いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

遺書を書く。

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もしも遺書を書くとしたら、どのような内容を書くだろうか。明日死ぬとしたら、最後に何を言い残すだろうか。あいつのこんなところが気に入らないだとか、何かを憎んでいるだとか、何かを許せないだとか、多分、そういうことは書かないのだと思う。ジェラール・シャンドリの言葉に「一生を終えてのちに残るものは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである」というものがある。死を目前に感じる時、多分、その人からは誰かを憎んでいる時間はなくなる。そんなことよりも、自分にとって最も重要だと思うこと、大袈裟な言葉で言えば「愛し、愛された記憶」を強く刻もうとするものではないだろうか。私達は「裸で生まれてきて、そして、裸で死ぬ」ようにできている。どれだけ多くのものを集めたとしても、天国に持っていくことはできない。

 

奈良県を経由して東京にはいり、昨夜、熱海に戻った。奈良県では、お話会に呼ばれてみなさまの前で話をする機会に恵まれた。主催者の方が「さかつめさんは本を出す予定はないのですか?ブログ記事を読めることも嬉しいのですが、紙媒体という形で、実際に手にとって読めたらとても嬉しいです」と言ってくれた。私は、もしも本を出すことになるとしたら、遺書のようなものを書きたいと思った。私は、このブログを通じて「仮にこの記事が最後の記事になるとしたら、これが自分の遺言になっても構わないと思えるもの」を書きたいと思っている。文章だけではない、ひとと話をする時も同じだ。この会話がそのひととの最後の会話になるとしても、悔いのないように、血の通った言葉を使いたいと思っている。

 

遺書を書く。

毎年一回、遺書を書くように本を出すことができたらいいと思う。実際に出版をするかしないかはあまり重要ではない。自分の近くで同じ時代を生きることができたひとにとって、最後に言い残すことのないように「明日死ぬとしたら、これだけは言っておきたいこと」を、まとめるような形で本に残せたらいいと思う。その時、私は、どのようなことを書くのだろうか。自分のこれまでを振り返りながら、誰の顔を思い浮かべ、どのような場面を思い浮かべ、そして、どのような熱量を言葉の中に込めたいと強く思うのだろうか。

 

遺書を書くという行為を通じて、「自分の深いところから出てくる言葉」に出会うような気がする。奈良県のお話会を主催してくれた女性は、酒を飲みながら、こんなことを話してくれた。「そのひとはもう死んでしまったひとなのだけれど、生前、そのひとは『自分が死ぬ時は、これだけのことをしてもらったと思いながら死ぬのではなく、あのひとにはこれをしてあげることができたとか、このひとにはこれをしてあげることができたとか、自分は、これだけのことをしてあげることができたと思って死にたい』と言っていて、いまでも、その言葉が強く思い出されることがあります」と。

 

全国各地に呼ばれて、非常にありがたいことに様々な方々と出会う機会に恵まれている。私の文章を読んでくださる方々は、年齢層も様々で、置かれている境遇も本当に様々だ。普通にサラリーマンやOLをしているひともいれば、子育て中の主婦や定年退職後の男女、中には余命宣告を受けているひともいるし、何十年間も引きこもりの生活をしているひともいれば、社長業などで大金を稼ぎ出しているひともいる。表面的には様々な方々がこのブログを読んでくれていて、各地で開催されるイベントにも足を運んでくださるが、社会的な肩書きは違えど「同じ人間である」ことに変わりはない。私はひとりの人間で、私の目の前にいるひとも、同じように「ひとりの人間」である。だからこそ、対等な立場で話をすることができる。そして、こころを通わせることができる。

 

おはなをあげる。

東京では「おはなをあげる」というイベントを開催した。私は、花が好きだ。だから、無料で花を配る。特別な理由がある訳ではなく、ただ、私は花が好きだから「自分と同じように、花を愛でてくれるひとがいたら嬉しい」という気持ちで、隙間時間を見つけては周囲の人々に花を配っている。私にとって、花は「余裕」だ。花のある部屋には余裕を感じるし、花を選んでいる時の自分の気持ちにも「余裕」を感じる。逆に、部屋に花を生けていない時、花を愛せていない時、道端の花を眺める時間のない時、私は「自分の中から余裕がなくなっている」ように思う。

 

いまから一年ほど前、私は、熱海に拠点を構えた。この家を用意してくれたムラキテルミさんは、犬の散歩のついでに、この家に遊びに来てくれることが頻繁にあった。12月のこの時期から、伊豆山の道端には、水仙の白い花が綺麗に咲き乱れる。ムラキさんは、私に会う前に、道端の水仙の花を摘み取って手土産に持って来てくれた。私は、これまで、水仙の花がこんなにいい香りがするのだということを知らなかった。貰った花を部屋に生けると、少しだけ、空間が潤い明るいものになるような感覚を覚えた。それ以来、私は、この家を「花の絶えない家にしよう」と思うようになった。ムラキさんは、いま、熱海を離れて京都に拠点を構えている。ムラキさんのいない熱海は少しばかりさみしいが、いま、熱海の家のには水仙の花が飾ってある。水仙の花を見る度に、笑顔で「はい、これ」と花を差し出した時のムラキさんの、あの、非常に可愛らしい表情が思い出される。

