いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

リラックスこそ最高の媚薬。

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お風呂にお湯を貯める。服を脱ぐ。水筒と、全身を磨く為のたわしと、iPhone5sと一緒に浴槽に入る。フリック入力で地道にブログ記事を綴る。ひとつの記事を書き上げるのに、およそ1時間から2時間程度かかる。書き終わる頃には、大量の汗で顔や腕がびしょ濡れになる。ブログ記事を更新しながら半身浴をすると、半身浴の退屈な時間も生産的なよろこびに変わる。私の身長は175センチ弱で、最近は腹もあまり減らない為に体重は53キロに落ちた。食べ過ぎると胃腸が重くなり翌朝「うぐぐ」となるが、体脂肪率が下がりすぎると免疫力は低下をして体調を崩しやすくなる(らしい)。
 
先日、大阪府羽曳野市で開催されたトークイベントに登壇をした。イベント終了後、ひとりの女性が名刺を片手に挨拶に来る。私は名刺が嫌いだ。ゴミが増える。経験則的に、私は、初対面の際に名刺を渡してくるタイプのひとと仲良くなれた試しがない。多分、そのひとの社会的な役割よりも「絶対的なそのひと自身」に、私の興味はあるからだと思う。私はこういうものですと名刺を差し出す女性を見ながら、私は「終わったな」と思う。
 

お前は誰だ。

私は女性に「あなたはいつもこんな感じなのですか?」と問う。女性は「はい」と答える。私は「あなたの態度は表面的で、形式的で、打算的で、あなた自身の純粋性が何も伝わってこない。純粋性が何も伝わってこないから、あなたと友達になりたいとは思えない」的なことを言う。女性は「はい」と言う。私は黙る。女性は「これからもブログ記事を楽しみにしています」と言う。私は、この言葉は社交辞令だなと思う。何も言わない。私は黙る。女性は「今日はありがとうございました」と言う。私は、この言葉も社交辞令だなと思う。何も言わない。私は黙る。女性は消える。周囲にいた人達の顔が、若干、凍りついている。
 
隣にいた大学生の男の子が「実際に言っちゃうんですね〜!」と言う。彼と私は友達だ。私は「だって嘘にまみれてたじゃん!」と言う。もうひとり、同じ時間を過ごしていた20歳の女の子は「私は今日という日を忘れないでしょう」と言う。彼女と私は友達だ。正確には、その日、友達になった。素直なひとは友達で、嘘にまみれているひととは友達になれない。私は、隣で友達が見てくれている時に燃える。私は「ありがとう!二人が見てくれていたから、あたし、張り切っちゃった!!!」みたいなことを言う。
 
結果的に、名刺を差し出した女性とはその後に仲直り(?)する。そこまでの流れは割愛をするが、私は、無理をして生きているひとは多いのだなあみたいなことを思う。一生懸命に「私は付き合う価値のある人間です!」「私は幸せな人間です!」「私は夢と目標に満ち溢れている人間です!」というアピールをしなければ生きていくことができないのだとしたら、私は、そんな世の中を生きていたいとは思わない。逆に「私は付き合う価値のない人間です!」「私は幸せな人間ではありません!」「私は夢や目標の重要性みたいなものって完全に嘘なんじゃないだろうかと思っていて、誤解を恐れずに言うと、みんな騙されているだけなんじゃないだろうかと思うタイプの人間です!」と言うひとと、友達になりたいと思う。
 

そんなもんじゃないだろう。

私は、根底に「お前はそんなもんじゃないだろう!」的な信頼や愛情が流れている限り、何をしてもいいのだと思う。たとえ一時的に衝突をしたとしても、動機が「相手を潰すため」ではなく「こころを通わすため」であれば、出し惜しむことなく、自分の思いはしっかりと伝えていきたいと思う。逆に言えば、自分の気持ちを押し殺して愛想笑いを浮かべながら無難にその場を収めようとするほどに、私は、私の中にある肝心な部分が死滅していく感覚を覚える。
 
