そんなことはある訳がないのだと思う。生きている限り、誰だって不安になることもあればさみしさを覚えることもある。悩みを抱くこともあれば道を間違えることもある。でも、生き方を間違うことはあったとしても、生まれてきたことに間違いはない。ひとの優しさに触れた時、こころの奥底からじんわりと込み上げてくるうれしさを覚える自分は、確実にいる。世界はもっと信じるに値するものなのだということを、衒うことなく真っ直ぐに思える自分がいる。生きている限り、いいことばかりではないけれど、悪いことばかりでもない。大袈裟な言葉になるけれど、世界全体の、そして人間全体の「捨てたものではない部分」を、しっかりと捉えて生きたいと思う。

 

 

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あたやけ。。。(熱海の朝焼け)

 

人生は続く。

 

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坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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