 

昨日、東京で花を配りながら「遺書を書くことと、おはなをあげることの間にはズレがない」と思った。私は、自分で言うのもおかしな話だけれど、いま、自分がやっていることに間違いはないのだと静かに思いながら、出会うひとびとに花を配った。実際に花を手渡した方々は、女性が大半だった。別に綺麗事を言いたい訳ではないけれど、私は、女性の存在は花に似ていると思う。昨夜、花をあげた方から「おはなって、部屋を明るくしてくれるね」という連絡が来た。私は「あなた自身も一輪の花だと思います。素晴らしい夜を、そして、素晴らしい日々をお過ごしください」と返信をした。もしかすると、これは非常に恥ずかしい言葉だったのかもしれないけれど、この瞬間は、これが本当の音色だった。もしも明日死ぬことになったとしても、多分、私は花を配るだろう。そして「この花を見ながら、同時に何かを思い出してもらえたら嬉しい」という、淡い願いを込めたりするのだと思う。

 

『忘れられた日本人』

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、宮本常一著作『忘れられた日本人』【岩波文庫】です。この本の中にある『土佐源氏』という30ページにも満たない物語が私は本当に大好きで、最初に読んだ時は、尋常ならざる衝撃を受けたことが思い出されます。ご希望される方は何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には70万時間以内に折り返しご連絡をいたします。

 

※※※ こちらの本は、滋賀県にわたりました ※※※

 

【参考HP】わたり食堂・わたり文庫

 

あの頃の生き方を、あなたは忘れないで。

昨夜、おはなを配り終えた私といばやのほしなさんは、ほしなさんの運転する車で一緒に熱海に向かった。車内では、松任谷由実「卒業写真」が流れていた。この曲の歌詞の中に「あの頃の生き方を、あなたは忘れないで」というものがある。共にはなを配り終え、共に痛い目に遭いながらもそれらをはるかに凌駕するいい感じの風に吹かれたりもしていた私達は、流れるBGMと共にしばし何かしら感じるものの中にそれぞれの身を委ねていた。すると、ひと時の静寂を破るようにほしなさんの携帯が鳴った。電話は、ほしなさんの母親からだった。電話の内容は「身内のものがなくなったために、一度、実家の新潟に戻って来て欲しい」というものだった。

 

その日は、もうすでに夜も遅かったので私達は熱海に泊まり、翌日の早朝にほしなさんは新潟に向けて出発をした。これは、もう、今朝の話だ。「じゃあ、けいごさん、行ってきます」とほしなさんは言う。私は「おう、いってらっしゃい」と答える。最低限の挨拶を交わして、私達は別れる。昨夜、眠りにつく前、ほしなさんは「前に、けいごさんが『いまの日々は老後みたいなものだ』ってブログに書いていましたけど、あの感覚、僕もわかります」と話してくれた。常に明るく爽やかなほしなさんだが、人知れず、過去には本当にいろいろあった男だ。いろいろあった男であるにも関わらず、誰かといる時は微塵も悲壮感や被害者意識を漂わせないほしなさんのどっしりとした生き様に、私は男を見る。同じ男として、端的に「惚れる」要素を多大に感じる。私は、こういう男と同じ時代を生きることができていることを、幸福だと思う。

 

ほしなさんと別れた後、私は、熱海の山の中を歩く。道端に、水仙の花が咲いているのを見つける。一輪を摘み取り、花の香りを嗅ぐと、懐かしい香りがした。熱海に暮らし始めて、もうすぐ、一年の月日が流れる。いいことばかりではないけれど、悪いことばかりでもない、ただ、トータルでは「最高だ」と心の底から思える月日が流れた。生きている限りいろいろなことがあるけれど、生きているからこそ、触れることのできた温もりがある。よろこびがある。泣きそうになるほどの感動がある。水仙の花を眺めながら、私は「生きていれば、また、水仙の花を見ることができる」ということを思った。ムラキテルミさんの幸福を願った。ほしなさんの幸福を願った。これまで出会ってきた、様々なひとたちの表情が思い出された。今年もまた、熱海に冬が来た。散歩を終え、家に戻り、水仙を飾り、窓を開け、部屋の掃除をして、台所に向かう。縁側に干していた大根を手に取り、簡単な味噌汁を作りながら、私は「遺書を書こう」と思った。

 

 

人生は続く。

 

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