いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

生きるために必要なもの、それは安心感だと思う。

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女性物の下着はどれくらいの値段がするのですかと聞いてみたいけれど聞けない。昨日、100%シルクの真っ赤なふんどしを購買した。五千円近くもしたので、全身をぷるぷるさせながら購買をした。先日、関東在住の女神K様から「さかつめさんの活動を応援したいので、よろしかったら銀行口座を教えてください」というご連絡をいただいた。こころの奥の方から感動をした私は「ありがとうございます!ありがとうございます!大切に、大切に、大切に使わせていただきます!」と返信をした。すると、その方から「何を言ってますか!無駄遣いをしてください\\٩( 'ω' )و ////」という返信が届いた。

 

私は「うおおおーーー!!」となった。結論から言うと、真っ赤なふんどしに加えて、私はドルツの携帯用電動ハブラシ(デザインがおしゃれ!)・COCOONの100%シルクトラベルシーツ(シルクは全身の病気・邪気を吸い取るらしい!)・日本国産の木枕(首の骨が矯正されて顔面の諸々が良好になるらしい!)・極め付けにはスイマグエース3本(目指せ腸美人的な副作用のない下剤。なう、人体実験中!)の5点セットを購買した。睡眠環境が大きく変わる予感がする。数年前まで、私は、普通の布団で普通に眠っていた。しかし、家のない生活をはじめた頃から「硬い布団で寝たほうが逆にカラダにもいいっていうし!」と開き直り、積極的に床や廊下や適当な路地裏で眠ってきたことが功を奏している。これからの時代は、シルクで野宿だ。薄汚れた生活をしているように見られがちな私の生活は、ソフトからハードに(かつ、ラグジュアリーに)静かなランディングを続けている。

 

あってもいいし、なくてもいい。

家のない生活をはじめた頃、荷物を減らす作業が楽しかった。シャンプーやリンスは荷物になる、さあ、どうしようなどと思っていたら「世の中には湯シャン(お湯だけで頭を洗うこと)なるものをしているひとたちがいる」ということを知り、それならばシャンプーもリンスも石鹸も、宿泊先とか銭湯に置いてあるときだけでいいやということになって荷物から消えた。バスタオルはかさばる。しかし、この国には手拭いという非常に速乾性の高い逸品があることを知る。食事も睡眠も同じで、断食が効果的であるように「食べないほうが逆にカラダにいい(硬い床で寝たほうがカラダにいい)」という情報を事前に知っているだけでも、食べるものがない(まともに寝る場所がない)時も「逆にヘルシー!」と思うことができた(もちろん、そんな風に思えない時もあった)。

 

これらの経験から、私は「あってもいいし、なくてもいい」という境地が事実上最強なのだと思うようになった。現在の私は、静岡県熱海市に家がある。家はあるほうがいい。帰る場所があるという安心感は大きい。しかし「家がなくてもどうにかなる」のだと経験則的に思えることは、現在の私を強く支えている。仮になにかしらの事態が発生して再び家のない生活に戻る日が来ても、仕方ない、またやり直すかというだけの話だ。誤解されると困るが、私は「家はいらない」などと思っている訳ではない。ただ、家がなくてもどうにかなる(家や金や仕事がなくなったからといってすぐに死ぬ訳ではない)のだと知っているということは、生きることに対する不安や恐怖心を和らげる力(安心感を生む力)があると感じている。

 

インドの哲人・クリシュナムルティは「恐怖はそれがいかなるかたちであっても、精神を活動不能にし、感受性を破壊し、感覚を縮めてしまう」と言う。私は、この言葉の意味がものすごくよくわかる。あらゆるものが溢れているこの日本社会において、人間を殺すものは貧困でもなければ家や金や仕事の欠如でもない「自分自身の恐怖心【安心感の欠如】」だということ。私は、家のない生活をはじめるまでは「家(金・仕事など)がなければ生きていけない」ものだと思っていた。しかし、実際に家のない生活をはじめてみると「生きていけないばかりか、あれ、おかしいな、比較的面白いぞ」ということになった。この辺のことは、私よりも五億倍文才に長けた高知県在住の若きカリスマ・イケダハヤトさんの記事をご参照いただけましたら幸いです。

 

【参考記事】坂爪圭吾さんが語る「家をなくしてわかった5つのこと」が面白すぎて価値観ぶっ壊れた : まだ東京で消耗してるの?

 

私を神の道具としてお使いください。

私は、特定の仕事をしていないために暇だ。2017年からは自分自身をフリー素材として開放し、みなさまに自由に好き勝手に使っていただきながら「さあ、なにが起こるのだろう」ということを観察している。先日、横浜在住の整体師Y様にお声をかけていただき、横浜市内のご自宅にお邪魔をした。その時の様子を、Y様がブログ記事にしてくれた。この記事がすこぶる素晴らしいもので、私は、素晴らしすぎる!!!!!と月夜に吠えた(昨夜は月の明かりがすさまじかった)。

 

【参考記事】思考を裏切れ! - 藤山家においでよ

 

ブログ記事内にこんな言葉が登場する。

 

『あー私の技術や知識や感覚ってやっぱり割といいかも…ん…てかさ、“私がやってる”って感覚がない時がやっぱり一番いい状態なんだ!』

 

