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いばや通信

ibaya≪いばや≫共同代表・坂爪圭吾のブログです。わっしょい└( ^o^ )┐

これは俺たちの旅であって、俺たちだけの旅ではない。みんなの旅、生きとし生けるものの旅になるんだ。

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パリに着いた。前回の投稿で「諸事情が爆発をして、いま、貧困の海に溺れている」と書いたところ、様々な方々から心配のメールをいただき優しさに包まれていた。これはもう何度目になるのだろうか、自分は生きているのではなく「生かされているのだ」ということを強く実感する。記事の最後にボーリングボーイズの動画をご紹介させていただいたところ、それを見てくれた女性の方から一通の連絡が届いた。

圭吾さん、こんにちわ!◯◯◯です。
昨日学校帰りにボーリングボーイズの動画を爆笑して観ていたらお金を拾いました。
面白さって最強なんだな!と思いました。

そこで面白募金をしてみたいなと思い、
誠に勝手ながら圭吾さんに振り込みたいんですが振込先を教えていただけませんか?
iPhoneから送信


こんなことってあるのね!と思った。私は弱者なので、なにかあるとすぐに弱気になったり物事を深刻に考えてしまう。しかし、そんな自分の惨めな湿り気を吹き飛ばしてくれるものは、いつだって周囲のひとたちが与えてくれる温かなユーモアだった。今世のテーマは「深刻にならないこと」でもあるために、可能な限りいろいろなことを笑い飛ばしていけたらと思う。


パリの街並み。

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パリの街は美しく、目に映るどの風景を切り取っても絵になる。吹き抜ける風が気持ち良く、カフェのテラス席で珈琲を飲むだけでも、簡単に多幸感に包まれることができる。聞いた話によると、パリの人々は夏になっても網戸を使うことはないらしい。虫がガンガンはいってくるのに網戸を使わない最大の理由は「美しくないから」ということで、その美意識の高さには驚かされる。多分、美しくものと一緒にいれば人間は勝手に美しくなり、醜くものと一緒にいれば人間は勝手に醜くなる。自分のこころが美しいと思うものを取り入れるように、自分のこころが美しくないと思うものからは、できる限り距離を置いておきたいと思う。

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ルーブル美術館セーヌ川のほとりを歩く。

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私は「観光名所を巡ることよりも、ひとの表情や街路樹や野良猫や花や鳥たちを眺めていることが好きなのだ」ということに気付く。自分の足で歩けば歩くほどに、まるで自分自身が街の空気に溶け出しているような感覚を抱く。バスに乗るよりも、電車に乗るよりも、飛行機に乗るよりも、可能な限り自分の足で歩いたほうが、文字通り「自分たちの足跡を其処に残せる」感覚を覚えることができる。

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晴れの日も雨の日も、パリの街並みは綺麗だ。

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徹底的にパンと乳製品を食べ続けている。

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これで7ユーロ程度。

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エスプレッソを飲み続けている。

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街に沈む日が綺麗だ。

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夜の街並みも綺麗だ。

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朝の空も綺麗だ。

これは俺たちの旅であって、俺たちだけの旅ではない。みんなの旅、生きとし生けるものの旅になるんだ。

うまく言葉にできないのだけれど、この旅を、そしてこの人生を「自分だけのものにしたくない」という感覚を抱くことがある。自分だけの旅をするのではなく、自分だけの命を生きるのではなく、自分が旅をするということがみんなの代わりに旅をするということにつながるような、自分の命を生きるということが結果として人類全体の命を生きることにつながるような、別々の命を生きているのではなくひとつの大きな命を生きているのだということ、言い換えるならば【私はあなたの代わりに生きていて、あなたは私の代わりに生きている】のだということを実感する、そういう生き方をしていたいのだという気持ちになることがある。

恩は「次のひとにまわしていくもの」

ロンドン在住の方から「必要な食料はすべて用意するので、わたりBBQ in LONDONをやりませんか?」という連絡をいただいた。そのため、これからパリを離れてロンドンに向かう。私が生きているということ、こうしてパリやロンドンに生けるということは、とてもじゃないけれど自分ひとりの力では達成することのできないものだった。そういうことを思う時、冒頭でも書いたように「自分は自分の力で生きているのではなく、様々なものの恩恵によって生かされているのだ」という気持ちになる。

【イベント詳細】わたりBBQ in LONDON

多分、恩は返すものではなく「次のひとにまわしていくもの」だと思う。自分がいま生きているということは、両親や兄弟、友達や恋人、学校や職場、先人の知恵や技術に大きく支えられていて、このブログ記事も「インターネットやスマホを開発してくれたひとがいるから」こそ、こうして更新することができている。これらの恩恵を思うとき、とてもじゃないけれど恩は返し切れるものではないのだということを強く実感する。言い換えるならば「ひとりひとりが様々な人々の恩恵によって成立しているのならば、ひとりひとりが愛や恩恵のカタマリである」ということだ。

生きているということは「生かされている」ということであり、そのことを深く実感した時に、多分、自分の役割が見えてくる。それは「いままで自分が受け取ってきた恩恵を、次は、ほかの誰かにまわしていくこと」だ。誰かにエネルギーを貰いたいと願うのではなく、自分はすでに多大なエネルギーを受けてきたのだという実感と共に、今度は「自分の順番だ」と思う時、エネルギーを受け取るのではなくエネルギーを与える側にまわりたいのだと思う時、泉のように自分の内側から湧き出すものを感じることができる。 きっと、大切なことは「自分はすでに多大な恩恵を受けてきたことを思い出すこと」そして「この感覚のバトンを繋げていくこと」なのだと、私は思っている。


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人生は続く。

静岡県熱海市伊豆山302
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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MAIL keigosakatsume@gmail.com