過去に「無駄に慰め合うよりも、一回殺す」的な記事を書いた。誤解を恐れずに言うと、私には、自己啓発やスピリチュアルにはまっているひとほど「癒され過ぎて腐っている」ように見える。多分、延命措置に未来はない。安心感を求めて権威者と呼ばれているひとやものやことに答えを求めて彷徨うよりも、一回死ぬ(古い自分を一回殺して、新しい自分になって生まれ変わる)方が話は早いと思う。
 
 
稀に、私に答えを求めて来るひとがいる。しかし、私は「答え合わせ」みたいなことをしたいとは思わない。それをしてしまうと宗教になる。自分の頭で考えることができなくなる。私の考えはあくまでも私の考えであり、あなたの考えにはならない。私の考え方は、あなたにとっては答えではなく「問い」であり、それはつまり「お前はどう思うのか?【お前はどう生きるのか?】」という問いになる。答えよりも問いを共有できた時にこそ、私は、そのひとのことを「同じ時代を生きる仲間」だと思う。そこに上下関係はなく、年齢差も性差も社会的な肩書きの差もない、同じ人間として「あくまでも対等なもの」でありたいと思う。私は上にもならないし、私は下にもならない。わたしはわたしであり、あなたはあなたである。それが素晴らしいことだと思っている。
 

星の王子さま

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今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、サン・テグジュペリ著作星の王子さま』です。こちらの本は、昨日、愛知県の刈谷サービスエリアでヒッチハイクをしていた(あろうことか、そのひとは奈良県のイベントにも来ていた!)男の子が「僕は全然本を読まないのですが、これを読んでから本を読むようになったんです!」と語る一冊です。ご希望される方は、何かしらの方法で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には、70万時間以内に折り返しご連絡いたします。
 
※※※ こちらの本は、大阪府にわたりました ※※※
 
人間たちはもう時間がなくなりすぎて

ほんとうには、なにも知ることができないでいる。

なにもかもできあがった品を、店で買う。

でも友だちを売ってる店なんてないから

人間たちにはもう友だちがいない。
 
 
 

リラックスこそ最高の媚薬。

大阪のイベントに来てくれた男性が「さかつめさんは何をしている時が一番楽しいですか?」みたいなことを尋ねる。私は、返答に困る。楽しいことなんて100種類以上あるし、このひとはなんでこんなことを聞くのだろうかと思い「あなたはどんな時に楽しさを覚えるのですか?」と尋ねる。男性は「やりたいと思っていることをやっている時です」と答える。私は、なるほどと思う。そして「それでいいじゃないですか」と答える。「それでいいと思うのですが、どうして、私にそれを尋ねるのですか?」と答える。
 
ニュアンスをうまく伝えられる自信がないけれど、男性は「私と同じであることに安心感を覚えようとしていた」ように見えた。そして「楽しむためには何かをしなくちゃいけない!」という焦燥感に駆られているようにも思えた。当たり前のことだけれど、答えはひとつではない。しかし、答えはひとつだと思い込むと「自分と違う答えを持つひとの登場に動揺する」ことになる。結果的に、周囲の人達の意見に惑わされて、自分自身を見失ってしまうことは多い。
 
私は、人間のパフォーマンスが最大限に発揮される瞬間は「リラックスをしている時」だと思う。何かをしなくちゃいけないという強迫観念は緊張感を生み、場合によっては何もしていない自分に罪悪感を抱く結果にもなる。大事なことは、多分、肩の力を抜くことだ。明日からは東京だ。堅苦しい文章を書いてしまった。熱海の空には太陽が輝いている。風呂をあがり、玄関先の椅子に座り、日光を浴びる。鳥が鳴く。木の葉が揺れる。目の前を野良猫が通り過ぎる。なんだか、いろいろなことがどうでもよくなる。自分には健康な体があって、今夜眠る場所があり、明日食うには困らないカネがある。これだけあれば、多分、文句を言ってはいけないのだと思う。足りないものは何もないのだなあという気持ちになる。
 

 
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人生は続く。
 
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