私は、人間の本領が発揮される瞬間は「自分がある種の管【パイプ】になっている時」だと思っている。愛するマザー・テレサも「私を神の道具としてお使いください」と祈るように、私は、私が文章を書くのではなく「(なにか大きなものに)書かされている」と感じる時の方が、感覚的に、良い文章を書けているような気がする。自分をすごく見せるために書く文章には醜いエゴが宿り、普遍的な力は削ぎ落とされる。しかし、自分のすごさを証明するためではなく『自分を含めた人類全体のすごさ』を賞賛するために書かれたものには、なにか、普遍的な力が宿る。私は「不幸とは分離感」で「幸福とは一体感」だと思っている。俺は俺はとなってしまうほどに、私の場合、周囲から切り離される痛みを覚える。私たちが暮らしているこの世界の素晴らしさ、人類全体の潜在的な美しさを証明しようとする時は、自分も含めた世界全体に対する強い親愛の感覚、シンパシー、ある種の全体感につながるから良いのだと思う(話が大きく逸れてしまった)。

 

五億年振りの家庭の味。

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横浜在住のH様から「よかったら晩御飯を食べに来てください」というご連絡をいただいた。結論から言うと最高で、玄関にはこどもたちが書いてくれた「さかつめさん、ようこそ!」という張り紙が掲げられていた。私はこどもが大好きだ。なぜ走るのか。なぜ叫ぶのか。なぜ跳ねるのか。きっと、ただ、そうしたくなったからそうしただけのことなのだろう。謎に動き続けるこどもたちを眺めていると、ああ、こいつらはいいなあ、常にフルマックスで全開だな!!!!!と、頬が痛くなるほどに笑顔になる。

 

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ここは天国かと思いました(坂爪圭吾はいくらが大好きです!)。愛するマザー・テレサは「この世の中にある飢えは、なにも食糧に限った話ではありません。どれだけ多くのものに囲まれていても、愛に飢えているひとはたくさんいます」と言う。私は、この瞬間、たしかな愛に包まれたのだと思う。愛に包まれた時は「愛に包まれている!」と思う。そして、この愛を誰かと共有したい(誰かと一緒にいくらを食べたい)と思う。ひとは、多分、なにかを分かち合いたいと願う生き物なのだろう。そして、何かを分かち合えたと思える時に湧き上がる感情、その気持ちを「愛」と呼ぶのだと思う(H様、ほんとうにありがとうございました!!)。

 

『おくりものはナンニモナイ』

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、パトリック・マクドネル著作『おくりものはナンニモナイ(訳・谷川俊太郎)』です。私が愛する絵本はこの世の中に五冊ほどあるのですが、こちらの本は、その中の一冊になります(他には『なんていいんだぼくのせかい』とか『画家』とか『くまとやまねこ』などがあります)。私、買いました。こちらの絵本を買いました。関東在住の女神K様の強力なサポートにより、あまったお金をすべて絵本に交換いたしました。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡いたします。 

 

※※※ こちらの本は、神奈川県にわたりました ※※※

 

そしてふたりは

 

ただじっとして

 

たのしんだ、

 

ナンニモナイを

 

そしてなにもかもを。

 

パトリック・マクドネル『おくりものはナンニモナイ(訳・谷川俊太郎)』【あすなろ書房

 

【参考HP】わたり食堂・わたり文庫

 

生きるために必要なもの、それは安心感だと思う。

スイマグエースを購買するために、昨日、新宿区神楽坂駅前にある薬局に足を運んだ。お店の扉を開けると、これほどまでに柔和な笑顔のひとが東京にいたのか!!!!!と度肝を抜かされそうになるほどに、素晴らしい雰囲気を漂わせた女性が迎えてくれた。年代は私の親くらいになるのだけれど、肌ツヤは最高で、白衣を通り抜ける雰囲気がマリアがかっていた。私は、なんだかもう、それだけで「このお店で買う商品はなにがあっても間違いはないだろう」という気持ちになってしまって、軽い世間話を交わしたのちに、お目当の商品を購買してお店を後にした。外に出たあとも、清々しい気持ちは続いていた。あたたかな笑顔に触れるということ、ただそれだけのことがこんなにも持続するよろこびを与えくれるものなのかと、私は、強いうれしさを噛み締めながら熱海に向かう電車に乗った。

 

その後、品川駅構内で職質を受けることになるのだけれど(多分、この時期に裸足で下駄を履いていたからだと思う。警察官の方々も、ひとを疑うことが日常になるのだとしたらそれは大変なことだなと思う)、その後もよろこびは持続をしていた。ひとと違う生き方をしているだけ、それだけのことで「お前は間違っている」と言われることは多い。しかし、自分のこころが「こっちだな」と思ったものがあるのならば、何を憎むでもなく、誰を恨むでもなく、平気な顔で、明朗と(稀に職質を受けながらでも)自分の道を進んでいけばいいのだと思う。生きていれば嫌だなと思う目にあうこともある。それと同じくらいに、これは最高だなと思える瞬間もある。その瞬間の中には、いままでの「いやだな」をまるごと吹き飛ばしてくれる肯定的な力がある。 

 

【過去記事】まずは自分を救え。 - いばや通信

 

生きるために必要なもの、それは安心感だと思う。失敗しても良いという安心感、自分は護られているのだという安心感、ダメな時は元気が出るまでゆっくりしていればいいのだという安心感、など。私にとって、これまでの日々は「自分の中にある安心感を築く」ために必要なステップだったのだと思う。恐怖はそれがいかなるかたちであっても、精神を活動不能にし、感受性を破壊し、感覚を縮めてしまう。マイナスの感情に飲み込まれそうになる時に、立ち戻れる場所を抱くということ。私にとって、たとえばそれは神楽坂の薬剤師さんの笑顔であり、強力なサポートを与えてくれる女神様の存在であり、整体師のY様や家庭の味をご馳走してくれたH様の存在になる。多分、未来に必要なことをやっている限り人間は死なない。こういうひとたちがいる限り世界はきっと大丈夫なのだと、自分は自分が思う最善【自分の純度を保ち続けること】を尽くしていれば、きっと私たちは大丈夫なのだと思う。

 

 

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人生は続く。


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