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いばや通信

ibaya≪いばや≫共同代表・坂爪圭吾のブログです。わっしょい└( ^o^ )┐

渡る世間は神ばかり。

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ゆうちょ銀行の通帳記帳に行き、膝から崩れ落ちた。小生、数日前の記事で「(非常にお恥ずかしい話ではありますが)お金がやばいです!」という投稿をさせていただきましたところ、それを見てくれた方々から「生きろ!」と言わんばかりに励ましのご連絡をいただいた。それだけでもありがたすぎることなのに、先ほど、通帳記帳をいたしましたところ「連絡をくれていないひとたちからもこんなにお振込をいただいていた…!!!」と脳天が爆揺れした。しばらくの間、わたしは、銀行ATMの前で動けなくなってしまった。そして、ゆっくりと正気を取り戻すと同時に「しっかりと生きよう」とこころに誓った。しっかりと生きることでしか恩返しをすることができない我が身であります故、わたし、しっかりと生きます。お振込いただきましたみなさま、こころの底からありがとうございます!!【ご迷惑でなければ電話や手紙で御礼をお伝えさせていただけましたら非常にうれしいです。可能な方はLINE「07055527106」などからご連絡をいただけましたら猛烈に幸いです!!本当にありがとうございます!!】

 

 

ブログ読者の方から「ごちゃまぜの家のイメージです!」とお手紙をいただいた。それがあまりにも素晴らしすぎて、わたしは「あまりにも素晴らしすぎます!」と慟哭した。 わたしは、自分ひとりの力ではなにもすることのできない人間でありますゆえに、こうした助力(?)をいただけることがほんとうにありがたく、ああ、自分はみなさまの力によって生かされているのだということを猛烈に思った。11日(木)の13時からは、大阪の十三駅近くの会場で開催をされるトークイベントに急遽登壇をすることになった。主催される方は、なんと「46歳にして風俗嬢デビューを飾る」というカラフルな経歴の持ち主で、実際にお会いできることを楽しみにしている【どなたでも参加できる内容になりますので、お時間のある方はお気軽に遊びにいらしてください!!】。

 

【イベント詳細】5月11日 坂爪圭吾トークショー「タブーを生きて見えた世界」@大阪

 

GOCHAMAZE no IE

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先ほど、菊名の家で最終的な打ち合わせをした。問題がなければ来週中には「ごちゃまぜの家」を菊名を起点にはじまることになる。参考までに、家の見取り図を掲載させていただきます(住所などは後ほど公開をする予定です!)。家の鍵を預かった瞬間から「ごちゃまぜの家のスタートです!」ということになるのだけれど、ごちゃまぜの家の鍵は24時間あけっぱなしにする予定になるので、最初の一週間は「一緒に掃除や空間装飾などを手伝ってくださる方!」と共に、部屋づくりをする段階からみんなでやれたらいいのかな、ということを思っている(その際のお声かけなどは、また、改めてブログ記事を通じてお伝えさせていただきます!!)。

 

最近『思いが実現する速度があがっている』ということを頻繁に思う。わたしが「ごちゃまぜの家」のアイデアを閃いたのが4月3日の朝8時、クラウドファンディングに企画を掲載したのが同日4月4日の夜8時(音速でプロジェクト本文を書き上げて、音速で公開にこぎつけることができた)、菊名の家のお話が舞い込んできたのが4月6日【プロジェクト掲載3日後】、実際に家を下見させていただいたのが4月13日【プロジェクト掲載10日後】、そこから「あれよあれよー!」という間にことは進んで、5月8日の現在【プロジェクト掲載1ヶ月後】、菊名で「ごちゃまぜの家」をはじめさせていただける流れになっているこの現実がある。なんだか、自分のことなのに「すごいなあ」と、まるでひとごとのように感じてしまう瞬間がある。思いが実現する速度があがっていると感じるのは、多分、わたしだけではないと思う。2017年は「破壊と創造が繰り返される一年になる」と前に聞いた。恋愛なども別れるカップルが続出することになるらしいけれど、これは、言い方を変えると「再スタートを切るのにもってこいの一年になる」とも言うことが出来る。

 

わたしは、できることならば「毎日死にたい」と思っている。毎日死んで、毎日生まれ変わることができているような『鮮度』を自分の中に保っていたいということを思う。昨日、夜道を歩きながら「百万回の愛しているなんかよりも、一回死ね」ということを思った。新しい自分になるためには、多分、古い自分を一回殺す必要がある。「延命措置に未来はない」というのはよく言う話で、わたしは、無駄に自分を慰め続けることよりも、毎日死んで、毎日生まれ変わる、そういう日々の中に「ある種の潔さ、清々しさ」のようなものを覚えるタイプの人間だ(と思う)。

 

【過去記事】好きなように生きなさい。 - いばや通信

 

殺される場所。

「死ぬ」とか「殺す」とか、不謹慎な言葉を連呼するのもどうなのかなとは思うけれど、熱海の家は「死ぬのにもってこいの場所」として機能をしているように感じる。いま、わたしには熱海に家がある(この家は敬愛するムラキテルミさんに整えていただきました。ムラキさんは「品があって、かわいいひと」の代表格で、ムラキさんを通じて「ああ、自分は、(前回の記事で紹介をしたターシャ・テゥーダーさんがそうであるように)品があってかわいい人が大好きなんだな」ということを確信しました!!)。熱海の家もごちゃまぜの家のような感じで完全に開放をしているので、全国各地から様々な方々が足を運んでくれている。昨日、岡山在住の25歳女性M様がヒッチハイクで熱海まで来た。その根性は素晴らしいなと思う。素晴らしいなとは思うのだけれど、そのあと、わたしたちの間に僅かばかりの火花が飛び散ることになった。

 

M様が「わぁ〜!坂爪さんだぁ〜!なんだかウケるぅ〜!坂爪さんは、わたしの中の『会いたいひとリスト』の中のひとりなんですよぉ〜!」的なことを言った。わたしは、即座に「そんなリストが目の前にあったら、いますぐ引きちぎりたいくらいですよ」と思った。そして、そのことを伝えた。この辺から、なんかこう、二人の間に「あ、これはもしかしたらやばい流れかもしれない」的な雰囲気が流れた。これはどうでもいい話だけれど、わたしの信条のひとつに「言いたいことは言う。その時は、こころを込めて言う」というものがある。理由は単純で、言いたいことを言わないでいると『病気になる』からだ。だから、この日も、勇気を出して「えーい、言っちゃえ!【このひとには一回死んでもらいましょう!】」的な勢いに任せて、言いたいことを即座に言っちゃう実験場として熱海の空間を利用した。

 

結論から言うと、いろいろあった末に両者は無事に意気投合を果たした(ということにする)。わたしは思う。巷では「自分と向き合う」なんて言葉を頻繁に耳にするけれど、自分と向き合うことを意識しすぎるあまりに、他人と向き合うことがおざなりになっているひとは多い(ように思う)。自分と向き合うということは、部屋に閉じこもってひとりきりになることではないと思う。逆だ。自分と向き合うということは「ひととしっかりと向き合う」ということであり、ひととの付き合いの中で出てくる自分の本音をはっきりと掴み、ごまかさないで、誠意を込めて相手に伝えること。仲良しごっこをしろとかそういうことではなく「ひとを大切に扱えないひとが、自分を大切に扱える訳がなかろう【自分を大切に扱えないひとが、ひとを大切に扱える訳がなかろう】」ということを思う。本音をかち割って面と向かって話をする、その中から出てくる自分自身【相手自身】をはっきりと掴むことが、自分【大袈裟な言葉で言えば人間全体】と向き合うということなのだとわたしは思う。

 

【過去記事】人生は短いから、不幸でいる暇なんてない。 - いばや通信

 

『ぼくの小鳥ちゃん』

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、江國香織(作)・荒井良二(絵)『ぼくの小鳥ちゃん』です。わたしは荒井良二さんの作品が大好きで隙を見ては「こんなのもあったのか!」としらみつぶしに読破をしている最中になるのですが、こちらの本も、江國香織さんの世界観(?)とあいまって非常に素晴らしい一冊に仕上がっておりました。誰かにプレゼントをする際にも適しているような(適していないのかもしれない)、とても可愛らしい一冊になります。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。

 

※※※ こちらの本は、大阪府にわたりました ※※※

 

➖一羽の小鳥として、私ががまんならないとおもうあなたの欠点を教えてあげましょうか。

 

いつだったか、そう言われたことがある。昔ここにいた ー ある日いきなりやってきて、やがていきなりいなくなってしまった ー こげ茶色の小鳥ちゃんにだ。

 

➖欠点?

 

ぼくは訊き返した。夏で、ぼくたちは窓をあけた部屋のなかにいた。

 

➖あなたはうけいれすぎるのよ。

 

小鳥ちゃんはぼくの目をみずにそう言った。

 

➖いけないことかな。

➖ときどきとても淋しくなるの。

 

小鳥ちゃんは顔をあげてぼくをみた。切るようにかなしい目をしていた。

 

江國香織『ぼくの小鳥ちゃん』【新潮文庫

 

【参考HP】わたり食堂・わたり文庫

 

渡る世間は神ばかり。

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引き続き御礼の電話をかけ続けているのですが、時折、小さなこどもたちと会話をできるのがものすごい楽しい。今日は、7歳の女の子から「さかつめさんはどんな家をつくりたいの?」と問われた。わたしは「そうだね、言うなれば『いい感じの家』だね!」と答えた。女の子は、続けて「カメムシはいない?」と問う。わたしは「まだ出てない!いまのところはまだ出てない!」と答える。「じゃあ、アリは?」「アリはいるよ、だって家の裏には林があるんだもん!」「アリいるんだあ」「アリはどこにでもいるでしょ!アリぐらいがんばろうよ!」的な会話をする。電話をかわったお母様が「すいません、どうでもいい話ばかりをしてしまって…」と謝罪をする。わたしは「いえいえ、まったくそんなことはありません!非常に有意義な対話をさせていただきました!」と答える。こどもの声は、聞いているだけでも元気になる。こういう時間を過ごさせてもらえることが、最近は、なんだかものすごい楽しい。 

 

 

御礼の電話を重ねながら、そして、銀行ATMの前で膝から崩れ落ちながら、わたしは「渡る世間は神ばかりだ…」と思った。うまく言葉にすることができないのだけれど、この国にはいいひとがたくさんいる。ほんとうに、心の底から、最高の国だなと思う。もちろん、時には「これでもか!」と罵倒をされることもあるけれど、根本的には優しいひとばかりなのだと思う。人に優しくできない時は、ただ、いまちょっとだけ心に余裕がないだけで、ひとに優しくできないひとは、ひとに優しくできないというまさにその態度を通じて「どうしようもなくやさしさに焦がれている」だけなのではないだろうか、ということを思う。そういう部分を、汲み取ることができるような人間でありたいと思う。できることならば、他人を疑い争いながら生きることよりも、よろこびを分かち合うように生きることができたらと思う。

 

 

これがなければ生きていけないとか、あなたがいなければ生きていけないとか、そういうことではなく「これがなくても生きていけるようになる」とか「あなたがいなくても生きていけるようになる」ということを、多分、『自立』と呼ぶのだと思う。そのひとがひとりでも生きていけるようになること、依存させるものではなく、ひとを自由にするもの、それを『愛』と呼ぶのだと思う。どうしてなのだろうか、様々なひとたちからの様々な思いに触れながら、最近ではそういうことを考える機会が増えている。ひとりでも生きることができる人間はいないということ、生きとし生けるものは無限の網の目の中で生きている【生かされている】ということを思う時、わたしは「自分は自分の命をしっかりと生きていこう」という思いになる。静かで、おだやかで、あたたかななにかとの結びつきを覚えることができるこの感覚を、わたしはとても気に入っている。

 

 

https://www.instagram.com/p/BT0tgIojyUT/

✨✨✨GOCHAMAZE no IE✨✨✨

 

人生は続く。

 

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静岡県熱海市伊豆山302
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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